- 東京は世界遺産になれないか?
- 1 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/20(水) 21:19:38
- 大胆にも首都・東京が世界遺産になれないか考えてみました。
- 2 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/20(水) 21:20:27
- 東京と言っても、世界遺産登録するには、特定の建築物や庭園を推すのではなく、私は「隅田川の橋梁群と両岸の下町地域」しかないと思っています。そこで、隅田川と下町地域を中心に話を進めていきます。世界遺産としてみた場合、東京はどんな物件なのか・・・かなりローカルな話で、又ひいき目に見ていることをお許しください。
まず、隅田川は江戸時代から今日にいたるまで、多くの文学・芸術作品の舞台になってきました。これは非常に大きな意味を持っていることです。とりわけ日本橋は人気の題材で、あのたった一つの短い橋が、多くの絵画作品に登場するのは異様にも思えるほどです。また江戸全体の芸術作品を見ても、隅田川を題材にしたものがあまりにも多いです。他に深川、上野、浅草、銀座などがあって、大都市江戸・東京の中心であり、長期にわたって大衆文化を育んだということの意義は大きいです。
しかしこういった芸術の舞台というのは、世界的に見て何ら珍しいことでもありませんので、世界遺産登録の大きな理由にはなれません。日本橋も今あるのは20世紀初頭に行われた、18回目だか19回目の再建によるもので、江戸時代のものとはまったく違います。(しかしその、明治時代に架けられた装飾性の強い日本橋も、素晴らしい芸術品であります)。
東京に残された江戸の姿は、道路や水路に骨組みとして残っている程度です。この家康が作った江戸の都市構造ですが、これもよく考えてみると面白いものです。
17世紀初頭、急遽大都市になる必要性が生じてしまった江戸は、それまで湿地帯で小高い山が多い、小さな猟師町でした。そこに、山を削って深い入り江を埋め、堀割を残しながら計画的な町を作り出しました。人口爆発によって神田上水・玉川上水といった技術的記念物も生まれました。
また江戸と言えば当時世界最大の都市だったと言われます。正確な人口は不明のようですが、18世紀にはロンドンを超えて世界第一位だったとも言われています。
ご存知のように江戸の建物は木造建築物ばかりで、火除地や広小路があっても大火が起こりやすい町でした。明治に入っても大火が頻発しました。現在の東京は、基本的な都市骨格が江戸時代の町割にならっているとは言え、ほとんどが明治から昭和にかけて改作された姿をしています。
東京は明治時代、ヨーロッパの都市を目指して作り変えられた町です。明治5年の大火後、銀座(中央区)に作られた煉瓦街がその始まりだと思います。ちなみに銀座煉瓦街時代の建物は現存しません。
また丸の内(千代田区)や兜町(中央区)などの社会的中心地は、諸外国の都市を模して作られましたし、新しい街区や鉄道網の引きかたも海外を模しています。私はこの点が非常に珍しく興味深い点だと思っています。植民地支配を受けたわけでもないのに、19世紀中葉になって、突如自ら進んでヨーロッパ型の都市を作ろうとしたからです。こんな事をして作られた大都市は東京くらいではないでしょうか。
(この辺になると、海外の目ぼしい大都市について、ヨーロッパを目指した都市づくりが行われたか否かを、厳密に調べる必要がありますね)
- 3 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/20(水) 21:21:40
- 次に「隅田川の橋梁群と両岸の下町地域」の具体的な特徴を見ていきます。
まずは「隅田川の橋梁群」について。
隅田川といって真っ先に思いつく特徴が、橋梁の種類の豊富さです。現在隅田川に架かっている橋梁は、海外の橋をモデルにし、海外の技術によって作られたものが多く、日本独自とはいえません。しかしそこには、大都市がたった三日で焦土と化し、その後どのように復興していったのかという有り様が見えるのです。これは非常に大きな意義だと思います。
震災後の帝都復興の核となったのは橋梁建設でした。震災復興計画で架橋されたのは俗に隅田川十大橋と言われる10本です。それらは物流の大動脈であり、帝都の中心を流れる隅田川に相応しい景観を作るべくして意匠されました。架ける位置や町によってデザインを変え、また橋詰の海抜によって、桁の高さを臨機応変に変更するなどの策が練られました。
この事業で特に力を入れたのが、隅田川の最下流(当時)に架かる永代橋と、下流から二番目(当時)の清洲橋です。これらには相当凝ったそうで、実際、今見てもいい橋です。今は間に隅田川大橋が架かっていて、両橋の間隙を長くあけたことの意味も薄らいでしまっており、その点は残念に思います。また永代橋と清洲橋の架橋に際し、両岸の深川や日本橋の運河に小さなトラス橋を多く配して、相互効果を狙っています。
現在最下流に架かる勝鬨橋(跳ね橋)も、海外の橋梁の模倣と言われますが、そういったものが日本にあると言うことで意義深くなるのではないでしょうか。更に勝鬨橋に以前通っていた路面電車(都電)は、橋の開閉によって線路や架線がズレないよう、何やら特殊な構造をしていたと聞きます。私が生まれる何年も前に勝鬨橋の開閉は終わってしまいましたが、是非一度、あの橋が動くところを見てみたいものです。
隅田川の橋についてまとめると次のようになります。
「隅田川の橋梁群は、20世紀の先端技術を用いて取り組まれた帝都復興事業の象徴であり、結果として桁間の長い橋梁が建設され、芸術的にも意匠を凝らした作品の集積となっている。更に復興十大橋を含む隅田川の25の橋は、殆どで形式が異なり、両岸も抱合した全体効果をも狙ったものとして、川と橋を中心にした20世紀の都市計画・再興が見られるものである」
1990年代になってからも、隅田川では新しい橋の建設や、古い橋の架替が行われています。しかしどの橋も特徴的な姿をしていて、隅田川という歴史的な川を本当に大事にしていることが伺われます。時代が新しいから今すぐ世界遺産にはなれないかもしれないけど、視点を変えれば、つい10年前の架替でさえも、隅田川を意識した素晴らしいデザインが採用されたという強みであると思います。
ドイツの「ベルリンのムゼウムスィンゼル(博物館島)」が登録されたのなら、隅田川も登録できそうですけどね〜。
- 4 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/20(水) 21:22:44
- 続いて「両岸の下町地域」について
この辺りには明治以前の建物は殆ど残っていません。震災と戦災によって二度も滅びた都市ですから、これは仕方ありません。
