過去ログ 3
2000年 7月〜8月
城の復元についての感想 投稿者:収斂 投稿日: 8月29日(火)23時07分32秒
高橋さんの指摘の通り、私も模擬天主といったものは嫌いです。今治城は、もともと天守閣が無かったのに、今はコンクリート製の模擬天主があります(あの城は堀の石垣が特徴的です。一般の人見落としやすいのですが、石垣の重みを分散させるための工夫がいいです)。しかし、完全に実物通りの復元であれば、再建でも有形文化財に指定しても良いのではないかと思うのです。ただし、そのためには、しっかりとした考証はいうまでもありません。首里城は、完全にというわけではないにせよ、出来る限りのことはやったように思えます。あの赤い外観や、瓦、玉座の装飾にいたるまで、写真をもとに忠実に復元してあります。欠点は、あの城の骨組みである太い材木は日本の木ではなく、たしか台湾か中国の木材だったようです。それは、あれくらい大きな木が日本に無かったからだそうです。ただし入り口の一部に沖縄産の木を使ったと聞きました。また玉座の背面の螺鈿模様は写真がなかったため、推定したそうですが、それくらいなら許されると思います。
現在、日本で本格的に天守閣の復元まで考えている城は、名古屋城と熊本城ぐらいでしょうが、特に名古屋城は解体修理の資料が残っているため、首里城以上に復元は容易なはずです。襖絵も千枚以上が焼失を免れています。広島城、岡山城、和歌山城など、戦災で焼失した城は、ほとんどが昭和初期に解体修理された資料がありますから、これを完全復元できれば、やがては世界遺産に登録してもいい、そのための資格ある、と思います。
これに対し、熊本城が世界遺産になるためには、韓国の景福宮の復元、もしくはスペインのサグラダ・ファミリアの完成くらいの地道な努力が必要になるでしょう。というのも、この城は西南戦争で焼失していますから、内部の梁の構造や意匠は、数少ない外部の全体写真から推定しなくてはいけません。それは名古屋城より厳しいはずです。景福宮もサグラダ・ファミリアも設計図がないからあれだけ苦労しているのです。
私の嫌いな復元に、バブルの頃に滋賀県が提案した安土城の復元話があります。もともと安土城は、天守閣を持つ日本城郭建築の元祖であり、その価値は現時点でも世界遺産級であると思いますが、現在は石垣がわずかに残るだけです。当時の城郭を伝える資料は極めて少なく、あっても城の細部はまったくわかりません。本来こういった城は復元できないのです。それよりも石垣だけでも大事にして、琵琶湖周辺の物件がもし世界遺産に含まれる日がくれば、その一つに加えるべきなのです。
外国で推定復元して世界遺産になったのが水原の城です。あれはあまり好きではないですね。あの楼閣は本来、過去に一度も存在していないものです。というのも、城は建設途中で一度放棄されています。城は朝鮮戦争で一部壊され、戦後、城の修理の時に、楼閣は、当時の設計図をもとに、近年追加されたものです。いくら忠実だとしても過去に一度も存在していなかったわけだから、よくそんなので世界遺産になれたと思います。またカルカッソンヌの城塞の塔の上の円錐形も本来存在していなかったものです。あの城も長いこと放置されたままだったのを、たしか19世紀に大々的に修理されるのですが、その時の建築家が勝手に付けたそうで、後々物議を醸したそうです。
やはり復元は、時間をかけてでも、なるべく正確に、そして地道に続けて欲しいものです。
実物見学の推奨他 投稿者:高橋 投稿日: 8月27日(日)02時45分59秒
ゆうしんさん>
思い立って旅行に出かけてしまううなんてうらやましいですね。学生時代は私も夜中にバイクで出発し、京都、奈良、あるいは東北平泉、遠方では鳥取の三仏寺投入堂や広島の厳島神社などを見に出かけていました。サラリーマンたる今や、海外の仕事で有名な遺跡を目にする特権はあったものの、気軽に旅行する余裕はなくなってしまいました。まあ、会社が倒産しそうなので、ひょっとすると思いっきり暇ができるかも知れませんが。
さて、そんな私の若かりし頃に、役立った書籍をご紹介します。
ひとつはNHKブックス「歴史の町なみ」で、京都、近畿、北海道・東北などの各篇に分かれています。京都は歩いているだけで古い町なみにぶつかる可能性もありますが、それ以外の土地ではなかなか見つけにくいものです。事前に旅行に行く先々の歴史的な町なみを押さえておくことができます。もう一冊は毎日新聞社の「国宝・重要文化財案内」です。各県ごとに建築や美術品の文化財に指定されたものがリストになっています。地図の中にこれらの所在地をプロットしておけば、お宝を見逃すこともないでしょう。
城の復元について>
最近、○○城址公園とかいう名称で復元された城があるといった場合は十分に注意してください。まさか、世界遺産に立候補しようという城ではそんなこともないでしょうが、観光客の誘致に城跡に復元建造物を作ろうじゃないかという地方自治体もけっこうあります。実は数年前に私の勤める会社にもその復元設計の仕事が舞い込んできました。あいにくと私は担当いたしませんでしたが、出来あがったものは城と書院と融合?したものでしたが、某大学の某先生がいいんじゃない、とかこれはおかしいんじゃないなどと判断して設計を固めたようです。ですから、最近復元された城などは本気で感心して見ないほうが良いですよ。
シギシヨアラ>
先週のシギショアラは美しい映像で素晴らしかったと思います。私も在ルーマニア中に一度訪問しましたが、天候のせいもあり、もっと薄汚れた感じがしました。ドイツ系の町であったというのは知りませんでしたが、ルーマニア国内にはドイツ系、ハンガリー系の町は少なくなかったように思います。また、城塞都市として唯一残された・・という表現もありましたが、シギショアラに向かう道中に少なくとも一ヶ所は立派な城砦を持つ町もあったように記憶します。ちなみに時計塔を持つ門を潜ってドラキュラの家?がありますが、ここはレストランを営んでおり、チョルバ・デ・ブルタという豚の内臓煮込みスープが美味でした。
興味深い推薦物件 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月26日(土)23時48分08秒
新推薦物件について調べていくうち、中国の Mount Qincheng and the Dujiangyan Irrigation System China というものが、非常に面白いものであると分かりましたので報告します。とりあえず、暫定的な和訳は「Qincheng山と都江堰(トゥーチアンイェン)の灌漑施設」としておきます。
以前から収斂さんは、琵琶湖地域や出雲地域など、様々な時代・様々な様式の建造物を、周辺の自然環境を合わせて推薦すれば、きっと素晴らしい世界遺産になれると言われてきました。それに対して私は、質の異なるものを寄り集めて、1つの物件として世界遺産に登録されたものは今までに無いので無理ではないか、と言ってきました。
ところが、今回の中国の物件は、正しくそれに当てはまるものです。この物件は複合遺産として推薦されています。該当する登録基準は、自然の2・4、文化の2・4・6です。
自然面では、ジャイアントパンダの生息地であることが挙げられています。この推薦地区は“裏世界遺産”の「パンダ保護区群」に極めて近く、委員会でも臥竜保護区などを追加する提案が出ていました。
そして文化面では、紀元前2世紀から続く灌漑水理システムの発展の様子を示す、古代中国の遺跡となっています。加えて、Qincheng山の寺院群というのが、道教の聖地として推薦されているのです。
全く質が異なる3つの要素を一括しての推薦。こんな事も出来るんですね。しかし推薦内容にいくらかの不備が合った為、中国政府に差し戻されてしまいました。もし今年の11月に行なわれる臨時ビューロー会議までに、そのクレームを改善できていれば、今年中にも世界遺産に登録されます。
実は去年登録された中国の「武夷山」も、稀少生物の住みか+宗・明代の建築遺跡+ウーロン茶の畑 といった具合に様々な要素が一体となって登録されています。
こういった考えは、やはりアジア的なものなのかなと思いました。
今年の推薦物件は77件 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月26日(土)22時19分53秒
昨日ユネスコのHP内で、今年の6月に開催されたビューロー会議の報告書を見つけました。その報告書には、会議で審議された推薦物件も掲載されており、全部で77件ありました。また推薦辞退や調査の遅延が報告された9件も合わせると、計86物件にもなり、この数は過去最高です。その中には当HPで紹介している“裏世界遺産”も結構含まれていました。只今遺産名を一覧に並び替えており、近い内に公開する予定です。(そんなの待ってられない、早く知りたいという方は、直接ユネスコのHPを御参照下さい)
いくつか興味をひかれた物件をここで紹介します。
キューバ南東部のコーヒー農園。昨年のフランス、サン・テミリオンのブドウ畑、キューバの葉巻農園の登録に引き続いて、こういった文化財が登録されることで、ますます文化の多様性が見えてくると思います。
チェコの、オロモウツの聖三位一体柱。この柱(記念塔)は1998年に、同じオロモウツ市街にあるバロック噴水と合わせて推薦され、結局辞退した物件です。しかし、一本の塔だけで登録の推薦がなされるとは、よほどすごい物なんでしょうね。私はこの柱の写真すら見たことがないので想像もつきません。もし登録されれば、ノルウェーの「ウルネスの木造教会」を抜いて小ささナンバーワン世界遺産になりますね。
ブラジルの、Jau国立公園とパンタナール保護区群。両方とも世界遺産空白地帯のブラジル奥地にあります。少しずつ、世界遺産の空白地域というものが無くなりつつあるようで、嬉しい限りです。
しかし一方で、相変わらずヨーロッパの文化遺産の推薦が目立ちます。今回は86物件中、半分近くの38物件がそれでした。
収斂さん>
開城は以前、世界遺産化を目指している物件としてこのBBSにも出ましたね。世界地図を見るとある程度の大きさの街のようですけど、一体どういう遺産なのでしょうかね。私も北朝鮮の文化財は、高句麗古墳以外は全く、名前すら知りません。
情報です 投稿者:収斂 投稿日: 8月26日(土)12時53分06秒
北朝鮮と中国の世界遺産についての世界遺産情報をGETしました。といっても少し前の記事
ですが。(^^;;;
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中国
新疆ウイグル自治区・交河故城が今後5年かけて全面修復。[時事通信]
唐代・安西都護府の最初の所在地。資金7割を中央政府,3割を地元負担。[人民日報]
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北朝鮮
早ければ来年にも高句麗壁画古墳と金剛山と周辺遺跡,妙香山と周辺遺跡,
平壌の歴史遺跡,開城の歴史遺跡,至宝山,クジャン地域洞窟を世界文化・自然遺産
に指定へ。松浦晃一郎・国連教育科学文化機関(ユネスコ)事務総長8/22表明。[中央日報]
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「平壌の高句麗壁画、来年世界遺産に指定」
[北京=連合]国連教育科学文化機構(ユネスコ)の松浦晃一郎事務総長は22日、ユネスコ
が平壌の高句麗壁画を早ければ来年、世界文化および自然遺産として指定すると明らかに
した。 世界文化および自然遺産は、ユネスコ世界遺産委員会が指定するもので、まだこ
れに含まれた北朝鮮文化財はない。
19日から22日まで、北朝鮮を訪問した松浦晃一郎事務総長は同日、中国北京で記者らに北
朝鮮が金剛山と周辺遺跡、妙香山と周辺遺跡、平壌の歴史遺跡、開城の歴史遺跡、至宝山、
クジャン地域洞窟など6カ所を追加してユネスコ世界文化および自然遺産として申請する
計画を立てていると伝えた。 松浦晃一郎事務総長は25日から二日間、韓国を訪問する。
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この裏世界遺産にも入っているトルファンの交河故城が、そろそろ世界遺産化されそうです。
確かにあれはすごいですから、間違いなく登録されるでしょう。
それと北朝鮮の世界遺産についてですが、さすがに情報不足で、なんとも言えません。私も、この国の文化遺産についての本は一冊しかないのです。ただ高句麗古墳は古墳関係の本にはいくつか見たことがあり、非常にすばらしいので、登録は間違いないでしょう。きっと、それが平壌の歴史遺跡に対応しているものと思われます。詳細は以前このBBSで予想した古墳になると思います。ただ金剛山と周辺遺跡、妙香山と周辺遺跡は詳しくは知りません。名山らしいのですが、金日成や金正日をたたえる石碑ばかりが建っているという話を聞いたことがあります。また周辺遺跡の寺や城壁も少しは残っていますが、私の資料の中で、その寺の仏像の写真が全く掲載されてない。社会主義国家にありがちな、宗教否定、偶像崇拝禁止から、破壊されたのではないかと心配です。実際、この遺跡に限らず、復元されたものが多いのは事実のようです。鑑賞のポイントは、百済、新羅の石塔と違い、石塔が八角形のものが多いことです。これは。朝鮮半島北部の寺院に多く見られる高句麗の様式の名残です。ただし、韓国にも、少しですがこういう塔はあります。日本では、別所の安楽寺の八角三重塔が唯一のもので国宝です。また開城の歴史遺跡は、まあ当然かもしれないとは思いましたが、ここは軍事境界線近いので、朝鮮戦争で多少破壊された恐れがあります。写真で見た感じでは、それほど文化財が残っているようには思えません。伝統的民家がいくつかあり、今はそれを利用した宿泊施設が整備されているそうです。また小さいけれども有名な石橋があって、高麗王朝末期の歴史的事件の舞台にもなったそうです。至宝山,クジャン地域洞窟はまったくわかりません。
最後に私の感想を書かせていただければ、高句麗古墳は、多くの文献に紹介され、その素晴らしさが十分納得できるとしても、他の物件については、情報が極めて少ないため、本当に価値がある物件なのかどうか疑わしく思ってしまうのは言い過ぎでしょうか。
再建された物の世界遺産化 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月25日(金)01時09分46秒
