「炎上」
炎上 1958・大映
炎上

製作:永田雅一
監督:市川 崑
原作:三島由紀夫「金閣寺」
脚本:和田夏十
    長谷部慶治
撮影:宮川一夫
音楽:黛 敏郎

出演:市川雷蔵
    仲代達矢
    中村雁治郎
    新珠三千代
    中村玉緒
    北林谷栄
    信 欣三
    香川良介
    浜村 純


溝口吾市は娼婦を突き飛ばす

市川雷蔵、仲代達矢、新珠三千代

中村雁治郎(右)

炎上
物語

溝口吾市(市川雷蔵)は生まれながらの吃音だった。
父承道(浜村純)は貧乏寺、双円寺の住職で、ことあるごとに息子の吾市に言って聞かせた。
「京都のなだらかな山の上に建っている驟閣寺(しゅうかくじ)ほど美しいものはこの世にない」と。
それは幼い吾市に焼きついていった。そして、ある日承道に連れられて初めて驟閣寺を見た時、父の言葉は本当だと思った。その姿が手前の池に投影され、えもいわれぬ美しさに吾市はうっとりした。

その父が肺結核で死に、7年後に吾市は父の親友だった驟閣寺の老師(中村雁治郎)のもとで小僧として世話になることになった。そこから中学に通わせてもらうのだ。
再び驟閣寺を見た吾市は胸が躍った。これからは毎日、驟閣寺が見られる。
「なんや、どもりか」 吾市が話すのを聞いた寺の先輩僧が心無いことを言った。
「お、お、お経だけはどもりません」 吾市は反論したが、
「お経だけどもらなきゃいいというものじゃない、檀家にも挨拶せにゃならんのだしな」 
もともと無口な吾市は更に寡黙になっていった。

老師は門前にいる浮浪者に金銭を持たしてやるのを見ていた吾市を呼んで言うのだった。
「お父さんと私は修行時代からの友達や、自分の寺や思うて少しも気がねせずに働きなはれや」
老師は慈愛のこもった眼差しで吾市を見るのだった。

吾市の母あき(北林谷栄)が胡麻、小豆、鰯の干物などの土産を携えて訪ねてきた。吾市はこの母を汚らわしく思っている。昔、父の留守に隣の男を家に引き入れ睦みあっているのを見たからである。そのことは父も知っていた筈だった。
その母に驟閣寺に来て欲しくはなかった。
吾市は無視して驟閣寺の床を磨きつづける。警戒警報のサイレンが鳴っても吾市は動じず、母は右往左往して防空壕に吾市を引っ張っていく。

敗戦後、観光名所としての驟閣寺に米兵が娼婦とおぼしき女を連れてきた。何やら二人は戯れていたが、女が驟閣寺に上がろうとした時、吾市は慌てて女を突き飛ばした。倒れた女が腹を押さえてうめいた。
後で、女が老師のところへやって来て、金を要求した。女は妊娠しており、吾市が突き飛ばしたことで流産したのだという。
老師は金を払って解決した。吾市は老師にすまないと思う反面、心の中では反省していなかった。
『・・・あんな汚らわしい奴に驟閣寺には入らせへん・・・』

大学へ行くようになった吾市は戸刈(仲代達矢)という学生と知り合う。戸刈はひどい内翻足で、それを誇示することで女の注意を引き征服してみせるのである。
吾市はあらゆるものを罵倒する戸刈の奔放な姿勢に惹かれて近づいていく。
「俺の歩き方が面白いか、え!」 「・・・」
「君はやっと、安心してどもれる相手が見つかったと思ってる、そうだろ」
「ち、違う!・・・」 だが吾市には反論することができないのだった。

母あきが田舎では生活できなくなり、驟閣寺の下働きに雇われてくることになった。吾市は反対だった。
「お母さんはな、お前がここの住職になる姿だけが楽しみじゃて」
「こ、こ、こんなどもりは、住職になれへん・・・俺は知ってるんやで、隣のおじさんのこと・・・」 吾市は母親の不倫をなじったのだった。
「・・・」
『こんな汚らわしい母が驟閣寺で働くのは耐えられない・・・』

夜の町で吾市は老師が芸者と連れ立って歩いているのを目撃した。
翌日、戸刈の下宿を訪ねた吾市に戸刈が言う。
「お前は老師を尊敬しているらしいが、祇園の芸者を囲っているのを知ってるか?」
「・・・う、嘘だ!」
「お人良しだな、お前は」 戸刈は嘲笑った。
『その通りや、俺は見たんや・・・老師だけは驟閣寺に相応しいお人でなければならないのに・・・』