銀座から神田にかけての一帯には、ある程度の近代建築が残されています。しかし、それらも、特別な特徴がないので、残念ながら世界遺産になれないと思います。
最も有力なのは寺院跡地に造成された上野公園(台東区)、そしてその周辺にある東照宮や寛永寺でしょう。この辺りは東京でも特に重要文化財建築が集中しているところです。しかし「両岸の下町地域」の範囲に含めることは疑問かもしれません。
また江戸城にも重要な建築遺構が残されていますが、元の規模を考えればあまりにも断片的です。
河口にある旧浜離宮庭園(中央区)は重要な庭園で、特別名勝・特別史跡の両指定を受けた珍しいものです。
これら以外にも重文や名勝になっている建物・庭園がありますが、どれも決定力に欠けます。
私が好きなのは、文化財指定されている寺院、庭園、大型の近代建築よりも、墨田区や中央区に残された木造長屋です。これらは20世紀前半に建てられたもので、木造都市
江戸・東京の姿をよく留める象徴的な意味合いを含んでいると感じています。
最後に「隅田川の橋梁群と両岸の下町地域」を世界遺産にする際の障害を挙げます。
一つ目は景観が甚だしく悪いこと。隅田川に架かる橋を鑑賞しようにも、必ずビルや看板が背景に入ってきます。また下町地域にしても、木造民家の群を潰して新たにビルが作られています。古いものが急激に失われていることが残念です。
しかしこの点は、住民があることや防災上の問題から、止むを得ない再開発と言えます。
二つ目は歴史が浅いこと。帝都復興のモニュメントと言っても、せいぜい70年しか経っていません。またカミソリ堤防からスーパー堤防に随時作り変えるという新たな水辺空間の建設も進められており、「隅田川の橋梁群と両岸の下町地域」は現在進行形なのです。
三つ目はこれらの物件が世界的に見て珍しいと言えるのか、ということです。上に私が書いた文章は、隅田川とその周辺、そして明治以降の東京建設の特徴です。それらの中で特に強調したいのが次の二点です。
「東京は文明開化後、唐突に、ヨーロッパの都市を目指して改造された都市である」
「震災による壊滅的な打撃の後、首都の中心を流れる河川を中心に計画的な復興計画が行われ、美しい橋の複合体が示された」
更に、「江戸時代から今日にいたるまで、庶民文化が育まれ、多くの芸術・文学作品の舞台として描かれた川である」という事も、大きな特色として付け足せるかもしれません。
これらの特徴は果たして、世界遺産になれるほどの物と言えるでしょうか?世界的な影響力、あるいは国内での影響力があれば良いのですが、それについては分かりませんでした。
私は、世界的な影響力、あるいはその国内や地域内における影響力はあったほうが良いが、無くても大丈夫だと考えています。隅田川周辺は、世界最大規模の都市が20世紀に壊滅し、直後に復興していった姿を示す物として、普遍的価値をもっていると受け取ることは出来ないでしょうか?
以上です。
- 5 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/20(水) 22:36:39
- 浦に〜とさん>
世界の主要都市とユネスコ世界遺産というページを設けていますので参考にして下さい。
http://www.dango.ne.jp/sri/toshitosekaiisan.htm(Text)
首都東京にも東京の隅田川河岸という世界遺産が誕生するといいですね。臨海副都心の都市開発は私がサラリーマン時代の最後の仕事,とは言っても1989年の開発の端緒でしたがアメリカのべクテルの技術者と一緒に仕事をして,彼らの物の見方,考え方に驚嘆させられたものです。新しい街と古い町が共存する東京,なかでも,隅田川河岸は大川端も含めた
ストーリーづくりが大切だと思います。
首都東京の顔は,いろいろありますが,江戸城址(皇居)についてはどの様に思いますか。皇室物件に違いありませんが,皇室物件も古都奈良の文化財の正倉院が登録された様に除外規定はありません。運用上,
その様にしてきただけで,文化財保護法に皇室物件を除外するという規定はありません。保護管理措置はむしろ宮内庁の所管物件の方が手厚いと思いますし,スウェーデンの世界遺産の中にも現国王が住む宮殿もあります。顕著な普遍的価値の証明が課題となりますが,首都東京にも
世界遺産は是非欲しいですね。開幕400年の歴史があるのですから。浅草寺も含め江戸東京文化のストーリーをつくって下さい。
- 6 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/21(木) 03:05:24
- 浦に〜とさん、ついにこのBBSにも東京が登場ですか。鳴り物入りでっせ。
如何せん、私は東京の歴史・地理について十分な知識が無いので、参加したくてもできないのですが、応援してます。
(雑感)
最近の東京は実に魅力的なビルが多いと思います。ようやく日本も美観重視の設計が普及しつつあるのかな、なんて感じています。(あぁ、東京かぁ〜
都会ってやっぱりちょっと憧れる!)
まず東京の短所を改良していく方が、理想的な都市計画への第一歩かもしれませんね。私は阪神大震災の揺れを経験しているので、どうしても地震が恐ろしいのです。ですから、日本には高層建築はあまり向かないという意見です。実は高層マンモス団地は、かえって人工密度が減ってしまうのです。
土地の有効利用は省エネにもなり、そういう方向で開発して欲しいです。家庭の中で占めるエネルギー消費では、案外給湯にかかる割合が大きいのです。太陽光温水装置の更なる普及を行うべきであり、それはオフィス街でも実行した方がいいと思います。それと建ぺい率を緩和して、欧州の長屋のようなビルを多く建て、幕張にある住宅会社合同の有名な実験住宅(名前忘れました。地価駐車場を完備したピロティ構造です)を参考にして、効率的な住空間を確保するべきだと思います。
ちなみにシンガポールは、土地が少ないので、土地行政を効率的にするかなり強制的な法律がありますが、それがうまく機能しており、国民のほとんどが家を持っています。ただしビルですが。でも日本もそれでいいと思うのですよ。国民全員が土地付きの家に住むのは贅沢です。自然環境を考えると人間と自然は相容れないのです。今の技術では住み分けしかないと思います。どうでしょうか。
- 7 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/21(木) 03:16:33
- 東京ではないのですが、関東の考古学的特徴は、以前書いたかもしれませんが、「貝塚」の存在です。全国の貝塚の半分以上が関東地方に集中してます。もちろん東京にもたくさんあります。それを一括して運動するのはいかがでしょうか?