収斂さん>
城を木造で復元するというのは結構大変な作業ですよね。なにしろ建物が大きいですから。
名古屋城は天守閣を木造にすれば、なお良いと思います。全国の城、復元後のねらいは世界遺産化なんでしょうか。昔のものが残っていないのに世界遺産に登録するというのは、私は好きではないです。しかしそういう物は 昔の建築様式を伝えるものにはなり得ます。完全に再建されたものの世界遺産化に関しては、感覚的な面でありがたみが無いというか…。
難しいですね。法隆寺のように昔が50%含まれていれば良いのか、ヨーロッパの教会建築のように、古い部分に新しい物を重ねていけば良いのか。完全に復元されたものなら、たとえ建築様式の優れた見本や歴史的重要性を有していても、世界遺産にはなれないというのが普通の考えだと思います。実際世界遺産は真正性にかなりうるさいようですし。でも韓国の水原やポーランドのワルシャワは登録されていますし、この問題よく分からないです。
ゆうしんさん>
私は人に勧められるほど、日本中を見て周っているわけではないです。城は、姫路城と彦根城の2つだけに行ったことがあります。両方ともそれぞれに素晴らしかったです。ただ姫路城は、広い範囲が公園として整備されていたので、感動も薄れてしまいました。また京都では慈照寺(銀閣)が一番良かったと記憶しています。
私にとって高野山は絶対に行きたい所の筆頭です。吉野山と共に、今夏の旅行で行くつもりだったのが、時間がなくて行けませんでした。
現物を見に行ってきます!! 投稿者:ゆうしん 投稿日: 8月24日(木)01時11分49秒
私、ここのHPを見ているうちに、どうしようもなく現物を見に行きたくなりまして、
今度の金土日月と姫路城と彦根城、あと時間があれば京都にいこうと思ってます。
収斂さんや浦に〜とさんお勧めのスポットがあれば教えていただきたいです。
ところで僕の自宅は東京なのですが、姫路までの通り道にある登呂遺跡の話は全く聞かないですね。
日本が誇る唯一の古代遺跡だと思うので、候補の話ぐらいでててもいいのですが。
ところで日本のお城を調べてる中でも僕の一番のお気に入りサイトをいれときます。http://kt.sakura.ne.jp/~ksugi/c-index.html
追加です。 投稿者:収斂 投稿日: 8月23日(水)22時23分24秒
ほかにもこんなのがあります。
大洲城天守復元
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/sogabe/info.html
佐倉城の復元
http://www.sakura-cci.or.jp/hudoki/siro/honmaru1.htm
唐津城の復元
http://www.moc.go.jp/city/plan/41a.html
小峰城の復元
http://www.shirakawa.ne.jp/~snet/kyokai/hukugen.htm
甲府城の復元
http://www.sannichi-ybs.co.jp/YBS/KOFUJO/index.html
駿府城のHP
http://www.shimashin.co.jp/life/meisho/sizuoka/sunpu/sunpu.htm
ほかに白石城や久保田城のHPがあったのですが、今はもうないみたいです。
また和歌山城のHPは、県の行政計画書みたいなものの中にあったのですが、大したことはありませんでした。
城の復元について 投稿者:収斂 投稿日: 8月23日(水)22時12分52秒
日本の城郭建築が現在ほとんど残っていないというのはとても悲しいことですが、近年はその焼失したり壊されたものを完全復元する話が、全国いたるところであります。とくに名古屋城、熊本城、仙台城、岡山城はその動きが活発です。当然、首里城のような世界遺産化をめざしているものと思われます。注目すべきは備中松山城で、少しずつですが、復元が行われています。2年くらい前に、高梁の街に見学に行った時は、2億円かけて門が完成していました。あそこはロープウェイがなく、歩かないと山頂の天守閣に着けないのですが、良かったです。この城の復元が全国の城郭完全復元の先駆けだそうで、最近では掛川城の天守閣の完全復元がなされました。現在、熊本城や名古屋城が必死になって頑張っています。私個人とても期待しております。
その辺のことは以下のHPをどうぞ。
名古屋城のHP
http://www2.neweb.ne.jp/wd/honmaru/
熊本城のHP
http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/fukugen/yosou.html
仙台城のHP(完全復元ではないですが)
http://www.jc-21.co.jp/aobajo/
備中松山城のHP
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/bon/matuyama/matuyama.html
彦根城選定の理由 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月23日(水)18時18分50秒
ゆうしんさん>
賛辞を頂きありがとうございます。今後もできるだけ更新を続けて行きますので、よろしくお願いします。
彦根城が選ばれた理由は、昔の建物が残っているからでしょう。熊本城は有名な宇土櫓や石垣は残っていても、天守が復元で、しかも外見は良いのだが内部はほとんど、昔の姿では無いようです。(実際に行ったことがないので、どこかで聞いた話です)。名古屋城は完全な復元で、材も昔の木ではなくコンクリートですからダメです。
彦根城の他にも当時の姿をいくらかとどめる城はいくらかありますが、彦根城は日本で最も装飾的な天守と言われるほどの城という事で、選出されたのだと思います。私は、松本城や熊本城なども含めて、まとめて一括登録しても良いと考えています。
素人が文化財を訪問しただけでは分からない点は、真正性(オーセンティシティ・本物か再建か)と歴史的な意義です。こればかりは、単に建物を眺めただけでは分かりませんからね。
畿内の古墳群は文化財保護法の適用を受けておらず、世界遺産に申請するための絶対条件をクリアしていません。だから申請も出来ず、当然登録もされないわけです。
日本三景の話は、松島が世界遺産化の運動を行なっているそうです。天橋立は運動が起きているのか聞いたことがないです。
収斂さん>
私は京都では寺しか見たことがありません。以前は伝統的建築物などにはあまり興味を持っていなかったので。今度京都へ行ったときには、まず先に伝建地区を見学したいものです。
ゆうしんさんへ返答します 投稿者:収斂 投稿日: 8月22日(火)02時57分21秒
感想有り難うございます。わたしの仮名は収斂(しゅうれん)といいます。
数値計算が発散したりせず、ちゃんと収束してくれることを願ってつけた名前であります。
(たった今、今度10月に発表する英語の論文をやっと一つ仕上げたところで、
少し気分いいです。 (^0^)/~~~ )
では、一言・・・・
前回のシギショアラ旧市街は、厳密にはドラキュラのモデルのヴラド3世とはそれほど関わりがないのです。ヴラド3世は15世紀のワラキア公国王に若くして即位するのですが、その城がヴラン城といって今はルーマニアの観光名所になっています。番組ではオスマントルコを撃退した英雄なんていってましたが、とんでもない誤解です。あの冷血さは、民衆から恐れられました。実際、酒宴を開くといって金持ちの商人を集めて、皆殺しにしたり、まあ、すごかったのです。領民の半数を処刑したとかなんとかいわれているくらいです(正確な割合は忘れた)。そのためローマ教皇からも疎まれ、味方であったはずの近隣諸国から攻められ、逃亡の途中に死ぬのですが、なぜか、今も彼の遺体がなく、当時の伝説では、その瞬間にいろいろ不吉なことばかりあったそうです。そこに目をつけたのが、なんとかいうドラキュラの作家で、これがほとんど唯一の彼のヒット作です。彼はこの話の構想をヴラン城でしたから、今はドラキュラといえばヴラン城が有名になったわけです。恐いからこのくらいにしときますが・・・(私はこんな話大嫌いなので。)
話題をすっきり変えて、兼六園についてですが、私の説明に少し不備がありました。実は兼六園というよりも、金沢城を復元して、兼六園や、戦災に遭わなかったため金沢市街に多く残る貴重な武家屋敷もひっくるめて登録運動が起こっている、というのが正確な言い方でした。じつは2,3年前は、本当に兼六園だけで運動があったのです。今もあるかどうかは知りませんが、HPもありました。いつから合体したのかは知りませんが、私から見れば、多分それでも無理でしょう。というのは、兼六園は今、松枯れがすごいのです。名前を持つ銘木がバンバン枯死していってます。有名な絡み合った2本の松については、いちおう2世を植林し、若木のうちから絡ませて育て、枯れた時の準備はできているみたいですが、実に嘆かわしい話です。金沢城も現存する建物はほとんどありません。もともと天守閣は江戸時代に焼失しているのですが、前田家の徳政のおかげで、藩は富み、本丸などはとても立派なものでした。現存する門がありますよね。あれはすごいのです。詳しく話すときりがないのでやめときますが、もし行かれましたら、なまこ壁の間の銃丸を良く見てください。
阿蘇山は、もうだいぶ観光化されて、魅力を感じません。ただ、一つだけお勧めなのは阿蘇神社です。すばらしく立派です。由緒もあまりに長い。無理だとは分かっていても、単体で世界遺産にしていくらいです。
日本三景の天橋立はいいですよね。あそこも松枯れが深刻だそうですが、自治体が必死になって守っていますから、とりあえず今のところは大丈夫でしょう。若狭一帯は江戸時代以前から、京都に来る廻船が停泊する港町として大いに栄えたところです。小浜の明通寺の三重塔は傑作中の傑作で国宝です。もし日本に石造りの文化があったら、間違いなく、若狭一帯の街のどれかが世界遺産になるだけの一級の建造物を有していたはずでした。その昔の繁栄はもう過去の物ですが、まだ小浜には遊郭や高級料亭、高級旅篭に使われていた建物が少しだけですが残っていて、そういうものと天橋立を広域的に文化財登録し、世界遺産に推薦できればいいですね。(難しいでしょうが)
浦に〜とさんへ>
京都の伝建地区の追加指定の話ですが、私は多分無理じゃないかという気がします。もっとも、完全復元すれば話しは別ですが。私は大阪にいた頃、京都の歴史巡りに数十回行きましたが、町並みはひどいです。私はなるべく歩くようにして観て回ったからわかるのです。京都市としても、きっと浦に〜とさんと同じようなことを願っているでしょうが、実際はまだまだです。私としては。あのJR京都駅も気に入らないのです。高さ制限なんてどうでもいいと思っている人が多いでしょうが、東山や善峰寺から眺めると、いらいらするくらい邪魔です。相変わらず、日本は都市設計が下手ですよね。
素人な意見 投稿者:ゆうしん 投稿日: 8月22日(火)00時23分53秒
浦に〜とさんも収険さん(字が解らなかったので、とりあえずこれで勘弁して下さい。次回、読み方を教えて下さい)も詳しい説明ありがとうございます。
そういえば、昨日、テレビで放送したドラキュラの町が選ばれてるように、京都の町並みも選ばれるといいですね。
さて、彦根城が危ないという意見がありましたが、
私には熊本城や名古屋城ではなく、彦根城が選ばれたということが不思議です。
やはり、管轄の問題とか、素人には解らない、美術上の問題があるのでしょうね。
ただ富士山は日本人としてやっぱり選んでほしい!!
やっぱり専門家の評価も大切ですが、一般の人の気持ちもくんで欲しいですね!!
意外だったのですが兼六園は江戸時代からの原型を留めていると思ってましたが、
再建などしているのですね。確かに庭園だけでは認められないのかも知れませんね。
畿内の古墳群は確かに選べらてないのが不思議ですね。
やっぱり、管轄の問題がネックになっているのでしょうね。
あと私が世界遺産に推したいのが阿蘇山もいい思うのです。富士山に次ぐ日本で二番目に美しい山だと思うんですが・・・・
もう一つ不思議なのが日本三景の厳島以外(松島と天橋立)が暫定リストにのってませんね。
地元でそういう動きがあってもいいのにあまり聞きませんね。
収険さんの言うとおりこのHPは素晴らしいです。
このHPこそ世界遺産に登録して欲しいですね
今後登録を期待される物件 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月20日(日)10時28分14秒
ゆうしんさん>
ごめんなさい、名前間違えてしまいましたm(_ _)m まったく、大ボケで失礼しました。
質問の答えですが、大方収斂さんが答えて下さったので、私は補足的に、また個人的な意見を述べます。
1番目と2番目は私もよく分からない問題です。多分、世界遺産に推薦する為の制約上の不備の調整などが係わっているのだと思います。
3番目の、暫定リストに残っている3物件は登録されるか、について。
私は琉球遺跡と鎌倉はなれると思います。しかし彦根城はなれないと思っています。理由は、日本式の城郭建築として既に姫路城が登録されているからです。裏世界遺産を色々と調べていくと「同様の文化財はすでに世界遺産に登録されている」との理由で登録却下になった物件をしばしば見つけます。だから彦根城も、国内においては独特の装飾美が言われていますが、視野を全世界に移してみると 日本の城として何個も登録する必要は無い、となってしまうと思います。
4番目の今後登録される見込みのある物件について。
各地域で名乗りを挙げている物件は30以上あります。そして私の目で見て、登録されそうだと思う物件もいくつか、10件ほどあります。確実に、80%以上の確率でなれるものはと言うと、小笠原諸島、知床半島、富士山、畿内の古墳群(仁徳陵、応神陵など)の4つだけです。
この中で知床は、北海道独特の生命進化を示し、多様な生物種を含む地として登録出来ると考えています。しかし該当する登録基準が、白神山地と同じく自然の2番目だけになってしまう気もします。もしそうなら登録も困難になるようですが、どうでしょう。収斂さん> 基準の合わせ方如何で登録し易い/しにくい ということってやはりあるんですか?
