- 長崎のキリスト教会について
- 1 名前: 収斂
投稿日: 2001/5/10(木) 00:24:12
- 長崎の教会といえば、やはり大浦天主堂があまりに有名ですが、その他にも明治〜大正期に、意外と多くのキリスト教会が建設されました。特に五島列島・佐世保・平戸には小さいながらも地元の人に愛されている教会があります。それについて簡単ではありますが例示します。
<五島列島>
堂崎天主堂(福江島・福江市)
明治12年に五島列島で最初に建設されたキリスト教会。明治41年に今の煉瓦造りになった。
水 ノ浦教会(福江島・岐宿町)
明治13年建築の木造教会。
三井楽教会(福江島・三井楽町)
明治13年建築だが、現在のものは昭和46年に建設される。モザイクタイルの聖堂はその時のもの。
江上教会(奈留島・奈留町)
明治39年に創建されるが、大正7年に再建。
鯛ノ浦教会(中通島・有川町)
明治14年の旧聖堂と昭和54年建設の新聖堂がある。
頭ヶ島教会(頭ヶ島・有川町)
西日本唯一の石造りの教会。
大曽教会(中通島・上五島町)
明治12年創建。現在の聖堂は大正5年のもの。煉瓦造り。
冷水教会(中通島・上五島町)
明治40年創建の木造瓦葺きの教会。
青砂ヶ浦教会(中通島・上五島町)
明治12年創建。現在のものは明治43年再建。
江袋教会(中通島・新魚目町)
明治16年建設の木造教会。
<佐世保>
三浦町カトリック教会(佐世保駅から徒歩2分、国道35号線沿い)
明治32年の建設。昭和5年に現在地に移転。佐世保のシンボル的存在。
<平戸>
ザビエル記念聖堂(平戸市役所前の幸橋から北西に約200メートル)
昭和6年に建設。ザビエル記念像がある。この教会の隣が平戸の古刹の瑞雲寺で、教会の尖塔と仏教寺院の対比が観光客に人気のスポット。
- 2 名前: 収斂
投稿日: 2001/5/10(木) 01:42:26
- 長崎のキリスト教会について、意見を述べさせていただきます。この掲示板にのびさんのような五島列島出身の方が来訪されましたことを心より歓迎いたします。私は五島列島を訪れたことがないので、手前勝手な主張になる惧れがあり、その際はどうぞ存分に批判していただきたく思います。
私も長崎の教会建築には多少の興味関心がありました。以前、このBBSで浦に〜とさんと日本の世界遺産について見込みがありそうな物件を話っていた頃に、BBSには公開しませんでしたが、ここはお互いに注目していた物件の一つでした。
私はこの物件の可能性は五分五分と算定しています。多くの日本の物件が、残念ながら、登録の可能性が低いものが多い中で、長崎の教会建築群は登録される可能性が半分は見込める物件と評しています。まずその長所・短所を見てみます。
先に短所から示します。いわば現状の問題提起です。おそらく気付かれていらっしゃるでしょうが、欠点は何と言っても建物の歴史が短く、さらに建築学的な意義が少ない点です。歴史の短さは仕方が無いとしても、明治期の洋風建築の例証としては、例えば開智学校のような、洋風建築を日本の木造技術で模倣した、いわば和洋折衷様式が、(たとえ世界遺産にならなくても)建築としては面白いです。外国ならちょうどコロニアル建築が多く世界遺産になっていますが、それと同じようなものです。しかし明治後期ともなれば、海外留学から戻った日本人自身で、洋風建築を設計・建築できるようになり、単純な西欧風の模倣建築が急に無くなります。折衷様式は明治期の最初の30年くらいで終わってしまいます。
ですから長崎の教会建築の唯一の魅力は、石造りの聖堂を木の構造で表現しようとした点でしょう。特に明治時代でも初めの頃ものが面白い。そうすると長崎の教会の最高傑作はやはり大浦天主堂となります。あれはさすが国宝といえるだけの価値があります。この教会は日本のキリスト教会で最も古く、随所に明治期の職人の試行錯誤が見られ苦労が感じられます。表面は石ではなく漆喰で、中は木造です。その独特の様式は評価できます。似たような教会が五島列島の教会群にもあるみたいなので、そういうものを推薦対象にする必要がありそうです。
しかし世界の教会建築として見た場合、このくらいの建築は全然珍しくない。そこが最大の欠点でしょう。
さらに当時の東アジアで最もイエズス会が拠点とした場所は中国の広州などの巨大な都市でした。ここにはイスラム寺院なんかまであり、今でもよく保存されています。世界遺産としての歴史的価値を語るなら、鎖国をしていた日本が開国後すぐに建設した長崎のキリスト教会より、中国に現存する教会群の方が意義深いですよね。
じゃあ長崎のキリスト教会は全く脈がないのか?というとそうは思いません。今日は(実験装置組み立てとか、計算待ちとか、なんやらで)疲れたから、また近日中に書き込みますね。今度はどうすれば長崎の教会を登録できるかについて、その長所を中心に書き込もうと思います。また私のキリスト教史観も書き込むかもしれません。
(最後に)
のびさん>
あなたはどうやら九州大学の学生さんのようですね。もしかしたらあなたのそばをすれ違ったことがあるかもしれませんなぁ〜。学部はどちらですか?
