「修羅」
修羅 1971・ATG/松本プロ
修羅

監督:脚本:
    松本俊夫
原作:鶴屋南北/石沢秀二
撮影:鈴木達夫
美術:朝倉 摂
音楽:西松文一

出演:中村賀津雄
    三条泰子
    唐 十郎
    今福正雄
    観世栄夫
    松本克平
    田村 保


左から中村賀津雄、三条泰子、唐十郎

小万がかんざしを首に・・・

三五郎が樽に隠れる

修羅
物語

薩摩源吾兵衛(中村賀津雄)は深川の芸者小万(三条泰子)と睦みあっていた。
「女房にしてくりゃれ」
小万の左腕に『五大力』と彫物がある。『五大力』とは恋を誓う語なのである。源吾兵衛は小万が愛しくてならない。源吾兵衛は藩の御用金を紛失した責任で主君の仇討ちに参加することを許されていない身であったが、今は世をしのぶ仮の姿、いつか必ずとその機会を狙っているのだった。

源吾兵衛の忠僕、八右衛門(今福正雄)が田舎から帰って来ると、源吾兵衛は家財道具を売り払い小万に入れあげているのでとくとくと意見する。だが、それは敵を欺く仮の姿なのだと源吾兵衛に言われて胸をなで降ろした。
「それでこそ、船倉宗右衛門様でござります」
「口をつつしめ、壁に耳ありじゃ」 実は源吾兵衛の本名は船倉宗右衛門であり、塩冶家の主君の仇討ちまではと薩摩源吾兵衛という仮の名を使っているのだった。

八右衛門は田舎から苦労して調達してきた百両を源吾兵衛に差し出した。
「これは!」源吾兵衛は目をむいた。
「これを持って、めでたく仇討ちに加わりなされませ」源吾兵衛は八右衛門という家来を褒め称え感謝した。これで自分の不始末を許してもらい、主君の仇討ちに参加できる。

そこへ小万の付き人の三五郎(唐十郎)が小万の手紙を携えやって来た。
源吾兵衛が手紙を読むと、小万がさる侍に百両で身受けされるというのだ。それは、窮地に立たされた小万が源吾兵衛を待ちわびる内容だった。
「いけすかない侍に小万が身受けされてもいいんですかい」三五郎が源吾兵衛を急かした。しかし、百両などという大金がどこにある。八右衛門が苦心惨憺調達してきた百両は仇討ちのために絶対に必要な金だ。
しかし、三五郎の執拗な説得に、源吾兵衛は立ち上がる。懐に百両を入れたまま・・・。

三五郎に小万の身受けの場に案内された源吾兵衛は中の様子を窺う。侍の周りに数人の男、それに小万がいる。
「私には心に誓った源吾兵衛というお方がおります」小万は侍の身受けを断ろうと必死なのだった。
「浪人の分際で百両などという大金はある筈がない」侍が言う。三五郎に急かされ部屋の中に入る源吾兵衛。小万の顔がぱっと明るくなる。
「源吾兵衛様!」しかし、源吾兵衛はこのお侍に身受けしてもらうが良い、と小万に言った。自分には小万の身受けは叶わぬと。
小万、とっさにかんざしを抜き、咽喉を刺そうとした。「何をする」源吾兵衛は小万を止めた。
「貴方様に身受けされぬなら死んだほうがましです、死なせてくりゃれ」
「その方、それ程までに・・・」源吾兵衛は仇討ちも八右衛門の顔も忘れて小万を抱きしめる。
「身受け致す」源吾兵衛は懐の百両を差し出した。そこへ八右衛門が駆けつけたが、もはや後の祭りであった。八右衛門の危惧したとうり源吾兵衛は仇討ちを忘れ、女の情にほだされてしまったのである。

かの侍は退散し、数人の男たちも金を手にして帰っていった。源吾兵衛が小万の手をとり帰ろうとした、その時、
「ちょいと旦那、お待ちくだせぇやし」 三五郎が言った。
「何だ?」と源吾兵衛。
「小万の借金は確かに払っていただきやしたが、この小万には亭主がおりやして・・・」
「何!それは誠か!」 小万は下を向いて俯いた。
「その亭主とは誰だ」 「わしでござんす」 三五郎はしれっと答えた。
「小万!それは誠か!」
「・・・申し訳ございません。これには深い訳が・・・」小万がくず折れた。
何ということであろうか。源吾兵衛は三五郎と小万、それに先ほどまでいた男たちの芝居に騙され、百両を投げ出してしまったのである。

その夜、深川の宿で惨劇が起こった。小万の身受の場にいた男4人と芸者一人が次々と惨殺された。物音に異変を感じた小万と三五郎は物陰に潜んで見た。それは血の海に浮かび上がる修羅と化した源吾兵衛の鬼の形相であった。
二人は命からがらその場を逃げ出した。

四谷の長屋に暮らす三五郎と小万の元へ編み笠の浪人がやって来た。手に酒樽をぶら下げている。それは深川の五人殺しでお尋ね者となっている源吾兵衛だった。
三五郎と小万は内心怯えながらも奥へ入れた。源吾兵衛は言った。過ぎた話は水に流そうではないか、この酒を受け取れと。三五郎は恐縮した。家の酒を源吾兵衛にふるまう。小万が三味線を弾きながら唄う。
その時、この長屋の家主で小万の兄の弥助(田村保)の手引きで同心(観世栄夫)たちが長屋を取り囲んでいた。
何事かと表へ出た源吾兵衛に同心は言う。
「深川五人殺しは貴公の仕業であろう。証人はそこにいる三五郎である」
しかし、三五郎は、「知らない、何かの間違いだ」と否定するのだ。
その時、様子を窺っていた八右衛門が飛び出して来た。
「深川五人殺しは私めの仕業でござりまする」驚く源吾兵衛の前で八右衛門が縄をかけられ連行されて行った。源吾兵衛は先ほど持参した酒を飲むように三五郎と小万に言い残し立ち去った。

