| 二十四の瞳 1954・松竹大船 |
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![]() 製作:桑田良太郎 監督:木下恵介 原作:壷井 栄 脚色:木下恵介 撮影:楠田浩之 音楽:木下忠司 美術:中村公彦 編集:杉原よ志 出演:高峰秀子 田村高廣 小林トシ子 夏川静江 月丘夢路 清川虹子 笠 智衆 浦辺粂子 井川邦子 浪花千栄子 大塚君代 天本英世 八代敏之 ![]() ![]() ![]() |
物語 瀬戸内海で淡路島に次ぐ大きな島、小豆島。 分教場の小林先生が離任し、新任の先生が来ることになった。生徒達が小林先生に今度来る先生のことを聞く。「イモジョか?」 「ちがう、エライ先生よ」小林先生は答えた。(イモジョとは、島の女学校出身の、いわゆる代用教員という意味であり、エライ先生とは、高等師範卒業の教師という意味である。) 名前は「大石先生」だという。「大きいんか」 「私は、小林だけど大きいでしょ、大石先生は私より小さいわ」 「じゃ、小石先生だ!」みんなで笑った。 大石先生(高峰秀子)が洋服を着て、自転車に乗り、颯爽と村を走る。昭和3年当時、自転車も洋服もまだ珍しく、大石先生は人目を引いた。大石先生は、8キロばかり離れた実家から自転車で通うのだった。 大石先生の受け持ちは、小学校1年生の12人の子供たちだ。点呼を取りながら大石先生は一人一人の顔と名前を覚えていく。皆、まだあどけない顔をしている。 大石先生と子供たちは歌を歌い、汽車ゴッコをして野原を飛び回る。子供たちは先生にすっかりなついていった。 だが、村の人たちの中には、大石先生に反撥を感ずる人もいなくは無い。なにしろ、大石先生は当時珍しいモダンガールだったのだから。 9月のある日。嵐が吹き荒れた後を片付けていた子供たちのところへ大石先生がやって来た。他愛無い話で皆で笑っていると、よろずやの女将さん(清川虹子)が血相変えて怒鳴った。 「人の不幸がそんなに可笑しいんか、うちの人が屋根から落ちても可笑しいんやろ!」 大石先生は何も言えず黙った。 「先生、失敗の巻き」大石先生たちは砂浜へ行った。 砂浜で子供たちと戯れていた大石先生が上級生のいたずらで砂浜に掘られた穴に足をとられ動けなくなってしまった。子供たちが泣きながら男先生(笠智衆)を呼びに行く。 大石先生が荷車に乗せられ病院に運ばれた。そして入院。 大石先生がいないので、男先生が代わりに授業をした。男先生は無骨もので味気ない。歌を歌おうにも調子が合わないのだ。子供たちは「男先生の授業はホンスカン!」(ホンマに好かん、大嫌い)と言い出す。 大石先生のいない学校はつまらない。子供たちはいつしか、「“小石先生”をお見舞いに行こう」と意見がまとまった。 遠い道のりをとぼとぼ歩く子供たち。 その頃、親達が子供がいないので捜しはじめた。「どこへいったんでしょうか?」 やがて泣き出す子供たち。そこへ、バスが通りかかった。「あ、小石先生だ!」 気付いた大石先生が松葉杖を付いて降りてきた。「皆、どうしたん」 「小石先生の顔が見たかったんや」大石先生を取り巻き泣き出す子供たち。大石先生も泣いた。 その後、大石先生の家で子供たちは大いにもてなされた。記念写真を撮り、船で帰されたのだった。 数日後、大石先生は、船で分教場へ出向いた。子供たちに取り囲まれた大石先生は言った。「本校へ行くことになったの。今日は皆にサヨナラを言いに来たの」 子供たちが泣いた。大石先生とて可愛い子供たちと離れるのは耐えがたいのだった。「皆が、上級生になって本校へ来るまで待ってるわ」 流れる5年の歳月に、満州事変、上海事件、世の中は不況の波に押しまくられていた。だが、子供たちは健気に伸びていった。 大石先生が結婚した。再び、6年生になって本校へやって来た12人の子供たちを担任する大石先生。 マツエの家では母親が産後のひだちが悪く、死んでしまう。そして、生まれた子も・・・。 先生の一人が、“アカ”で警察に引っ張られた。大石先生は、授業中に生徒に質問する。「アカって知ってる?」「資本家は?」「労働者は?」 大石先生は後で校長にたしなめられる。「今は、警察の目がうるさいから、発言に注意してくれんと」 修学旅行は金毘羅参りだ。大石先生は食堂で働くマツエを見つけた。 大石先生は店の女将(浪花千栄子)に、母親のようにマツエのことをよろしく頼むのだった。 また、島へ戻っていく修学旅行の船をそっと見送るマツエは嗚咽した。 子供たちの将来のことで各人の相談に乗る大石先生。時には共に泣く。 「あんた、アカだと、評判になっとりますぞ」 校長が切り出した。