- 8 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/21(木) 03:20:43
- 浅草の浅草寺は東京大空襲で灰燼に帰しましたが、国宝級の文化財は疎開していて無事だったと聞いています。実際、国宝も所蔵していますしね。
浅草寺を完全復旧させて、単体で登録するのはどうでしょうか?
- 9 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/21(木) 08:45:02
- 別スレッドを設けた方がいいかもしれませんが首都圏では,茨城県の筑波研究学園都市もおもしろいと思います。20世紀の新都市と建築物ですが,将来的には楽しみなものの一つです。私はもともとイタリアやスペインの様な単体思想は好きではありませんが,江戸東京には,連綿とした線,或は,面でのストーリーが必要だと思います。世界遺産委員会も,今後の各年の新登録物件は,最高30物件というガイドラインを設けつつあり,各締約国に厳選したものを登録申請する様にとの指導をしつつあります。日本の文化庁もこれを受けてリリースを公表していますが,あれもこれもとはいかない。日本の物件についても自ずと日本らしさを浮き掘りするものが求められてくる。首都東京についても遷都論も出ていますが,首都となった経緯,歴史があるわけですから歴史文化遺産は自ずと蓄積されているはずです。東京には少なくとも400年の歴史があるわけですから。
- 10 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/21(木) 08:48:52
- 訂正>
浮き掘り→浮き彫り
- 11 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/21(木) 09:07:29
- ミス
人工密度 —>人口密度
すいません。(^ 。^;;;;;;
筑波学園都市は日本の研究所の3割が集中しています。高エネルギー研究所の加速器も有名です。でも文化財となるとちょっと疑問です。あそこからノーベル賞がいくつも出たら、100年後そういう話が出てもいいでしょうが。
- 12 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/21(木) 09:11:31
- 石原都知事も文化人ですから江戸東京文化の歴史文化遺産を世界遺産にすることも考えて欲しいですね。先般,小笠原諸島を視察されていますが,これを自然遺産にすることも含め,東京都には2〜3
の議論の対象はあると思います。臨海副都心にカジノをつくるよりも都市振興の効果は高いと思います。今,都議選が行われているのでしょうか?こういうことを公約や政策として東京の都市づくりを考えて欲しいですね。
- 13 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/21(木) 09:27:04
- 訂正>
江戸東京文化→江戸東京
- 14 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/21(木) 16:57:47
- キタキツネさん>
“世界の主要都市とユネスコ世界遺産”拝見しました。面白い比較ですね。やはりヨーロッパが圧倒的に多い・・・
インドのニューデリーには、「デリーのクトゥブ・ミナールとその建築物群」「デリーのフーマユーン廟」は含まれないのでしょうか?
行政上の市として分かれているのか知りませんが、同じ市街地域ですよね。
また東京のストーリー作りとは具体的にどういったことでしょうか。世界遺産推薦物件の対象を、一つの線や物語で結びつけることですか?
あるいは世界遺産化の運動方法などですか。
収斂さん>
東京の現代建築も個々は面白いのですが、散在していますし、臨海副都心もあまり統一感があるものでも無いように感じます。現代建築の町というならベルリンなどにはかなわない気もしますし、この面での世界遺産登録は困難に思われます。
我が中央区の月島地区再開発も、以前は、古い長屋から新しい長屋へと作り変えていくという構想でした。しかしそれは全く実現しておらず、多くの長屋を潰して40階建てくらいの高層ビルが作られたりしています。あるビルの広告看板には、「月島の風景が変わる」というような謳い文句さえありました。もうちょっと、場所を考えた再開発をしてもらいたいですね。
ひとむかし前、月島地域の最初の高層マンション建設ラッシュは、工場や倉庫の跡地で行われました。それが今では、長屋密集域に舞台を移してしまったのです。
先日新宿区の神楽坂を歩いていて、「神楽坂には30階建てのビルは高すぎます」というような、高層ビル建設反対のポスターを見かけました。月島・佃・勝鬨界隈でもそういった意識を持って欲しいですね。でもこの辺りでは住民もあまり反対していません。むしろ空家になっている長屋や駐車場が結構あるので、50m×100mくらいの長屋密集地帯を完全に潰して、新しいビルを建てたほうが好都合なのかもしれません。
江戸城について
江戸城で特徴的なのは、その規模と堀ではないでしょうか。堀は全体の7割くらいが現存しているように感じます。地図を見れば「の」の字型の螺旋構造がよく分かります。江戸城の堀は堀は神田川と一緒になって、最後は隅田川に達しており、江戸の町を抱え込んでいた姿も残されています。また江戸城では石垣も特殊のようですが、どこが優れているのか忘れました。
自然的な面で言うと、武蔵野の原野が、狭いながらも手付かずのまま残されていることが挙げられます。これは大変貴重なものです。昨年か今年に初めて本格的な調査が行われて、新種も見つかった所です。オオタカ、ノスリも棲息しているようです。仮に日本遺産を選定するなら、東京都でもかなり重大な自然遺産として認知されるでしょう。
臨海副都心について
臨海副都心も、日本において面白い物件であると言うことで終始してしまう感じがします。先ほど書いたように、あまり統一感がありません。ただ臨海副都心はまだ建設途中なので、今は何とも言えませんね。将来は住宅や研究機関なども出来上がるそうです。普遍的価値の査定はそれからです。
- 15 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/21(木) 16:59:03
- 収斂さん>
関東地方の貝塚はそれほどすごいものなのでしょうか。考古資料と言っても、とりわけ断片的な種に属すと思いますが・・・
また浅草寺は完全復元しても、世界遺産化は無理でしょう。日本からは宗教建築が多数登録されてますからね。隅田川周辺の一部として、浅草界隈を組み込むような形になると思います。
私は浅草寺の建築物についてあまりよく知らないのですが、今ある建物はオリジナルの建物と全く違うのでしょうか。
キタキツネさん>
世界遺産の新登録数の上限を設けるのですか。あまりそういうことはやらない方がいいと思いますけどね。個数で規制するよりも、文化的景観や自然遺産(特にN(4)に該当するようなもの)、世界遺産の無い地域からの選出をもっと勧告したり、具体的にそれが実現するような策を練ったほうが良いと思います。
