- バーミヤン石窟の破壊についての感想
- 1 名前:収斂
投稿日:2001/3/15(木) 00:26:39
- 今回のバーミヤン石窟の破壊は、単に危機遺産のスレッドだけでは片づけられない重大事件です。今後、この石窟の修復・保護が国際社会で大きな議題になることでしょう。
ですから、ここではあえてバーミヤン石窟に議論をしぼり、意見を交換できればと思います。
- 2 名前:収斂
投稿日:2001/3/15(木) 00:33:25
- (収斂の意見)
今回、人類にとってかけがえないバーミヤンの石仏が完全に破壊されました。おそらく今年の世界の重大ニュースになる衝撃的な事件でした。ではなぜこういう組織的な破壊行為が行われたのか、このことを少し考えてみたいと思います。というのも、今後こういうことが二度と起こらないという保証はなく、さらにイスラム原理主義が今後拡大するおそれさえあるからです。
私は今回の事件は、はたしてタリバンが文化財を盾に取って国際社会を挑発した行動なのでしょうか?
私はそうは思わないのです。文化財を盾に取った行動は、湾岸戦争のときのイラク政府がとったバグダットの例がありますが、今回はそうではないと思うのです。
私は、タリバンの人達に罪悪感はないと考えます。贖罪する気なんか全くなく、それどころかむしろ大仏を破壊したことに対する充実感みたいなものすらあるかもしれないと思うのです。いろいろ報道されていますが、彼等は今回の破壊行為を、本気で正しいことをしたと思っているみたいです。なぜでしょうか?
これはイスラム教だから危険とか、仏教徒だったら安全だったろうとか、そういうことではなさそうです。
おそらく、現在でもタリバン兵士には、歪んだ大衆心理みたいなものが作用しているのではないかと思われます。私には、今回の事件とよく似た行為として、社会主義国家が行った文化財の破壊政策が重なって映るのです。信じられない人もいるでしょうが、ほんの数十年前の出来事なのです。寺院が破壊されていく様子を映したモノクロの映像を見た人はいるでしょうが、その時ニュースの解説者は、興奮気味に破壊活動を褒め称えているのです。例えばソビエトでは、国内の80%以上の教会が破壊、もしくは閉鎖され、現在は修復しようにもイコン画の修復技術をもった人がいないため、その養成から始めなくてはいけない状況です。宗教そのものをすべて禁止したアルバニアでも、国内の全ての教会が消滅しました。決してアフガニスタンだけではないのです。
文化財の組織的な破壊が起きないためには、まず価値観の多様性を尊重することが第一歩です。もちろんそれだけで十分というものでもありませんが、少なくとも、これは最低限の基本でしょう。歴史上起こった文化財の組織的な破壊を検証すると、必ず唯一絶対の教義が存在していることに気付きます。不思議とそれが一神教の国家によく見られることは偶然ではないでしょう。社会主義も神を捨てた宗教だったのです。
もう一つ大切なことは、(これを一番言いたいのですが)扇動行為をする人間をなくすことも極めて大事なことでしょう。いくら価値観が多様に存在する社会であっても、間違った情報で、大衆心理はいとも簡単に操作されます。思考停止が起こると普通は暴走します。だからこそ日々の情報・報道には気をつけねばなりません。報道する側は必ずしも聖者ではない。これも基本認識として持ち合わせるべきでしょう。
私は報道・風潮には常に懐疑的であろうと考えています。それは全てを頭ごなしに否定するのでなく(TBSや朝日にはそういう人々が多いが)、合理的な判断と弁証法的議論こそが必要なのです。そこに感情論は入れてはいけない。タリバンの行為は彼等の価値観のなかでは正義でしょう。しかし偽善なのです。平和なこの日本にも偽善者が多くいる気がします。私はそういう偽善者に騙されないようになりたい(特にマスコミに!)。このことは、人間に知性が必要な根拠の一つでしょう。
- 3 名前:浦に〜と
投稿日:2001/3/17(土) 23:46:38
- タリバンは今回の仏像破壊だけでなく、人権侵害等を行なって国外逃亡者を増やしたとも聞きます。この辺は、いくら宗教的原因があるとは言っても、現代には相応しくないものと感じます。
収斂さんが挙げている社会主義国家の宗教建築破壊が頻発していた時代とは、世界が大きく変わっていることも考慮するべきではないでしょうか。
しかし今回の問題は多分に思想が込まれており、これ以上の事は書けません。
- 4 名前:じょび
投稿日:2001/7/6(金) 03:04:30
- バーミアンの石仏について、「修復は可能」との記事が4日付の朝日新聞に大きく載ってました。
平山郁夫氏が言うには、実測図があって、その立体図を使えばいい、とのこと。
