| 忠臣蔵 1958・大映 カラー作品 |
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![]() 製作:永田雅一 監督:渡辺邦男 脚本:渡辺邦男 八尋不二 撮影:渡辺 孝 音楽:斉藤一郎 出演:長谷川一夫(大石内蔵助) 市川雷蔵(浅野内匠頭) 鶴田浩二(岡野金右衛門) 勝新太郎(赤垣源蔵) 川口 浩(大石主税) 梅若正二(矢頭右衛門七) 黒川弥太郎(多門伝八郎) 菅原謙二(脇坂淡路守) 根上 淳(土屋相模守) 香川良介(片岡源吾衛門) 林 成年(堀部安兵衛) 川崎敬三(勝田新左衛門) 品川隆二(大高源吾) 京 マチ子(女間者おるい) 若尾文子(大工の娘お鈴) 山本富士子(瑶泉院) 淡島千景(大石の妻りく) 小暮実千代(浮橋太夫) 東山千栄子(大石の母おたか) 三益愛子(戸田局) 志村 喬(大竹重兵衛) 見明凡太朗(大工政五郎) 中村雁治郎(垣見五郎兵衛) 小沢栄太郎(千坂兵部) 田崎 潤(清水一角) 船越英ニ(上杉綱憲) 滝沢 修(吉良上野介) 他オールスター ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
物語 「待て、上野介!この間の遺恨覚えたるか!」 勅使饗応役の浅野内匠頭(市川雷蔵)が指南役の吉良上野介(滝沢 修)に斬りかかった。内匠頭を近くにいた梶川与惣兵衛が抱き止めた。「殿中でござるぞ」 「武士の情けだ、お放しくだされ!」 元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下での出来事である。 内匠頭は、饗応指南役の上野介にその都度指示を求めたが、「田舎侍め・・・」と愚弄しきっている上野介は嘘の指示を与えたのである。 殿中の式服の違い、増上寺の畳替え、伝奏屋敷の衝立や料理の間違いなどがそれである。これらは強欲な上野介に生真面目な内匠頭がまともな進物(賄賂)を贈らなかったことに起因していた。 吉良上野介は眉間に傷を負ったが命に別状はなく、お咎めもなかった。しかし、刃傷に及んだ浅野内匠頭は時の五代将軍、徳川綱吉の逆鱗にふれ、お家断絶、即日切腹を申し渡された。 目付け役、多門伝八郎(黒川弥太郎)や老中、土屋相模守(根上 淳)は喧嘩両成敗の立場をとり、内匠頭に同情的だったが、老中筆頭柳沢出羽守吉保(清水将夫)は、「上意でござる」と、譲らなかった。 風さそう花よりもなお我はまた 春の名残りをいかにとかせむ 辞世の句を残し、白装束の浅野内匠頭は切腹、35歳の生涯を閉じたのである。桜花が寂しく舞う田村邸の庭先であった。 江戸屋敷にいた浅野内匠頭の妻、あぐり(後に瑤泉院、山本富士子)に訃報が届く。 一方、悲報を乗せた早籠は遠く赤穂へ、播州赤穂へ。浅野家家老、大石内蔵助(長谷川一夫)は悲報に接し、大混乱となった城内を取りまとめた。篭城説から殉死説まで様々な意見があったが、内蔵助はまず浅野家再興の策を立て、赤穂城受け取りの脇坂淡路守(菅原謙二)を介してその嘆願書を幕府に差し出した。 内蔵助の人物に惚れた淡路守はこれを幕府に計ったが柳沢出羽守吉保に一蹴された。 内蔵助の胸のうちは決まっていた。『主君の仇を討つ』 これである。 内蔵助は志を同じくする固い結束の同士の血判を得ていたのである。その中には、内蔵助の長男、主税(15歳、川口浩)や、矢頭右衛門七(17歳、梅若正二)という少年も加えていた。 赤穂義士の復讐を恐れた上野介の実子、越後米沢藩主上杉綱憲(船越英ニ)は家老千坂兵部(小沢栄太郎)に命じ吉良上野介の身辺の警護に当たらせた。兵部は更に各方面に間者(スパイ)を放った。おるい(京マチ子)もその一人である。 京都祇園に浮橋太夫(小暮実千代)ら、多くの遊女と連日狂態を示す内蔵助の姿があった。