- 16 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/21(木) 19:04:59
- 東京の話題で盛り上がっていて面白いです。
(今日はそろそろ帰宅しますので、早速投稿しますね。)
浦に〜とさん>
関東の貝塚は、考古学的な地域の特徴であっても、普遍的価値はあまりないです。ただ遠浅の関東平野では昔からそういう平和な営みが続けられてきたことはごく自然のことと思えます。
面白いのは、関東や名古屋の貝塚の中に、周辺に建物の跡があまり見られないにもかかわらず、貝の殻がものすごく厚い層になって堆積している貝塚があります。このことから、ここはかって貝の剥き身を加工する小さな工場であり、採れた貝は干し貝にして交易していたのではないか、という説があります。実際、周辺に人家がないので、そんな多くの貝は必要ないはずだからです。
しかし、そうはいっても、こういう遺跡は世界的には別に珍しいものではなく、重要であっても世界遺産にはなれないでしょう。
浅草寺は関東大震災でも燃えなかったのに残念でした。今の建物は戦後コンクリートで再建されたものですが、浅草寺が燃える前の写真は、昭和の初め頃ならたくさん残っているはずですから、復元は容易と思います。やはり東京一の観光名所がコンクリート製の寺院ではちょっとさびしい気がします。何年かかってもいいから、復元されたらいいなぁと感じます。
近代建築について>
私は、日本の都市の最大の欠点は、行政がどういう都市にしようかというビジョンが全然ないまま、開発を民間に任せていることと、相続税があまりに高いのでほとんどの国民が自分の代で消却できるような安っぽい住宅しか望まなくなっていることの二つがあると感じます。実際、古いものが嫌いであるからではなく、古いものが残りにくい社会になっているのです。日本人が外国へ観光に行く金額の一部でもいいから、日本の古い街並みの保存・再生・復元に使われたら、わざわざ欧州の古い文化財を見に行く必要もなくなるのでしょうが。
日本家屋は、本来大事に使えば200年くらい丈夫に持つのですが、施主が合板のような耐久性に乏しい安価な材料を使いたがるから、全然長持ちしません。私の意見ですが、円熟した社会を実現した日本では、そろそろ相続税を大幅に軽減してもいいのではないでしょうか。例えば、マンションやアパート・ビルの住宅の税率を下げたら、国民は土地付き住宅よりもマンションを買うようになって、結果的に都市の空洞化に歯止めがかかるように思えます。また大都市周辺の固定資産税はほとんど地価で決まりますが、それが都市の無計画な拡大膨張を加速させ、ヒートアイランド現象や通勤混雑といった大都市の構造的欠陥の引き金になっているので、都市周辺部の地域の税率の変更も必要ではないでしょうか。私は消費税がもっと高いほうがいいと考えています。なぜなら消費税は一般的に言われているよりもむしろ平等な徴税システムだからです。贅沢品・嗜好品の消費税率を高くすればいいのです。
ついでにキタキツネさんの指摘されている東京都のカジノ建設ですが、私は問題ないのではないかという意見です。カジノが違法ならパチンコも違法といえます。実際パチンコでの幼児の事件・事故の頻発はとても痛ましいのですが、そういうことが建設するカジノで発生しないようにさえすれば、問題ないのではないでしょうか。実際、モナコやラスベガスでの人気を見ると、景気の活性化にはそれなりの期待が持てます。
東京の現代建築はまだまだ数こそ少ないのですが、関東地方だけでも、そういう独創的なビルが毎年たった5棟建設されても、100年で500棟にもなります。つまりこれから建設するものを壊さず大事に使うような意識変更が必要であり、また行政もそういう方向で運動・援助するべきでしょう。また独創的なビルを早くから保存対象に選定する機構も必要かもしれませんね。
- 17 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/21(木) 19:09:19
- ついでに・・・
独創的なビルは税金を少なくしたらいいのではないでしょうか?(収斂の意見)
- 18 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/21(木) 21:55:24
- 1)インドの首都ニュー・デリーは,オールド・デリーとは敢えて区別しました。デリーとニュー・デリーは,実際には,東京と霞ヶ関みたいなものですが…。
2)東京は開幕後400年の歴史があるといっても関東大震災と東京大空襲で貴重な文化財が相当数,焼失していますから,パリのセーヌ河岸の様に,2200年の歴史文化遺産を川,橋,歴史的建築物と繋いでいくのは無理かもしれませんね。
むしろ,首都東京らしさは,江戸城址(皇居)と隣接公園群の方がわかりやすいかもしれません。浅草寺は1000年の歴史があり復元すると言っても耐震上,いかがなものでしょうか?
3)世界遺産の新登録数の上限数については,ユネスコ世界遺産センターのトップ・ページにある昨年の世界遺産委員会の議事録でも開示されています。
3. Nominations
In order to promote the effective management
of the increasing size of the World Heritage List, the
Committee at each ordinary session will set the maximum
number of nominations to be considered. In the first
instance and on an interim basis, it is proposed that at
the twenty-seventh session of the Committee in 2003, the
number of nominations examined by the Committee will be
limited to a maximum of 30 new sites.
第27回世界遺産委員会ですから中国での開催から試行ということでしょう。
4)臨海副都心の開発については景観の保全と生態系の維持に配慮してもらいたいと思います。
カジノの是非はともかく,ナイアガラで見たフォールズ・フロントのカジノとホテル群には,唖然としました。
5)日本は土地の有効利用とかいって,建物のスクラップ・アンド・ビルドをやり過ぎますね。パリやローマの様に古い建物を大切にして欲しいことと,古いものと新しいものを混在させるのではなく,旧市街と新市街という風に保全と開発の地域を区別するべきだと思いますね。
5)
- 19 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/21(木) 22:00:13
- 訂正>
浅草寺は1000年の歴史があり復元すると言っても耐震上,いかがなものでしょうか?
↓
浅草寺は1000年の歴史がありますが,復元すると言っても耐震上,いかがなものでしょうか?
