’99.5.2
NO.66
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楽しい作文の指導 Ⅳ |
1.はじめに
野口氏は、作文力について次のように言っている。
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さらに、子供たちが喜んで書くための5つの観点を示されている。
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ここでは、2の「阻むものの除去」について述べてみたい。
まず、「阻むもの」についてであるが、これは即ち、子供たちの「書くことそのものへの抵抗感」である。人間は表現の動物であり、子供はだれしも根源的に表現欲求を強く持っている生き物である。ならば、この現実は、「書きたくても書けない」子供がそこにいることを表している。第一に、我々教師はそれをしっかりと認識する必要がある。
では、何故、「書けない」のか、その理由を次に考えてみよう。
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以上のようなことが、主たる「阻むもの」と考えられようが、現実としては、これらのどれか1つを除去したところで作文好きになるかと言うと、それは当然の事乍ら無理としか言えない。
一人一人が呼吸するように自然に書けるようになるには、やはり日常の授業の中で着実かつ確実に、言語技術を鍛える場を設けていく必要がある。
そして、敢えて言うならば、前述の①と⑤に関してはズバリ教師の指導側の責任である気がしてならない。基礎基本を教えることが責務であるならば、作文嫌いの子供を増やしている事実は、少なからず教師の指導のあり方に問題がある、と言われても仕方のないところと言えよう。
作文の指導を授業の中でどうするかという課題は大きいが、少なくとも真正面から取り組む姿勢が教師になければ、子供が書き綴る喜びを感じる作文活動は望めないようである。
さて、このような状況を打開すべく、ここでは「スケッチ作文」を取り上げ、その指導法並びにその有用性を探っていきたい。
2.スケッチ作文について
スケッチ作文とは、別な言い方をすると「静止画作文」である。
子供たちは、多かれ少なかれ、「今日、○○さんと・・・した。」のような「出来事報告型作文」を書く傾向がある。これだと、ずっと作文の面白さなど体感することはできないであろう。
短い、例えば数秒の出来事をスロービデオで再生し、その一コマ一コマの「静止画」を丁寧に文章化していく作業は、子供に自分がこれほどまでにたくさん書けることを実感させるのである。それは、まるで一瞬の目に移った出来事を、真っ白な画用紙にスケッチしていくのに似ている。
子供たちに「スケッチ作文」の書き方について指導する際は、一瞬の出来事だけに限定し、一文を書いてみるというところから始めると効果的である。その方が個々に応じて指導しやすいし、子供もまた書くべきことが自覚でき、何よりどの子も同じ土俵に立って作文活動に参加できる。
以上、スケッチ作文に限らず、生活文のような作文学習においては、以下のようなことを子供たちに意識させて書かせるようにしている。
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目に見えたもの・音・におい・身体で感じたもの・心にひびいたことま で、ゆっくりとそしてくわしく再生するのです。 ※ 題名は、最後に書いていいのです。一番教えたかった、書きたかったことが題になります。 ※ 主人公は自分ですが、時には「ぼくは、・・・」「わたしが、・・」と書かずに、「男の子は、・・・」「女の子は、・・」「彼は、・・・」「○○は、・・・」などと自分を外がわからみた物語の語り手・話し手のように書くとおもしろい作文になることがあります。 |
さて、次にあげる実践例は、今まで表現豊かに書くことができなかった子供たちに、作文の面白さを気付かせる糸口になればと思い、行ったものである。なお、これは、野口氏が平成8年1月31日に愛知県岡崎市立美合小学校(4年生)での公開飛び込み授業を追試する形で、6年生に実施したものである。
授業のねらいはこれである。
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3.授業の展開(授業記録より)
できるならば、作文を書くときは常に原稿用紙を使用させたいものである。しかし、ここでは用紙の使い方は別の機会に回すことにして、あくまで「ねらい」に到達できれば良しとして国語のノートを使わせた。
授業の始まる前に前もってクラスのA君・B君と打合せしておいた。
授業の始まりに、
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私は、元気良く返事をした。すぐ指示に入る。
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机間巡視して、数人に指名予告をし、数分後発表させた。
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全員書いたのを確認して人数分布を見るため、挙手させる。
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○派と×派に訳を尋ねる。
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これは実におもしろい。○派と×派どちらも同じ理由なのである。