再建策として、消えた大仏の胴体の構造部分をコンクリートと鉄骨などで復元し、表面は現地の砂岩を使って周囲と調和させるのだという。ただし、これらは穏健な政権が誕生したらの話だそうです。
- 5 名前:浦に〜と
投稿日:2001/7/6(金) 22:08:23
- やはり再建するのですね。しかし石窟内部の修復は相当難しいと思います。爆破時の報道では、中から宝石のようなものが飛散してきたとも言いますし。
壁画とかも完全に戻せるのでしょうか。
- 6 名前:受験生
投稿日:2001/11/10(土) 09:51:29
- 今世界史にはまっています。受験勉強をしていたら今の世界ガできた過程が見えてきてどんどんはまってしまいました。イスラム世界の事も勉強したのですが、そしたらバーミアンの石仏が破壊されたわけも分かりました。歴史をやってみて感じた事は歴史は過去ではなく現代と過去の境界は無いという事です。バーミアンの石仏が建設されたのは何百年も前ですがそれが現代の人に破壊される事情がある。とても興味深い事です。石仏が破壊サ荒れたことは残念ですが、現在重要とされる物の中には他の文化を破壊した上で成り立っている物ガたくさん有ります。これもその流れの一部なのでしょうか
- 7 名前:じょび
投稿日:2001/11/12(月) 03:45:21
- 僕も「世界史」が好きで、受験勉強も好きだった(?)ので、2年間も世界史を勉強してしまいました。
受験生さんが最後に指摘されたものには、イスタンブールの寺院(キリスト→イスラム)や、スペインの聖堂(イスラム→キリスト)もそうですね。インドやインドネシアでも仏教やヒンズー教がかかわった寺院があったと思います。
しかし、僕が受験生の頃はバーミアンはやらなかったなあ。
とはいえ、現代社会は歴史を知らなければ理解できないことはいっぱいです。アフガニスタン以外にも、パレスチナ問題もユーゴも朝鮮半島も…。でも、学校では欧米や中国の歴史はけっこうやるんだけど、それ以外はあまりやらないですね。
それを、世界遺産が教材になっていると思います。ベトナムの遺産(ミーソンやフエ)でベトナム史が見えるし、中米の遺産(チチェン・イツァやコパンなど)でアステカ・マヤが見えてきます。
僕も受験生の頃に世界遺産を知っていれば、もっとビジュアルに歴史を理解できたんでしょうね。もう10年以上も前の話です。
- 8 名前:浦に〜と
投稿日:2001/11/13(火) 20:29:52
- インドの「デリーのクトゥブ・ミナールと関連する建造物群」もそうですね。ヒンドゥー教寺院をいくつも破壊して、それで持ち寄った石材で建ててしまったという…。しかもあんな巨大で立派な建物を。
今回のバーミアン遺跡群などの破壊は、地球規模で文化財の保護が呼びかけられ、かつ国家・民族間の相違を理解することが重要だと広く認識されていた時代に、見せしめとして行なわれたものですから、世界史的にみても常軌を逸した行為ではないでしょうか。
じょびさん>
そもそも「世界史」というのは範囲が広すぎます。だから、現代社会に大きく係わり、また最近数世紀の世界をリードしたヨーロッパを重視するのは仕方ないのかもしれません。でも私は、世界史・日本史ともに、20世紀を最も強調してほしいと思っています。大抵、20世紀は最後にやるようになっているので、そこに行くまでに学年が修了するということが、日本では当たり前のようになっていると思われます。私も、世界史は高校で一年習いましたが、その内容はひどいものでした。一学期に四大文明、二学期に古代ギリシア・ローマ、三学期に中世ヨーロッパ(西暦300〜900年代まで)、という有様です(実話)。
偏りすぎというか、「何もやって無い」といわれても文句言えません。こんなペースでやったら、全過程終えるのに5年はかかりますよね・・・一体何を考えてカリキュラムを組んだのか、今もって謎な学校です。
- 9 名前:日光山伏
投稿日:2001/11/14(水) 06:30:37
- 受験生様
学校での勉強から現代の世界が見えてきて興味津々というのは素晴らしいと思います。この時期に面白いと思ったことを徹底的に勉強しておくと、後々とても役立ちますよ。
過去と現代には境界がなく、歴史は現代と直結しているというのは実に同感です。元ドイツ連邦共和国大統領のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、有名になった1985年5月8日の演説(「荒れ野の50年」の題名で岩波ブックレットからも日本語訳が出ています)の中で、こんな言葉を残しています。
Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliesst,
der wird blind fuer die Gegenwart.