畿内の古墳群は申請すればなれます。古代日本人の大偉業であり、世界的に見ても優れた文化財です。しかし申請しないことには登録できませんから、これらの古墳は永久に世界遺産にならないでしょう。
また登録の期待が大きい高野山は、比叡山が登録されていることから 私は登録困難と思っています。でも前世界遺産センター長・ドロステ氏のベタ褒め言葉が気にかかります。
登録のボーダーラインが下がれば(特に自然遺産)、もっと数は増えるでしょう。
収斂さん>
私は京都の追加指定物件に、やはり古い街並みを加えたいと思っております。繰り返しになりますが、日本の世俗建築は合掌造りしか世界遺産になっていません。しかも合掌造りは日本民間建築の典型ではありません。京都市には伝建地区が4箇所ほどあるので、保存の良いものを追加するという動きはないのでしょうか。世界文化遺産に権力の象徴が多いことはやはり気になる問題です。
ゆうしんさんへ 投稿者:収斂 投稿日: 8月20日(日)04時47分23秒
はじめまして、収斂です。
最近いろいろな方がここに来てくれてうれしく思います。友人なんかに、ここのサイトを教えてくれたらもっとうれしいです。ここは並みの世界遺産サイトではないと自負しております。私の知る限り日本で最高の世界遺産関連のHPだと思っております。
お尋ねの件を少し解説させていただきます。じつは質問④番の話題は、もうこのHPのこのBBS上でやり尽くした感がある話題なのですが、だいたい全国に30個くらいあるのです。一つ一つやっていたらきりがないので、お尋ねの3つの物件の金沢の兼六園、中尊寺金色堂、大宰府天満宮についてのみお答えします。この中で世界遺産に名乗りをあげているものは、私の知っている限りでは金沢の兼六園だけです。中尊寺金色堂、大宰府天満宮は世界遺産に名乗りをあげていませんが、今後自治体で運動が起きるかもしれません。しかしいろいろ総合的に考えて、多分全て見込みは少ないでしょう。この3つは当時の遺構がそっくりそのまま残っていたら、どれもすばらしい世界遺産だったことでしょう。しかし現在当時の建物はほとんどありません。いかに木造建築は保存が難しいかを感じます。
①番の質問もここのBBSで時々話題に上がりました。ご指摘の通り、京都の文化財は指定物件が少なすぎるのは事実です。登録されたものは、誰が見ても純粋に超一級、もしくは再建でも金閣のような知名度がすごいものだけです。ではなぜ東本願寺や平安神宮・大原三千院・桂離宮が洩れたかというと、東本願寺も平安神宮も現在の建物は比較的新しいため、大原三千院、というより大原にある建造物群は国宝などが少ないため、とくに国宝建築が無いため、桂離宮は候補に挙がったが、宮内庁管轄のため登録が見送られたため、等の理由があります。
京都の追加指定の動きはもう4年くらい前から盛んに言われています。主な物の筆頭が南禅寺で、ほかに大徳寺、妙心寺、東福寺、桂離宮、修学院離宮、京都御苑が挙がっています。また送り火で有名な東山や、北山杉の森なども文化的景観として追加登録の動きがあります。また個人的には、ほかに神護寺、化念仏寺、大原三千院一帯、北野天満宮、鞍馬寺、善峰寺、広隆寺なども追加指定されてよいと思っています。今後の成り行きを注視していきましょう。
②番の質問は、やはりすべてを申請するのは時間がかかるということです。
③番の質問は私には答えられません。が、多分大丈夫でしょう。彦根城は少し心配ですが、私は楽観視しています。仮に彦根城単体が推薦に失敗しても、琵琶湖周辺の歴史的建造物として登録するか、琵琶湖の複合遺産として推薦すれば登録できると思っています。この広域指定の意見は、私と浦に〜と管理人とで少し意見が違い、時々議論になりますが、世界ではそういうやりかたで世界遺産の個数を増やしている国々がありますから、私は許されると思っています。(例、出雲地域の文化財)
もし、今後指定されそうな物件について知りたければ、ときどきこのBBSを覗くことをお勧めします。ここでは日本に限らず、世界中の物件を対象に情報交換をしております。また最近名乗りを上げた物件についての情報があれば、お知らせいただくとうれしく思います。
もっと知りたい 投稿者:ゆうしん 投稿日: 8月18日(金)22時16分49秒
浦に〜とさんの丁寧な解答、ありがとうございます。
さて、世界遺産のことを調べる程、色々と疑問が浮かんできてしまいました。
そこで、それらの疑問をまとめて・・・
①京都の文化財でも東本願寺や平安神宮・大原三千院・桂離宮などが選ばれていない。
特に西本願寺が選ばれたことにたいして、東本願寺は何も思わなかったろうか?
②何故に同時期にリストに載っている物件でも推薦時期が違うのか?
それから、これは疑問というより質問なのですが
③今はまだ暫定リストにのっている段階の三つの候補は果して世界遺産に登録されるのか、
それとも、日本初の‘裏世界遺産‘になってしまうのか。
④これから新しく登録されそうな日本の候補はあるのか?
僕としては金沢の兼六園、中尊寺金色堂、大宰府天満宮などが選ばれたらうれしいです。
Re:日本の候補 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月18日(金)13時58分24秒
ゆうしゅんさん>
「リストにあがっている日本の候補」について、答を先に言ってしまえば、首里城も鎌倉も、彦根城も入っています。ゆうしゅんさんが仰る「リスト」とは多分、世界遺産暫定リストのことだと思います。暫定リストというのは、ユネスコが条約批准国に提出を求めているもので、今後5〜10年以内に世界遺産に申請したい物件の一覧表です。
当初日本が提出した暫定リストに載っていた「法隆寺」や「京都」や「日光」は順次世界遺産に指定されています。そして現在、暫定リストには3物件が残されていて、それが「古都鎌倉の社寺」「琉球王国の城と領土」「彦根城」の3件であるわけです。この中で琉球王国の城と領土は、現在「琉球王国のグスク及び関連遺産群(Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu)」の名前で世界遺産への登録を申請中であり、今年の11月から12月にかけて開催される世界遺産委員会で、最終的に登録可否の審議が行なわれます。この「琉球王国の…」には首里城をはじめ、全部で9つの文化財(史跡や記念建造物)が選定されています。
彦根城が選ばれた理由は、よく保存された日本式城郭建造物であり、独特の装飾がほどこされている為だと思います。
日本の候補 投稿者:ゆうしん 投稿日: 8月17日(木)12時16分20秒
現在の日本でリストにあがっている候補はどれぐらいあるのでしょうか?
何かで読んだのですけど、沖縄の首里城が確実に選ばれるとか、
また、鎌倉の社寺と彦根城もリストに入っているとか。
もし彦根城が選ばれたならなぜなのか?
知っている方がいたら教えて下さい。
自然遺産が少ないことについての考え 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月16日(水)11時24分26秒
収斂さん>
ラス・メドゥラスとキロキティアは共に『世界遺産年報』に詳細が書かれていますよね。それを見る限りでは、結構重要そうだと感じられますが。でも写真が共に1枚だけで、よく分かりません。
オークニー諸島の新石器遺跡は4箇所が指定されています。その中のスカラ・ブラエ遺跡が多分特に重要で、新石器時代の集落が出てきたものです。地面に方形の穴を掘り、石を積んで壁としている家が数軒と、石の家具、器具や食物などの遺物が出土しています。隔絶された地の新石器遺跡としての登録ですし、それほど断片的過ぎるものではないと私は思います。
自然遺産の登録数が少ないことに関して。
世界遺産条約は欧米が作ったものですから、アフリカやアジア・太平洋地域には合わないのかも知れません。文化的景観という概念も条約が誕生して20年経てから加えられましたし。
自然遺産の登録数の少ない原因として、一つには自然遺産はある程度の面積を持っているからではないでしょうか。自然遺産は単体あるいは数個の自然創生物だけでは登録できませんから、このことを文化遺産に重ねると、例えば日本の「法隆寺」「古都京都の文化財」「古都奈良の文化財」をまとめて「畿内の文化財」とするのと同じようなものだと思います。
また面積があるだけに、その範囲内には実に多様な自然景観や自然現象を含み、各時代の創生物を含みます。文化遺産では時代が違ったり、種類が違ったりすると近くにあっても別件登録しますが、自然遺産ではそういうことが起こらないわけです。これを例えるなら、イタリアの「ナポリ歴史地区」「アマルフィ海岸」「ポンペイ遺跡」「カセルタの王宮」は非常に接近しあってますから、これらをまとめて1件とするようなものだと思います。文化遺産は個々の文化財毎に登録していくから数も増えるわけです。変な考え方かもしれませんが、私はそう思っております。
更に言えば、様々なタイプの珊瑚礁・景観・海洋生態系を含む「グレート・バリア・リーフ」が、日本よりも広い面積で1物件として登録されているように、メキシコやグアテマラ、ホンジュラスのマヤ遺跡を全部一つの物件と見なして、「メソアメリカのマヤ遺跡群」としても良いんじゃないか、なんてことにもなってしまいます。(まあこれは極端過ぎますが)
自然遺産は登録数が少ないだけでなく、各国から推薦される時点で既に文化遺産よりも少ないです。この原因として2つあると思います。1つは今の制度が厳しいという点です。推薦しにくい、したくても基準を満たしていないから出来ない、となってしまっているのかもしれません。文化遺産と自然遺産との比率はおよそ4:1ですが、裏世界遺産ではおよそ2:1です。つまり自然遺産の方が落選率が倍もあるのです。ここに、査定の困難さ、基準の厳しさが現われていると言っていいと思います。
2つ目は登録されるべき自然を有していながらも、保有国が推薦をしたがらない、またはしたくても出来ない点です。推薦をしたがらないと言うのは、世界遺産に登録されてその土地を有効利用出来なくなることを避ける為です。推薦したくても出来ない、というのは、金銭的または技術的理由などによって、遺産を保全して行く力の無い国の事です。そういった国々は、アフリカ、アジア、中南米などに多く、それは豊かな自然が残された地域でもあります。
結論として、自然遺産は面積がある故に必然的に数が少なくなる。また査定の難しさや登録基準の厳しさなどから推薦数も少ない上に落選率が高い。そして今の制度では経済的に貧しい国の遺産の保全など、まだまだ穴が沢山あるということです。
教えてください(収斂) 投稿者:収斂 投稿日: 8月14日(月)21時00分08秒
確かに条約初期のものではわずかな断片や痕跡だけで登録されている物件はありますが、最近の物件でも、現存するものがわずかしかなかったり、もしくは断片や痕跡くらいしか残っていないようなものでも登録された例が少しはあります。例えば1997年登録のスペインのラス・メデゥラス、1998年登録のキプロスのキロキティア遺跡、1999年登録のイギリスのオークニー諸島の新石器時代遺跡なんかは、どう見ても断片や痕跡くらいしか残っていないように思えます。また今年慶州の文化財の一つとして登録される可能性が高い韓国の皇龍(ファンリョン)寺跡も今は礎石だけです。またこのHPの裏世界遺産にあるガンビアのストーンサークルだって、写真で見る限り、等身大の岩がかたまってあるだけです。
これらの物件の実際はどうなのでしょうか。だれか教えてください。
また富士山の自然遺産登録問題から考えたのですが、世界遺産に自然遺産が少なすぎませんか?本来、文化遺産よりも優先的に指定し、保護していかなくてはいけないように思うのですが。私は今まで文化遺産に欧州の物件が多いことに全然疑問に感じませんでしたが、ひょっとしたら、登録基準が、文化遺産に甘く、自然遺産に厳しいのではないでしょうか。そうでなければアフリカ地域には、欧州の文化遺産並みに自然遺産がもっと多く存在していいはずです。南米や東南アジアも同様です。欧州に自然遺産が少ないというのは当然としても、その基準が世界の他の地域の自然遺産の重要性の尺度になっているのではないでしょうか。世界的にみてそれほど重要でないから登録を却下されるというのは、自然遺産については間違っているのではないでしょうか。地球規模の環境汚染が世界中で深刻化している昨今、自然遺産の世界遺産化をもっと増やすべきではないかと思うようになりました。
寝覚ノ床・飛鳥 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月14日(月)17時50分09秒
古畑浩さん>
寝覚ノ床がダメだとしても、中山道宿場町はどうでしょうか。
今回、木曾の馬籠・妻籠・奈良井にも行って来ましたけど、これらの伝統建造物は世界遺産になれる可能性があると思います。(絶対になれるという保証は出来ませんが)。保存もされているし、日本の世俗建築の典型例はまだ登録されていませんから。世界遺産にするためには これらの宿場町だけでなく、旧中仙道という道を中心とした広域を推薦しないといけないかも、という感じもします。あと屋根の問題ですね。あれは本当に勿体無いです。
木曽路の宿場町、地元では世界遺産化の気運は全くないのですか?
収斂さん>
飛鳥は私が思っているよりも遥かにすごい遺跡のようですね。
世界遺産の登録に関して言えば、確かにわずかな断片や痕跡だけで登録されている物件はあります。しかしそれらの多くは条約初期のもので、止むを得なかったと捉えることもできます。それに世界遺産では似たもの・同じものを登録することを拒む性質がありますから、飛鳥がこれまでに登録されたどの物件とも異なる遺産であることを示さなくてはなりません。またその性質が、顕著で普遍的な重要性を有している必要もあります。
日本における最初で最後の石造都市、そして日本で最初の仏教遺跡、こういった特色が世界規模で認められるかどうかということですね。私は平城京が登録されていることから、日本の古都はもういらないと言われる可能性を どうしても捨てきれません。私の感覚では、登録の可能性は50%くらいでしょうか。
的外れな発言かも知れませんが、これが私の考えです。もともと私は彦根城は登録されないだろうと考えるなど、マイナス思考気味ですので。お気にさわりましたらお詫び申し上げます。
そういった意味では辻村氏もマイナス思考でいらっしゃるようですね、富士山や知床が無理と言うあたり。ま、人それぞれってことでしょう。
辻村氏発言について 投稿者:収斂 投稿日: 8月13日(日)12時52分46秒
私が辻村氏の発言で解せないのは、「毎日新聞のコマーシャルでゴミ問題を言っているが、あれは嘘」という点です。そもそもTBSと毎日新聞は同じ系列のはず。富士山のゴミ問題についての毎日新聞の報道姿勢がコマーシャルであり嘘というならば、なぜ彼は毎日新聞の主張で誤りと感じる点を直接新聞社に意見し、その真偽を確かめ、訂正させないのだろうか。本来そのためにマスコミは存在しているのではないのか。彼はTBSのプロデューサーである以前に、マスコミ人としての資質に欠けているのではないか。そして、仮にも毎日新聞のキャンペーンに誤りがあったとしても、現在の氏の行動は、嘘を嘘と知りつつも黙認する態度であり許せない。
私は毎日新聞が数ヶ月前からこのキャンペーンをやっていたのは知っていた。そして、今でもその主張が間違っているとは思わない。私のとっては辻村氏の発言の方がうさん臭いわけであります。
見事な円錐形の山 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月13日(日)01時47分54秒
収斂さん>
辻村氏は熊野路が世界遺産になれるかどうかまでは言及していませんでした。単に名前を挙げただけです。
それにゴミ問題は嘘というのは、やはり信じがたいですか。会場でも苦笑が起こってました。
コニーデは火山の約6割を占める、最も普通の形です。そして富士山のように見事な円錐形をした山も、ある事にはあるのです。私が知る限りでは、マヨール山、名前は分かりませんがカムチャツカ半島の見事な円錐形火山、アンティグア・グァテマラの背景としてよく登場する山、トンガリロ国立公園のナウルホエ山があります。しかしどれも山体そのものの高さでは富士山にとてもかないません。前にも書きましたが、富士山は美しさだけでなく高さがすごいのです。ところでトンガリロ国立公園は自然遺産だけでなく文化の6にも登録されていて、世界遺産として見ると富士山と非常に似ている気がします。
飛鳥に関しては次回書きます。
収斂です 投稿者:収斂 投稿日: 8月13日(日)00時11分00秒
下のお話を聞いて驚きました。(そろそろ帰ろうとして最後のメールチェックをしてたところです)
この辻村氏の話をそのまま信じていいのですかね。本当かな?? なんかうさん臭いぞ!!!!
