此れ迄の国語学では、敬語については色々な研究がされてゐるが、相手を罵倒する為の語(此処では不敬語と表現する)についての探求は餘りなされてゐないやうに感じる。
此処では、不敬語の実態を暴く事で、如何に国語的形式に忠実であるかを論じる事とする。
此れは学術的探求が主体である為、この報告を基に実際の論議でこのやうな言葉遣を実践する事は厳に慎むべきである。実際に此れを使用しても私は責任を持てない。
一般に敬語では、「です・ます」或は「候」などの接尾語を附加する事で話し相手に敬意を表する事になつてゐる。
然し、此処で云ふ不敬語では、特段話し相手に敬意を表する必要が無ければ、「です・ます」のやうな餘計な接尾語を附加する必要が無い。
敬語に尊敬語・謙譲語・美化語があるやうに不敬語にも尊大語・侮蔑語の種別がある。夫々を個別に説明する。
尊大語の使用は、話し手と話の対象者(必ずしも話し相手とは限らない)との間に明確な上下関係が成立つてゐる事が条件となる。
話し手の立場が話の対象者より明かに高い位置にある場合、話し手が使ふ言葉遣を尊大語と呼ぶ。
話し手は身分が高い事を意識して、我輩や俺様などを使ふ。もう少し身分が高ければ予や余を使ひ、
天皇陛下のみ朕をご使用になられる。話し相手には、身分が低いので貴様や御前などを使ふ。第三者的には者を使ふ。第三者の属性により、小童(こわつぱ)・爺(じじ)・婆(ばば)なども使はれる。
話の対象となる身分の低い者の動作を示す。この動詞は、話し手の動作として使へば謙譲語となるのだが、話の対象者の動作として使ふ事により「尊大語」としての意味合ひに変化する。通常は命令形や終止形に接尾語の「な」を附加する形で表現する。
判つた。ならば貴様の計画通りに致せ。
貴様の財産を捧げねばならぬ。
かうなつたら命は無いものと存ぜよ。
貴様の為に手に入れた物だ。有難く賜るのだ。
貴様の顔は見たくも無い。もう此処には参るな。
何か良い策略を存ずる者があれば、俺様に申してみよ。
守備の為だ。貴様は此処にをれ。
何を愚図愚図してをる。早くし給へ。
話の対象者の動詞に「給ふ」を附加すると、尊大語になる。尊敬語の「〜なさる」と同様、色々な動詞に附加出来る為、応用範囲が非常に広い。
文語としての尊大語を二例ほど提示する。
小作人は期限内に年貢を奉るべし。
明日は村の寄合ひ也。村の衆は参集仕るべし。
話し手が自身の動作を尊大語として表現する場合は、下記の語を主に終止形で用ゐる。間違つても接尾語「〜給へ」を附加してはならない。
でかしたぞ。貴様には特別に勲章を遣はす。
どうしても必要であれば、我輩も出席して遣はす。
命(御言)を宣る。
家来を召す。
勅命や詔勅は、其れだけで「命を宣る」の意味合ひがある。
「召す」の連語用法として、「召上げる・召使ふ・召抱へる・召具す・召出す・召捕る」など有り。
「召喚」(セウクワン)、声を掛けて召す事。魔法陣グルグルのククリちやんは、召喚魔法の使ひ手である。「召」と云ふ文字を使つてゐるので、召喚する側のククリちやんは召喚される魔物より少くとも一段は格が上である。
侮蔑語の使用は、話し手と話の対象者(必ずしも話し相手とは限らない)との間の上下関係に関りなく、話の対象者を低く扱つて罵る事を主な目的としてゐる。
話し手が話の対象者を罵倒する意志がある場合、話し手が使ふ言葉遣を侮蔑語と呼ぶ。
話し手は言葉遣を粗野にする為、自分自身を俺と呼ぶ。罵倒の対象としての話し相手には、おめえ・てめえ・貴様などを使ふ。第三者的には奴・こいつ・あいつを使ふ。第三者の属性により、ガキ・坊主・おやぢ・かかあ・ぢぢい・ばばあ・野郎・畜生・盆暗なども使はれる。
又、「俺」以外の人称名詞に接尾語「め」を附ける事で、対象を低い存在として認識してゐる事を示す事ができる。接頭語「くそ」は、罵りの意を込めて第三者を強めて言ふ語である。
「てめえ」は「てまへ(手前)」のエ音長音化なので「てめへ」とするよりは「てめえ」とするべきだらう。
話の対象者の動作を見下げて表現する。この動詞は、主に話の対象者を罵る為に用ゐられる。文例のみ掲示し、解説は割愛する。