そんな内蔵助を仲居として送られた間者おるいが鋭く見つめる。 内蔵助は浅野家再興の望みがかなわぬと知り、浮橋太夫を身受けすると山科へ連れ帰った。 「離縁じゃ、離縁じゃ」 内蔵助が妻りく(淡島千景)に突然離縁を言い渡した。これには浮橋太夫も驚く。長男の主税のみを残し、りくや幼い子供を連れ山科を去ろうとした内蔵助の母、おたか(東山千栄子)は、仏壇に内蔵助の新しい位牌を見つけた。初めて内蔵助の真意を知り、りくと手を取り合って泣くのだった。 おるいは千坂兵部から内蔵助を斬るよう命じられていたが、内蔵助の澄みきった人物に打たれ、どうしても斬れなかった。 放たれた刺客も内蔵助を襲ったが大石主税らの抵抗で果たせない。 かくして機は熟し、内蔵助をはじめ京の同士たちは続々と江戸に出発した。 道中、近衛家用人垣見五郎兵衛(中村雁治郎)は自分の名をかたる偽物と対峙したが、それが赤穂の大石内蔵助であると看破し、苦衷を察するあまり自らが偽物であると詫び、本物の手形まで渡したのである。 江戸の同志たちはうどん屋、小間物屋などに姿を変え、仇討ちの時期を探っていた。千坂兵部は策を練って赤穂の浪士の動きを探る。上野介が越後へ行くという噂をたて、この行列を浪士たちに襲わせ、一網打尽にするというものだ。 堀部安兵衛(林 成年)ら血気にはやる者たちがこの行列を追おうとした時、 「おののがた、待たれい!」 内蔵助の大音声である。偽物の行列と看破した内蔵助はただ一人行列を見送った。 内蔵助を追う清水一角(田崎 潤)らも、内蔵助の威厳に圧倒され手が出せなかった。 母を残して駆けつけた矢頭右衛門七を最後に同士47名が集まった。討ち入りの時期は迫ったが、肝心の吉良邸の絵図面が手に入っていない。 実は小間物屋に姿を変えている岡野金右衛門(鶴田浩二)に恋する大工政五郎(見明凡太朗)の娘お鈴(若尾文子)を利用して絵図面を手に入れるよう、同士たちから責められていたのだが、岡野金右衛門はお鈴を裏切ることはできないと今まで二の足を踏んでいたのだ。 だが、意を決してお鈴に頼んだ岡野金右衛門であった。吉良邸の絵図面を盗み出すお鈴を政五郎が見咎めた。が、岡野金右衛門が赤穂の浪士と察すると、「来世ではきっと、娘と添い遂げてやっておくんなさいよ・・・」涙にくれる政五郎であった。 千坂兵部の命令でおるいは再び内蔵助の宿の偵察に出向いた。しかし、逆におるいは内蔵助に吉良家茶会の日を12月14日であると知らせるのである。その帰途、清水一角と浪士の大高源吾(品川隆二)が斬りあっているところへ行き、誤って一角に斬られてしまう。 大高源吾からその報を受けた内蔵助は沈痛な思いでおるいに感謝したのである。 いよいよ吉良邸討ち入りが12月14日の深夜と決まり、内蔵助は一同に檄を飛ばした。その日、内蔵助は瑤泉院のもとへ別れの挨拶に訪れた。だが、間者の気配を感じて討ち入りの件には触れず、あるところに士官が決まったとだけ言ったのである。 失望する瑤泉院だったが、その夜、侍女に化けた間者が盗み出そうとした巻物を見て驚愕する。それは内蔵助が置いていった浪士たちの血判状だったのである。 また、同士の一人、赤垣源蔵(勝新太郎)も実兄塩山伊左衛門に別れの挨拶に訪れるが伊左衛門が留守なので、替わりに兄の羽織の前でさめざめと泣いて別れるのだった。 勝田新左衛門(川崎敬三)もまた、実家に預けた妻八重と子供に別れを告げに来たが、勝田新左衛門が他家へ士官すると聞き、八重の父大竹重兵衛(志村喬)は、「この不忠義者!」と激怒するのだった。 夜もふけて、そば屋の二階で火消し装束に身を固めた赤穂浪士47人は、吉良邸に出発した。表門、裏門に別れ内蔵助の号令のもと一同は邸内に乱入した。 乱闘が続き、夜も明け白む頃、とうとう炭焼き小屋に隠れていた寝巻き姿の上野介を引きずり出した。 「吉良殿、ご最後を!」 