- 3 名前: のび
投稿日: 2001/5/11(金) 04:45:26
- 中国の広州・・そうでしたか・・初めて知りました。勉強になりました。浦に〜とさん、収斂さんをはじめ、みなさまの博識さに圧倒されます。
実は、前回の書き込みは、自分なりにかなり背のびしてみたものなのですが、僕はのび太なのでやっぱり難しいことは分かりません。(^^;)
無知な僕がこれ以上この意義深い掲示板を汚すのは心苦しいのでこの辺で。しかし、こんな僕にもいろいろ知りたいという好奇心はありますので、
これからも、今度はどうすれば長崎の教会を登録できるか等、またいろいろとご教授ください。収斂さん!?すれ違ったことがあるかも、ですか???
僕はいま、主に海洋物理の研究をしていますが「計算中は研究中の法則」を使って、ときおりこの掲示板にも研究しに参ります。では、失礼します。
- 4 名前: 収斂
投稿日: 2001/5/13(日) 22:18:20
- 長崎の教会についてちょっと調べてみました。その結果、前回紹介したものよりも多くのキリスト教会が見つかりました。長崎市内ではやはり大浦天主堂と、原爆で破壊されながらも今は見事に再建された浦上天主堂が有名ですが、それも含めた形で、五島列島、佐世保、天草、平戸のキリスト教会を世界遺産にするための方法を探っていきたいと思います。
前回の投稿では、簡単にですが、これらのキリスト教会の登録の難しさを書いてみました。少し調べてみたのですが、やはり登録は難しいというのが正直な感想です。しかし全く不可能とも思わないので、その辺について、少し考察してみましょう。個人的には登録に賛成ですから。
まず前回紹介していなかった教会について例示しておきます。
<西彼杵半島>
黒崎教会
1865年創建。1920年に現在の煉瓦造りの教会が完成。
出津(しっつ)教会
1882年にド・ロ神父が建設した二つの尖塔を持つ木造教会。台風被害を避けるため全体的に屋根が低くなっている。県指定文化財。100メートルほど南東にド・ロ神父記念館、500メートルほど北東に野道キリシタン墓地がある。
大野教会
1893年にド・ロ神父が大野地区の26世帯の信者のために建てた教会。煉瓦造りだが、日本の黒瓦を載せた和洋折衷様式。
<天草>
大江天主堂
1892年にルドビコ・ガルニエ神父が、私財を投じて建設したロマネスク様式の教会。入り口に吉井勇の歌碑もある。
津崎天主堂
創建は1569年と言われる全国でも特に古い教会。江戸時代にこの教会は破壊されるが、明治時代に再建され、現在の建物は1936年のもの。羊角湾に映えるゴシック様式の建築は美しい。ここはまた隠れキリシタンの遺品を多く収蔵している。
<五島列島>
井持浦(いもちうら)天主堂
井持浦を見下ろす高台の上に立つ煉瓦造りの聖堂。1895年に完成。ルルドのマッサビエル洞窟の泉を模した霊水がある。
丸尾教会(中通島・新魚目町)
1972年再建。旧聖堂は1928年のもの。
曽根教会(中通島・新魚目町)
1966年再建。
赤波江教会(中通島・新魚目町)
1884年創建。現在のものは1972年再建。
米山教会(中通島・新魚目町)
1977年再建。コンクリート製。
中ノ浦教会(中通島・若松町)
木造ゴシック様式の教会。
桐古里教会(中通島・若松町)
1881年創建。現在のは1958年改築。
土井ノ浦教会(中通島・若松町)
大曽教会からの移築であるが、1960年に大幅に改築。白い独特の形をしている。(おそらくコンクリート製と思われる)
福見教会(中通島・奈良尾町)
1878年創建。現在のものは1913年に煉瓦造りで再建。
浜串教会(中通島・若松町)
1897年、漂着した鯨を売ったお金で建立したという逸話がある。現在のものは1966年のもの。
<平戸>
紐差教会
平戸最大の教会で1895年創建。現在の教会は1929年再建されたもの。平戸のカトリック信者の半数がこの教会に所属しているという。