- 20 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/21(木) 23:13:20
- 収斂さん>
キタキツネさん>
色々とご説明して下さって、ありがとうございました。
臨海副都心へのカジノの建設は、収斂さんと同じく、景気回復を期待できるので賛成です。また臨海副都心の開発事業では景観を大切にしてもらいたいですね。あまり神経質にならなくても、全体で一つのものと見られるような町に仕上げて欲しいです。
私が深刻だと感じているのは、汐留などの都心もしくは都心近くでの高層ビルの建設ラッシュですね。この辺では半年毎に景観が変わっています。私の家のすぐ近くに勝鬨橋という橋があり、そこから眺める隅田河口の眺めは壮大です。その風景には必ず、港区方面の高層ビルが借景として入り込んできます。最近は高層ビルがニョキニョキ建っており、本当に半年毎に景観が変わっていきます。最近は忽然とそびえる東京タワーの姿も霞みつつあります。
昨年は西日暮里(荒川区)の富士見坂から見える富士山の姿が、文京区内でのビル建設によって半減してしまうことが問題になりました。広範囲にわたる景観の変化を考慮して欲しいです。そもそも私はエンピツビルといわれるような、狭い土地に建つ10階建てくらいのビルが嫌いです。ああいったビルが建ち並ぶ町というのは、見てて気持ち良い物ではありませんね。
東京都(市)は維新後と震災後の都市改造に大きく働きかけたくらいで、あとは何もやっていませんね。区のレベルで見ても、何もやっていないと感じます。私は全部の区について把握しているわけではありませんが、都市開発や風致の項を見ても、抽象的な事ばかり書いてあって、いつまでに何をやるか、具体的にどんな都市にしたいのかよく分かりません。先ほど書いたように、月島地区の再開発構想もいつのまにか
うやむやにされた感があります。
東京では、道路や高速道の建設計画だけはハッキリしているんですけどね。あとは工場跡地など広大な土地の再開発でしょうか。そういった所には大抵、高層マンションの群が出現します。
また古建築の再利用も極端に例が少ないです。まだ現役で使えるのに、所有者が変わった途端に建替えますから、本当に勿体無いと思うこともしばしばあります。それから耐震検査によって建替えざるを得ない場合もあって、そういうのは残念ですね。
- 21 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/22(金) 21:34:02
- 浦に〜とさん>
私はあまり東京の中心部から10〜20キロくらい離れた町のイメージが分かりません。どういう感じなのでしょうか?
東京の中心部は確かにアジア最重要都市だと感じますし、実際そういう場所を世界遺産地区みたいな風致地区で規制するのは得策ではありません。むしろそういう地区の開発は、これからの建築に期待し、個性的な建築を優先的に建設し、現代建築の年輪を重ねさせる方がよいと考えます。
問題は周辺部です。周辺部は居住地域でもあり、また、小さな工場などが多くあったりと、いわば雑然とした地域です。また大型ショッピングセンターが必ずあります。そういう場所をうまく開発していくのも大切です。私は東京のそういう周辺部の様子を知らないから、実際どういう感じなのか知りたいですね。こういうことは東京在住の方しか分かりませんよね。
それと、最近聞いた話ですが、第2東京タワーを建設するという話がありますよね。あれは今現在どうなっているのでしょうか?
どうせ造るなら、ドカンと景気良く高さ1000メートルくらいの超高層ビルにして欲しいですよね。
バブルの時は竹中工務店とか、ハザマとかが、新聞の一面広告で1000〜2000メートルのビルは当時の技術でもすぐに建設可能と言っては宣伝しておりました。たった10年前なのに、変化が激しい昨今であります。
- 22 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/22(金) 22:31:49
- -東京の世界遺産候補の選出-
私は最初から、東京で世界遺産の候補物件を出すなら、隅田川橋梁しかないと考えてきました。
しかしここで再度、東京から世界遺産の候補とするべき物件を探ってみます。(一部、以前の書き込みと重複する部分もありますが、お許しください)。
1.高尾山
江戸時代には関東一円から信仰を集めた山であり、首都圏でも植物相が比較的良好に保存されていて、昆虫の生息数が多いことで知られています。しかし、世界遺産としての普遍的価値は残念ながら無いと感じます。
また秋川渓谷や日原鍾乳洞、雲取山など著名な自然もありますが、全て世界遺産は無理です。
2.江戸城址
日本の城郭としては姫路城が世界遺産登録されているので、江戸城は無理でしょう。しかし面白い物件ではあります。堀や石垣が残されていて、櫓や門といった木造建築物も残されています。でも天守閣も本丸も無いというのが淋しいです。
私は江戸城址の価値は文化面よりも、自然面の方が大きいように感じています。武蔵野の原始自然が、都心部に残されているのは本当に奇跡的なことです。武蔵野平地の植生はもはや多摩地域にも残されていないと言われています。
3.江戸の都市遺構
都心部からは江戸時代の武家屋敷や、町人の暮らした家々の遺跡が見つかっています。木で作られた当時の水道や、茶碗などの日常品、人骨も出土しています。江戸城址と合わせて、東京の過去の姿を示す物として面白いかもしれません。
4.玉川上水
これは世界遺産になれるとは思えませんが、小学校の社会科の授業で大々的に取上げられていた覚えがあります。江戸時代から現代までを通じて、東京にある土木遺産としてはおそらく最大規模ではないでしょうか。神田上水と一緒に、江戸城址と組み合わせて考えても良いと思います。
5.荏原台古墳群
東京でも特に古墳が集中しているのが大田区と世田谷区の多摩川流域です。これらを含めた東京の古墳は、東京の古代を知る上で大変重要な物と言えます。しかし世界遺産は無理ですね。特別な特色、著しい重要性は無いような気がします。
6.上野公園
社寺建築や近代建築が特に集中しており、日本の文化・芸術中心の中でもとりわけ壮大なものだと見ています。しかしこのような公園施設は世界の主要都市のどこにでもあるもので、普遍的な価値は見出せません。
以上、全てありきたりというか、平凡な物ばかりになってしまいました。私はこういったものの専門家でも無いので、結構いい加減なことを書いているかもしれませんので、おかしな箇所がありましたらご指摘願います。
また私は島嶼部についてほとんど知らないので(例えば鳥島のアホウドリコロニーとか)、今回は書きませんでした。
キタキツネさんは小笠原諸島を含めて2〜3件あると仰いましたが、具体的にはどういった物件をお考えでしょうか。ご意見をお聞かせ願います。
- 23 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/22(金) 23:07:37
- 学術上,保存上,或は,景観上,その顕著な普遍的価値を証明しなければなりませんが,
自然遺産については,小笠原諸島
歴史上,芸術上,または学術上,その顕著な普遍的価値を証明しなければなりませんが,
文化遺産については,江戸城址(皇居)と隣接公園群
また,今後の開発の方向性によりますが,都市景観と生態系の維持が
計れれば,臨海副都心をあげたいと思います。但し,ネオン・チカチカは如何かと思います。