内蔵助が差し出した短刀を拒否した上野介を「覚悟!」と内蔵助が討ち取った。 赤穂浪士の義挙は瞬く間に江戸中に広まった。大竹重兵衛はそれを知らせる瓦版をむさぼり読み、その中に婿勝田新左衛門の名があるのを発見すると、「あった、あった、あった!」と、狂喜して駈けて行くのであった。 赤穂浪士一行が上野介の首を上げて両国橋に差し掛かった時、大目付多門伝八郎は、内蔵助に引き揚げの道筋を教え、一個人として心からの慶福を表わしたのだった。 その橋脇の一隅に白衣の瑤泉院が涙にくれて合掌していたのである。
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| 映画館主から 日本人が最も好む題材は『忠臣蔵』でありましょう。 今から300年以上も前の元禄15年(1702年)に起きた赤穂浪士討ち入り事件をもとに人形浄瑠璃作者の竹田出雲らが書いた『仮名手本忠臣蔵』が大阪で大当たりしたのに端を発し、歌舞伎に芝居に、そして映画にテレビにと、今まで数え切れなく人々を楽しませてきました。 竹田出雲は近松門左衛門の指導によって作品を書き始めたようです。他にも『菅原伝授手習鑑』や『義経千本桜』などの作品を残しており、現在の歌舞伎の演目としても知られます。 『仮名手本忠臣蔵』は、『いろは四十七文字』が赤穂義士の数と一致することから由来し、芝居では大星由良之助になっていますが、『忠臣』の『蔵』とすることで史実での大石内蔵助を暗にほのめかしているのです。 さて、映画のほうも戦前、戦後を通じて何度も映画化されてきました。オールスター映画は映画会社各社の盛衰の程を示す恰好の題材であり、又必ずヒットするという約束された題材でもありました。 明治42年(’09年)作品が最も古く、これは歌舞伎を単に写したものだそうです。 大正15年(’26年)作品「忠臣蔵」は、日活で、池田富保監督、大石内蔵助=尾上松之助主演(通称目玉のまっちゃん)。 昭和13年(’38年)の「忠臣蔵 天の巻・地の巻」も日活で、監督はマキノ正博、大石内蔵助=阪東妻三郎(通称バンツマ)、浅野内匠頭=片岡千恵蔵。マキノ正博の父親のマキノ省三もこの10年前に「実録忠臣蔵」という作品を作っていました。 昭和29年(’54年)の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」は松竹で、監督は大曽根辰夫、大石内蔵助=松本幸四郎(先代)、浅野内匠頭=高田浩吉、吉良上野介=滝沢修。 昭和31年(’56年)の「赤穂浪士」は東映で、監督は松田定次、大石内蔵助=市川右太衛門、浅野内匠頭=東千代之介、吉良上野介=月形龍之介。 昭和34年(’59年)の「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」は東映で、監督は松田定次、大石内蔵助=片岡千恵蔵、浅野内匠頭=中村錦之助、吉良上野介=進藤英太郎。片岡千恵蔵は忠臣蔵と最も縁が深く、過去に大石内蔵助や浅野内匠頭を幾度も演じています。 昭和37年(’62年)の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」は東宝で、監督は稲垣浩、大石内蔵助=松本幸四郎、浅野内匠頭=加山雄三、吉良上野介=市川中車。 昭和53年(’78年)の「赤穂城断絶」は東映で、監督は深作欣ニ、大石内蔵助=萬屋錦之助、浅野内匠頭=西郷輝彦、吉良上野介=金子信男。 平成6年(’94年)の「四十七人の刺客」は東宝で、監督は市川崑、大石内蔵助=高倉健、浅野内匠頭=橋爪淳、吉良上野介=西村晃。・・・といった具合で、枚挙にいとまがありません。 