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| バーベンベルク家 | ハプスブルグ家以前にオーストリアに栄えていた家 |
| ホーエンシュタウフェン家 | 13世紀に神聖ローマ帝国の皇帝であったが、フリードリヒ2世が1245年リヨン公会議でローマ教皇インノセント4世に破門され、廃位される。それ以後ルドルフが選出されるまで皇帝位は空位であった。 |
ハプスブルグ帝国の始まり
ハプスブルグとは(?_?)もとはアルザス地方に領地を持ち、確認できる先祖はグ
ントラムという人。その後孫のヴェルナーから西南ドイツの有力貴族になり、ハ
プスブルクの4世目のルドルフが1273年神聖ローマ帝国の皇帝になった。
語源
オーストリアの語源は、ドイツ人が住んでいる再東部の国を意味する「エスター
ライヒ」から来たもの。 ハプスブルグの語源は祖先が住んでいた「ハービヒツブ
ルグ(鷹の城)」から来たもの。
郵便制度
15世紀のマクシミリアン15世の時代にトゥルン・ウント・タクシス家がハプスブルグ
家のために無料で手紙や小包の配達を引き受けたのが始まり。
オイゲン公
16世紀のトルコからの攻撃に対して武勇を奮い、ハプスブルグ家の大黒柱となっ
た。彼はルイ14世の隠し子とも言われている。
コーヒー
レオポルト1世の時代にトルコ軍がウィーン包囲をしたが失敗、撤退する時にコー
ヒー豆の入った袋を忘れていったのがコルシツキという男の手に入り、その豆から
コーヒーを作ったのが始まり。
19世紀の民族
ハプスブルグ帝国は王家を先頭とした諸王国、所領邦の集合体であり、「ハプス
ブルグは世界の縮図だ…」と言われていた。ドイツ人・マジャル人・スロヴェニア人・
クロアチア人・セルビア人・イタリア人・チェコ人・ウクライナ人・ポーランド人・ルーマ
ニア人と言う、様々な民族が共存して生活し、それでもそれなりに帝国は上手く成
り立っていた。しかし、ハプスブルグ家はかつての神聖ローマ帝国の守護者の役割
を演じながら、一方では帝国の近代化を模索していた。
最後の皇女・エリザベート
フランツ・ヨーゼフの孫エリザベートは、王家の崩壊後に社会民主党の闘志となり、
「赤い皇女」と言われながらも2度の世界大戦等を乗り越え、強い意志を持って「最
後の皇女」にふさわしい生き方をした。