- 世界遺産登録、熊野地域協議会事務局です
- 1 名前: 世界遺産熊野地域協議会
投稿日: 2001/7/12(木) 22:00:18
- 和歌山県新宮市にございます。全国の世界遺産フアンの皆様、今後とも情報交換よろしくお願い申し上げます。
- 2 名前: 収斂
投稿日: 2001/7/14(土) 13:24:34
- どうもはじめまして。今月から、金曜日と土曜日がゼミなもので返事が遅れてしまいました。
この掲示板には、以前から、多分、新宮市の役所の方ではないかという人も時々みえますが、世界遺産熊野地域協議会というものが存在することは知りませんでした。ただ行政の関心が高いのはわかります。私は熊野地域の世界遺産化は楽観視していますが、いろいろな団体は、なるべく統一的に運動した方が効果的と思います。
それから熊野地域の世界遺産化の情報は、結構多く見つかるので、世界遺産に関心がある者としては、随分助かります。今後もよろしくおねがいします。
- 3 名前: 世界遺産熊野地域協議会
投稿日: 2001/7/16(月) 11:56:41
- 収斂さん、いろいろご指導有難うございます。今後ともよろしくお願いいたします。
当協議会は、新宮市、本宮町、熊野川町、那智勝浦町、中辺路町より成り、それに熊野三山の三社一寺が加わります。
8月以降、各自治体で各々独自に小さな勉強会、講演会を予定しています。またご案内申し上げます。
- 4 名前: 世界遺産熊野地域協議会
投稿日: 2001/7/18(水) 08:44:42
- 本日、新宮市の東牟婁振興局にて、協議会の総会があります。
実質今日がスタートって感じですね。
- 5 名前: 世界遺産熊野地域協議会
投稿日: 2001/7/23(月) 18:08:24
- 7月22日「三重県世界遺産登録推進協議会」が立ち上がったようです。
こちらもうかうかしていられません。
- 6 名前: コラボ
投稿日: 2001/7/24(火) 00:37:21
- ↑うかうかしていられないと言ってますが、
世界遺産の登録で争うことがあるんですか?
例えば、ひとつの国からは一年に登録する世界遺産の
数が決まっているとか・・・。
- 7 名前: じょび
投稿日: 2001/7/25(水) 03:19:47
- 「うかうかしてられない」というのは、熱意の面で、三重県に負けられない、ということですよね。
しかし、考えてみれば、一緒にやればいいんじゃないですか? 行政区で区切る意味ってありますか?
むしろ、一つの遺産候補地への意識の高まりをみんなで作り出せばいいじゃないですか。保護や遺産登録は、競争するものではないと思います。
行政の垣根って、行政関係者の最も苦手とすることだと思います。だからこそ、これを超えれば、文科省にも訴える力が増すんじゃないですか?
- 8 名前: 世界遺産熊野地域協議会
投稿日: 2001/7/25(水) 17:19:50
- 対抗意識は毛頭ありません。何といいましても「紀伊山地の霊場と参詣道」というひとつのものを登録推進しようというのに、ナンセンスです。
ただ、和歌山県が具体的な動きを1年ほど先行させているのが事実です。そのノウハウを伝え、情報を共有化するのも私どもの仕事です。
また、各地域の微妙な温度差も感じています。こういった面でも垣根を取り去る、平均化するそう言った心構えが必要と思います。
これからもよろしくお願いします。
- 9 名前: 日光山伏
投稿日: 2001/7/25(水) 20:28:32
- 皆様はじめまして。日光山伏と申します。会社勤めの傍ら、休日には山伏となって近所の「日光の社寺」で行をして回ったり、一昨年に設立された地元のユネスコ協会で事務局長をしたりしている者です。
「紀伊山地の霊場と参詣道」については、特に中世に大峯山と日光の山伏同士が密接なつながりを持っていただけに、私も前々から関心を持っておりました。奈良吉野の金峯山寺の修験者も何人か存じ上げております。ただあまりに地域が広大で数多くの自治体が関わっており、それぞれの温度差や足並みの違いもさまざまでしょうから、最初の意思統一もさぞ大変なことだと思います。世界遺産と一言にいっても、それぞれの自治体の理解度もイメージも思い入れもバラバラでしょう。ただ最低限、自分たちの郷土のどの部分を何のために世界遺産登録するのかというその点だけは、皆の共通認識の下に踏まえて活動を進めることが、登録を成功に導く上で不可欠だと思います。行政区は後世の人間が後からつけた区分であり、山々の中にさまざまな神仏のまします聖地としての紀伊山地に境界線などないはずではありませんか。