忠臣蔵に材を取った異色作として、「薄桜記」(’59年、大映、監督:森一生、主演:市川雷蔵、勝新太郎)、「サラリーマン忠臣蔵」(’61年、東宝、監督:杉江敏男、主演:森繁久弥)、「わんわん忠臣蔵、東映、アニメ)、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(’94年、松竹、監督:深作欣ニ、主演:佐藤浩一)などがあります。 テレビドラマも多数ありますが、NHKの大河ドラマとしての忠臣蔵だけをとっても、「赤穂浪士」(’64年、大石内蔵助=長谷川一夫、浅野内匠頭=尾上梅幸、吉良上野介=滝沢修。「峠の群像」(’82年、大石内蔵助=緒形拳、浅野内匠頭=隆大介、吉良上野介=伊丹十三。「元禄繚乱」(’99年、大石内蔵助=中村勘九郎、浅野内匠頭=東山紀之、吉良上野介=石坂浩二。となります。 特に’64年の「赤穂浪士」は、芥川也寸志の重厚なテーマ音楽も良く、長谷川一夫の大石、滝沢修の吉良、宇野重吉の蜘蛛の陣十郎、林与一の堀田隼人などの豪華な配役が楽しみで、当時高校生の私は欠かさず見たものでした。 長谷川一夫の「おのおのがた・・・」という声帯模写がはやったのもこの頃です。 これらの中にあって私が一押しだと思うのは、昭和33年(’58年)の大映京都作品の「忠臣蔵」です。監督の渡辺邦男は「明治天皇と日露大戦争」(’57年)、「日蓮と蒙古大襲来」(’58年)、「水戸黄門 海を渡る」(’61年)、その他、美空ひばりの映画を多く手がけたベテラン監督ですが、早撮りの名手といわれるだけあって、この盛りだくさんの「忠臣蔵」をなんと30日余りで撮影してしまったのだそうです。 しかし、肝心の見せ場、泣かせ場はきっちりと踏まえており、娯楽性豊で、画面が眼を見張るほどに美しいのです。 中でも大石の母おたか(東山千栄子)が不甲斐ないと思い込んでいた息子の真意を知り、涙を堪え息子大石の背中から羽織をかぶせながら抱く場面や、討ち入り後の瓦版の中に赤穂浪士の娘婿の名前を見出し、喜びのあまり半狂乱となり町を駈けて行く大竹重兵衛(志村喬)を見るにつけ、涙を禁じえないのは私だけではないでしょう。 浅野内匠頭の市川雷蔵はあくまでも美しく、大石内蔵助の長谷川一夫は復讐に急ぐ家臣達を「おのおのがた、待たれい!」と、目の演技で抑え、吉良上野介の滝沢修は憎たらしい限りなのであります。 主君の仇討ちという行為が今の世に受け入れられるかどうかは解りませんが、当時としても稀な行為であったからこそ人々に持て囃され喝采を受けたのだと、「峠の群像」の作者、堺屋太一氏は語っています。 武士道、その悲しい定め・・・若い命がその為に露と消えていったのは、なんとも物の哀れを感じます。同時に現在の若者に欠けている精神であるとも思えるのですが・・・。 五代将軍、徳川綱吉は天下の悪法である、『生類憐れみの令』を出したことで知られますが、赤穂浪士の討ち入り後の彼らには、忠義の士として持て囃される世論や幕閣の中にも助命嘆願があり、綱吉も助命に心が傾くほど動揺したそうですが、柳沢出羽守吉保お抱えの儒学者、荻生徂徠の提案に基づき切腹の裁断を下したのです。 浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷におよんだ時の年齢は35歳でした。片や吉良上野介が赤穂浪士に討たれた時の年齢は62歳です。 四十七士の享年は、大石内蔵助44歳、大石主税15歳(最年少)、矢頭右衛門七17歳、堀部弥兵衛76歳(最高齢)、堀部安兵衛33歳などですが、その中に近松勘六という義士がいました。享年33歳でした。彼が私の祖先であるかどうかは不明です。 参考文献:「歴史群像シリーズ 元禄赤穂事件」 学習研究社 「キネマ旬報 ’58年春の特別号」 キネマ旬報社 |
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