それぞれの推薦理由についてもう少し詳しく根拠を述べないといけませんが,
この点は皆さんで議論を高めて下さい。
BBSに入れこむなと,このところ,内部批判を受けているものですから,瞬間所用時間5分以内でお許し下さい。(笑)
- 25 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/23(土) 01:17:25
- 収斂さん>
都心部には、戦前に作られた近代建築と、昭和中葉に作られた装飾も無い平凡なビルと、1990年代以降の現代建築という、三種類の建築物があるように見受けられます。それらの中でも、昭和中葉以降に作られたビルが不調和を見せる部分を、今後順次現代建築で統一していった方が良いというのは、私も思っていることです。でもそれら再開発によって貴重な近代建築が解体されるのは避けてもらいたいです。
古い建物は味わい深いものですので、出来るだけ大切にして欲しいのです。東京の近代建築には大規模なものが結構あるのですが、かなり散在しています。横浜の方がまとまりがあり、品もいい感じですね。東京は首都だったから仕方なかったのかもしれません。
周辺部の特徴や状態は、とても一言で言い表せるものではありません。東京には副都心が七箇所あります。(新宿、渋谷、池袋、上野・浅草、錦糸町・亀戸、大崎、臨海)。新宿は都庁がありますが、実は副都心です。東京都による都心の定義は、千代田・中央・港の3区の一部だけですから。
これら七つの副都心は臨海を除いて、いずれも山手線上か、そのすぐ近くにあります。そして場所によっては現代的な大型ビル、高層ビルが次々に建てられています。これらの副都心の中でも唯一隅田川以東にある錦糸町・亀戸は、とりわけ発展が目覚しいです。しかしそれによって、今年中にも一つの巨大近代建築が解体されることが決定しています。それが錦糸町にある旧精工舎で、存在感のある本当に立派な建物でした。
更に周辺部になると、完全な住宅地として、中型のマンションや集合住宅はあれど、ほとんどが一戸建ての民家か、2〜3階建てくらいのビルになっています。突如高層ビルの群が出現する、などということはあまり無く、公共の建物もそれほど高くありません。ただ駅前だけは例外で、大型のショッピングセンターや高層住宅群などもあります。それらは旧時代の商店街から生まれ変わったものです。
第二の東京タワー、すなわち新東京タワーの建設地は今尚もめていると聞きます。東京タワーの近くだとか、秋葉原再開発事業地内だとか、あるいは多摩地域だとか、埼玉県内の新都心開発事業地だとか、色々な話があります。
キタキツネさん>
ご返答ありがとうございました。
やはり小笠原諸島が筆頭ですよね。ここは間違いなく、世界遺産クラスの生態系を有しています。しかし規模があまり大きくないので、破壊の程度などが心配されます。しかし私は10年以内に登録できると思っていますが・・・。自然回復と登録運動を平行しても良いと思います。
江戸城址は難しいでしょう。何と言っても建築物が少ないし、「姫路城」が登録されていますからね。
それで気になったのが「江戸城址(皇居)と隣接公園群」という表記の仕方です。江戸城址を、日本式の城郭としてではなく、都市公園として推薦してはどうか、ということでしょうか。
実際、江戸城周辺を見てみると、日本初の洋風庭園をともなう日比谷公園をはじめ、東御苑、皇居外苑、北の丸公園、千鳥ヶ淵戦没者墓苑などがあります。特に皇居の東御苑は手入れが行き届いていて、本当にきれいな公園です。本丸跡や天守閣跡もありますが、それらの史跡よりも、公園として、また大手町方面を眺めた時の東京らしい景観のほうが印象的です。
また外堀周辺までを範囲とするなら、外壕公園や小石川後楽園、更に建築物としては東京大学のスクラッチビル建築群、バッキンガム宮とヴェルサイユ宮を模したという迎賓館、日本有数のレンガ建築である東京駅(一部仮復旧のまま)などがあります。町の構造を考えてみると、ロンドンを模した丸の内、ベネチアを模した兜町、欧米型の官庁街を目指したという霞ヶ関・永田町など、明治時代の特異な街づくりの跡が見られます。
それでも、これらを総合して、顕著で普遍的な重要性を示すのは至難の業だと思います。明治以降の都市改造は個人的に面白いと思っていますが、残された物が本当に少なく、世界遺産化は難しいのではないでしょうか。
臨海副都心に関しては以前にも書いたとおり未完成なので評価できません。十数年後に町が完成するようなので、それからですね。環境との調和と言えば、有明一丁目の貯木場跡を埋め立てる計画が問題視されていますね。また臨海地域のネオンはそれほど目障りな物でもありません。落ち着いていて、派手に自己主張することもないです。
臨海副都心の整備地区からちょっと外れれば、昔ながらのコンテナ埠頭やフェリー発着所もあります。また計画では、中央防波堤外側の埋立地は、最終的に現在の三倍くらいの面積になります。これは羽田空港に匹敵する巨大埋立地です。そして、大田区の城南島から江東区の若洲までを通す長大な道路、更には羽田空港から千葉県へと通じるような道路も計画されています。実現するかは不明ですが、東京はまだまだ成長中であることを思い知らされる、壮大で空恐ろしい計画です。
以上を総括してみると、小笠原諸島は別格として、東京(島嶼部を除く)で世界遺産候補を選ぶなら、やはり隅田川橋梁しかないと思ってしまいます。
- 26 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/23(土) 07:17:54
- 私は,東京には,20年住み,働き,生活しましたが,離島部の小笠原諸島には,まだ一度も行ったことがありません。今年の夏,機会があれば,訪れたいと考えております。自然遺産については,ご承知の通り,暫定リストへの登録は必要ありませんので,いずれ,正式に登録申請がなされるものと期待しています。
江戸城址(皇居)と隣接公園群(仮称)は,史跡的な価値,庭園・公園などの名勝的価値,そして,皇居や千鳥ヶ淵周辺など日本人が抱いている精神的価値に着目しています。
臨海副都心は,世界都市博覧会がとりやめになった経緯がありますが,建築デザイン,先端技術,都市環境など未来都市のモデルとなる様な展開を今も私は期待しています。
隅田川の橋梁群と修景は,住商工が混在し,昔の情緒が損なわれつつあるように思います。浅草三社祭,ほおずき市,酉の市,羽子板市,佃島の盆踊り,木場の角乗,深川の力持ちなどを通じて,昔の東京の大衆文化を思いおこし,隅田川の花火大会で彩りをそえて下さい。
- 27 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/23(土) 09:46:11
- 文化遺産は暫定リストに掲載されていないと推薦を考慮されないと言うだけであって、「自然遺産では暫定リストへの掲載の必要がない」という言い回しではありませんよね(確か)。だから、自然遺産でも暫定リストに掲載した方がいいのではないでしょうか。何故文化遺産だけがそう定められているのか理由がわかりませんが、多くの国では自然遺産も暫定リストに掲載しています。
「隅田川の橋梁群と両岸の下町地域」でメインとなるのは復興橋梁です。両岸の下町地域は、隅田川を補佐する程度だと見ています。これらについて思うところや、今回調べて知ったことなどをまとめてみます。(一部、以前の投稿との重複もあります)
-隅田川橋梁の唯一性-
