石見銀山について
1 名前: 収斂 投稿日: 2001/2/10(土) 22:48:49
石見銀山については、以前から関心があり、数年前から結構調べていました。しかし現存するものが極めて少なく、世界遺産にはならないだろうと予想していました。しかし最近、世界遺産暫定リストに登録されたことをみると、まんざら悲観的でもないみたいです。個人的には、今でも登録は難しいと感じていますが、仮に登録されるとしたら、どういう物件が対象となるか考察してみたいです。なお、情報によると、この文化遺産指定地域は、北部の大森地区(伝建地区)と南部の銀山町地区以外に、温泉津(ゆのつ)の銀の積み出し港や、銀の運搬ルートも指定対象になるそうです。また戦国時代の城跡なども含めた320ヘクタールを国の史跡に指定するそうです。

個人的に史跡の核になるのは以下の物件と予想します。

(銀山跡)
龍源寺間歩、新切間歩、今泉間歩、福神山間歩
(歴史的建造物)
羅漢寺、城上神社(きがみじんじゃ)、左毘売山神社(さひめやまじんじゃ)、大森代官所跡

対象になりそうな温泉津の文化財は詳しく知りません。また大森代官所跡は、どこまでが現存するものかはっきり知りません。また間歩は、太平洋戦争中に、資源利用を目的に掘り返された経緯がありますが、戦争末期の台風で土砂崩れがあって、それまで残っていた間歩の多くが土砂に埋まったそうです。ですから現在は龍源寺間歩しか残っていませんが、つい最近までは、まだ多くの間歩が残っていたことになります。今後そういった間歩を掘り返して復元するそうです。しかし安全上の問題も指摘されています。城上神社は極彩色の鳴き龍が有名です。これは15世紀半ばに大内氏が建立したもので、石見銀山付近では数少ない国指定の文化財です。同様に羅漢寺も五百羅漢は素晴らしいです。これは25年の歳月をかけて1766年に完成したもので、鉱山労働者の死を供養するため造られました。左毘売山神社は、田舎にしてはとても大きい神社で鉱山の鎮護として金山彦命を祭ります。大森地区は世界遺産指定で脚光を浴びましたが、高齢化、過疎化が極めて深刻な地域で、伝建地区を守っていくこと自体大変なところだそうです。現在はボランティアの人が、誰もいない家々を管理して清掃等の世話をしているそうです。観光地としては交通の便が悪いため、今は訪れる人も少ないのが実状です。私の友人に、ずっと昔にここを見学した人がいますが、当時はまだ世界遺産なんて運動をする以前だったこともあって、あまりの寒村としての思い出しかなく、銀山本体の印象はあまり覚えていないそうです。
石見銀山を総括すると、西欧の都市と比べて現存するものが少なすぎるので、今後はなるべく完全復元に徹して欲しいものです。そして、血なまぐさい戦乱や鉱山開発で荒れ果てたであろう山々も、今は豊かな自然が広がるとゆったりとした時間が流れる静かな街になりましたが、そのことを喜びたいと思います。くれぐれも無茶な開発だけは避けていただきたいものです。