自分もこんなに教会があるとは思っていませんでした。新しいものや、本に掲載されていない教会も多くあるでしょうから、この2倍くらいはあるでしょう。
そこで、なぜ五島列島にこうも教会が多いのか解説しておきます。江戸時代に五島列島は五島藩が治めていましたが、キリスト教弾圧で人口が減少しました。そこで大村藩に移民を申し入れましたが、その時隠れキリシタンの多くが五島列島に移住したからだそうです。ですから五島列島には隠れキリシタン弾圧の歴史を伝える殉教地が多くあり、また隠れキリシタン対策として建設された寺院や神社も多く存在しています。隠れキリシタンの遺物も意外と多く存在しています。世界遺産になるとしたら、こういった物が一級の資料になります。
ほかに芸術的・文化的価値の高いものとしては、平戸の松浦家伝来の家宝ですね。鎌倉時代から明治時代まで続いた名家で、宝物の質・量はすごいです。平戸にはこの松浦家の30000点を収蔵する松浦資料博物館があります。
- 5 名前: 収斂
投稿日: 2001/5/13(日) 22:20:09
- では長崎のキリスト教会を世界遺産にするにはどうするか、何を推薦対象にするか考えます。
世界遺産にするには、少なくとも文化財としての価値が必要です。これは絶対必要になってきます。ところが長崎の教会についてみれば、まだ歴史が新しいため、文化財指定されている物が極端に少ない。和洋折衷の教会建築だって長崎や五島にしかないというものでもありません。実際に、山口、函館(聖トラピスチヌ教会など)、神戸、横浜にも美しい教会がありますからね。ですから建築はそれほど面白いものではないということになります。とすれば、どうしても歴史的な価値で勝負するしかありません。
日本で長崎がほかの地域と決定的に違うのは、キリスト教徒が弾圧された歴史があり、しかも200年以上信仰を捨てなかったという事実です。はっきり言ってそれしかない。1865年3月17日の大浦天主堂での信徒とプチジャン神父の感動の出会いは、信仰の強さを示す歴史的事件と位置づけてもいいでしょう。
となれば、隠れキリシタン関連の史跡が世界遺産の対象となります。私が考えるなら、「日本における初期キリスト教関連の文化財と和洋折衷様式の教会建築群」、もしくは「禁教下でのキリスト教信仰を伝える文化財と和洋折衷様式の教会建築群」とします。
該当物件としては、当然ですが、大浦天主堂が該当します。これは建築的に見ても良いものです。それと浦上天主堂。これは原爆で破壊されましたが、原爆の悲劇を伝える物というよりも、建設当時は東アジア屈指の煉瓦造りの聖堂であった意義を強調した方が有利でしょう。ほかに教会についてだけみれば、五島から2〜3個、平戸・天草・佐世保から1〜2個の教会を選出すればいいのではないでしょうか。また隠れキリシタン弾圧の場所も少し含まれてくる可能性もあります。ただ具体的な教会については、私も判りません。今手元に資料がないからです。
- 7 名前: 収斂
投稿日: 2001/5/13(日) 22:24:12
- <私のキリスト教史観>
ここでは、かなり主観的なキリスト教史観を述べてみたいです。多少独善的になるかもしれませんので、批判・反論してください。
私は、江戸幕府のキリスト教禁止令は、決して間違った政策ではないと考えています。むしろ英断ではなかったかとさえ思っています。それはキリスト教自体が問題ではなく、キリスト教を布教する国々が植民地政策を推進する帝国主義国家だったからです。司馬遼太郎氏は16世紀に布教を認めていれば、産業革命が日本でも起こって、欧米の進んだ文化が日本を国際化したであろうと主張しておりますが、私はそんなに甘くはないぞという意見です。(私は彼の著書を全部読んだわけではないのですが、知っている範囲で、大体半分くらいは同意できないのです)
実際、キリスト教には男女間や人種間の差別的思想が結構ありますし、奴隷貿易や植民地政策について、何ら回避する行動を取らなかった。またムッソリーニと密約してヴァチカン市国を独立させた点など考えても、十字軍以前からも数々の汚点があり、それが意外と論じられること無く、うやむやになってる気がします。