日本ユネスコ協会の人が言うならともかく、所詮TBSのディレクターごときの話ではないか。
富士山のような山はたくさんあるのはわかるとしても、あんな美しい山がそんなにたくさんあるだろうか?それなら、具体的にその山の名前を知りたいものだ!!! 辻村氏は富士山くらい美しい山をいったい、いくつ知っているつもりなのだろう。
また熊野古道(巡礼地)についてだが、あんな巡礼地は、たまたま今のところサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路しかないだけで、世界中にはたくさんある。私は熊野古道の方が可能性が低いように思えるのだが。
あまりにびっくりして、今は何も書けません。
富士山続報・知床・山原 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月13日(日)00時01分16秒
本日TBS『世界遺産』のディレクターズトークを聴きに行きました。その中で、プロデューサーの辻村氏が日本の自然遺産に関する興味深い見解を述べていたので、ここに書いてみます。
一通りのプログラムが済んだ後で質問コーナーに移り、その中で「どうして富士山は世界遺産になれないのですか?」という質問が出ました。それに対し辻村氏はこのように回答されていました(テープに取った訳では無いので、おおよその内容です)。
<<今、毎日新聞のコマーシャルでゴミ問題を言っているが、あれは嘘。富士山はコニーデ(成層火山)であるが、コニーデというタイプの山は世界中にありきたりで、あのように美しい形の山はいくらでもある。単にきれいというだけでは世界遺産になれない。そこで、富士山の青樹ヶ原樹海に注目してみても、そこは世界的に見て価値があるとは言いがたい。逆に富士山は文化的な価値を持っており、1000年にわたって日本文化の一つの大きな柱であった。富士山は山梨県と静岡県が共同で世界遺産化を目指しているが、自然遺産として運動しては、世界遺産にはなれないだろう。
また日本には自然遺産は白神山地と屋久島の二箇所しか登録されていないので、環境庁はもっと数を増やそうとしている。たとえば、知床や山原(やんばる)など。しかしそれらも、世界的に重要なのかというとそうでもない。面白いと思うのが熊野路。今の所世界遺産に登録されている道は1例しかなく、それはスペインとフランスのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路である。それと同じように、長年熊野詣の人で賑わった熊野路も興味深い文化財だと思う。>>
ゴミ問題が世界遺産化の妨げになっているのでは無かったのですね。それに、富士山に顕著で普遍的な価値が無いとは。私は富士山は世界遺産になれると思います。でも、自然遺産面で果たして認められるのかな、と思うところもあります。それは辻村氏の仰ることそのままです。
富士山は文化遺産の登録基準では、間違い無く6番に合致します。しかし普通文化6だけでは世界遺産に登録できないので、他の基準にも照らし合わせる必要があります。もし富士山が、単なる典型的コニーデというのではなく、特異なほどに高く成長した火山の例証となるのなら、自然の1番にも合致するでしょう。(しかし今日の辻村氏の話を聞いては、自然の1番にとても当てはまりそうもないです)。
もし富士山に美的価値が認められれば、自然の3番に合致するでしょう。しかし自然の3番に合致するのは、本当に驚嘆すべき自然の造形物であって、ありきたりな姿であるコニーデというのでは当てはまらない気もします。キリマンジャロ山(タンザニア)や サガルマータ山(エヴェレスト山・ネパール)が自然の3番だけで登録されているのを見ると、富士山もいけるのではないか、という気もするのですが… しかしこれも素人の浅はかな考えでしかないのかも知れません。
気になるのは、辻村氏が富士山は日本文化においてとても重要な存在であることを示していたにも係わらず、文化面から推せば世界遺産になれるとは一言も言っていなかったことです。やはり富士山の世界遺産化は無理なのでしょうか。
他に辻村氏が挙げた知床と山原について、個人的見解を述べさせて頂きます。
私は知床は世界遺産になれると思います。知床には北海道の野生生物のほとんど全てが棲息していますし、そもそも北海道には本州やシベリアに生息する動物の亜種が多く、進行しつつある生物学的過程の一例として認められると思います。それだけでなく、ここに棲息する生物種があまりにも多いのです。更に日本最後の原始林と言われるほど保存状態が良いです。良好に保存された東アジア亜寒帯の針広混合林の顕著な例として、世界遺産に登録されないでしょうか。
一方、山原の登録は難しいと思います。根拠は、開発による被害があまりにもひどい為です。固有種も見つかっていますが、自然遺産の登録に際して重視される「完全性」を欠如すると思います。同じ理由で、私は 西表島さえ登録は難しいと思っています。
明日香村についての所感 (続き) 投稿者:収斂 投稿日: 8月12日(土)20時34分53秒
次に明日香村の古墳についてです。古墳は3世紀中頃の箸墓古墳を原点にしていいと思います。最近周辺の陪塚から、3世紀初め頃の古墳が見つかって話題になっていますが、確立されたのは3世紀中頃でしょう。それからいろいろ変遷をとげ7世紀後半に古墳は仏教にとって代わります。この古墳時代の末期、終末期に、あまり多くはないが、八角墳や上円下方墳といった、天皇級の人のみに許された形の古墳が登場します。こういった古墳は飛鳥地方にしかないのが特徴です。そして8世紀初めに高松塚古墳やキトラ古墳ができるのですが、このとき日本では古墳時代はもう終わっています。これは日本人の墓ではない可能性が高いのです。これは渡来人の墓である可能性があるのです。もし日本人の墓なら、相当身分が高い人物、例えば、天皇の一族であるか、豪族の墓でしょう。しかし造ったのは間違いなく渡来人です。しかも記録によれば、今の明日香村一帯は、白村江で敗れた百済の亡命貴族が暮らしたというのです。当然、新羅から逃れた高句麗の人達も多くいたはずです。キトラ古墳の宿星図から割り出した緯度が、平壌の緯度と同じであったことは偶然とは思えません。今後壁画古墳が見つかるとしたら、渡来人が住んだ場所から出るでしょうが、そうすると明日香周辺から出る可能性が一番高い(その次が近つ飛鳥か)。7世紀後半の明日香村は、緊迫した国際情勢の中で生まれた外国人居留地だったのです。これは世界遺産の6番がきてもおかしくない。
最後が仏教伝来当時の遺跡があることです。ただし現在は礎石や、跡くらいしか残っていません。ですが、基壇の跡からはおびただしい宝石が多く出土しています。とくに伽藍形式がまだ統一されてなかったため、豪族ごとに勝手に造った。だから塔が3つあったり(上淀廃寺のような)、100メートルを越える9層の塔を建てたり、松のような桧以外の建築材料で造ったりと、まあ、いろいろ試行錯誤がありました。こういった発掘は割と最近で、それまで伝承でのみ語られていた巨大な仏塔が、作り話ではなく実際に存在していたことを裏付ける発見がなされたのもこの飛鳥地域です。明日香村、飛鳥地方は、その後の日本の仏教建築の先駆的作品が密集している、考古学的にあまりに貴重な地域です。現存するものが無いのは残念ですが、寺院の礎石や跡を見るだけでも十分価値があります。あえて世界遺産の基準を選べば2番が来ます。ただ現存するものが無いため、この評価基準は該当しないかもしれせんが、でもそれくらいの価値があるのです。
現在飛鳥周辺は、都市化が進んでいます。30年から40年くらい前の航空写真では、飛鳥一帯は一面の田園風景があり、とても美しいのですが、このままでは、貴重な遺跡が半永久的にわからなくなりそうで残念です。あの一帯は正真正銘の特別地域です。開発を止めるためのあらゆる方策を考えるべきところです。もし世界遺産に登録され、人々の関心が遺跡保護に動いてくれるのであれば、是非登録に向けて運動していくべきではないでしょうか。ちなみに世界には、この現存するものがこの程度しかなくても世界遺産に登録された場所が無いわけではない。明日香村、というより飛鳥地域を広域的に登録できないでしょうか。
明日香村についての所感 投稿者:収斂 投稿日: 8月12日(土)20時33分36秒
明日香村は、というより飛鳥地方がいかに重要な地域かは、私があえて申し上げるまでもないでしょう。ここでは、よく言われている邪馬台国の所在地が、やはり関西地方であったかどうかについては言及しませんが、少なくとも大和政権が生まれたのは飛鳥地方であるため、私は、歴史学的にここが日本で最初に統一国家が形成され、最初に都が置かれた地域として考えていいと思います。
明日香村は、その飛鳥地方の代表であり、世界遺産になるだけの資格があると思います。こうした中で、有名な文化財の種類を、次の特徴的な3つに大別できると考えます。
1つ目は石舞台古墳や猿石、最近話題になった酒船石と、その延長軸上に埋もれていた亀の形の構造物と石を敷き詰めた宗教施設と思われる空間、といった巨石構造物です。
2つ目は、古墳時代終末期の古墳や、高松塚古墳、キトラ古墳のような壁画古墳のような大陸風の古墳が見られるということです。
3つ目は日本に仏教が渡来し、最初に寺院が建設された場所であることです。
まず1つ目の巨石建造物ですが、これは斎明天皇の土木工事であることははっきりしています。そしてその跡が今もはっきり残っています。明日香村を地下に1メートル掘れば、村全体に石が敷き詰められています。このことから明日香村が、かっては石を敷き詰めた、舗装された道を完備した都市であったことが判明しました。こういった都市は、朝鮮半島や中国の都市に似たのがあることから、それを意識したことは確実でしょう。そしてこういった都市は、日本ではこの明日香村以外にはありません。日本に石造文化が生まれなかったのは、木材が豊富にあったこと、乱伐をしなかったことなどが言われていますが、ほかに、日本から出る石の多くが硬すぎて、加工するのが難しかった点もあります。ですから明日香村の土木工事は想像以上に困難だったはずで、日本書紀にも酷評されています。際立った特徴を持つ古代都市として、世界遺産基準の3番がくると思います。
続く
やはりだめか、寝覚ノ床 投稿者:古畑浩 投稿日: 8月11日(金)15時55分11秒
木曽へ訪れていただいたとのこと。涼しい朝晩を堪能できましたか。
さて、やはり規模が小さい、と小生のアンケートでも指摘されたことがあり、登録可能性は絶たれたかというのが第一の感想です。
しかし、アメリカシステムとしての国連には、UNDPという途上国開発の機関があります。小生は、日本の中山間地域活性化は途上国開発まで視野を拡大して振興策を提示したいと考えております。アメリカがそこまで日本の将来を考えてくださるとは現状では考えにくいですが。中山間地域はそこまでしないと維持できないというのが一住民としての考えです。したがって、制度としての世界遺産に登録されるのはひとつの手段として考えた次第です。
富士山 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月11日(金)00時39分55秒
収斂さん>
飛鳥の登録の可能性について、私は既に奈良が登録されていることから、登録が拒否されそうな気がするのです。奈良でさえ その登録に際して否定的な意見が出たくらいですから。
伊勢神宮は世界遺産になれますかねぇ。私も以前は可能性があると思っていましたが、真正性の問題から、やはり拒否されそうな気がします。それでもヨーロッパ諸国を見てみると、様々な様式の教会・修道院建築を、単体の建造物として次々に登録していますから、日本も色々な神社・寺院建築をもっと申請するべきかも知れませんね。しかし、あまりにも新規に登録することばかりに気を取られてはいけない、という意見もあるようですが、収斂さんはどう思われますか。
ちなみに私は、文化遺産よりも自然遺産の推薦の準備を進めるべきだと思っています。自然遺産が2件だけとは、バランスが悪いです。(バランスの問題だけで云々言ってもいけないかも知れませんが)。知床や小笠原は今すぐにでも申請書を作って提出すれば、近い内に登録できると思います。
Mさん>
富士山の登録されない理由は、収斂さんの言う通りで間違いないでしょう。観光客の多さやゴミ・トイレ問題は散々言われていますから、それが改善された時となるでしょう。
そして富士山はやはり複合遺産となるでしょうね。富士山は成層火山の典型と言えますが、特異な例と言ってもいいかも知れません。それは、富士山は成層火山としてあまりにも高いからです。これほど見事な円錐形をしていて、しかも標高3000m以上もある火山は世界で他に無いとも言われるほどです。更に富士山はほぼ海抜0m地点から一気に聳え立っており、山体そのものの高さを見ても世界的に見てかなり高い部類に含まれます。
高橋さん>
文教大学のHPは興味深いですね。ユネスコがそこまでして、負の遺産の登録を拒否しているとは思っていませんでした。
しかし、原爆ドームで負の遺産の登録を最後にしよう、という考えは好きではありません。第一、負の遺産というカテゴリー自体あやふやな物だと思います。南米のポトシやカルタヘナは負の遺産の例としてよく取り上げられますが、正の面も持っているわけですし。なお原爆ドームは、アメリカ合衆国と中国を除いた、いわば第三者である18の委員国全てに認められて世界遺産になりました。ですから私は、反対意見も多かったが世界遺産となって当然だったのだな、と思っています。
明日香村について 投稿者:収斂 投稿日: 8月10日(木)03時06分25秒
日本の文化遺産登録予定物件で見込みがあるのは、残りがだいぶ少なくなってしまいました。鎌倉は間違いないでしょうが、それ以外では高野山や出雲大社、吉野山、伊勢神宮くらいではないかと思っています。また北部九州の装飾古墳群の一括登録も成功するかもしれしれません。ただ私は、ほかに明日香村も加えたいのです。何でもなくそう考えているのではありません。それなりに理由があります。これは浦に〜とさんの意見とは少し違うのですが、やはり、日本の古代文明の足跡を語る上で、飛鳥地方はどうしてもはずせません。素人が一見すると、飛鳥地方の文化財と他の地域の文化財と際立った独自性、特徴的な差異はわかりにくいのですが、しかし飛鳥は調べれば調べるほどすごいところです。近々、こういう点が評価されると明日香村は登録できるだろうという点についてここに書きます。(いつでも書けるのですが、時間が無いのですみません)。その時は意見を求めます。
高橋さんへ 投稿者:収斂 投稿日: 8月10日(木)03時05分52秒
参考サイトの紹介は有り難うございました。面白かったです。
気になったのは、ユネスコ世界遺産センター長のバーン・フォン・ドロステ氏のインタビュー記事です。実はこの人が高野山を訪れたという話は、和歌山県が高野山や熊野古道を世界遺産化するという話に関連して、かなり前から和歌山県のHPに掲載されてあって(多分今もあると思うのですが)、知っていたのですが、内容については把握していませんでした。バーン・フォン・ドロステ氏の口調だと、ここまで高野山を絶賛してくれていてうれしくなりました。私は高野山は間違いなく世界遺産に登録できると思っていましたが、あらためてそう確信しました。
参考サイトの紹介 投稿者:高橋 投稿日: 8月 9日(水)21時03分20秒
以前に話題に上がっているかも知れませんが、都さんのように若い方や最近このホームページを知った方には参考になると思います。文教大学のHPで、http://www.bunkyo.ac.jp/koho/join/pages/31/kantou31.html
に、前ユネスコ世界遺産センター長のバーン・フォン・ドロステ氏のインタビュー記事が掲載されています。負の遺産に関する考え方は興味深く思えました。興味のある方はご覧になってください。
投稿者Mさんへ 投稿者:収斂 投稿日: 8月 9日(水)04時25分22秒
返事が遅れてすみません。ここ数日、取り込み中なのです。(実は今も)
富士山は世界遺産にならないかという質問について、自分なりに感想を書かせていただきます。
率直に言えば、富士山は十分に世界遺産になれると思います。そしてそれは文化・自然の両方から推薦できると考えています。
まず文化面ですが、これは言うまでもなく日本の象徴的風景として昔から多くの人々に愛されてきました。竹取物語に登場するのは言うまでもなく、平安貴族が比叡山の二十倍の山が東国にあると噂し、富岳三十六景に描かれ、芭蕉が詠い、東海道を旅する人々に絶景と賞賛され、今も観光客が絶えない名山です。昔も今もこんなに愛された山は日本にはほかに無い。そして山自体が御神体として崇められ、霊峰の一つに数えられています。昔の人が愛したものが今も愛されつづけていることは、とてもすばらしいことだと思います。文化遺産の登録基準は6番でしょう。
次に自然面です。これは2つの点で登録できるのではないでしょうか。一つは何といてもその美しさです。私は山について詳しくありませんが、こんな美しい山を知っている範囲で世界中から選ぶとすれば、キリマンジャロやカイラス、マッターホルン、ウルル山(これは山と呼ぶにはにはちょっと低いか?)が来るのですが、その中に富士山も入ります。世界で五指に入ると思います。これはつまり自然遺産の登録基準の3番です。もう一つは地形的要素からくる自然遺産の登録基準の1番です。まず典型的な成層火山であることが当然あげられます。このほかに、はたして登録基準の1番に合致するかどうかわかりませんが、青樹ヶ原樹海が非常におもしろいところなのです。ご存知かもしれませんが、一応解説させていただくと、あそこは過去に起こった火山で流れた溶岩が冷えてできた土地で、保水力が極めて乏しく、あの広い樹海には川や池や水溜まりが一つもありません。ですから本来植物が生育するには過酷な土地なのです。花粉分析の結果、噴火から400年間草も生えませんでした。しかし日本は幸い雨が多い。何もしなくても草が勝手に生えてくれるすばらしい気候に恵まれた国です。400年くらいしてやっと潅木が生え、さらに数百年して森が生まれ、千年かかって森になりました。森に入ると木々の根は地面から露出しています。それは地下に水が無いので表面に根を広げているのです。また種子も地面に落ちては発芽できません。倒木の上に落ちた種子が何とか生き残れます。また倒木によって太陽が新たに差し込む領域は、植物が陽の光を求めて、場所を奪い合い、巨木同士が蔦のようにツイストしたりするのが多く見られます。植物だけではありません。樹海には小動物も多い。それは土地が溶岩質の岩なのでモグラが棲めないのです。ですからネズミの生息密度が他の森の3倍以上です。そしてそれをえさにするふくろう、イタチ、その他多くの動物が樹海に棲んでいます。特に絶滅の危険性のあるふくろうの繁殖地として非常に貴重なのです。だから自然遺産の2ないし4がついてもおかしくない。
では、なぜいまだに富士山が登録されていないのかというと、理由はこれしかないのですが、観光客が多すぎるのです。だいたい、山の9合目近くまでバスが乗り入れること自体おかしいのです。気軽に富士山に登れるようななったことがそもそもの問題なのです。私は入山制限すべきだと考えていますが、そうでもしないとせっかくの美しい山がだいなしです。とくに観光客のトイレ問題がひどいのです。人が多すぎて処理しきれないのです。結局垂れ流しになっており、その悪臭がひどいのです。山は観光化されると急速に汚れます。私はスイスに行った時、モンブランに行きましたが、あそこもロープウェイが完備され、頂上まですぐに行けます。やはりトイレの悪臭がひどかったのですが、富士山はそれ以上にひどいそうです。現在このゴミ・トイレ問題をどうにかしようと、行政もやっと動き始めました。しかしいくら行政がゴミ拾いをやっても、汚す人間がいなくならなければいつまでも変わりません。観光客の意識の向上が絶対必要で、そのためには多少の入山制限をしなくてはいけない時期に来ていると思います。
ですから富士山の世界遺産化はそうした試みがうまく機能し始めた時実現するでしょう。
(無題) 投稿者:M 投稿日: 8月 7日(月)20時54分42秒
単純な質問ですが どうして富士山は世界遺産にならないのですか?