ほっと命拾いした二人は、後でやって来た小万の兄弥助が源吾兵衛が持参した酒を飲んで苦しみ出すのを見て驚愕した。毒酒であった。騒ぎの中、縁の下からさる屋敷の絵図面が見つかり、三五郎と弥助が取り合ってもつれ合う。毒酒が効いてきた弥助の首を三五郎が締め、小万の制止を振りきって殺してしまった。
三五郎は義兄を手にかけた慙愧の念から出刃包丁で死のうとするが、小万が引き止める。
「死ぬのはいつでも死ねるがな。それより、お父上に百両と絵図面を届けるのが先決じゃわいな」 三五郎は、それもそうだと父親の元へ走った。
実は三五郎は父親から10年も勘当の身であったが、その父親からのたっての願いでかっての主人が紛失した百両を工面したいと依頼されていたのだった。

忠僕、八右衛門は源吾兵衛の罪の身代わりとなり、自分の犯した罪業におののきながら、源吾兵衛が四谷の長屋に行くと小万がまだ生きている。
「最前の酒は飲まなかったとみえるな」源吾兵衛が逃げ回る小万を問い詰める。
「三五郎はどこへ行った」 「知りませぬ」 源吾兵衛が小万に斬りつける。
乳飲み子の泣き声が聞こえる。「おのれ、子供までおったのか」 斬られながらも必死に子供をかばう小万の目の前で源吾兵衛の刃が乳飲み子を突き刺した。
おまけに小万の腕の『五大力』の刺青に手が加えられ、『三五大切』と変っているではないか。修羅と化した源吾兵衛は小万の首を切り落した。

ある寺の住職了心(松本克平)は息子三五郎から百両と絵図面を受け取り満足していた。当然、息子の勘当も解いてやる。その時、誰かが寺にやって来た。了心は三五郎を部屋の隅にある樽の中に隠した。

源吾兵衛が小万の首を前に酒を飲んでいる。誰か来る。小万の首を隠す。
「息子夫婦が苦労して調達した百両と絵図面でございます」了心が差し出したのをちらっと見て、源吾兵衛が言った。
「・・・遅すぎたわい・・・今となっては後の祭り・・・」 「えっ」
「深川の五人殺しはみどもの仕業よ、それにしても、みどもを騙した三五郎を取り逃がしたのが心残り・・・」 「三五郎!それは、倅千太郎の世すぎの名前!確か、女房は深川の芸者と聞きましたが」 
源吾兵衛は目をむいた。「えっ!それじゃこの百両は!」
その時、樽の中の三五郎が立ち上がった。「お、お許しください!」源吾兵衛は驚いた。三五郎はかっての家来、了心の息子だったのだ。源吾兵衛が父親のかっての主人、船倉宗右衛門であろうとは、三五郎とて知るよしもない。
「小万の命はもう元には戻らぬ」源吾兵衛は小万の首を取り出した。「・・・乳飲み子もこの手で・・・」
三五郎が出刃包丁を腹に突き刺した。樽の箍がはずれ、ばたばたと四方に飛び散る。
「早まるな!」と父了心が叫ぶ。三五郎は世を呪い、断末魔の声を絞り出した。
「もう何も、見たくも聞きたくもござんせん。たとえ、この世に陽がさそうとも、この蛆虫野郎は闇にはまるばかりでござんす・・・思えば無駄な一生でござんした・・・」
了心は倒れた息子に小万の首を抱かせてやり、合掌したのだった。

これから数ヵ月後、塩冶の浪士は討ち入りを決行した。しかし、船倉宗右衛門の名はそれらの義士の列名には見出すことができない・・・。
映画館主から

四世鶴屋南北の「盟三五大切」(かみけてさんごたいせつ)の映画化です。
ドキュメンタリー出身の松本俊夫監督が「薔薇の葬列」(’68年、ピーター主演)のあとに製作した凄絶な復讐劇。当時全盛だったATG(アートシアターギルド)作品です。

物語は「忠臣蔵」の外伝の様相を呈しており、鶴屋南北自身の「東海道四谷怪談」の後日譚であり、四谷の長屋はお岩さんの住んでいた長屋なのです。
シェイクスピアの悲劇を思わせるようなドラマの不可思議な設定、入り組んだ人間関係。それらに運命をもてあそばれる人々。

主演の船倉宗右衛門(源吾兵衛)に中村賀津雄が扮します。兄の中村錦之助と顔も、一種狂気の演技も良く似ています。
芸者小万に民芸の新人、三条泰子。極め付きは三五郎を演ずる唐十郎です。当時、状況劇場を主宰して新宿の花園神社などでテントを張って異色演劇で活躍していました。

あたり一面、血の海となる松本演出は、モノクロの強調されたカメラと不気味な擬音とで真に迫ります。私は池袋の文芸座で兄と一緒に見たのですが、見終わった後、兄と池袋の飲み屋で一杯やり、どろどろした映画の怨念を払拭した記憶があります。
最近、新宿の「TSUTAYA]でビデオを見つけ、30数年ぶりに見ました。怖いほど傑作なのです。

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