とつととくたばりやがれ、こん畜生め。
飯と味噌汁をぶつ掻き回して喰らひやがるか、てめえ。
ざまあ見やがれ、拳骨喰つて尻尾巻いて逃げて行きやがつたぜ。
てめえ、こんな所でサボッてけつかるか。早くしやがれ。
おいこら、くそガキ、屁理屈ばつかり吐かしやがると拳骨喰はすぞ。
あの野郎め、勝手な事をほざいてゐやがる。
あいつめ、調べもしねえで適当な事ばつかり吐かしくさつて。
こら、早く其れを遣しやがれ。よし、こいつは俺が貰つておくぜ。
あいつはまだそんな事のたまひくさるか。
一見して何で侮蔑語になるのだか判らないのがこの動詞です。「宣り給ふ」と云ふ語が崩れてかうなつたさうであるが、「宣る」と云ふ本来高貴な人が自分に対して使ふべき言葉に、態々下級の者に対して使ふべき「給ふ」を附ける事で、人を小バカにしてゐる訳である。
話し手が自身の動作を侮蔑語として表現する場合、下記の語を使ふ。間違つても接尾語「〜やがる」や「〜くさる」を使つてはならない。
この野郎、痛えぢやねえか。ぶん殴つて呉れる。
言葉遣を粗野にする為、音便変化を多用する。多少の例で以て解説する。
こん畜生め、わざとぶつ突けて来やがつたな。
俺に水をぶつ掛けやがつたのは何処のどいつだ。出て来やがれ。
貴様、よくもあんな事をしくさつたな。ぶちのめして呉れる。
其の外、連語用法として下記のやうなものがある。殆ど言葉遣を粗野にする為の接頭語と化してゐる。「ぶつ」の連用形「ぶち」が基本型で、促音便「ぶつ」と撥音便「ぶん」の変化形がある。
上がる・落す・切る・壊す・込む・殺す・出す・倒す・流す・抜く・のめす・撒く・他
掛る・掻き回す・切る・喰らふ・こく・越す・壊す・込む・殺す・刺す・手繰る・叩く・倒す・ちぎる・突く・続く・潰す・飛ぶ・放す・他
捕る・投げる・殴る・のめす・撒く・回す・他
「ぶつ」の音便変化以外にも幾つか特徴的な音便変化が挙げられる。
本来は「ない」と表現する。否定の意味合ひと、「有る」の反語としての意味合ひとがある。「ない」の「な」に含まれる「あ」音と、続く「い」音が融合して「ねえ」と変化した。
類似の音便変化として代表的なものを掲げてみよう。
高え・臭え・ウゼエ・怖え(こへえ)・痛え・やべえ・塩つぺえ・有るめえ・早え(はええ)・辛え(かれえ・つれえ)
遅え・目敏え・重え・良え(ええ)・面白え
低い(ひきい)・薄い(うしい)・暑い(あちい)・寒い(さみい)・悪い(わりい)
早くしねえと特急が行つちまふぢやねえか、この盆暗め。
くそ、こんなもんを踏んぢまつたぜ。
種別 | 歴史的仮名遣ひ | 表記 | 基本動詞 |
---|---|---|---|
尊大語 | いたす | 致す | する |
尊大語 | ささぐ | 捧ぐ | 遣す(よこす) |
尊大語 | ぞんず | 存ず | 思ふ・考へる |
尊大語 | たてまつる | 奉る | 遣す(よこす) |
尊大語 | たまはる | 賜る | 食ふ・貰ふ |
尊大語 | たまふ | 給ふ | 用言〜なさる |
尊大語 | つかはす | 遣はす | 送る・遣る(やる) |
尊大語 | つかまつる | 仕る | する |
尊大語 | のる | 宣る | 言ふ・述べる |
尊大語 | まうす | 申す | 言ふ |
尊大語 | まゐる | 参る | 行く・来る |
尊大語 | めす | 召す | 呼ぶ |
尊大語 | をる | 居る | ゐる |
侮蔑語 | くさる | くさる | 用言〜なさる |
侮蔑語 | くたばる | くたばる | 死ぬ |
侮蔑語 | くらふ | 喰らふ | 食ふ・貰ふ |
侮蔑語 | くれる | 呉れる | 送る・遣る(やる) |
侮蔑語 | けつかる | けつかる | ある・ゐる |
侮蔑語 | ぬかす | 吐かす | 言ふ |
侮蔑語 | のたまふ | のたまふ | 言ふ |
侮蔑語 | ぶつ | ぶつ | 打つ・叩く |
侮蔑語 | ほざく | ほざく | 言ふ |
侮蔑語 | やがる | やがる | 用言〜なさる |