飛鳥について 投稿者:収斂 投稿日: 8月 6日(日)20時22分43秒
私は明日香村はうまくやれば世界遺産になれるように思うのですが・・・
エチオピアのティヤの彫刻墓石群が世界遺産になっているくらいです。石舞台や酒舟石、猿石、亀石、高松塚古墳、キトラ古墳のほかに、これは飛鳥ではないけども、談山神社というすばらしい神社がすぐ近くにあります。また飛鳥寺や岡寺もあります。世界遺産の可能性は低いですが、まったく脈がないわけではないように思うのですが・・・。どうでしょう。
吉野ケ里遺跡と王塚古墳について 投稿者:収斂 投稿日: 8月 6日(日)20時06分06秒
私は今まで王塚古墳をみて、こんなに感動してくれる人に会ったことが無いものですから、とてもうれしいです。私もあれは世界遺産になれる物件であると考えています。ところが、地元では少しもそういった話が無い。というより知っている人が皆無に近い。まあ、やがてはそういう話が浮上すると思いますから、気長に期待しましょう。
福岡市近郊には結構そういう歴史的遺産が多いと思います。もちろん世界遺産にはなれませんが。
志賀島の金印、宗像大社の分社がある沖ノ島(海の正倉院)、元寇防塁跡、太宰府天満宮、水城、観世音寺(国宝の梵鐘がある古寺。天智天皇の発願で建てられ、九州一の規模を誇った。本殿ほか多くが重要文化財)、香椎宮(九州では宇佐神宮と並ぶ由緒ある神社、不老水は名水百選に選ばれる、本殿ほか多くが重要文化財)、筥崎八幡宮(日本三大八幡宮の一つ。元寇のとき元軍の敗北を祈願した「敵国降伏」の銘が残る。多分福岡県で一番大きい神社だと思う。本殿ほか多くが重要文化財)、宮地嶽神社(大きなしめ縄が有名。敷地内に古墳があり、そこからの出土物が国宝に指定されている。本殿ほか多くが重要文化財)、板付遺跡(今のところ確実に稲作が行われていたことが判明する遺跡としては我国最古の遺跡。でもその記録もそろそろ破られるでしょう。岡山から6000年前の稲のプラントオパールが出てますから)、聖福寺(我国最古の禅寺。福岡大空襲でもこの一帯は燃えなかった。シラク大統領が福岡に来た時、ここを見学しています。)
こうしてみてみると結構あります。ただ福岡といえば、大宰府天満宮が有名すぎて、他の優れた物件が隠れてしまうのです。
それと吉野ケ里遺跡ですが、私がここを訪れたのはこれで5回目になりました。でもガイドさんを雇ったのはこれが初めてです。私には結構面白かった。それは昔の甕棺が埋まっていた時の記憶があるからでしょうね。何でもない草むらを見ても、この下に甕棺が数千個埋まっているのかなあ、なんて考えると歴史の長さを感じるのです。ただ、浦に〜とさんのように、初めてここに来た人には、なんとなく殺風景に感じられたでしょう。その感覚は十分理解できます。きっと妻木晩田遺跡も三内丸山遺跡も、今は発掘が行われ迫力があるかもしれませんが、発掘が終わって埋め戻されると、何の変哲も無い平原に戻り、感動は少なくなるでしょう。
この次佐賀県に来られたら、名護屋城址もなかなかいいですよ。半年で造ったそうですが、建造当時の規模は大阪城に次ぐ大きさで、金箔瓦が多く出土しています。黄金の茶室があったのはほぼ確実視されており、城の周辺には大名の陣屋が建ち、それまで何も無かったこの一帯が、戦争中だけ10万人の街になりました。江戸時代になるとこの城は家康の命で完全に破壊されますが、朝鮮通信使が来ると必ずここを見せて、戦争をしないことを約束したそうです。美談です。今は石垣だけですが、どれも巨石ばかりで迫力があります。なかなかいいですよ。
日本の世界遺産候補地 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月 6日(日)14時52分56秒
今回の旅行は、個人的な国内世界遺産候補地巡りでしたが、やはり移動時間に多く取られて満足に廻ることが出来ませんでした。本当は吉野山か高野山のどちらかにも行きたかったのですが。
一応見てきた順で、私なりの感想を書きます。
馬籠宿と旧中山道石畳
馬籠は伝建地区に指定されていませんが、街並みは素晴らしかったです。舗装された石畳の坂道に沿って出梁造りの木造家屋が並んでいました。気になったのは屋根瓦が皆新しいように思えたことです。保全修復のために一斉に直したのでしょうか。
馬籠の南には十曲峠というのがあり、そこの旧中山道は石畳道になっていて良い雰囲気でした。馬籠は観光客が大勢いましたが、この石畳道では誰ともすれ違いませんでした。こういった昔のままの街道が残っているのは、今ではここと箱根の2箇所だけだそうです。全長は840mで、私は短いと感じました。又、その内昔からのものはわずかに70.8mのみで、あとは平成になって中津川市が整備したものです。
飛鳥
高松塚古墳のレプリカを見てきました。この壁画は思ったより小さいのですね。とても綺麗に感じました。他に、近鉄飛鳥駅周辺の小遺跡群も見て廻りましたが、時間があれば岡寺などにも行きたかったです。
飛鳥には古墳ばかりでなく、寺院跡や謎の巨石もありますが、あまりに断片的すぎるので世界遺産化は無理だと思います。
王塚古墳
資料館のレプリカを見ました。本当にすごかったです。今回の旅行で一番感動しました。特に、石室の中に入った瞬間。レプリカなんですが、前も横も上も、振り返ると後ろも全面装飾がなされていて、不思議な感覚に襲われました。正に別世界への入り口です。ちゃっちい だなんてとんでも無いです。本当にすごい。私は、他の装飾古墳と合わせれば世界遺産になれるとも思いました。
吉野ケ里遺跡
ここは収斂さんに案内して頂きました。遺跡には復元された建物が数戸建っているだけで、こんなものかな、という感じでした。遺跡ですから、素人が見学しただけではその実質まで知ることは困難ですので、何とも言い難いです。10年計画で公園を整備するそうですが、その時に弥生建築が林立する様はさぞ壮大でしょうね。
妻籠宿
伝建地区で、しかも中山道一の観光名所のため、人がやたら多かったです。街並は良く、出梁造りの木造二階家が整然と並ぶ様は圧巻でした。店々の看板も、木板に筆文字や行燈のようなもの(?)を使ったりしていて景観を乱しません。しかし惜しまれるのが屋根です。妻籠で一番街並が良い寺下地区も、高台の光徳寺から眺め渡したら、ほとんど全ての家がトタン屋根でした。
寝覚の床
以前、寝覚の床の世界遺産化に関するメールを頂いたので見に行って来ました。花崗岩が角形に切り取られているのが特徴で、巨大な岩が川の両側に聳えていました。しかしその区間はわずか200mほどしかなく、両側の山は植林したものであることから、世界遺産化は難しいと思います。
奈良井宿
ここも伝建地区に指定されています。しかし雨が降っていたためか観光客はほとんどいませんでした。また道幅が広く、ゆったりした感じです。千本格子の家の並びはすごいです。大きく張り出した屋根も特徴的でした。所々、道路に面してガラス戸しかない家も目立ちましたが、景観は良かったです。しかし裏に回ると壁にトタンを使っていたり、屋根も昔のままではないようで残念でした。
馬籠、妻籠、奈良井は世界遺産登録の運動を行なっているのか未確認です。今回は収斂さん一押しの物件ということで見てきました。日本の世俗建築としては「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が登録されていますが、あれは日本の民家の典型ではありません。ですから、この中山道の宿場町か、京都の美山集落など、典型的な世俗建築を一箇所くらい登録しても良いと思います。
以上主観的な感想でした。
収斂さん>
こちらこそ、色々と案内して頂いてありがとうございました。
私がバージェス頁岩を知ったのはやはり中三の時で、NHKの『生命』という全10回シリーズの番組ででした。CG再現された奇妙な生物たちに度肝を抜かれ、同時に大変な興味を抱いたものです。ですからTBS系『世界遺産』で紹介されなかったのは残念としか言いようがないです。TBSのロッキー山脈の時には「バッファロー狩りの断崖」を結構詳しく紹介していましたけど、今思えばそんな事よりバージェス頁岩を紹介してほしかったです。
一国一世界遺産を持てるかについて、私は難しいと思います。世界遺産は文化遺産の場合、国毎で見るのではなく文化圏毎に評価していきますから、全ての国に顕著で普遍的な重要性を持った文化財があるとは言い切れないかもしれません。しかし私も全ての国の文化史を知っている訳ではないので、あまり否定的な意見を大声で言うことは出来ません。
バージェス頁岩について 投稿者:収斂 投稿日: 8月 5日(土)22時25分12秒
バージェス頁岩は世界で最も貴重な地層であると思います。あそこから発見される先カンブリア紀からカンブリア紀の生物は、それまでの古生物考古学の常識を完全に打ち破り、教科書を書き替えさせました。こんなことは、100年に一回あるかどうかの革新的発見であり、そんな重大なサイトを講談社刊の世界遺産全集やTBS系『世界遺産』のロッキー山脈の回(2回にも分けてあったのに)収録していないというのは、多分編集者が知らなかったからでしょう。そういわれても仕方の無いくらいの失敗です。私がちょうど中学から高校に入った頃、このバージェス頁岩は相当騒がれたのを覚えています。雑誌のNewtonに大々的に特集が組まれ、私は夢中になりました(熱狂といってもいい)。
そのバージェス頁岩がないというのは、ここがいくら知名度がないとはいえ、あまりにひどい話です。第一、我々のような素人でも知っているくらいですから。TBSは今後の番組の反省にしていただきたいものです。それから講談社刊の世界遺産全集についてですが、私は新指定巻も含めて全巻持っています。しかしあまりいい本ではないと感じています。まず地図が無いに等しい。そして説明が割といい加減に感じます。そして少し誇大な表現が多い。急いで間に合わせたような気がします。
バージェス頁岩は今からでも単体で世界遺産になれる物件だと思います。推薦されれば確実に世界遺産でしょう。
浦に〜とさん>
お疲れ様でした。お会いできて光栄でした。今後もすばらしいHPをよろしくお願いいたします。
さて「最低でも一国一世界遺産を持つべき」かどうかという質問ですが、なかなか答えにくい質問です。ただ、自分の主観では、世界遺産に匹敵する物が一つも無い国は珍しいのではないか、という気もするのです。全ての国々の文化財を知っているわけではないのですが、本来、国家とは誰かにつくられされるものではなく、つくるものです。当然、文化、言語、歴史、慣習を共有する人間集団です。そういう物は突発的に発生するものではない。国の数だけ、他とは違う独特の文化社会が存在するといっても過言ではなく、そういった歴史的、民族的、習俗的遺産は、文化継承者である人々の数の多少に差こそあれ、共通した普遍的価値があると思うのです。世界中の国々が「世界遺産を持つべき」という意見には語弊がありますが、どの国にも世界遺産を持てるだけの物が残っていると私は信じたい。
バージェス頁岩 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月 5日(土)12時06分43秒
前回の私の書き込みで「バージェス頁岩(けつがん)」というのがありましたが、それについて補足説明致します。
これは1980年に世界遺産に登録されたカナダの物件で、今からおよそ5憶3千万年前のカンブリア紀の生物の化石発掘地です。登録基準は自然の(1)(3)です。保存が大変良く、面白いように次々と化石が出てくる地層で、長さは10kmにも及ぶそうです。
このバージェス頁岩は、ロッキー山脈のヨーホー国立公園のほぼ中央に位置しており、ヨーホー国立公園が周辺の自然公園と共に、1984年「カナディアン・ロッキー山脈公園群」として世界遺産に登録された際、同一の遺産と見なされるようになりました。
以来、世界遺産・バージェス頁岩は影が薄くなってしまったようで、TBS系『世界遺産』のロッキー山脈の回でも、(確か)講談社刊の世界遺産全集でも、少しも触れられていないというトホホな遺産です。
世界遺産の論文 投稿者:浦に〜と 投稿日: 8月 5日(土)11時52分47秒
昨晩遅く、旅行から帰ってまいりました。その報告は後ほど致します。