私の地元にある「日光の社寺」の場合、今の登録地域は日光市のみの中にあり、登録に向けた実際の活動は栃木県と日光市により行われました。ただ、これはあまり知られていないことなのですが、本来の「日光の社寺」は隣の今市市にまで広がっています。世界一長い並木道として知られる日光杉並木(その8割は今市市にあります)も実は「日光の社寺」の一部であるはずなのですが、登録地域の設定が困難であること、大半の木が現在枯れかかっていて本格的に行政が保護活動に動き始めたのがつい最近であることなどなど、諸般の事情で暫定リストの段階から日光杉並木は全く登録の対象外となってしまいました。2年ほど前からは今市市でも日光杉並木の世界遺産登録に向けて少しずつ動き始めましたが、日光市との連携は皆無に等しい状態です。今市市は杉並木を地域活性化の柱として前面に出し、環境整備にも力を入れていますが、日光市は杉並木についてほとんど関心がないようです。もとより「日光の社寺」自体は、103の国宝重文の建物とそれらを包み込む森に覆われた山とが渾然一体となった点が文化的景観として評価されているはずなのですが、多くの人々は豪華絢爛の建物しか見ていないので、日光杉並木とのつながりなど気づきようもないのも事実なのです。
かつては将軍や諸大名による日光社参の行列が次々と通ったこの並木道は、国道119号線という幹線道路として宗教色など吹っ飛んでしまっています。かつては同じ神領の中にあった両方の市を結び付けて、片肺のみの地元の世界遺産を今後完全な形に持ってゆくためには、むしろ我々のような市民団体がまず時間をかけてこれから地道に啓蒙活動をしてゆくしかないのかなと思っています。従って「紀伊山地の霊場と参詣道」を取り巻く方々には、我々日光の例を教訓に是非とも最初から視野を広く持って頂き、あまり焦らずに各自治体同士が根気よく共同歩調を取る努力を続けられて、理想的な形での世界遺産登録を実現してもらいたいなあと願う次第です。
- 10 名前: 収斂
投稿日: 2001/7/26(木) 02:23:22
- 熊野地域協議会事務局の皆様>
熊野地域協議会事務局の皆様の世界遺産運動の意欲は殊勝なことだと思います。三重県の登録該当物件がどういうものかはよく知りませんが、もしできるなら、伊勢神宮も含めることができればとてもうれしいです。
熊野地域の文化財はとてもレベルが高く、個人的には高野山単体でも世界遺産化が可能と考えていました。ですから熊野三山や吉野まで集合させると、ほぼ間違いなく世界遺産登録できるでしょう。
ただ問題点も感じています。共通項である熊野古道は本来熊野三山や根来寺、道成寺を結ぶものであり、高野山や吉野、伊勢神宮を結ぶ道ではないという指摘です。しかも熊野古道も当時の道が残っている箇所は少なく、多くがアスファルトで舗装されていると聞きます。ですからここを熊野地域の文化財としてみれば文句なく一級ですが、古道として見た場合はそうは感じられません。以前この掲示板に熊野古道は文化財を寄せ集めているだけという批判をなさった方がいました。その意見は当を得た指摘であり、行政側の意見を伺いたいです。
ただ個人的感想を言いますと、寄せ集めでも、とにかく世界遺産運動した方がいいと思うのです。というのはこの地域の自然景観の保存を考えた場合、少しでも早く保存地域を策定しないと、今後どうなるか心配だからです。開発から景観を守ることが日本ではあまりに難しく、しかも文化財の価値を認識している人が少ない。世界遺産のように外国から評価されないと文化財の価値を認識しないようなところがある気がするのです。むやみの数を増やすわけでないにせよ、少なくとも日本では世界遺産クラスの地域はすぐにでも世界遺産に登録し、他の地域の文化財保護の啓蒙を行っていただきたいのです。日本の文化財は本来、自然景観が重要な要素になっていました。しかし京都のような地域では自然景観との一帯的価値は今ではほとんど消滅しました。でも自然景観は努力さえすれば復元可能です。だからこそ自然景観・自然保護を重視した行政を希望します。そういう取り組みは早ければ早いほどいいです。