(過去に対して目を閉ざすものは、現代に対して盲目となる)
この言葉は実は自国の暗い過去、すなわちナチスドイツが引き起こした戦争や大量虐殺や残虐行為といった事実を前向きに見つめよう、でなければ現在の自分たちがどのような立場にあり今後どうあるべきかがわからなくなる、という内容を意味しているのですが、それは歴史一般について全て言えることでしょう。現在に生かすべく過去から学ぶということが、歴史をひもとくということなのです。
ついでに言えば、歴史には国や民族の境もありません。前にどこかで書いたかな、私は地元の「日光の社寺」の世界遺産登録地域を毎週歩き回っていますが、その中には首のない石仏をたくさん見かけます。元来の日本人は神も仏も分け隔てなく一緒に拝む神仏習合という信仰を持っていましたが、明治初期に政府によって神仏分離が強制的になされた際に仏教が弾圧を受け、廃仏棄釈というお寺や仏像の打ちこわし運動が起きたのです。日光は廃仏棄釈が最も激しかった場所の一つですが、同様の例は全国どこを探しても多かれ少なかれ見つかるはずでしょう。バーミヤン石仏の破壊は、自分たちと関係ないどこか遠い国の出来事では全くあり得ないのです。日本ではその後、神道が国家神道という形で国の公の宗教となり、戦争中にはその頂点に君臨する天皇陛下のために、近隣諸国まで巻き込みながら数多くの日本国民が死んでゆきました。かつての日本人のこうした姿が、バーミヤン石仏を破壊し同時多発テロ事件を引き起こしたとされるイスラム原理主義者たちのそれと違うと、はたして我々は言い切れるでしょうか。
国家神道は公にはなくなりましたが、今日もなお我々日本人の心の中にはしっかりとそれらしきものが残っています。だからこそ戦後50年以上経った今でも、総理大臣が靖国神社に公式参拝する度に大問題になったり、公立学校で毎年のように「君が代」を歌う歌わない、日の丸を掲げる掲げないで騒動が起きたりするのです。
- 10 名前:じょび
投稿日:2001/11/16(金) 05:08:23
- 日光山伏さんのご指摘は、関わっている方だからこそ、ずしんときます。
浦に〜とさん>
日光山伏さんのような内容のある文章は書けませんが、僕は世界史を2年やるべきと、考えます。しょせん1年では無理なんですよ。
おっしゃるように、現代(ぼくのころ)の教育では「20世紀」がほとんど教えられていない。だから、南京大虐殺があったかなかった以前に、多くの生徒が、習ってやいないのが
現状です。とりあえず、フランス革命以降あたりからまずやるべきですね。
僕の場合は、1年目に教科書通りの通史(縦糸)。2年目(つまり浪人)で、同時代の各地域のつながり(横糸)を学びました。これって、歴史が立体的に見えて楽しかったですよ。
しかし、当時の世界史は、言葉や人名、年代の暗記も多く、実に乾燥したものでした(年代は300くらい覚えたなあ)。これじゃ、楽しくない、って思う人がいても仕方ないのかな。
ちなみに高校時代の「日本史」は、明治以降から授業が始まりました。これはよかったですね。
- 11 名前:日光山伏
投稿日:2001/11/16(金) 07:16:07
- 日光山伏です。「内容のある」などと言われてしまうと赤面の限りです。
私の場合は千葉の公立高校にいましたが、とても運の良いことに世界史の授業は2年越しで、古代から現代までが網羅されていました。担当教師の方針で教科書は一切使用されず、事前配布された手書きレジュメに基く授業がなされました。特に面白かったのは、現代に入って放課後に自由参加で行われた特講で、授業内容に絡むNHKの特集番組のビデオを見てから皆で感想を話し合ったりしました。