収斂さんも書かれていますが、私は文化財の専門家でも何でもありませんので、自分の好みや偏見による意見も多く、中には完全な誤解などもあると思います。もしおかしな所に気付かれたらご指摘下さい。お願いします。
都さん>
はじめまして。
早速質問の回答ですが、当HPに掲載している情報の出所は大体ユネスコのHPです。裏世界遺産の情報や、自然遺産の面積などは完全にそちらに頼っています。ただ裏世界遺産の情報と言っても、ユネスコのHPに載っているのは名前と世界遺産になれない理由くらいで、遺産の概要は各種世界史の本や、海外の観光案内HPなどを参考にしています。また自然遺産の面積ですが、これは国内で出版された世界遺産関連本とは多少異なっていますが、ユネスコのHP内にあるIUCNの報告書らしきものを見て書き留めたものなので、多分正確であると思います。その他の部分でも、例えば世界遺産概要などのコーナーは、国内の各世界遺産の出版物やユネスコのHPなどを読み貯めた中から、自分なりに整理して書きました。
次に、論文のポイントですが、一言で世界遺産と言っても本当に奥が深いんです。条約そのものに関する事実や問題点から、各遺産の現状なども含めるととても幅が広いです。収斂さんの仰っているような、世界遺産登録・非登録の格差について述べるのも面白いかも知れません。また日本の世界遺産候補地について、既に世界遺産になっている国内外の類似物件との比較検討を行なったり、保全状態を調べるのもいいかもしれません。とにかく、単に世界遺産の論文と言うのでは漠然とし過ぎていると思いますので、条約や制度に関する記述か、もっと細かい部分に踏み込んだ記述かを決めた方が良いと、私は思います。
収斂さん>
このゲストブックの書き込み史ですね(^^;
>世界遺産とは、文化財を各国ごとに相対評価した中の秀作のことである、
>と定義してよいかもしれません。
とありますが、収斂さんは最低でも一国一世界遺産を持つべきだとお考えでしょうか。ちょっと立ち入った質問で恐縮です。
都さんへ 投稿者:収斂 投稿日: 8月 3日(木)01時27分26秒
はじめまして。管理人の浦に〜とさんはただいま旅行中なので、私が少しだけを返事を書かせていただきます。
ここのHPは、どこにでもあるような世界遺産のHPではないものにしようということで、かなり専門的でマニアックな問題のついて議論しているつもりです。しかし管理人も私も専門は理工系の学生なので、多少の誤解・勘違いなど思いがけないミスをする心配もあります。くれぐれも素人の人間の世界遺産批評であることを前置きしておきます。
ここのBBSに何か書いてくださる方々が最近はやっと増えてきましたが、少し前迄は全然いなかった。とてもうれしく思っています。
世界遺産の問題点として、物件の地域偏在がよく言われています。ヨーロッパなどに文化遺産の半数があります。この問題については、管理人と私とで少し認識が違うため、過去にかなり議論になりました。私は、現存するための努力をヨーロッパの国民、市民、村民が惜しまなかったことが、結果として多くの世界遺産を生むベースになっていると考えているので、結果として地域格差が生じたのは仕方の無いことであるという立場です。同じような様式の建築が多数指定されていますが、それらはヨーロッパの中でも珠玉の一部であるということを言いたいのです。確かにアジア、アフリカ地域は世界遺産が現時点では少ないのですが、これは条約を批准した時期がヨーロッパよりも遅いからであって、今後、中国、インドは私が勝手に見積もっただけでも50から100は行くでしょう。今後増えていく物件は、私にとって大変興味深いので、今のうちから自分なりに予想しているのですが、このHPにある裏世界遺産の物件は、近い将来世界遺産になる可能性が非常に高い物件であることは確かです。
これに対し浦に〜とさんは、物件個数が文化の優劣であるかのような偏見を生む危険性を指摘しています。アフリカのように文明があってもそれを示す証拠が少ないと、結果として文化遺産の数は少なくなってしまいます。この問題は、建造物や文化財が現存するかそうでないかによって世界遺産の合否が決定されてよいのか、という問題でもあります。このことは今世界中で問題になっています。
これに対して私は、だからといってヨーロッパの優れた文化財の登録を自制することはいけないと考えています。私は以前このBBSで、京都と韓国の扶余を例にして意見しました。京都はそのほとんどが江戸時代の再建です。鎌倉もそうです。一方、扶余は唐と新羅に滅ぼされてから再建されませんでした。考古学的な都市の重要性はともに一級ですが、現存するものが定林寺の石塔だけでは、扶余は世界遺産には指定されないでしょう。文化財を保存するのはそれだけ難しいわけです。そしてその努力の結晶が、結果として世界遺産の個数に反映されるのです。
日本の城郭建築も、廃城令によって自ら破壊されましたが、最近、完全復元して世界遺産にしようという運動が多いです。しかし世界遺産というものが無かった頃に、ワルシャワ、マルボルク、リューベク、ドレスデンのような著しい戦災被害を受けた物件は完全復元されました。これらに限らず、ヨーロッパでは、復元するときはなるべく昔通りに復元しようという気運があります。やはりそういったことが世界遺産個数に反映されるのでしょう。
世界遺産とは、文化財を各国ごとに相対評価した中の秀作のことである、と定義してよいかもしれません。
その後、管理人と私の議論は、過去にある物を世界遺産にしていくだけでなく、今後新しく建造するものこそ大事にして200年後に世界遺産にするほうがよいのではないか、もしそうなら、日本ではどのような物件がそれに該当するだろうか、などといった議論に発展しました。また日本で世界遺産に名乗りをあげている物件をお互い知っているだけ示し、個々について、可能性を議論しました。それが30個くらいあったわけです。最近このBBSで話題の装飾古墳、壁画古墳は、そこから派生したもので、名乗りは上げていないけれども、世界遺産級の物件ではないかという私の問題提起がそもそもの発端です。
世界遺産についての論文を書くポイントになったかどうかは分かりませんが、また質問があればこのBBSに来てください。お待ちしております。
教えてください!! 投稿者:都 投稿日: 8月 2日(水)11時45分03秒
私は高1なんですが、学校の自主研究論文で「世界遺産」について研究したいと思い、色々と参考にさせてもらいました!!とても勉強になっています!
かなり詳しく書かれてましたが、どのような資料を使ったのですか?よければ教えてください。
あと、「世界遺産」についての論文を書くポイントについてもアドバイスもらえたら嬉しいです。
よろしくお願いします☆
化石遺産 投稿者:浦に〜と 投稿日: 7月31日(月)10時48分17秒
収斂さん>
4〜5日の旅程というのは、往復時間も含みますし、中山道や奈良周辺も見たいので九州には1〜2日しかいられません。すみません m(_ _)m 私も出来ればお会いしたいと思っています。
それで、桂川は行けるのですが熊本の菊池までは無理です。長崎も遠くてダメです。長崎は南山手も伝建地区に登録されていますね。私は長崎は、個々の建造物や史跡を見るのではなく、街そのものを見て楽しめる所だと考えています。
掘れば出る、を読んでアルバータ州立恐竜公園を思い出しました。思えば、人類以外の化石出土地は、ほとんど世界遺産に登録されていないですよね。
現在わずかに5件だけです。バージェス頁岩、ミグアシャ公園、アルバータ恐竜公園、リヴァーズリとナラコート、メッセル・ピット。これだけでは地球の生命進化の記録(自然遺産基準の1番)を十分満たしていないと思います。私は古生物にも少し興味があるのですが、こういった化石遺跡ももっと世界遺産になればいいな、と思っています。
誤字修正 投稿者:収斂 投稿日: 7月29日(土)22時38分28秒
桂川町の大塚古墳は、正しくは王塚古墳です。
修正して訂正します。すみませんでした。
ここは小さな(100メートルくらいの)前方後円墳です。
北部九州の旅行のアドバイス 投稿者:収斂 投稿日: 7月29日(土)22時28分20秒
この夏、北部九州に来られるそうで、遠いところ大変ですね。
良かったら、お会いできれば幸いです。博多はもともと自分の出生地でもありますから、おいしい店とか結構詳しく案内できると思います。
4〜5日の滞在でしたら、桂川町(これで”けいせんまち”と読みます)の大塚古墳と太宰府で1日、吉野ヶ里で1日、長崎で2日なんてどうですか?
吉野ケ里遺跡は現在歴史公園として工事がなされている状況で、甕棺などは展示室でしか見られません。私は高校生のときここが発見されてすぐ見学しましたが、その時はまだ数千個の甕間がそのまま地面から露出しており、すごかったです。この甕棺は厚みが薄いところでたった5ミリしかなく、どうやってこんな大きな甕間を割らずに焼いたか謎だそうです。現在の技術でも復元できないそうです。また人骨の平均身長が160センチもあって、これは当時の日本人の身長が大きくても150センチくらいしかないのと比べれば、明らかに、それまでの日本人ではない。調査の結果、中国山東省の人骨とそっくりで、しかも管玉のガラス成分が、山東省出土の成分と完全に一致しているので、中国系の移民の可能性が極めて高いことが指摘されています。ついでですがJR吉野ヶ里公園駅から遺跡までは、現在のところ歩くと大変です。この駅は昔、神崎といわれていて、吉野ケ里遺跡も神崎工業団地の造成工事中にたまたま発見されたわけですが、駅と遺跡があまりに遠いので、というより遺跡が次の駅と現在の駅舎の中間付近に位置しているため、近々駅を遺跡近くに移動させるそうです。そうすると観光客にはとても便利になります。そもそも佐賀平野は遺跡だらけの土地で、掘れば必ず何か出てくるとさえいわれています。私の父の知り合いが子供の頃、この吉野ケ里遺跡のすぐ近くに住んでいたそうですが、畑から勾玉、管玉、鉄剣がしょっちゅう見つかっていたそうで、勾玉なんかがビー玉代わりのおもちゃだったそうです。こういった話は私もいくつか知っていますが、きっと飛鳥、奈良地域にもたくさんあったはずです。ほかの話も話せば長くなるので、お会いしたときでも話しましょう。ここに限らず、私は、昔から何かあると言われているところは、掘れば必ず何かある、と信じております。シュリーマンみたいですかね。
長崎は写真で見るよりはかなりごちゃごちゃした街です。伝建地区になっている長崎市東山手町並み保存地区も意外と狭い。感動する地区は、唐僧超然が招かれ建立した日本最古の黄檗宗寺院の崇福寺はいいですね。それと、出島を当時の姿に近い形で復元しようとして工事が進んでいますから、本当は今見るよりも、あと数年してからの方がよいかもしれません。ご存知かもしれませんが、実は現在、出島は、周囲が明治時代にすべて埋め立てられて、街の中にあるのです。それで県は、出島の周囲の土地を買い取り、そこを掘り、出島本来の扇型の姿を取り戻そうとしているのです。しかし町の真ん中ですから、相当の予算が必要で大変みたいです。長崎は、私は京都、奈良、鎌倉に次ぐ日本の歴史都市と考えているのですが、やはり現存する物が少なくて残念です。お勧めのサイトはお会いできたときにでも話しましょう。
来福時はお知らせください。時間があれば迎えにあがります。(うちの研究室に一泊してもいいですが・・・、多分・・・、太宰府にも近いし・・・)
日本の暫定リスト 投稿者:浦に〜と 投稿日: 7月29日(土)18時19分48秒
日本の暫定リストには現在、彦根城と鎌倉が掲載されているということになっていますが、これ本当でしょうか。先日海外のホームページで、1997年現在の暫定リスト記載件数一覧表を見つけましたが、日本は11件となっていました。この中には、98年登録の「古都奈良の文化財」、99年登録の「日光の社寺」、今年審議される「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」も含まれているでしょうが、それにしても残り8件もあって、計算が合いません。もしかすると知らないうちに富士山や尾瀬が掲載されていた、なんてことはありませんかね?