「え?」 「兵隊に行っちゃいかんと言ったそうじゃないか」 「いえ、教え子が一人でも死ぬのがいやだと言ったんです」 「それが、いかん」 支那事変を経て8年後。・・・世情は大きく変わっていく。 肺を病む教え子を見舞う大石先生。女の子もそれぞれ苦労していた。 男の子の何人かは兵隊として送られていく。大石先生は祈る気持ちで船を見送る。 4年の歳月は大東亜戦争の拡大につながっていく。 大石先生の男の子と女の子も成長していった。やがて、母が死に、夫は戦死した。 8月15日。敗戦を知らせる天皇の玉音放送。教え子の中にも戦死者が出た。そして、大石先生の末の女の子が木から落ちて死ぬという不幸が追い討ちをかけたのだ。 翌年、再び教壇に立った大石先生は、生徒の中にかっての教え子の子供を見つけ涙にくれるのだった。 戦死した教え子の墓で泣く大石先生。「泣き虫先生!」と子供たちが囃し立てた。 そこへやって来たのは、すっかり成長したマツエ(井川邦子)だった。先生の復帰を祝うための同窓会で皆が集まっているというのだ。 香川マスノ(月丘夢路)の実家は料亭だった。そこに、昔の面影を残した教え子たちが顔を揃えていた。 「先生への贈り物です」 床の間に真新しい自転車があった。大石先生は嬉し涙をこぼした。すっかり、泣き虫先生なのだった。 そこへ、岡田磯吉(田村高廣)が来た。磯吉は戦争で失明したのだ。磯吉が飾ってあった記念写真を手にとった。昔、大石先生を見舞いに行った時、浜辺で撮ったものだ。「私には、この写真、良く見えるのです」磯吉は写真をなぞっていく。「これが、大石先生、これが、・・・・」 真新しい自転車に乗り、颯爽と行く大石先生の姿がある。その姿には、度重なる不幸にくじけた様子はなかった。 |
| 映画館主から 叙情派の木下恵介監督による、感動作。 瀬戸内海に浮かぶ小豆島を舞台に、戦前から戦後にかけての女教師と12人の生徒たちの交流を感動的に描いています。 当時、観客に最も涙を流させた作品といわれました。今見ても、涙腺は完全に切れます。 主役の高峰秀子が圧倒的に名演で、その慈愛のこもった表情と演技は彼女の実際の人間性の発露であろうと思われます。彼女はこの映画で、19歳から49歳までを見事に演じ分けています。 また、現地の子供たちの中から選ばれたという児童役の12人が秀逸です。素直で素朴、眼が輝いているのです。まさに、“二十四の瞳”です。 そして、不思議なのが、高学年になった彼らが、一年生の顔そのままで大きくなったように思える程、人選されているということ。そっくりなのです。 更に、もう一段階、年齢の更新がありますが、これもそっくり。最終的に大人になった月丘夢路や、田村高廣に至ってもさもありなんという感じなのであります。 小豆島の素晴らしい自然や人々の様子があまつなく描かれ、今では見られない貴重な民族資料館的な映画です。 また、映画の中で、子供たちが歌う唱歌の数々も郷愁を誘います。 「仰げば尊し」「七つの子」「故郷」「冬の星座」「浜辺の歌」「埴生の宿」「おぼろ月夜」「庭の千草」「蛍の光」などなどが非常に効果的に挿入されていました。 この年’54年(昭和29年)の映画界は、凄い大作揃いで、本作の他にも、同監督の「女の園」、黒澤の「七人の侍」、溝口の「近松物語」「山椒太夫」、それに、本田猪四郎の「ゴジラ」が加わります。 その中で、かの「七人の侍」をおさえ、「二十四の瞳」は、見事、キネマ旬報ベストワンに輝きました。さらに、「女の園」が2位。「七人の侍」は3位です。 ちなみに、この年の外国映画はマルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」、クルーゾーの「恐怖の報酬」、レナード・カステラーニの「ロミオとジュリエット」、エリア・カザンの「波止場」、ワイラーの「ローマの休日」と、まったく、ため息が出ます。 |
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![]() この写真は、小豆島出身のY様から「近松座」にメールでいただいたものです。 Y様のお姉様が「二十四の瞳」に一言台詞で、出演された場面です。 子供たちが大石先生を見舞いに行った時、子供を探し回る母親役で出演されました。 右側の方がY様のお姉様です。 台詞は、「どこへいったんでしょうか?」 尚、このページでは、Y様からのメールで教えていただいた、方言などの解説を参考にさせていただきました。 |
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