唯一性というには大げさかもしれませんが、今回少し調べてみて、隅田川橋梁には大きな特徴が二つあることを知りました。
第一点目は、コンクリート橋、石橋が一つも無く、全て鉄製の橋であるという事です。これは結構珍しいようです。帝都復興事業で絶対に焼け落ちない丈夫な橋をということで木橋を廃し、また低湿地帯であるため石橋やコンクリート橋を使っていないそうですが、この点は疑問です。
ともかく現在にいたるまで全てが鉄橋でまとめられていると言うのは特異であり、このことから、日本の近代化遺産の一つのシンボルと言うこともできるかもしれません。
第二点目は、下路式の橋の比率が多いこと。これも今回調べて、テムズ川、セーヌ川、テヴェレ川と比べて圧倒的に多いと知りました。海外では都市や建築がメインであるため、橋はさほど都市景観として目立たない上路式を採用しているからだそうです。
また国内の河川では、多摩川や旧淀川と比べても下路式が多く、隅田川は都市のシンボルとしての色がかなり濃いです。
また隅田川には昭和中葉頃に作られた、何の変哲も無い外観の桁橋も数本あります。しかしそれらも、近代橋梁の一形式を見せているのです。正に隅田川は「橋の博物館」であり、平凡なものも非凡に見せます。これが全体効果の強い隅田川橋梁群の素晴らしい点です!
-隅田川橋梁の文化的特徴-
隅田川橋梁は、海外の橋をモデルにしていても、日本自らの力で作りました。そして、国内の橋梁建設に飛躍的な発展をもたらしたと、いくつかの本に書いてありました。でも具体的な影響力が分かりません。今後調べてみます。
またこれらの橋梁群は個々の形の独創性だけでなく、全体的な効果もねらっているというのは以前書いた通りです。帝都復興の偉大なシンボルとして、また近代橋梁技術の証左として世界遺産になれないでしょうか。
近代橋梁としてはアメリカ合衆国の「ブルックリン橋」、イギリスの「フォース鉄道橋」が暫定リストに載っています。それらに比べると、隅田川の方が世界遺産になり易いと感じますが・・・。江戸・東京文化の重要な舞台という価値もありますし・・・。
-両岸の下町地域-
両岸で重要なのはやはり橋梁、それも震災の復興橋梁でしょう。復興橋梁は400以上あって、それぞれ計画的に作られましたが、全てを世界遺産登録する必要はありません。しかも河川の埋立によって撤去されたり、外見が変わる大改修をなされた橋も多くあります。両岸からは、隅田川との相互効果を狙った計画がなされたものを中心に、選出していけば良いでしょう。
また両岸の橋梁以外の物件としては、浜離宮庭園、江戸城址、浅草界隈、上野公園周辺の4件しか思いつきません。左岸地域からは、選び出すとすれば向島百花園くらいでしょうか。とにかく橋梁以外では、顕著で普遍的な重要性を有しているもの、あるいは有している可能性があるものが見当たらないのです。
隅田川との関連を考えれば、汐入式庭園の浜離宮と、庶民文化の中心である浅草だけを付加した方がすっきりしていいかもしれませんね。あくまでメインは復興橋梁です。
- 28 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/23(土) 09:55:40
- 誤解があってもいけないので,言葉を補足すると「自然遺産では,必ずしも,暫定リストへの掲載の必要はない」としておきましょう。暫定リストに自然遺産をノミネートしている国が多いのも事実です。
- 29 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/23(土) 10:21:12
- 隅田川沿岸で大事な物件を忘れていました。これまで重要な文化財か否かで査定していましたが、「復興」と「隅田川」の二つのキーワードに関連付けるなら絶対に忘れてはならない物件、すなわち「浜町公園」と「隅田公園」です。隅田川に隣接していませんが復興三大公園のもう一つ「錦糸公園」を付加しても良いです。
しかしこれらの公園はいずれも、あまり良くありません。どこにでもある都会の公園です。特に浜町公園は狭く、あまりきれいではありません。人工河川も水が枯れています。隅田川のスーパー堤防やテラスの方が公園・公共空間としてみた場合には断然優れています。
そうは言っても隅田川を帝都復興の要と見るなら、震災後東京に大規模公園を設けたことも重要なので、考えようによっては三大公園を追加すればより濃密になります。
また現代の防災拠点の実験場とも言うべき白鬚東地区のマンモス団地も面白い物件で、隅田川に付加すべきものと言えます。しかし年代が新しすぎるので、現実的には世界遺産は無理ですね。
なお今回私が参考にした本は以下の通りです。
『東京の橋』 伊東孝著、鹿島出版会
『東京の橋と景観』
東京都建設局道路管理部道路橋梁課編
『隅田川の橋』 墨田区立緑図書館
『隅田川橋の紳士録』
白井裕著、東京堂出版
- 30 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/23(土) 12:03:33
- 東京ルネッサンスですか。個々の物件に顕著な普遍的価値はなくても総体として,歴史上,芸術上,または学術上の顕著な普遍的価値が見出せれば,世界遺産としての価値はあると思いますが,東京の復興遺産としての視点は,いかがなものでしょうか?広島も戦災復興都市であり,神戸も震災復興都市です。都市の復興のエネルギーについては,敬意を表するところですが,その所産としての建造物やモニュメントの評価はそれぞれ様々ですね。
- 31 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/23(土) 12:38:41
- とはいえ,うちのネットワークの中で,東京にも数多くの仲間がいますので,江戸,明治,大正,昭和,平成の「東京遺産」(離島部などの太古からの自然遺産も含め)を考える長期的なフォーラムをつくろうかなと考えています。
- 32 名前: 収斂
投稿日: 2001/6/23(土) 19:17:00
- 実際見たことが無いので、少し論点から外れた意見になってしまうかもしれません。すみません。
むかし、ある有名な建築家の言葉として、「橋は、都市の建物が多く垂直に伸びるのに対し、唯一水平方向に伸びる。だから街のアクセントとして極めて重要である。しかしそれは街との調和を損ねるものであってはいけない。」というような主張を聞いたことがあります。確かにそのとおりで、それだけに橋梁は美しいものでなくはいけません。たしかその建築家はパリで多くの橋を設計した人です。パリには多くの美しい橋があって、実際その意義は大きいのですが、決してそれが景観から出過ぎているわけではありません。それ自体が一歩下がった感じで街の印象を支えています。つまり私は、橋はそれ自体が美を主張するよりも、周辺がその橋によって引き立つくらい美しい状態で保たれてなくてはいけないと思います。そう考えると、隅田川周辺はまだまだ雑然としており、橋だけが浮いています。都市の景観をどういうふうにしたいのかというマスタープランがないまま新旧の建造物が混在しているのです。そこが問題ではないでしょうか。こういうことはなにも東京だけでなく、日本のほとんど全ての街(京都も含む)で見られる弊害です。
ですから、まず有名な建築家に依頼して具体的な景観を立案し、それから隅田川両岸の1キロくらいを景観保存地域とかに指定して、20年くらいかけて少しずつ改善していくという中・長期的改良はできないものでしょうか?