誤解して欲しくないのは、私は決して過去のことばかり言う気はありません。もしキリスト教の信者がこれを見ても、もうどうすることもできない話ですから。だから、同じようなこと、つまり江戸幕府は悪玉で、弾圧信者は悲劇だったという話を今更したって、建設的な理解が始まらないと思うのです。もし長崎の教会が世界遺産になるときは、やはり当時の世界情勢についての冷静な見方が必要になってきます。江戸幕府は悪者で、弾圧されたキリスト教徒が正しい弱者という単純な二元論だけはしない方がよいと考えます。
それともう一つ、当時の隠れキリシタンが、いったいどのくらいキリスト教を理解していたのか?という疑問もあります。当然、聖書はほとんど無かったでしょうし、訳もない状態です。熱心な信者だったかもしれませんが、キリスト教の教義はほとんど知らない信者がほとんどではなかったかと思います。またキリスト教の布教で起きた南米、アフリカの悲劇も知らなかったはずです。もし知っていたら、それでも信仰を続けたでしょうか?
私は19世紀くらいまでのキリスト教は、現在のようなイメージでは語れないと考えています。私は長崎のキリスト教関連の遺跡・教会群を、そんな異宗教間の敵意の象徴だけにはしたくないのです。
のびさん>
ちなみに日本は、当時キリシタンと幕末の陽明学には厳しかったのですが、それ以外の学問にはかなり自由でした。そのことが江戸時代の多様な文化を生んだ大きな要因でした。今の常識からみれば、キリスト教を認めても良かったのではないかという説もあるでしょうが、それは今の日本で宗教戦争や紛争、対立が無いから言える話かもしれません。私は、やがては世界中の国がそうなると確信していますが、それはまだまだ先でしょう。
欧州の国民の生活の中に、キリスト教が深く浸透しているというのはすばらしいことですが、同時に、欧州の大都市を中心に、無宗教信者というのもかなり増加しています。反面、日本では宗教にとらわれていないというか、バチ当たりというか、縁日や初詣をお祭りのように気楽に考えている人があまりに多いのですが、しかし私は、今まで、全く宗教を信じていないという日本人を知りません。否定的な見方の人は数人だけいましたが(大学の先輩でしたがその人達はやはり共産党員でした)、それでも否定している人は知りません。実際、宗教間対立も日本ではありません。はたしてどちらが良いか考えた場合、宗教が原因の対立が無い方がいいと思います。宗教で対立すると、民族全体を怨み、憎しみ合いますから。お気楽な日本人ですが、むしろ賢いのかもしれません。ただ伝統行事だけは、誠意を持って臨みたいですね。私は神社や寺院に行く時は、必ず清潔な格好で訪れ、礼儀正しく参拝するように心がけていますが、それはキリスト教寺院を見学させていただく時も同じ気持ちです。最低限度の礼儀作法は社会では絶対必要で、特に神社や教会のような信仰の対象は、宗教・宗派にかかわらず尊崇の気持ちが大切だと考えています。
最後になりましたが、私は長崎のキリスト教会の世界遺産化を応援しております。登録されると良いですね。
こんな主観的な文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
- 9 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/5/18(金) 11:15:42
- 収斂さん>
ご説明ありがとうございます。前回「日本の世界遺産登録運動」スレッドにて私が書いたのは、なんだか的外れでしたね。
弾圧の歴史というのはかなり大きな登録要素になり得ると思います。それ一点だけでも強いものではないでしょうか。でも意外と建築年が新しいので驚きました。
世界にある、キリスト教布教を示す教会の世界遺産と比較すれば尚良いですね。傑出した特徴である点などを見ていけば面白くなりそうです。