
皆さん、この文字を見て何を思ひ浮かべるでせう。「ああ、あの水戸の黄門様のお名前の徳川光圀に使はれてゐるクニの字だ」とか思はれるのが、日本人の大多数の人のご意見でせう。確かに間違へ有りません。JISコードにも第二水準としてもちやんと登録されてゐますし、日本国でもある程度の水準にまで認知された国の字の異体字と云ふ事が出来ます。では、この文字についての歴史的な事実はご存じでせうか?
時は遥か昔の唐の時代へと溯ります。さう、日本の歴史を少しでも噛んでゐれば「ああ、あの遣唐使とか云ふのがあつたなあ」と思ひ出される事でせう。
昔、唐の時代の支那に則天武后(又の名を武則天)と云ふ名の女性の皇帝がゐました。支那四千年の歴史の中でも、女性の皇帝が帝位に即いたのはこの人唯一人です。則天武后は、皇帝に即位してとほぼ同じくして国号を唐から周へと改め、則天文字なる新たな漢字も制定しました。
則天文字は、前出の【圀】以外にも幾つか定められましたが、現在記録が残されてゐる文字としては【圀】を含めても17文字しか有りません。以下に歴史書籍を参考にし、諸橋大漢和から抽出した字体を一覧にしてみました。制定当時は、自然界の物事や年号や公的文書に使用されさうな文字を新字体にする事で、則天武后の影響力の誇示に一役買つたものと思はれますが、現在では、此れ等の文字の殆どは古字(異体字の一種)として区別されてしまつてゐます。
幸か不幸か此れ等の一連の文字は、古銭には全く使用されてゐませんでした。若し此れ等の文字が一部でも古銭に使用されてゐたとすれば、もう少しは認知度も上がつてゐたのかも知れません。
「つはものどもの夢のあと」と云つた処でせうか。
前述に示すやうに則天武后は、皇帝の権威を暈(かさ)に「国字改革」をやらかした訳です。時の皇帝の勅令であるので、国民は従はざるを得ません。公文書を中心に則天文字が書かれた文書が残されてもゐます。
然し、則天武后の栄光も永くは続きませんでした。則天武后が居なくなり、唐の国が滅んで結局則天文字は使はれなくなりました。
法律で「此れ此れこのやうな文字を使ひなさい」と決めれば、国民は其れに従ひます。然し、其の法律が効力を失へば、国民に従ふ義務はなくなります。
伝へたい事がある限り、知りたいと云ふ気持ちがある限り、文章の読み書きと云ふ行為自体は無くなりません。「正しい文字、正しい文法」は必要ですが、「制限漢字」や「一つのかなづかひ」を法律として制定するのは行き過ぎではないでせうか。
【照】の則天文字は、『康煕字典』の目部十三畫に掲載されてゐる。下記に其の解説を引いてみます。
『康煕字典』所載、【〓】の解説より
「字彙」同照○按正字通唐武后自制十九字以〓爲名與照音義同从明非从二目也後譌爲〓略記字始譌爲〓字彙改作〓字彙補又作〓竝非
少々読み辛いのですが、堪へて下さい。『康煕字典』では、「字彙」の解説を引用して則天武后が19の文字を制定したと書いてあります。然し、19文字全てが現在まで伝へられてはゐません。若しかすると、則天武后制定の文字とは気附かずに現在まで伝へられてゐる文字もあるかも知れません。
引用の漢文の後半では、【照】の則天文字にも色々な字体があるよ、と云ふ趣旨の話を幾つか並べ立ててゐます。
此処では、現在認知されてゐる17文字の則天文字について、「今昔文字鏡」や"TRON"(超漢字)で指定されてゐるコード番号を一覧にしたいと思ひます。参考資料としてご活用下さい。
『諸橋大漢和』所載の親字の内、則天文字に何らかの関係があると思しき文字、及び、文字鏡コード067022〜067037の内出自が明かでないものは「疑はしい文字」に並べておきます。
註1) "tron code"の後の括弧は、フォントの典拠です。
註2) 則天文字の書表しについては、『曉に死す』の「非JIS漢字を書き表す」を参照しました。
mojikyo_014186,tron_2-E05E(GT書体)(『康煕字典』)
mojikyo_023746,tron_2-6DF9(GT書体),tron_1-CF3B(JIS補助漢字)(『正字通』)「疑はしい文字」
mojikyo_048944,tron_2-412C(GT書体),tron_9-2E49(大漢和)(『中国の歴史』)
mojikyo_002745,tron_2-463D(GT書体),tron_8-3F3F(大漢和)(『字彙補』)
mojikyo_067034(『難字・異体字典』)「疑はしい文字」
