「ケネディ暗殺の瞬間」の衝撃映像
ダラスの熱い日
   1973・米
ダラスの熱い日

製作:エドワード・ルイス
監督:ディビット・ミラー
原作:ドナルド・フリード
脚本:ドルトン・トランボ
撮影:ロバート・ステッドマン
音楽:ランディ・エデルマン

出演:バート・ランカスター
    ロバート・ライアン
    ウィル・ギア
    ギルバート・グリーン
    ジョン・アンダーソン
    ウィリアム・ワトソン

ジョン・F・ケネディ

バート・ランカスター

石油王(ウィル・ギア)左

バート・ランカスター(左)とロバート・ライアン

オズワルドの偽装写真

暗殺者

犯人とされたオズワルド

ダラスの熱い日

ダラスの熱い日

物語

第35代大統領、ジョン・F・ケネディ。43歳というアメリカ史上最年少の大統領。
彼は次のような政策を積極的に推進していた。
東南アジアからの米軍撤退。ソ連との核実験禁止条約の締結。
キューバ危機の解決といった共産主義社会との緊張緩和外交。経済危機をもたらす大企業合併禁止。
石油消費制限令、防衛費の削減、CIAの役割の再考、そして人種差別撤廃運動である。
 
1963年6月。コロラド州レッドロックスの荒れ果てた谷間。4人の男たちがライフル銃の狙撃実験をしていた。
彼らは元CIA(米・中央情報局)高官ジェームス・ファーリントン(バート・ランカスター)から暗殺を依頼されそのための予備実験をしていたのだ。
だが、彼らはまだ暗殺すべき人物の名も目的・場所も知らされていなかった。
 
その頃、バージニア州ベンナにある元軍人ロバート・フォスター(ロバート・ライアン)の邸宅では4人の男たちが重要な会議の最中だった。
会議のメンバーはフォスター、ファーリントン、テキサスの石油王ハワード・ファーガソン(ウィル・ギア)、そして右翼の退役将校ウィリアム・ハリディ(ジョン・アンダーソン)であった。
 
フォスターをはじめとする4人は、ケネディ政権のこれらの政策を検討、それがアメリカの未来にとって重大な危機をもたらすと結論を下した。
さらにケネディ政権に終止符を打つ最も有効な方法が検討された。
“大統領暗殺!”これが4人の一致した決断だった。
 
暗殺の総指揮はフォスター。その命令のもとにファーリントンが暗殺グループを組織、指令を行い、経済的援助はファーガソンが引き受けることになった。
ファーリントンはただちに暗殺グループの首領テクニシャン(ウィリアム・ワトソン)に会い、ケネディ暗殺を正式に依頼したのである。
 
テクニシャンを含めた4人は、1962年のキューバ侵攻の際に組織され鍛え抜かれた射撃部隊のメンバーだった。
暗殺決行後の4人の国外逃亡の段取り、安全且つ自由な行動の保証、そして暗殺後5年間の経済保証が準備されていることを説明され、テクニシャンは暗殺を引き受ける決意をした。
 
フォスターの邸宅では更に綿密な計画が練られた。この暗殺をカムフラージュする。つまりこの暗殺は政治的陰謀によるものではなく、一人の政治的狂信者によって行われたという印象を人々に与えなければならないということだ。
彼らはCIA高官時代に得た豊富な経験と知識をフルに生かし暗殺者に仕立てる“囮”の選択にかかった。
 
リー・ハーベイ・オズワルド。元海兵隊員、ロシア語収得後ソ連に渡り2年間をそこで過ごす。
表向きは社会主義者を装っていたが実はFBI(連邦検察局)の下級スパイであった。
1961年後半アメリカに帰国し、相変わらずFBIと接触をもっていた。
フォスターはオズワルドの“左翼の顔”を、“極左の顔”にでっち上げて利用し、人々に印象付けようとした。
 
8月のある日、オズワルドはFBIの指令によってニューオーリンズの街頭でキューバ指示のビラを配布した。
そこへ反カストロ派キューバ亡命者が殴りこみをかけ、その喧嘩沙汰は新聞に報道された。
一方ファーリントンはオズワルドが極左主義者である証拠として、右手に共産党機関紙、左手にライフルを持つオズワルドの偽装写真を作成した。
 
9月13日、ダラスの全ての新聞に『大統領、当地に4度目の遊説』というニュースが報じられた。
ケネディは1964年の選挙に際して民主党内派閥化を是正すべくテキサス行きを決行したのだ。
 
9月25日、ケネディ一行がモンタナ州ビリングをパレードしたとき、秘密裏に暗殺グループの実地訓練が行われた。
ピストル式カメラを持った3人の殺し屋が三角形の攻撃体制を取りそれぞれの位置につく。
大統領の頭部が十字の照準ラインに正確に写し取られた。練習は成功だった。
 