慶州 投稿者:浦に〜と 投稿日: 7月29日(土)18時17分32秒
近々旅行に出るつもりです。以前このゲストブックで名前が挙がった、中部〜西日本にある世界遺産候補物件を見て周るつもりです。高野山や吉野ケ里遺跡など全部で30件くらい名前が挙がったと思いますが、その中で私が行ったことのあるものはごく僅かでしたので、今回見られるだけ見てきたいと思っています。問題はたった4〜5日でどれだけ見て来られるか、なんですが。高野山はまともに見ると5〜6時間かかるそうですし、それ以外でも夏はあまり歩きたくないですからね。
収斂さん>
お忙しい中での書き込みありがとうございます。
私は韓国の物件に詳しくありませんが、慶州は石窟庵と仏国寺の拡大登録としても良さそうなものらしいのですが、どうなんでしょう。それとも一括するには異質なのでしょうか。
また韓国に限らず、先のビューロー会議で審議された世界の物件について知りたいのですけど、まだどこでも公表されていないようですね。
九州ですが、滞在時間は長く取れないのであまり沢山見られません。特に国東や臼杵は福岡とは逆方向なので無理です。出来たら阿蘇山まで行きたいのですが… 九州へ行ったら是非長崎へ行きたいのですが、この夢も当分果たせそうも無いです。
nezuさん>
はじめまして、ご来訪ありがとうございます。リンクはOKです。
今日の更新でこちらのリンク集にも加えさせていただきました。
高橋さん>
子供の遊び場が墓地遺跡だったとは、歴史を感じますね。さすが鎌倉です。観光地として注目され続けている鎌倉も、まだまだ知られていない遺物が多いですね。なんだか楽しい気がしてきます。
収斂 投稿者:収斂 投稿日: 7月27日(木)01時00分18秒
韓国の世界遺産の情報を新たに入手したので報告いたします。
これも朝鮮日報の日本語版からGETしました。
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古都・慶州が世界遺産に
千年の古都「慶州(キョンジュ)」が貴重な文化遺産として世界の人々
の胸の中に刻まれる日も遠くはなさそうだ。11月27日、オーストラリア
で開かれる第24回世界遺産委員会(WHC)本会議で世界文化遺産として慶
州の登録が決定されるものと確実視されているためだ。
対象地域は慶州の南山や皇龍(ファンリョン)寺など5カ所。慶州の登
録は98年、ユネスコに申請していたが、今年になってようやく現地調査
を受けることができた。それだけ世界各国が世紀の転換点で「文化」に
神経を集中させている証拠だろう。
慶州では仏国寺や石窟庵(ソックラム)は95年世界遺産に登録されてお
り、一度は行ってみる価値がある名所として世界の人々から愛されてい
る。
慶州に「世界的遺産」という修飾語が公式に付く日も遠くはない。
************************************
私が予想した通り、慶州の世界遺産にはやはり南山が入っていました。
あっちでは相当盛り上がっているみたいです。
ここにある物件で、皇龍(ファンリョン)寺とは何かご存知の方はかなりの韓国通でしょう。普通の外国人ツアー客なら素通りしてしまいます。ここは日本でいえば、そうですね、飛鳥寺とか、官大寺跡、上淀廃寺跡と思ってください。鎌倉ならさしずめ永福寺ってとこでしょうか。現在は跡しかありませんが、当時は巨大な寺院でした。そもそも慶州は新羅時代の推定人口が10万人という、当時としては世界で屈指の大都市でした。昔、NHKの番組で当時のこの寺の復元模型を見たことがありますが、すごいのです。
正直言って、これが候補に入るとは思っていませんでしたが、じゃ、ほかの3つを勝手に予想します。あくまで個人的偏見から抽出いたします。納得が行かない方もいるかもしれませんが、ご勘弁ください。
<慶州の世界遺産の残り3つの物件の大胆予想> チョムソンデ(可能性99%)・・・・・・・ 当然でしょう。 大陵苑(テヌンウォン)(可能性90%)・・ 有名な古墳公園のこと。積石古墳はすごい 雁鴨池(アナプチ)(可能性85%)・・・・ ほとんど全てが近年の復元だが、慶州国立博物館が敷地内にあるのは強み 半月城(パノルソン)(可能性70%)・・・ 現存する李朝の氷室は貴重 鮑石亭(可能性45%)・・・・・・・・・・ 韓国史跡指定第一号だが、単体は無理では という感じですがどうでしょうか。意見を求めます。
リンクさせて下さい 投稿者:nezu 投稿日: 7月26日(水)23時55分50秒
こんばんは、世界遺産マニアのnezuと申します。
沢山ある世界遺産関連のページの中でもここはかなり充実してて
面白いページでした。裏世界遺産とかいいですね。
よろしければリンクさせて下さい。
RE:やぐら 投稿者:高橋 投稿日: 7月26日(水)22時21分20秒
>坂原さん、
鎌倉在住の高橋です。いつも鎌倉びいきしていただきありがとうございます。
実は私の40年近く住んでいる実家の数十メートル離れた横穴が、昨年の調査でやぐらであったことが判明し、甕棺に入った人骨まで見つかりました。ここは子供のころから遊び場にしていた場所で、鎌倉市内にはこんな失われたやぐらもまだまだあるかもしれません。
また、新築工事などに伴い発掘をしている場合も結構ありますので、そういう場合には中にいる方に声を掛けて見せていただくことをお勧めいたします。発掘の現場もワクワクドキドキで良いものですよ。私自身は鎌倉宮そばの永福寺(ようふくじ)の発掘現場を学生時代に見せていただき、吾妻鏡の記述に則した二階堂と思われる建物跡(掘立柱痕)を目にして感動いたしました。
声を掛ける場合は学生さんよりシルバー財団のおじちゃんが狙い目です。
収斂 投稿者:収斂 投稿日: 7月26日(水)04時26分17秒
個人的なことですが、実験結果が予想を裏切り失敗しそうな雰囲気で落ち込んでいます。
化工のジャーナルの締切に間に合わんかもしれんという状況で、オッペケペー状態だ〜。
またF大学で発表する原稿も書けないぞ〜 ひぇー
ここ一週間くらい缶詰なので、下宿にもあまり帰っていないのです。というわけで、個人的な邪馬台国論争の書き込みは当分先になりそうです!!(少しだけ書きますね)
任那が当時日本の被支配地域であったことは事実と考えています。当時の鉄は朝鮮半島から輸入していたのですが、当時の鉄の貴重さは、今の黄金以上といっても過言ではない。倭国が半島南部から産出する鉄を優先的に購入していたことは中国や新羅や高句麗の記録から判っており、それを世界史的に言えば、それは植民都市といってもいいわけです。また韓国には翡翠の産地がない。しかし新羅の金冠には53個も翡翠の勾玉が使われている。中国産の可能性もあるが、むしろ日本の翡翠の可能性が強い。交易は想像以上にあったみたいです。ほかにも百済の王子が日本に人質として来るくらいです。日本の半島における影響力は相当強かったのではないかと想像されるわけです。感情論抜きで言えば、やはり小さな国ではあったが、任那のような地域が実在していたと考えられるのです。
今後の発掘に期待しましょう。
キジ島の指定物件が、例の3つとは知りませんでした。キジ島には移築された物が多い。あの島には、ほかに風車や小屋もあるのですが、てっきりそれらも指定されているかと思っていました。
あの島は火気厳禁で、たばこも持ち込み禁止だそうです。でも是非行きたいところです。
この夏に九州の装飾古墳を見学しようと計画されているそうですが、たしかにガイドブックにはあまりページをさいて解説が載っていないかもしれませんね。とにかく北部九州に散らばってますから、効率よく回らないと大変です。しかも、保存の良いといわれる王塚古墳ですら、実物はうっすら色が付いているのが判明できるくらいですからね。感動が少ないという人がいても仕方が無いと思ってしまうくらいのそんな物件です。まあ福岡県の桂川町にある王塚古墳は、是非訪れたほうがいいでしょう。立派な資料館が併設されてあって、大変参考になります。とりあえず博多まで来て、それからローカル線の篠栗(ささぐり)線というのに乗り換えて、40分くらいで桂川町に着きます。そこで下車し、古墳は駅から歩いて15分くらいです。
それから、熊本に行かれるなら、菊池川沿いに装飾古墳が密集していますから行かれたほうが良いでしょう。ただし交通の便が悪いです。レンタカーならいいのですが、公共の交通機関が少なく、バスしかないのですが、多分本数が少ない。それと、ここの近くには温泉があるのですが、宿泊費がかさむでしょうから、宿は熊本で取ったほうがいいのではないでしょうか。熊本城は今後50年かけて完全復元する予定で、完成すれば間違いなく世界遺産でしょうが、今は櫓の復元が主に行われています。ここの宇土櫓はお勧めです(ご存知でしょうけども)。
それから阿蘇山にいかれたら、必ず阿蘇神社に行くことを勧めます。ここは江戸時代の再建ですが、由緒がとても古い。皇室の歴史に匹敵する。リゾート化が進んだ阿蘇山で、私が一番お勧めするサイトです。
九州で歴史的な物を観光するなら、ほかに福岡なら太宰府や水城や観世音寺、市内の元寇防塁跡、大分なら宇佐八幡宮、臼杵、国東半島、佐賀なら吉野ケ里遺跡、唐津の名護屋城跡が良いでしょう。
実は私も暇になったら、韓国にまで出かけて見学したいものがたくさんあるのですが、そういうものはガイドブックにあまり載っていないので困ります。釜山の倭城や高敞郡の支石墓なんか全然載っていない。まあ、世界遺産になれば、やがて観光ガイドブックに載るでしょうが。
キジ島の木造教会 投稿者:浦に〜と 投稿日: 7月25日(火)22時38分06秒
塚原弘康さん>
私も実物の「やぐら」を見たいのですが、最近は暑くて行く気になれず...でも近い内に行くつもりではあります。私はずっと東京暮らしですから、鎌倉は遠足の定番でもあって何度も行ってるのですが、行くところは必ず、鶴岡八幡宮〜源氏山〜長谷あたりで、北鎌倉はじっくり見たことが無いです。切通も歩いた記憶は無いですし、やぐらに限らず、切通や寺院建築も見学したいですね。
収斂さん>
キジ島の木造教会は、私もとても気に入ってます。玉葱を積上げたような、あの不思議な外観はいいですよね。キジ島で世界遺産に登録されているのは、2教会1鐘楼の、3建造物だけのはずです。私はこの遺産について知った頃、キジ島には沢山の木造教会があって、それらが多く登録されているものと思っていました。なお周辺景観も登録に関与した重大な要素であるようです。
この夏に九州の装飾古墳を見学しようといろいろ調べてみましたが、大抵年2回のみのガラス越しの公開となっているそうですね。文化財としては保存第一ですし、見学用としてレプリカが置いてあればそれでいいのでしょうが。それにこれらの古墳群って、ガイドブックにほとんど載ってないです。
任那の前方後円墳についてですが、それらは任那が当時日本の被支配地域であったことの例証ということでしょうか。
出雲の四隅突出墓 投稿者:収斂 投稿日: 7月19日(水) 1時 3分47秒
出雲の遺跡ですが、出雲といえば四隅突出墓でしょう。いろいろ言われていますが、はっきりいって何なのかわかりません。古墳なのか、墳丘墓の一種なのか。四隅突出墓の話題もいつか書きます。
北関東地域の装飾古墳 投稿者:収斂 投稿日: 7月19日(水) 0時52分53秒
北関東の装飾古墳について少しだけ書かせていただきます。北関東にあって、北部九州にない模様で有名な物が、蚊取り線香のような渦巻き模様です。これはいろいろな本で紹介されてますからご存知かもしれませんが、福島県双葉町の清戸さく76号横穴墓(「さく」が変換できなかった)が有名です。絵の内容から、高句麗などの大陸との関係が有力で、一方北部九州とは直接関係がなかったと思います。共に大陸の影響受けたとすれば、壁画古墳の内容、形式がたまたま同じになったとしても不思議ではありません。
近畿地方には装飾古墳が少ないですが、前方後円墳が多い。その前方後円墳が朝鮮半島南部で近年確認されました。実は発見の話は戦前くらい前からあったのですが、接近した2個の円墳が浸食されたものだったことが判明し、歴史的感情から前方後円墳はないというのが定説でした。前方後円墳が確認されたのは朝鮮半島の南端で、割と狭い地域に密集しています。このとき韓国の学会は猛反対で、前方後円墳の存在を認めようとしなかったそうですが、発掘の結果、なんと埴輪が出てきたそうです。韓国の学会は今度も猛反対で、これは埴輪ではなく、なんとかいうその地方の土偶の一種と主張しているそうですが、日本の研究者は山陰から北部九州に見られるこれまたなんとかいう種類の埴輪とうりふたつ、むしろ同じ物だそうで、結構大変なことになってきそうな感じです。韓国の前方後円墳は現在10個ほど知られていますが、日本書紀でいう任那地域は発掘があまり行われていないので、今後とんでもない物が出てくるかもしれないわけです。
韓国学会は、任那は九州のどこかにあった地名という主張をしており、韓国の前方後円墳は、日本に行ったあと韓国に帰ってきた韓国人(日本で言う渡来人)の墓じゃないかという強引な説を変えていないのですが、私は常識的に考えてそんなはずないだろうと考えています。
この話題は、近日中に書きますが、研究実験の仕事が佳境なので、少し先になるかも知れません。
収斂です 投稿者:収斂 投稿日: 7月19日(水) 0時 7分46秒
マラムレシュ地方の木造家屋は番組の冒頭部に少し出てきましたっけ?
忘れてました。もしそうなら、きっと私がいいたかった物件と同じはずです。お騒がせしました。
あのような木造建築の小さな村は、ヨーロッパでも結構残っているみたいですが、とりわけ中央ヨーロッパの内陸では、森林が多いこともあって、すばらしいのが多い。
前にもこんな話題がありましたね。私はロシアのキジ島にあるプレオブランジェンスカヤ、パクロフスカヤ、鐘楼の一体的風景が、木造建築としてはもっとも好きなのですが、どうでしょう。実はこれも、私が子供の頃から家にあって、ボルグントのスターブ教会の写真なんかも収めた建築選書のなかに掲載されてあったものです。そのころはまだ世界遺産なんてものがなかった時代ですが、有名な物は必ず本に載るんですね。子供の頃はキジ島がどこにあるかなんて知りませんでしたが、小さい頃からこのキジ島の象徴であるこの3つの木造建築が好きでした。浦に〜とさんはこの物件についてどう思われますか? キジ島には移築されたものが多いので、あの島が世界遺産に登録できたのは、この教会群があったからではないかと考えているのですが・・・。
この本が出版された時はまだ湾岸戦争はおろかアフガニスタンの内戦前なので、イラクのウルのジグラットや、バーミアンの石窟など、今は危機にさらされているたくさんの文化遺産が出てきます。痛々しく感じる次第ですが、同様のことが高句麗古墳にもいえて、これは今、早急に保存工事に着手しないと、切石と漆喰の間にバクテリアかなんかが繁殖して、壁面全体が崩落するそうです。現に敦煌の壁画も危機的な物が少なくないそうです(まああれは砂が壁画を痛めつけるわけですが)。ですから高句麗古墳も拝観・見学時期があって、乾燥したころじゃないと内部に入れないそうですが、それでも甘いわけで、本当なら、高松塚古墳や慶州の石窟庵みたいに、地下に空調設備をいれて完全密閉し、見学者は窓越しに見学するようにしないとだめなんですね。やはり保存していくのは大変です。プレオブランジェンスカヤも痛んだ屋根の補修方法自体がまだ編み出されていない。朽ちつつあるのに200年前のまま手をこまねいている。何とかしたいものです。
北モルドヴァの彩画修道院 投稿者:浦に〜と 投稿日: 7月18日(火)10時18分54秒
高橋さん>
はじめまして。
ご自身の目で海外の文化財を見られたなんて、うらやましいです。私も、ルーマニアのマラムレシュ地方や北モルドヴァ地方の教会群には興味があります。モルドヴァの教会は外壁に色とりどりの聖画が描かれていて、本当に美しくて好きですが、あれも外の影響を直接受けるので存続が気にかかります。長いひさしは保存に一役かっているし、修復も繰り返しているようですが、冬の吹雪の映像を見せられると痛みも大きかろうと思います。500年も前のものですしね。(合ってますよね?)。独特の文化財なので、是非いつまでも残してもらいたいです。
これからも耳寄り情報や経験談などお聞かせ下さい。
収斂さん>
出雲地方にも古墳が多いとは、少し意外です。それよりも中央から遠く離れた茨城・福島に、九州と同じタイプの古墳が多いことも意外です。装飾古墳の北限らしいですね。石室の巨大な石に朱や黒で描かれた幾何学文様はなんか象徴的で、不思議な感じがします。
マラムレシュ地方の木造家屋は番組の冒頭部に少し出てきましたが、あれとは違うものがあるのですか?
