(C)Two-way/小学校/性教育/命の誕生 制作・実践:三村 弘
’00.9.25
NO.120
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性の授業〜「命の誕生」 |
○ はじめに
性教育とは何か。
私見を述べる。
現代の子供たちを取り巻く社会情勢や社会環境は、「17歳の犯罪」に象徴されるように、今や軽佻浮薄で危うい状況にある。
世の常識とうたわれたものは、もはや常識ではなく、そういう当たり前の規範はどこへ行ってしまったのだろうとさえ思う。
規範意識の低下、罪意識の欠如、生への妄挙、有害なメディアや情報の氾濫、そして無秩序な性がはびこり、若者や子供を反社会的行動や非人道的行為の渦へとかき立てている。
人は何のために生きているのか。死とは何か。
自分は何のために生まれてきたのか。
生を受けた自分という存在は何か。
その生涯の問いにすら目を、耳を、心を傾けようとしない。
さて、冒頭の問いに戻る。
性教育は人間教育である。さらに言えば、
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40万個もの卵子のひとつと4億個の精子のひとつが巡り会って、ひとつの命が生まれるという事実。
これは、奇跡に近い確率である。
実に、感動的なドラマなのである。
今一度原点に返って、命の尊さを身に浸みて感じねばならぬ。
当たり前に感じている命のありがたみを、心に染みこませねばならぬ。
大げさでも何でもなく、性教育は単なるSEX,GENDERの範疇に収まらない全人教育なのである。
このことを弁えてさえいれば、学校教育において「身体の発育」の学習として、教科書を与えプリントなどで評価するようなありきたりの保健の授業が、如何に子供にとって空々しくも薄っぺらな学びになっているのか自覚するはずである。
性教育に対して、決して消極的であってはならぬと言うのが私の考えである。
今だからこそ、以下に述べるような命のドラマティックな誕生を扱った授業が必要なのである。
○ 授業の実際
主題名 「かけがえのない自分という命の誕生」
※ 水永真知子氏の実践を修正追試する形で実施した。導入部分と終末部分に、自分を見つめさせる問いを用意した。
対象学年は5年生である。
授業の始まりと共に、いきなり1人を指名して問う。
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呆気にとられながらも「人間。」とその子は答えた。 間髪入れず、聞く。
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「11歳です。」
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「人間・・・・1歳の赤ちゃん。」
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ここで、答えに窮し、その子供は黙ってしまった。
教室のあちこちから、「生まれてないよ。」「お母さんの腹ん中。」という声が聞こえてくる。
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「なんでぇー?」という顔をしている男子。
知ってか知らぬか口数も少なく黙っている女子。
説明を続ける。
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分かったような分からないような表情だが、子供たちは静かに聞いている。
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予想なので、さっと書かせる。数名に尋ねる。
1cm、5mm、5cmなど様々な答えが返ってきた。
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このように言って、ミニ定規で1mmの長さをノートに書かせ、「『0.2mm』書いてごらん。」と言うと、
「書けないよ。先生。」「点でも大きいかも。」と言う声が返ってくる。
(黒い紙に針で穴をあけ、卵子の大きさをとらえさせる方法もあるようだ。)
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同様に尋ねる。
どの子も卵子より小さい数値を出す。
それでも1mm、0.2mm、0.1mmなどが多い。
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少し強調して驚くように言う。子供も同調して「すげぇー。」
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作業後、列指名で尋ねる。このあたりはテンポよく進めるのがコツである。
100,5千、1万、10万などさまざま。
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間髪入れず問う。
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同様にノートに書かせる。
卵子より小さいからということで、40万個よりも多いのではないかと見当を付ける子供が多くなる。
男子も女子もいつのまにか夢中になっている。
数当てクイズのようで子供たちも退屈せずに乗り気で答えようとする。
これも列指名で答えさせた後、教える。
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驚きの声の中、少し間をおいて説明を続ける。
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子供たちは、しーんとして聞いていた。
この気の遠くなる数の中から選ばれた、命の誕生の話に息をのむ。
静けさの中、最後に次のように板書する。
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ここはすぐ教える。1人を指名して問いかける。
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「○○です。」
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全員が書いたのを確かめてから、最後に今日の授業の感想をノートに書かせた。
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時間があれば、感想を数名にでも発表させたかったところである。
子供たちに、命の尊さを感じさせ、同時に自分は選ばれてこの世に生まれてきたということ、そしてそんな自分という存在に改めて向き合うことができたという点では、どの子にとっても心に響く授業となったと言える。
子供の感想の一部である。
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