TOSSLAND ’00.3.7
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○ はじめに
わたしたち人間が暮らしている毎日の生活で、一番身近にいる鳥を一つあげよと言われたら、何と答えるであろう。
まずカラスかスズメが大方を占めるに違いない。
では、カラスとスズメ、どちらの方がいいですかと聞かれたらどちらを選ぶであろうか。
半数以上「スズメ」と答えるであろう。
さらに、カラスはどうしてスズメよりよくないのと尋ねれば、「気味悪い」「全身真っ黒」「ゴミをあさる」などの悪いイメージから来る答えが返ってこよう。
人間に非常に身近な鳥「カラス」。しかし、大方の印象は、いつも悪いイメージがつきまとう。
身近に感じていながら、忌み嫌う物としての存在のカラス。
しかし、その背後に隠されている人間生活の実態に目を向ける人はそう多くはないのではないだろうか。
このカラスにスポットライトを浴びせ、授業を構築してみることにした。
主発問は、これである。
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カラスは害鳥か?! |
「害鳥」という言葉は、そもそも人間から見た言葉である。
視点を変え、我々人間もまた地球上に住むひとつの生き物に過ぎないと考えたとき、果たして一方的にカラスは害鳥であると言い切れるのであろうか、私は実に興味深く、奥深い物がそこに潜んでいる気がしたのである。
さて、これを追求し検討していくと思わぬことに出合うことになる。
カラスは、生ゴミをあさっている忌まわしい鳥だと単純に割り切れないものが、考えを深める中で浮かび上がってくるのである。
人間の出すゴミの40%は、台所から出る生ゴミだと言われている。
カラスは生ゴミがあるから、餌にありつくのである。生きていくために身に付けてきたカラスの知恵であろう。
こう考えていくと、「カラス」の背後には、いつでも人間が関わっていることに気づく。
「人間に身近な鳥、カラス」から「カラスに身近な生き物、人間」という見方に転換する。
まさにカラスは人間の生活を映し出しているのである。
このように考えにたどり着いたとき、子供たちは「では、わたしたちはどうすればいいのであろう。」と自らの生活を問うことになろう。
カラスから見える環境の授業、果たして可能か、まずは実践の中でその是非を確かめてみたい。
ご指導・ご批判をいただければ幸いである。
授業対象学年は6年生である。
○ 授業の実際
いきなり一人を指名して問う。
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「Cきつつき。」「Tどうして?」「Cくちばし長く木をつつく様子がおもしろいから。」
同様に、2,3名に座ったまま聞いてみた。
「Cはと。」「Tどうして?」「Cかわいいから。」
「Cハヤブサ。」「Tどうして?」「Cかっこいい。」
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すぐに「カラス」「すずめ」が口々に出される。
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「ゴミをあさっている」「いつも電柱に止まっている」「どこにでもいる。」「いつもカーカーうるさい。」など
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「カラス」がいいと言う子供も数名いたが、ほとんどの子供が「すずめ」の方がいいと言う。
「カラス」は気持ち悪い、何となくイヤだと言う。
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この際、上手下手は関係ない。
身近にいるカラスを正しく想起させ、一層カラスに近づけさせるための布石である。
「カラスの目は何色?」「黒。」「体は?」「黒。」「くちばしは?」「黒。」「全部黒なんだね。」
こんなことを問答しながら楽しく作業させる。
高学年であれば、2分程度で充分である。ここで時間をかける必要はない。
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3分後、挙手確認。
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指名なし発言でどんどんその理由を言わせた。ここでは、○派→×派の順に言わせた。
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ここでひとまずうち切った。
なるほど、それぞれなりにしっかりした言い分があるわけである。
ここで、新聞記事を配付した。朝日新聞(’99.8.7付)の「カラス特集」の記事である。(別紙)
まず、右半分をかいつまんで読み聞かせた。(「読者の声」を中心に)
それから、左半分。カラスの恐ろしさ、不気味さ、被害体験の部分をピックアップして読んだ。
×の子供に揺さぶりをかけるためだ。
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できるだけ、先ほど発言しなかった子供に促しながらも、言いたい子に自由に発表させた。
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ここで、再び尋ねる。
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再度挙手にて、人数分布を見る。
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害鳥派が予想通り増加。反対派4人減。
ここで、討論させてみる。
×派には、こだわりの考え方があるからである。
この×派の意見こそ、この授業では大きな意味を持つと考えた。
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以下のような発言が続いた。
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10秒待ったが、誰もいなかった。
「では、いいでしょう。なければ無理矢理続ける必要はないでしょう。」と言って、次のような揺さぶりをかけた。
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ここで、用意しておいたもう一つの資料、新聞記事からの四コマ漫画を一こまずつ小出しに提示した。
(※画像希望する方は連絡ください。)
黒板に近い子に、コマに描かれてあるせりふ部分を読ませた。
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2,3名指名して、言わせた。
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さきほどの新聞記事のインパクトが、ずっと頭に残っているようである。
マイナス面のイメージが、やはりどの子も拭いきれないといった様子だ。
「さて、実はこうなったんです。」と言って、最後のオチの一こまをゆっくり期待感を持たせて黒板に貼った。
(※画像希望する方は連絡ください。)
瞬間、「おっー。」「へぇー。」「いいことしているじゃん。」の声が教室に飛び交う。
意外な展開に、子供たちもちょっとビックリである。
確認のため、簡単に説明を加えた。
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子供たち、しーんとして聞いている。
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ここで考えを発表させたかったが、残念ながら、タイムアップである。
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以下のような変化があった。
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時間切れである。ここで授業を終えた。
授業後も、「カラスはいない方がいい。」「生ゴミ出さなければいいんじゃない?」「残飯処理をちゃんとすればいいんだ。」など、教室のあちこちで声が挙がっていた。
さて、本時の授業が、標題にあるような「環境の授業」になり得たか心許ない。
環境問題を見つめ深く考えるということは、己自身の有り様を深く見つめ、今わたしたちは何をどうすべきなのか、何ができるのか強く個々が自己の心と頭に問いかけ、未来のあるべき姿を見つめ直すということである。
この時間で環境問題を考えさせることができたとは、断じて言えやしないが、「カラス」という生き物から我ら人間の現在の生き方の欠如しているところや生活の弱点には、少なからず触れることができただろうと思える。