- 33 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/6/23(土) 23:01:27
- キタキツネさん>
隅田川橋梁の世界遺産化は現実的に困難を極めるでしょう。景観の悪さ、時代の新しさ、顕著で普遍的重要性の不明確さという、3つの大きな問題がありますから。
それで、世界遺産として隅田川橋梁の特色を際立たせるためには、あれもこれもと付加しない方が得策かもしれませんね。復興橋梁だけに絞りましょうか。
仰るように復興都市は日本だけでなく世界中に多くあります。東京の隣町・横浜も震災復興都市です。東京だけにしかないものは、帝都だったということ。帝都であったがゆえに並々ならぬ努力が注がれたこと。その結果として世界的に類の無い、鉄製の道路橋の集合体をもつ大都市が生まれたこと。その舞台が
かの隅田川だったということ。これくらいです。
また未確認ですが、日本だけの力で行なわれ、日本の橋梁技術史上重大な足跡を残したそうです。
隅田川ということで江戸文化も付加したいのですが、適切な物件が残っていないのでそれも出来ないのです。
それにしても「ブルックリン橋」「フォース鉄道橋」などは世界遺産登録も可能な程の物件なのでしょうか。両方とも記念碑的に素晴らしい土木遺産だという事は私も聞いていますが、世界遺産となるとどうかな、と思います。
収斂さん>
震災復興の合言葉は「復興は橋梁から」。隅田川では都市よりも橋がメインです。だから遠くからでもよく目立つ、大型アーチの下路式・中路式のものが多数生まれたのだそうです。これも世界的に見て例外的な発展の仕方を示すと言えませんかね・・・
それから東京の水辺空間の質を決定的に低下させているのが高速道です。河川を埋め立てて道路面よりも低い位置を走るのは、遠くから見ればさほど気にかからないので、百歩譲ってまあ良しと見ています。何せ東京の首都中心ですから、多少の犠牲は仕方ありません。(でも出来れば水を戻して欲しい)。
一方、河川の真上を走って、日本橋など多くの名橋にフタをし、周辺の空気を陰鬱にさえするような高速道は撤去してもらいたいです。建設から数十年経て、東京の高速道はとうに寿命を過ぎているという話も聞いたことがあります。また東京の高速道はかつての河川に沿って走っていることから、幅が狭く
屈曲甚だしいため渋滞を引き起こしているそうです。都市景観上の問題からだけでなく、現実問題としても、東京の高速道は全面的に架け替えた方がいいはずです。(でも、それでは新しくどこに通すのかと問われれば閉口してしまいますが・・・)。
また隅田河岸は江戸情緒を伝える素晴らしい町が多いのに、見た目ではどこもビルが建ち並ぶつまらない姿をしています。統一されていて素晴らしいと感じるのは木造長屋の密集地域くらいです。時間をかけてでも、両岸の景観を良くしてほしいです。
ちなみに私は、最近徐々にそうなりつつある風に感じているので、古いビルが素晴らしい建物へと建替えられることを期待しています。
いずれにしろ隅田川橋梁の世界遺産運動にあたって、まずは国内外の橋梁群との比較研究を行ない、顕著で普遍的重要性があることを明確に示さなくてはいけません。
- 34 名前: キタキツネ
投稿日: 2001/6/24(日) 14:46:55
- 東京は,首都東京であるだけに都市計画や建築の専門家も多く,都市景観に関する問題意識は他のどこよりも確りしています。
東京都景観条例もあり隅田川景観基本軸の景観づくりも設定されており「隅田川らしさ」を損なわないことを指針にしています。
立派な法律や条例,それに,モラル・コードがあっても現実は理想通りにはなっていない,街の表情もどんどん変わっていく。
世界遺産条約の基本理念もそうであってはいけないからという趣旨が背景にあるのだと思います。
隅田川橋梁が人類にとって顕著な普遍的価値があるかどうかは別として,かつてはそうでったという事例が多々ありますよね。それは,戦争もそうですし地震などの天災もそうです。
かつては,………だったのに,ということにしてはいけない。守るという言葉は二字ですが実は大変なことなんですよね。
- 35 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/7/2(月) 20:48:37
- 東京から世界遺産候補を選出するには、まず、隅田川橋梁群も含めて、保存状態や残存程度の査定と、類似物件との比較などによる顕著で普遍的な重要性があることを証明しなくてはいけませんね。
今回唐突に東京は世界遺産になれないか、と書いたところ、皆様から多くの助言や提案を頂き、感謝致しております。ありがとうございました。