実はここに、作文に対する意識の差・能力の差がある。
とりあえず、このあたりは敢えて深入りせずに進めることにする。
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もう一人指名予告した子供に作文を発表させる。
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子供に意見を求めると、以下のような発言があった。
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と言って、板書する。
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「次、○○さん、読んでごらん。」3人目の意図的指名である。教師側で机間巡視した際に、授業展開にふさわしい作文を選択し、意図的な順番で発表させるわけである。授業の進め方を意図的に組むということは、こういうことである。野口氏はこの手の方法でよく飛び込み授業をされる。
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挙手させると、なんと全員○だった。その訳を自由発言で尋ねる。
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と言って板書する。
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先ほどよりも、どの子もすぐ書き出した。すぐ「書きました。」「できました。」という子がいない。全員何らかの工夫をしようと集中して取り組んでいるのである。ポイントは、一回目とは、はっきりと違いを示し表現の変化を図るところである。
3分くらいで打ち切り、数名に発表させた。次のような表現が見られるようになった。
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このような表現ができたことを大いに誉めた。1回目の作文とはまるで違っている。そこを子供に自覚させ気付かせた。野口先生の言われる向上的変容が見られたわけである。ポイント4つ目を板書した。
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さて、ここまでが前半部分である。いよいよ「生き生きと長く書ける作文」に挑戦してみる。いわば、3つ目のスケッチ作文と言えようか。
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と言って板書する。
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Cさんを指名し(やさしく嬉しそうに言ってね。)と耳打ちする。
三村は感慨深げに穏やかな口調で言う。
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この時点で、書くことを嫌がっているような子供は見あたらない。どの子も熱心にノートに向かい、鉛筆を走らせる。
机間巡視しながら、取り上げる作文を探し、頭を撫でて指名予告をする。まだ書き続けている子もいたが、4分後、作業を止めさせた。
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以下のポイントを板書して補足した。
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1〜6の板書を確認しながら、全員で大きな声で読み、授業を終えた。
4.授業を終えて
この授業で抽出できた原理を以下に記す。
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5.その他〜「多作する」ということ
前述した野口氏の言われる「多作」について以下に述べてみたい。
多作するというのは、野口氏によれば、作文用紙を学校でも家でもどこでも用意させ、いつでも書きたいときに書かせるということである。「書く」という活動の場がいつでも設定されているということである。
主なねらいは、「書くこと」の日常化によって「書くこと」への抵抗感を減らしていこうというものである。
そのためには、「ただ書け。」と指示するわけにもいくまい。「何をどのように」ということを思考させ、鉛筆を走らせるように仕向けていかないと作文力の向上は望めない。
多作する中にも、意図的な教師の指導ないし題材設定は、初期指導の段階ではやはり不可欠である。
例えば、こういう題材はどうだろう。
「図形あてゲーム」である。(機会があれば紹介したい。)
ただ、思いのまま書けばいいのではない。相手(読み手)を意識し、相手によく伝わるように書かねばならないのである。どう書けばいいか考えながら、子供は書くことになる。この題材は、図を見てその解説文を書くわけであるが、読み手がその作文を読んでその内容の通り、図にかき表してみるところに面白さがある。見事、元の図と同じ絵がかけたら、読み手に正しく伝わる作文が書けたということになるわけだ。
書く文章量もさほどでもなく、子供たちは進んで考えながら取り組むことができる。
これは、ほんの一例である。題材の開発は意外にいろんな身近なところにころがっているように思える。指導者である教師が、まず身近なものに目を向け、あるいは注目し、言葉や文を常日頃から綴るような態度を持ち合わせていたいものである。