TOSS新旧教育文化の戦い/秋田教え方教室/3名人模擬授業対決/HOME
’00.10.14 NO.121
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やはりライブである。
ライブだからこそ学べるものがある。
ライブでしか学べないものがある。
「向山型算数教え方教室」(明治図書)副編集長の木村重夫氏、赤石賢司氏両氏による模擬授業は、さすがに圧巻であった。
法則化の先生方はさすがに授業がうまい。
この度の研修会も日程の三分の一は模擬授業であったが、会場の参加者の期待や注目を一心に集めていたのは、やはり、この向山型算数であったように思える。
授業者の木村氏、赤石氏の発する一言一言を聞き逃すまいとする真剣な眼差し。ひたすら鉛筆を滑らすように走らせる音・・・。
300人ほどに埋め尽くされた会場がしーんとするものすごい緊張感、集中度、熱中度。
並ではない。
かくいう私も、今こうして冷静に振り返ってレポートを書いているのだが、あの時間帯は、ただただ授業を受けている教室の子供そのものであった。
ライブで実感したこと。3つある。
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① いつの間にか乗せられちゃっている。 |
①についてもう少し具体的に述べることにする。
「いつの間にか乗せられちゃっている」この言葉は、適切ではないかもしれない。
子供はこうは思わない。
私が、教える立場から感じた見方と言っていい。
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しかも、「いつの間にか」だから、はっと気づけば授業は終わっていたという具合である。
何故このような感じを持つのか。
それ即ち、授業にテンポがあるからである。
ここで言うテンポとは、スピードのみをさすのではない。
リズムある緩急のあるテンポなのである。
しかも出される指示は、実に明確明快である。何をすべきかはっきりと自覚できる。
そして、それらを支えているのは紛れもなく「変化のある繰り返し」であった。
「易から難へのステップ」「短く歯切れのいい指示」「リズムある緩急のあるテンポ」「しつこいほどの変化のある繰り返し」それぞれのパーツが見事にシステムとしてかみ合ってこそ、なし得る事実なのである。
「熱中して、乗せられちゃった」のも今となっては合点がいく。
次に②について述べる。
「向山型算数」では、消しゴムを使うことは御法度である。
書き損じ、書き間違いは×をして新たに書き直す。
①で述べたように、川の流れのごとし淀みがないため、次から次へと鉛筆を走らせねば置いてきぼりにされそうな感じさえ受ける。
とにかくやらざるを得ない状況に追い込まれるのだ。
それでいて、強制されている感じはちっぽけも受けず、むしろ脳味噌をフル回転させられる。
知的思考を余儀なく促されるのだ。
不思議なことに、書くたびに、書くごとに、書く量が増えるたびごとに自然とできるようになっていく自分を感じる。
「向山型算数」は、説明しない。教えない。
書きながら考える。写しながら理解していく。
鉛筆を走らせている限り、思考がストップすることはないのである。
なるほど、これだとノートの使用量は増えるわけである。
なるほど、これだと指示通り書かねばと言う緊張感を抱くわけである。
なるほど、これだと教科書をよく見るようになるわけである。
なるほど、これだと集中して聞くようになるわけである。
考えながら書くのではない。考えながら計算するのではない。
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「向山型算数」は、書きながら考えるシステムなのである。 |
最後に③について述べる。
前述したように、「向山型算数」は、テンポが速い。
しかし、しかしである。
教師が発する言葉が、ゆったりなのである。
これは、ライブでしか分からない。絶対分からない。
しかも短い。指示で言えば、長くても5秒以内であろう。活字に起こしたとしたら、一文一文がおそらく長くて3秒以内であろう。
では、なぜ、秒単位のチョー短い時間ですぐ作業に入れるのか。
それは、ひとつひとつの指示が必要最小限の選りすぐれた言葉で、コンパクトに組み立てられているからだ。
たとえば、「そっくりそのまま写しなさい。」これだけなのである。本当にこれだけ。 たとえば、「指二本あけなさい。」「教科書に直接書き込みなさい。」これだけなのである。
「向山型算数」の奥義を少なからず垣間見ている人であれば、この指示の凄さが分かるであろう。(勉強不足の人には決して分からない。ただのごくふつうの指示にしか思えないに違いない。)
しかも、指示は、明快な音声となって一人一人の耳に確実に届くように語尾までしっかりしている。本当に単純かつ明確なのだ。
まさに、“simple is best”なのである。シンプルだということは、どの子供もやるべきことが分かるということである。
したがって、「説明するな。教えるな。」という原理原則は、超重要なパーツなのである。
ところで、①についても述べたが、「いつの間にか乗せられちゃっている」要因は、この③の部分についても言える。
もう一つ、これである。
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力強く、端的に、かつ即座にタイミング良く褒めまくる。 |
日付を書いただけである。ページ数を書いただけである。
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「すごい!きれいな日付だ!」「 えらい!ページ数に赤で囲ってある!」 |
この言葉ひとつ発せられただけで、指は勝手にそのようにしようと動き出す。
他の人と同じように書こうとする。
会場で模擬授業を受けていた私自身がそうだったのである。
ひとつの簡単な誰でも解ける問いに答えただけで、その答えた声の2倍のボリュームで「かしこいなぁ。」と言われるこの快感。
この連続が、子供のやる気を引っ張り出すのである。その気にさせ、夢中にさせるのである。
算数だけに限ったことではないが、褒められると言うこと、しかも短くズバリと力強く褒められると言うことは、かくも人の心に火をつけるのである。
「向山型算数」は、まさに極上のパーツ、黄金のパーツひとつひとつが組み合わさってできている究極のシステムであると言っても過言ではないだろう。
いかがであろう。異論の余地がない。