高句麗古墳は、登録基準1・3・4ですか。芸術的な古代遺跡に多く見られるパターンですね。
でも登録基準もよく考えると難しいものです。私にはよく分かりません。タージ・マハルとシャンボール城は共に文化1のみに合致ということになってますが、4などにも当てはまりそうなんですけどね。
こちらこそよろしく 投稿者:収斂 投稿日:07月14日(金)05時42分15秒
高橋さん、はじめまして。収斂といいます。
このBBSを訪れ、なにか残していってくださる方は非常に少なく、ほとんどこのBBSは、管理人と私の対話の場だったものですから、うれしいです。特にあなたのような、世界遺産をその目で見てきた人の意見が今までほとんど無かったものですから、たいへん感動しています。今後もよろしくお願いいたします。
モルドバの僧院はいいですよね。私は、ルーマニアの文化遺産の中で、これが一番好きで、いつか行ってみたい世界遺産の一つです。この彩画修道院は、世界遺産になったのは代表的なものだけで、ほかにも同じような物が北モルドバには結構あるという話を前に聞いたことがあります。
どうなのでしょうか。
リラの僧院はすばらしいそうですね。私の知り合いの先生がブルガリアを旅行した時そこを訪れ、感動したという話をうかがったことがあります。でもあの建築を見て気付かれたかもしれませんが、あれは今世紀初頭か、19世紀末かに、火事で僧院が全焼し、現在のは復元された物なのです。だから壁画が新しく見えたはずです。(ご存知かもしれませんが)それが世界遺産になったのは、オスマントルコ時代でも、あそこだけはキリスト教の弾圧が行われず、ブルガリア正教の経典、文化が消滅を免れたという歴史的な意義があるからなのです。やはりブルガリアの歴史を語る時、なくてはならない文化的遺産といえるでしょう。
ソフィア市内のアレクサンドル・ネフスキー正教会に行かれたそうですが、ここもきれいですよね。この教会の歴史は新しく、露土戦争で戦死した兵士のために1882年から40年かけて建設されたものですが、私は、ああいったロシア的というか、ビザンチン的というか、そんな様式のドーム建築は好きです。
はじめまして 投稿者:高橋 投稿日:07月14日(金)01時38分25秒
はじめまして。鎌倉の高橋と言います。
不勉強なもので今日までこのサイトを知りませんでしたが、皆さん非常にお詳しいのでびっくりしています。
私は仕事の関係で1992年丸1年をルーマニアで過ごしており、年末にはマラムレシュの木造教会を訪れることができました。その当時で確か5年くらい前と聞いた記憶がありますので、まだチャウシェスク時代と思われますが、ドイツの大学が解体調査を実施し屋根も修復したと聞きました。雪が多くいくつもの教会を廻ることはできませんでしたが今でも思いで深いシンボリックな教会でした。解体調査の記録が入手できないかとティミショアラやブカレストの書店をまわりましたが叶わず、代りにビセリカ・デ・レムという木造教会建築の研究書を購入しましたが、なにぶん図版しか判りません。
ルーマニアはマラムレシュ以外にもモルドバの僧院など美しく貴重な建造物がありますが、貧乏な国ですので自国ではなかなか保護していく余裕はないでしょう。
モルドバの僧院も慶応大学の三宅理一先生が(立場が良く判りませんが)中心となって保存修復を行っているそうです。
ルーマニア滞在中は休暇にブルガリアまで足を伸ばし23日に放映予定のリラの僧院も訪れました。ここも素晴らしいですが、ソフィア市内のアレクサンドル・ネフスキー正教会もイースター休暇にはライトアップされており、幻想的でした。
なお、私はルーマニア以外にも仕事と絡めてインドネシアやタイ、ベトナム、カンボジアと遺跡を巡ることができましたので、今後機会があれば写真も紹介していきたいと思います。よろしくお願いします。
収斂 投稿者:収斂 投稿日:07月13日(木)00時27分18秒
マラムレシュ木造教会について、一言付け加えさせていただくと、本当は、マラムレシュの村に現存する木造建築の集落もすごく重要なのです。なのになぜか世界遺産に登録されていません。おかしいですね。一体的価値があると思うのに・・・・・。番組には登場しませんでしたが。
装飾古墳には、九州のタイプと近畿のタイプのほかに、出雲のタイプもあるんですよ。これは線刻模様が特徴です。でもそれほど芸術的なものは見つかっていません。ほとんどがかなり地味です。(ひっかき傷みたいな感じです)
先日、図書館で、「世界の大遺跡」の朝鮮半島編を見ました。高句麗古墳には、私が知らないすばらしいのがたくさんありました。自分で勝手に評価してみたのですが、多分8個は確実にいきます。登録基準は、1、3、4くらいだと思います。安岳3号墳、安岳2号墳、徳興里壁画古墳、江西三墓、水山里古墳、双楹塚、東明王陵、湖南里四神塚などがいいですね。ただ不思議と百済、新羅、更に朝鮮半島の南端に行くほど、壁画古墳の技術水準が下がってくるように感じました。同じ時代の朝鮮半島で、こんなにも違うのかと思いましたが、どうでしょう。日本の装飾古墳のように、ただ自然石を積み上げて石室をつくったようなのとか、壁画の技術が、日本のと同じくらい未熟なものもあるのに、なぜか高句麗の古墳だけは、同じ時代とはおもえないくらいすばらしい。高句麗は壁画を遺し、新羅は石塔・石仏を遺し、百済は瓦を遺した、なんていうそうですが、そうなのかもしれません。
高句麗の壁画古墳は、朝鮮戦争のとき、一部破壊された物もあるそうですが、今のところ、80個くらい発見されているそうです。
鎌倉 投稿者:浦に〜と 投稿日:07月12日(水)18時27分04秒
収斂さん>
鎌倉は何よりも、場所そのものの歴史的重要性ですよね。
TBS系「世界遺産」のマラムレシュ木造教会はよかったです。あの塔がすごいです。それに緑濃い立地も。個人的に感想を述べさせて頂くと、過去に放送したウルネスやホローケーやペタヤヴェシほどの感動はありませんでした。まあそれは製作者サイドによるところが大きいのですが。
装飾古墳は、九州のと近畿のでは質が違うのですね。私としては、ああいう幾何学文様の古代産物が日本にも多いことを知って驚いております。詳しい解説をありがとうございました。
マラムレシュ地方の木造教会について 投稿者:収斂 投稿日:07月10日(月)22時09分10秒
マラムレシュ地方の木造教会はよかったですね。浦に〜と管理人が泣いて喜んでるんじゃないか、なんて思いながら見ました。あの建築群は、昔から有名で、本にもよく登場していたのですが、私の印象は、随分奇麗になっててよかったなあという点です。世界遺産に登録させるために、修復したんでしょうね。昔の写真では、木造屋根がもっと黒ずんでいました。あの屋根は、一枚一枚焼きゴテで表面を焦がしているのです。耐久性を向上させるために日本のように瓦を載せるという工夫を採っていないかわりに、このような知恵を働かせたのでしょうか。この点は番組では触れていませんでしたが、屋根をアップした場面を見てください。ただの薄板じゃないのがわかりますよ。
鎌倉について 投稿者:収斂 投稿日:07月10日(月)21時30分59秒
鎌倉は世界遺産暫定リストに登録されてはいますが、まだ世界遺産にはなっていません。それどころか対象物件の選定もまだ公表されていません。この鎌倉の世界遺産に何が選ばれるかという話題は、以前、このBBS上で、私と管理人とで結構盛り上がった話題の一つでもあります。
私は、鎌倉は、ほぼ間違いなく世界遺産に登録されると考えていますが、もしクレームがつくとすれば、鎌倉には肝心の鎌倉時代の木造建造物が一つも残っていないという点です。ほとんどは江戸時代の再建です。例えば、現在鎌倉には120〜130くらいの寺院がありますが、昔は300以上ありました。寺の密度は今のほぼ3倍というわけです。これは、江戸時代に寺を再建する際、建長寺、円覚寺、光明寺、等の数個の大寺院だけが庇護を受け、それ以外は保護を受けられなかったためです。宗派によっても違ったそうです。120〜130くらいの寺院しかないというのは、これは歴史都市としては少ないほうです。小浜、小田原、会津と比べてもむしろ少ないくらいです。そのため都市の歴史の割に、国宝があまりないという悲しい現実があります。
ですから鎌倉を世界遺産に推薦しても、京都や奈良のときのように、文化財を前面に出す推薦のやり方では、失敗する可能性もあるわけです。登録に成功するためには、建長寺、円覚寺、高徳院、鶴岡八幡宮、段葛、切通し、切ぎし、やぐら(覚園寺のが有名)、瑞泉寺、東慶寺、光明寺、等の文化財を推すのはもちろんですが、なんといっても歴史的重要性を一番強調し、世界に訴えることが必要でしょう。私は鎌倉には行ったことが無いのですが、是非行ってみたい憧れの街の一つです。
北部九州の装飾古墳 投稿者:収斂 投稿日:07月05日(水)23時29分50秒
装飾古墳とは石室や石棺に彫刻したり顔料で絵画を描いたりした古墳の総称です。造営時期は、日本では4世紀後半から7世紀くらいで、古墳時代の終焉を告げる高松塚古墳やキトラ古墳は8世紀初頭になります。しかし装飾古墳の最盛期は6世紀です。日本には装飾古墳が580以上が確認されていますが、そのうち330基が北部九州に偏在しており、次いで茨城県、福島県にもまとまってあります。近畿地方には少なく、謎とされています。ただし近畿地方には大型の前方後円墳が多いのですが。
装飾古墳は、時代によって大きく3つに大別できます。4世紀の初期のタイプは石棺系装飾古墳といわれ、直弧文という幾何学模様で石棺に彫刻する特徴があります。福岡県広川町の石人山古墳はその代表です。次が5世紀中頃の石障系装飾古墳といわれるもので、横穴式石室内部の壁に彫刻彩色するというタイプです。画題はやはり同心円や対角線文などの幾何学模様です。熊本市の千金甲1号墳が有名です。最後が壁画系装飾古墳です。時代は6世紀から8世紀前半くらいまでです。ただ壁面に直接描いたものと切石に漆喰を塗って、その上から描くものとがあります。日本のほとんど全ての装飾古墳が前者の方で、後者は高松塚古墳やキトラ古墳くらいしかありません。このタイプの古墳を単に壁画古墳といったりもします。私もそのように呼んでいます。
なお、私は、日本にもまだ高松塚古墳、キトラ古墳のような壁画古墳はあると確信していますが、あるとしても、日本中どこでもあるというわけでなく、明日香、奈良地方にしかないだろうと考えています。しかし必ずあると断言できます。北朝鮮の江西大墓、安岳3号墳、韓国の陵山里古墳くらいのだってあるかもしれません。
壁画系装飾古墳は、有名なものはほとんどが北部九州にあるといってもいいくらいです。福岡の王塚古墳、竹原古墳、日岡古墳、熊本のチブサン古墳なんかがそうです。また茨城県ひたちなか市の虎塚古墳も有名です。ただ、画題が福岡県の物は怪獣や馬、鎧、武器といったものが描かれてくるのに対し、熊本では、チブサン古墳のように、三角形の連続文が依然として描かれつづけるという特徴もあります。これは文化圏が違っていたことをあらわしています。
壁画系装飾古墳と壁画古墳の違いは、その顔料です。壁画系装飾古墳は主に粘土質ですが、高松塚古墳では朱、鉛丹、岩緑青、岩群青のような鉱物が使われていました。あの鮮やかな色は、それまでの日本の古墳の顔料とは全然違うわけです。大陸との結びつきなくしては考えられません。一方、壁画系装飾古墳は、色の種類が6色しかありませんが、王塚古墳には5色が使用されており、装飾古墳の王者とまでいわれています。
装飾古墳は、確かに同時代の中国、朝鮮半島の古墳と比べれば、技術的には未熟です。しかし、当時の人の生活水準から見れば、こういった古墳造営は大変だったはずで、しかもこういったものが全国に600個近く発見されている点を考えれば、私は、代表的なものをいくつか世界遺産に登録してもよいのではないか、それだけの価値が十分あると考えています。
20000HITに感謝致します 投稿者:浦に〜と 投稿日:07月05日(水)22時47分25秒
先日、おかげさまで来訪者20000人達成しました!!
これまでに訪れて下さった全ての方に感謝いたします。ありがとうございました。
そして今後も末永くお付き合い願います。m(_ _)m
収斂さん>
以前話題になったアシャンティの伝統建築について、TBS『世界遺産』を見なおしてみました。確かにトタン屋根の建物がありました。
それに「呪物の家」というのは、イギリス人が「祭司の館」を見下して使った呼称で、両方は同義ではないでしょうか。また「祭司の館」は1件ではなく、アシャンティの宗教関連建造物の総称であるというように、番組の解説では解釈できます。
話変わって、韓国も随分世界遺産化に熱心ですね。でも私は韓国の遺跡についてよく知らないので何とも口出しできません。ビューロー会議で審議された物件について早く知りたいのですが、どこかで公開していませんかね。ところで琉球の遺跡はどう評価されたんでしょうか。
ご存知ならお教え願います。
匿名希望さん>
記念のご記帳ありがとうございます。
今後もできるだけ更新を続けていきますので、よろしくおねがいします。
20000件目は私 投稿者:匿名希望 投稿日:07月02日(日)21時52分46秒
20000アクセスおめでとう。じゃ