| 真昼の暗黒 1956・現代プロ |
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![]() 製作:山田典吾 監督:今井 正 原作:正木ひろし『裁判官』 脚本:橋本 忍 撮影:中尾駿一郎 音楽:伊福部 昭 出演:草薙幸二郎 左 幸子 松山照夫 矢野 宣 牧田正嗣 小林 寛 内藤武敏 山村 聰 菅井一郎 山茶花究 加藤 嘉 飯田蝶子 北林谷栄 ![]() ![]() |
物語 昭和26年(1951年)1月、山口県の片田舎の一軒家で老夫婦の死体が発見された。 仁科家の夫とその妻である。夫は布団の中で、顔や頭、全身を滅多切りにされ、妻は隣室との鴨居に首を吊る恰好で死んでいた。 この状況からは夫を殺した妻が首を吊って自殺したかのように見える。しかし警察は首吊りを偽装工作と見破り、殺人事件として捜査を開始した。 現場検証から家の出口にあった焼酎の瓶から、近くに住む小島武志(松山照夫)の指紋が検出された。小島は酒と女が好きな職人で金に困っているとの情報から直ちに重要参考人として指名手配され、近隣の遊郭に居続けていたところを逮捕された。 刑事の尋問に対し、小島は仁科家の老夫婦殺しを自供した。 ・・・・・・小島の自供・・・・・・ 日頃から仁科さんは小銭を溜めているらしいと噂で聞いていた。1月24日の夜、盗みに入る前に飲み屋で焼酎を飲み元気をつけた。更に焼酎瓶を買って飲みながら仁科宅へ向かった。仁科宅へ侵入した後も震えが止まらないので残りの焼酎を一気に飲み乾し瓶を戸の外へ置き、夫婦の寝室に入った。 突然、電気が付き仁科さんに顔を見られた。近所だから顔を知られている。台所にあった斧を持ってきて仁科さんの頭に振り下ろした。何回も・・・。 惨劇に奥さんは腰を抜かして震えていた。そこで馬乗りになり奥さんの首を締めた。 その後、箪笥などから1万数千円を盗んだが、ふと思いついて奥さんを首吊りに見せようと偽装工作をした。・・・・・・ 小島の衣服から被害者の血痕が検出され、凶器の斧も発見された。これで一件落着かと思われたが、捜査陣は納得しなかった。現場の凄まじい状況から犯人は複数だと信じていたからである。 取調官は、共犯者の名前を言え、と迫る。 「いいかげんに本当のことを言え、仲間の罪をかぶって死刑になるか、本当のことを言って5年か6年で出してもらうか、どうなんだ!」 最初は驚いた小島だったが、何回も何回も手厳しい追求を受けるうちに、小島は警察の思い込みを利用しない手はない、と思うようになる。別の首謀者から脅されて犯行を手伝ったことにすれば罪は軽くなるに違いない。 小島は遊び仲間の4人の名前を言った。警察は我が意を得たりと喝采した。 そして、植村清治(草薙幸二郎)、青木庄市(矢野宣)、宮崎光男(牧田正嗣)、清水守(小林寛)が次々と逮捕された。彼らは前科者で遊び人であった。 4人に対する刑事たちの取り調べは拷問である。見に覚えもなく、証拠もないのだが、首筋を線香で炙られたり、軍靴を改造したスリッパで殴られたりされるうちに、4人は小島の供述に合うように自供をさせられたのである。そして、首謀者は植村となった。 植村の内妻の永井カネ子(左幸子)は、事件当夜、植村と自宅で一緒に寝ていたと植村のアリバイを主張したが、家族の証言として受け入れられなかった。 公判で4人は、自白は拷問によるものだと主張し、無実を訴えた。しかし、翌年の山口地裁で首謀者とされた植村に死刑、小島を含む他の4人に無期懲役の判決が言い渡された。 昭和28年の広島高裁では、植村に死刑、小島に無期懲役、他の3人には懲役12年〜15年となる。 植村は藁にもすがる思いで冤罪事件で有名な近藤弁護士(内藤武敏)に手紙を書き救いを求めた。 近藤は綿密な調査の結果、首吊り工作は一人でも可能だとの結論に達し、4人の冤罪を確信したのである。 植村の母つな(飯田蝶子)が植村に面会に来た。双方とも顔を見合わせるだけで声が出なかった。だが、植村は帰りかけた母に叫んだ。 「まだ、最高裁がある!!」 |
| 映画館主から これは、昭和28年に実際にあった『八海事件』の弁護を担当した弁護士正木ひろしの著書「裁判官」の映画化です。 まだ最高裁での審理中だったため、裁判所や映画会社から圧力がかかったそうですが、今井正監督、脚本家の橋本忍は屈することなく公開に踏み切ったのです。 「真昼の暗黒」が世間に及ぼした影響は大きく、この年の映画賞を総なめにしました。正木ひろしの「裁判官」もベストセラーになり、山口県の小村で起きた事件は全国的に有名になりました。 その後、昭和34年に4人に無罪判決が出たのですが、昭和40年の差し戻し審では再び首謀者に死刑、3人には懲役12年〜15年の判決が出ています。 良心の呵責に耐え切れなくなった実行犯は、広島刑務所から最高裁に「私の単独犯行です」という上申書を17通出していましたが、刑務所が握り潰していたといいます。 最終的に昭和43年に最高裁で全員に無罪判決が出るまでに、逮捕されてから実に17年9ヶ月の歳月がかかったのです。何という理不尽な話でありましょう。 当時の官憲の横暴ぶり、尊大な態度は腹に据えかねるものがあり、取調室での拷問は茶飯事のことでありました。何日も寝かされず、殴る蹴るの拷問に耐えられる人間はいないでしょう。結局、筋書き通りの自白をしてしまうのです。 戦後の昭和20年代の冤罪事件として、昭和23年の免田事件(熊本県で一家4人が殺害される)、昭和24年の松川事件(福島県で東北本線が脱線転覆、機関士ら3人が死亡)、昭和24年の三鷹事件(三鷹駅車庫から電車が暴走、死者6名)、昭和24年の弘前事件(青森県弘前大学医学部教授の妻が殺害)、昭和25年の二俣事件(静岡県で一家4人が強盗犯に殺害される)、昭和29年の島田事件(静岡県での幼女誘拐殺人)などが上げられます。 昭和23年の帝銀事件(帝国銀行椎名町支店で職員12名を毒殺)は、犯人とされた死刑囚、平沢貞道氏は死刑囚のまま獄死しましたが、私は松本清張の著作などから、平沢氏の冤罪を信ずる一人です。これらの事件のうち幾つかはアメリカ占領軍(GHQ)の関与抜きには考えられないとされています。 そして、この世に冤罪が存在する限り、私は死刑制度に反対であります。 弁護士正木ひろし氏は、昭和50年に死去しましたが、彼の「首なし事件」(昭和18年、一人の鉱夫が警察で死んだ事件で、正木は拷問死の臭いを嗅ぎ取り、事件を解明するために墓場から死体の首を切り取って持ち帰る)では、死因を脳溢血ではなく、官憲の拷問による死であることを立証したのです。 この事件は昭和43年に東宝が映画化しました。映画「首」(監督:森谷司郎、脚本:橋本忍、主演:小林桂樹)がそれで、小林桂樹が正木ひろし役を熱演した骨太の傑作でした。「首」でも橋本忍の脚本が素晴らしい出来で、森谷監督は力量を存分に発揮していました。残念ながらビデオ化はされていないようです。 参考文献:「戦後日本映画」 発行㈱マルハン |
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