吾市は以前、戸刈にもらった尺八を吹いた。意外にもそれは奇麗な音色を奏でた。
「なあんだ、尺八だとどもらないな、俺はどもりの尺八が聞きたくてお前にあげたんだぜ、ハッハハハ」 戸刈の毒舌は辛らつだった。

吾市は戸刈に金を借りた。3000円の借用書を書く。
吾市はナイフと睡眠薬を買い旅に出た。
断崖の上に立ち北陸の海を見つめる。ここはかって父と立った断崖である。
『京都のなだらかな山の上に建っている驟閣寺ほど美しいものはこの世にない』
父の言葉が蘇える。驟閣寺は美しい。ただし、それを取り巻く人々はそうであろうか。純粋無垢な吾市は宿に幾日も逗留し不審に思った宿からの連絡で警察に保護され、驟閣寺に戻された。
出迎えた母あきは吾市をぶった。
「あたしは面目ないから寺を出て行きます、お前なんかどこで野垂れ死んでもええ・・・」

その後、戸刈が老師のもとを訪れ吾市に貸した金を返してもらう。
「もう、今後こういうことがあったら、寺には置かれんからそのつもりでいなさい」 老師は吾市に言うのだった。
吾市は戸刈の下宿を訪ねた。
「き、君は生きてるものは皆変るというたけど、・・・驟閣寺は生きてるけど、変らへんで、お、俺が変らせへん・・・」 いつになく吾市の語調は強かった。
「へっ、お前に何ができるもんか」 戸刈がいつもの調子で毒舌を吐いた時、
「ウフフフフ」 部屋の片隅で聞いていた女が笑い出した。戸刈の新しい女は生け花の師匠(新珠三千代)である。
「何がおかしい!俺が生け花を活けられるようになったら、もうあんたはいらんのや」 戸刈が咎めるように言うと、
生け花の師匠はきっとなり、
「片輪が二人でしょうないこと話してるんで、お腹が痛いほどおかしかったんや」
しかし、その片輪という言葉を聞いた途端、戸刈の表情が一変した。
「出て行け!」
「あんたが片輪やなかったら、誰一人振り向いてくれへんもんな!」 
「二度と片輪と言うな!」
戸刈は師匠を羽交い絞めにしもつれた。吾市はこの光景を茫然と見ているのであった。

廓に行った吾市は娼婦(中村玉緒)に言った。
「驟閣寺が焼けたらどないする?」
「焼けても焼けなくてもどっちでもええやないの・・・ここが焼けたらえらいことやけど・・・」
その後、吾市は驟閣寺を見つめて言うのだ。
「解ってくれ・・・俺のすることは・・・たった一つ残ってるだけや・・・」

吾市は夜中にこっそり驟閣寺に忍び込む。マッチで火を点けた。俺もここで死ぬんだ。壁が燃え出すと吾市は茫然と立ち尽くしていた。
『これでいいんだ、美しい驟閣寺はこれからは俺だけのものや・・・』
やがて煙があたりに満ちてくると息苦しくなってきた。たまらず外に逃げる。
山の上に登った吾市の目に驟閣寺から立ち上る火の粉が日輪の如くに輝いていた。
映画館主から

三島由紀夫の「金閣寺」の映画化。
金閣寺は実際に1950年に青年僧により放火され全焼し、5年後に再建され今日に至っています。
三島由紀夫はこの不可解な事件を小説化するにあたり綿密な取材ノートをしたためたということです。
映画化にあたり監督の市川崑はその取材ノートを三島から借り受けました。市川崑夫人の脚本家和田夏十と長谷部慶治は、裏日本という風土中で育ってきた父と子の心を、吃音に強い劣等感を持ちつつ抑圧された少年期を持つ犯人の人間像を浮かび上がらせるのに苦心したそうです。そして、名手市川崑によりその試みは成功しています。
ただ、金閣寺側からの申し出で金閣寺という文字は使えず驟閣寺としたのでした。

実際の放火犯の青年僧は事件後に病死していますが、映画の中の吾市は列車から飛び降り自殺します。
この犯人役の青年僧に当時売り出し中の美男スター市川雷蔵が扮します。吃音の放火犯役ということで会社側は当初大反対したそうですが、市川雷蔵自身が強く主張したためやむなく了承したとのこと。
しかし、現代劇初出演の雷蔵の熱演は彼の代表作の一本になりました。

水上勉原作「五番町夕霧楼」(’63年、監督:田坂具隆、主演:佐久間良子)では、金閣寺に放火した青年僧が廓に通う姿を別の角度から捉えていました。この時の青年僧は河原崎長一郎が演じていました。

■物語の記述にあたり、映画の雰囲気を伝えるため映画の中の差別用語をそのまま使用しましたがご了承ください。

参考文献:「週刊20世紀シネマ館 NO.28」 講談社

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