ごあいさつ

 

■開設の目的

 日本が世界遺産条約を批准し、法隆寺や白神山地が「第1号」となってから、はや19年。世界遺産という言葉はあっという間に広まり、いまや知らない人はいないほどになりました。しかし日本では、世界遺産の稀少性や「箔」、美しさや壮大さなどに多くの関心が向けられ、実態が語られることは少ないように思います。

 その典型例が、石見銀山のガッカリ名所化。
 石見銀山は、銀の採掘坑、集落、輸送路(銀山街道)、積出し港がセットで残っていること、また、周辺の山林と共存した銀山だったことが高く評価され、2007年に世界遺産に登録されました。きわめて広範囲に展開する文化財なのですが、登録後に急増した観光客のほとんどは、たった一つの坑道と大森の町並みを一瞥するだけだと聞きます。その挙句に「期待してたのに、つまらなかった」との感想を漏らす御仁もいらっしゃるとか…。これこそ無知が生む悲劇! 何も、「銀山街道を踏破してから評価しろ」とはいいませんが、大森の町並みだけでも十分感動できると思うのですがね。あんな山中に江戸時代からの町並みが残っていることは奇跡のように思えるし、あれほどたくさんの寺や神社があることも、なかなかお目にかかれないものではありませんか。なのに「世界遺産は絶対にして崇高なるもの」と信じて疑わない方々は、それでは満足できず、「石見銀山なんて大したことない」と決めつけて帰ってしまうというのです。ああ、何ということでしょう。

 世界遺産は何がしかの「そこにしかない価値」が認められて登録されたものです。石見銀山であれば、銀の採鉱から搬出までの一連の流れであり、それが17〜18世紀に世界で流通した日本銀のかなりの割合を占めていたという史実です。ところが、日本では世界遺産を取り上げる本が掃いて捨てるほどあるのに、それぞれの世界遺産について、「どこが認められて登録されたか」を明記していないものがほとんど。そこで弊サイトでは、ユネスコ世界遺産センターの書類をひも解き、なぜその場所が登録されたのかをまとめることにしました。

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 もう一つの開設の目的。それは、世界遺産に落選した場所を紹介することです。世界遺産至上主義の風潮にあっては、登録されていない場所へのフォローはほとんどなされていません。ですが、世界遺産は制度上、落選もあり得ますし、過去、落選したものが再挑戦して登録された例はいくらでもあります。つまり、世界遺産かそうでないかは、あまり大した問題ではないのです。

 登録された場所に注目が集まるなか、落選する場所があることを広く知ってもらいたいと思ったことが、弊サイトを開設したそもそものきっかけでした。なお、弊サイトではそれら登録されなかった物件を「裏世界遺産」と呼んでいます。「裏」というと劣っているようなイメージがつきまといますが、大きく取りあげられることもない「もう一つの世界遺産リスト」という意味で命名しております。



■お願い

 弊サイトで公開している情報は、ほとんどがユネスコ世界遺産センター(WHC)のウェブサイトで公開されている資料にもとづいたものです。また、弊サイトの記載内容にもとづき発言・発表をするのは自由ですが、それによって生じた不都合について、私は一切責任を負いかねます。なお弊サイトのテキスト・画像などを、第三者に見える場所に転載する場合はご一報ください。

 また、誤記・誤認にお気づきの方は、掲示板もしくはメールにてご一報くださると幸いです。

作成 2000.02.06
改訂 2010.03.06
修正 2010.08.15
修正 2011.06.02
浦に〜と


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