『ベトナムよりすべての米軍隊を撤退』。このケネディ声明が世間を騒然とさせている頃、ファーリントンからテクニシャンに暗殺決行日の暗号文が届いた。
11月22日。それが暗殺決行日だ。
 
暗殺計画本部では、暗殺決行日の通信の攪乱、ライフルマンの位置、そしてオズワルドを犯人に仕立てるための確固たる証拠づくりが検討された。
ファーリントンはオズワルドにそっくりの男を雇った。オズワルドの名でライフルを修繕に出し、射撃練習場でライフルを乱射したり、車を買ったりしてオズワルドの存在を印象付けるのだ。
彼は11月に入りそれを実行した。そして暗殺当日犯行現場にライフルを置くのも彼の役目だった。
 
11月22日。ダラスは柔らかい光に包まれ平和そのものだった。
人々はアメリカに輝かしい未来をもたらしてくれる男を一目見ようと、パレードの沿道を埋めた。
 
その頃、3人の殺し屋はダラス市ディーリー広場付近の所定の位置についた。一人は大統領の正面、一人は右上後方、もう一人は左上後方である。
殺し屋の3つの眼がライフルの照準レンズにぴたりと捉えられ、十字ラインに全神経が集中した。
 
沿道に広がる大歓声と共に大統領の車が三角形ラインの中央に入ってきた。
時に午後1時30分、銃口が猛然と火を噴く。
大統領の後首に血がにじむ。数秒後、2発目がコナリー州知事の背中をぶち抜く。
そして続いて致命弾が大統領の前頭部を吹き飛ばした。
 
オズワルドは計画通り逮捕された。そして2日後、暗殺計画本部より仕向けられたジャック・ルビーによりオズワルドも射殺された。
史上類まれな暗殺事件は、その後さらに証人として召喚された18人の命を呑み込んでいくのだった。6人が銃で、3人が自動車事故で、2人が自殺、1人が咽喉を切られて、1人が空手で、3人が心臓発作で死んだ。保険会社によると、この確率は10万兆分の1になるという。
映画館主から

「国が国民のために何をなしうるかを問いたもうな。国民が国のために何をなしうるかを問いたまえ」
 
43歳でアメリカ史上最年少で大統領になった男、ジョン・F・ケネディが就任演説でアメリカ国民に呼びかけた言葉。
43歳の若き希望の星。彼が3年後にあのような形で暗殺されてしまうとはだれが想像できたでしょうか。
私はその時高校1年生。なにか得体の知れない巨大な恐ろしさに恐怖したものでした。
おりしも日本初の海外衛生中継の電波に乗って伝えられたのが「ケネディ暗殺」の報道でした。アメリカはもちろん、日本中が騒然としたのは当然です。
 
「ウォーレン委員会」報告はオズワルドの単独犯行と結論付けているのですが、オズワルドが射殺されてしまったので「死人にくちなし」で真相は闇の中です。
 
私が朝日新聞の派米新聞少年の一人に選抜されてアメリカに行ったのはこの暗殺事件の2年後の高校3年生の夏でした。
ホワイトハウスで第36代大統領のリンドン・B・ジョンソンに謁見し、次に訪れたのがワシントン郊外のアーリントン国立墓地に眠るケネディの墓【永遠の炎】でした。
 
大胆な仮説によりストーリーを組み立てたのは、「スパルタカス」「ジョニーは戦場に行った」のドルトン・トランボ。
ケネディ報道のニュースフィルムを物語に巧みにモンタージュしてドキュメンタリー的に緊迫感を盛り上げています。
 
映画を見るとさもありなんと思える程の説得力があります。軍事産業、石油メジャー、CIA、FBIなどの欲望と陰謀。
監督のデビッド・ミラー作品は他には見ておりませんが、ケネディ暗殺の10年後に本作を作るとはいい度胸をしているとしか思えません。
 
アメリカ政府は2039年までJFK暗殺に関する資料を公開しないということですが、どうしてなのかさっぱり訳が分かりません。
 
元CIA高官を演ずるバート・ランカスター、元軍人を演ずるロバート・ライアンともに渋い演技で画面に重厚感を出しています。
ロバート・ライアンはこのとき既にガンに侵されていて映画が完成した後亡くなり遺作となりました。

又、ドラマの中に挿入されたニュースフィルムには1968年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師の演説場面があります。
『I Have a Dresm』私には夢がある・・・つまり、肌の色ではなく、人格で判断される世の中にしたい、という人種差別撤廃を訴えたものです。
2008年、10月。第44代大統領に黒人のバラック・オバマ氏が選ばれるに至り、世界は大きく前進した感があります。しかし、このような暗殺事件だけは断固起きて欲しくありません。


参考文献:公開時パンフレット

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