(2001/06/27 公表)
文部省檢定濟
株式會社普及舍編輯所編
新編修身教典——尋常小學校兒童用
東京 株式會社普及舍
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ知能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名 御璽
きみ は、 ちよ ませ、 や ちよ ませ。
じんむ てんのー は、 わるもの どもを、 ごせい ばつ あそば され ました。
じんむ てんのー は、わがくに で、いちばん はじめの てんし さまで あります。
にの みや せんせ いは、 おやを、 たい せつ にせら れまし た。
にのみやせんせいは、 よるひるかせいで、 おとうとたちを、 やしなはれました。
にのみやせんせいは、 まいばん、よなべ をしまったあとで、 ほんをよまれま した。
にのみやせんせいは、 たいそーなんぎして 、おちぶれたいへを、 おこされました。
もーりもとなりこーは、 わがこどもらにむ かって、「きょーだいは、 なかよくせねばな らん。」と、いはれました。
おたけが、びょーきに なりました。
おまつは、いま、くす りをとりにゆきます。
おたけが、おきゃく さまに、ぎょーぎよく、 おちゃをあげて ゐます。
かにが、かきのたね をうゑました。
たねがはえてから、せ いだしてそだてます。
かにが、さるにいぢ められました。
かにのともだちが、か にをいたはってゐます。
かにのともだちが、 いぢのわるいさる を、こらしました。
さるが、こーくわいして、 ことわりをいひました。
たろーが、あやまって、 まどのがらすを、 こはしました。いま、 そのことはりを、いっ てゐます。
おたけが、めくらの てをひいて、しんせつ に、みちををしへて ゐます。
小川たいざんは、べんきょ ーなおかたであり ました。
おほゆきをかまはずに、 先生のところへ、けいこ にまゐられます。
もりらんまるは、しょー ぢきなおかたであり ました。
しゅじんののぶながこー から、たいそー、おほめを うけられました。
からすが、くじゃくの はねを、つけてゐま した。
くじゃくが、そのはね を、みなぬきとりま した。
しほばらたすけは、すみや にほーこーしてゐた とき、たくさん、ふるぞーり をあつめておいて、しゅ じんにさしだしました。
たすけは、すみやにほー こーしてゐるうちに、たく さんなすみくづをあつめ ました。
のち、そのすみくづをもらっ て、みせをひらきました。
たすけは、しょーぢき に、しょーばいをしま したから、そのみせが、 たいそー、はんじょーし ました。
おたけは、父母からもらった おかねを、ぎんこーにあづ けました。
おたけは、がっこーのふしん のとき、そのおかねをさし だしました。
みちしるべのくひが、た ふれてゐました。
たろーは、いま、とも だちといっしょに、そ れをおこしてゐます。
たろーが、ともだちと、 きそくをきめて、あ そんでゐます。
きそくは、たいせつに まもらねばなりません。
しらかみげんじろーは、い さましいらっぱそつであ りました。
げんじろーは、てっぽーの たまにうたれても、いき がきれるまでらっぱをふいてゐました。
新編修身教典——尋常小學校用——卷二終
尋常小學校修身科用 明治三十五年十月八日 文部省檢定濟
定價