日本史の授業はそれと正反対に暗記だけの全く無味乾燥な授業で、いつも私は寝ていました。こちらの方は1年だけで済みました。
あと当時の私は司馬遼太郎や吉川英治の歴史小説に狂い始めていたので、歴史への興味はそれらに拠るものも大きかったと思います。
やはり歴史は、今の自分が過ごす毎日の生活の中にそこから何かしら持ち帰るものがあると、学ぶ喜びが出てくるのだと思います。音楽を聴いたり映画を観るのと同様に、歴史の世界に足を踏み入れてロマンに浸るのも楽しいでしょうし、現代社会が抱える問題の根源の一端をそこに見出すのもまた面白いものです。年号の暗記だけでは、こうしたものは何も見えてきませんよね。
- 12 名前:レイ
投稿日:2001/11/18(日) 03:08:15
- 私も今年受験生で、世界史を勉強しています。
私の高校は、1年次に産業革命以降、2、3年次に古代から近代までを学習してきました。
進学校で、1年次から受験を見越した授業をしていたのでほとんどの人はつまらないと思ったことでしょう。
私の場合、資料集等を見ているだけで楽しかったりするのですが・・・。
私は大学でも世界史を勉強する予定なので、今度はちゃんとした「世界史」をやりたいと思っています。
受かるといいですが・・・。
- 13 名前:浦に〜と
投稿日:2001/11/20(火) 20:04:46
- 歴史は、過去の出来事を覚えさせるのではなく、過去と現代を比較したり、過去の出来事を様々な角度から考察するものです。中学・高校の歴史の授業でも、そういった勉強は出来ないものでしょうか?
通史でなく、いくつかテーマを決めてやったほうが絶対に良いと思います。そうすれば一年間でもやることが出来ます。もちろん現在の暗記中心型は、大学の入試問題対策のためでしょうけど。
私は高校で、世界史を一年、日本史を二年習いました。このうち二年間は同じ教師に習いましたが、歴史を本当に深く知っている人で、歴史上の人物の考え方や人々の暮らしとか、人物の積み重ねが歴史である、というような観点から教えてくれて、面白かったです。私は小学生の頃から社会科が大嫌いだったのに、この教師にならって文理の好みがまったく逆転しました。(しかし、今は理系の大学に所属しているのですが・・・)。
思うに、学問に文系とか理系とか無いのかもしれませんね。あえていえば、考え方が文系的とか理系的とか言う方が適切でしょう。
- 14 名前:受験生
投稿日:2001/11/25(日) 09:20:06
- 皆さんから色々意見がいただけて感激です。私は2年生で古代から中国史、3年生で西洋史から現代までやっています。確かに時間は足りないです。それなのに妙に細かい名前とかを覚えなければいけなくて結局テストの為に暗記して忘れるを繰り返していました。だから今年の夏休みは世界史を紀元前3000年ごろのメソポタミヤからはじめることになりました。受験用でなかったらどれだけ楽しかったか。私は将来ユネスコで世界遺産や自然を保護する仕事をしたいと思っています。レイさんのように資料を見ているだけで楽しくてただただそれらを守りたいというのが理由なのですが、今度大学の推薦試験ガあってたぶんその理由も聞かれます。何で世界遺産を保護したいかと聞かれてもただ惹かれるからなのですがそれを言葉にして言わなければいけないのはとても難しい。ただやりたい、では入れてもらえませんかねえ
- 15 名前:浦に〜と
投稿日:2001/12/2(日) 11:22:30
- 何で世界遺産を保護したいかと言われても、それは自然にそうなってしまうというような部分でしょうから、明確な理由が無くてもいいと思います。それよりも、保護する事でどうなるのか、といった所に注意するほうが良いような気もします。(私の見解)。