mojikyo_004688,tron_2-5F72(GT書体),tron_8-532D(大漢和),tron_1-B674(JIS補助漢字),tron_6-4760(big5_1面),tron_1-50CD(GB基本漢字)(『集韻』)
mojikyo_002681,tron_2-4553(GT書体),tron_8-3D5D(大漢和)(『字彙補』)
mojikyo_067028(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
mojikyo_004676,tron_2-5F65(GT書体),tron_8-5321(大漢和)(『六書略』)
mojikyo_067026(『中国の歴史』)
mojikyo_067027(『アジア歴史事典』)
mojikyo_072120,tron_2-4C51(GT書体),tron_9-3629(大漢和)(『中国の歴史』)
mojikyo_001352,tron_2-335B(GT書体),tron_8-2F49(大漢和)(『字彙』)
mojikyo_001571,tron_2-3723(GT書体),tron_8-3169(大漢和)(『正字通』)
mojikyo_067024(『中国の歴史』)
mojikyo_067025(『難字・異体字典』)「疑はしい文字」
mojikyo_005115,tron_2-6555(GT書体),tron_8-576A(大漢和)(『六書略』)「疑はしい文字」
mojikyo_021672,tron_2-59E1(GT書体)(『集韻』)
mojikyo_010503,tron_2-AF34(GT書体),tron_8-9246(大漢和)(『中国の歴史』)
mojikyo_004020,tron_2-552F(GT書体),tron_8-4B7D(大漢和)(『集韻』)
mojikyo_003608,tron_2-5047(GT書体),tron_8-4757(大漢和)(『字彙補』)
mojikyo_067033(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
mojikyo_004759,tron_2-605D(GT書体),tron_8-5376(大漢和),tron_1-537B(JIS第二水準)(『正字通』)「疑はしい文字」
mojikyo_001812,tron_2-3A31(GT書体),tron_8-3440(大漢和)(『字彙』)
mojikyo_016258,tron_2-22D3(GT書体),tron_8-D02E(大漢和)(『六書略』)
mojikyo_067030(『中国の歴史』)
mojikyo_025304,tron_2-80F0(GT書体)(『六書略』)
mojikyo_067036(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
mojikyo_005975,tron_2-712B(GT書体),tron_8-607B(大漢和)(『字彙補』)
mojikyo_067031(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
mojikyo_005624,tron_2-6C63(GT書体),tron_8-5D36(大漢和)(『字彙補』)
mojikyo_067022(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
mojikyo_040753,tron_3-6465(GT書体)(『焦竑、略記字始』)
mojikyo_040549,tron_3-6347(GT書体)(『後山叢談』)
mojikyo_040994,tron_3-685B(GT書体)(『六書略』)
mojikyo_067032(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
mojikyo_041174,tron_3-6B30(GT書体)(『字彙補』)
mojikyo_067037(『中国の歴史』)「疑はしい文字」
「疑はしい文字」

註) 中段の資料「則天文字」では、いい加減な例示字体が指定されてゐるので要注意。典拠の表示をお願ひします。
この頁では『今昔文字鏡』の「GIFリンクサービス」を利用してゐます。