日光山伏さん>
はじめまして。貴重なご意見ありがとうございました。こういう話題は地元でなくてはわからないので大変参考になりました。日光の世界遺産化が遅れていた理由がわかった気がします。日光杉並木が世界遺産の対象外になったのはとても残念です。今後これを世界遺産に追加登録していく必要を感じます。また杉の多くが枯れかっているのであれば、なんとかその再生の手だてを見つけて欲しいです。
おそらく杉の問題はほぼ間違いなく大気汚染が原因でしょう。東京の大気汚染物質が多摩や栃木の方に流されて強い酸性雨をもたらしているのはよく聞く話です。日光市はおろか栃木県で取り組んでもうまくいくはずなく、むしろ関東全体で取り組まなくてはいけません。そういうネットワークを作る必要性を感じます。世界遺産の事務だけでなく、自然保護団体との連携も視野に入れ、有機的な活動を期待いたします。
- 11 名前: 日光山伏
投稿日: 2001/7/27(金) 12:20:21
- 収斂様
はじめまして。早速のお返事有難うございました。
ついでですので、「日光の社寺」が暫定リストに早々と載りながら、なぜ登録に時間がかかったのかという実際の理由についてご説明します。一言で言えば登録地域の史跡指定の問題です。
元来「日光の社寺」は個々の建物はそれぞれ国宝重文の指定を受けていますが、聖域である山全体は一昨年まで史跡指定されていませんでした。この中には神社仏閣だけではなく神主や僧侶の住居、旅館、土産物屋もあるため、地元民が自然公園法に加えて文化財保護法の枠にはめられるのを嫌い、昭和20年代から史跡指定の問題はずっと長い間もめたまま棚上げになってきたのです。従って「日光の社寺」が暫定リストに載った後も、主にこうした理由で登録に前向きな東照宮と、消極的な輪王寺や二荒山神社というように当事者の足並みも揃わず、行政もあえてこの問題に取り組むことはしませんでした。
しかしながら数年前に普天間基地の移転問題で政府と沖縄県の関係がぎくしゃくした際に、沖縄県への見返り策の1つとして「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の世界遺産登録への全面支援が決まったことで、状況は一変しました。日光では「琉球」の先を越されてはまずいとの思惑が働き、「琉球」の登録予定の1年前となる1999年12月には是が非でも登録を完了しなければならないとの至上命題が打ち出され、大慌てで準備が始まりました。上記の史跡指定問題については聖域の中に線を引いて、支障のある民有地を全て史跡指定から切り離すという妥協案で地元民の了解を取りつけ、推薦書がユネスコに提出される1ヶ月前の1998年6月に駆け込みで史跡指定が行われたのです。この妥協案は当然のことながら山そのものが信仰の対象であるはずの宗教文化を大きく歪めるものであり、我々現代人が自分たちの都合で聖地を勝手に切り刻むに等しいわけですから、本来なら許されることではありません。私も行政に何度か抗議の文書を出しましたが、なしのつぶてでした。政治的思惑の方が優先されたのです。
ただよくよく考えてみると、登録地域の範囲設定云々以前に、山そのものが聖域であるという認識が我々地元民には根本的に欠けているのも事実であります。世界遺産登録以後の宣伝を見ても、その中心は相も変わらず陽明門などの豪華絢爛建造物であり、それと一体となって文化的景観をなしているはずの森林や自然への関心は残念ながら非常に低いといってよいでしょう。東京の真ん中にある明治神宮や靖国神社でさえ、境内で参拝者は車を降りて歩いているのに、世界遺産「日光の社寺」では登録地域の真ん中の建造物のすぐ前にまで自家用車や団体バスが入ってきます。今のような暑い季節だと、エンジンが掛けっぱなしの車もあり、御祭神や御本尊はさぞけむたかろうと私など思ってしまいますが、気にする人も少ないようです。陽明門とならぶもう一つのシンボルでもある神橋にいたっては、その横数十センチを車がすり抜けてゆき、たまにぶつけて柵を壊す不注意な車もいます。このあたりは日光名物の交通渋滞の最大のネックでもあり、唯一国道の渋滞が登録地域を横切る場所でもあるのですが、大半の人はいたって平気なようです。むしろ地元で最も強い関心は、世界遺産の集客効果をどのようにして最大限に利用するかということでしかありません。
一旦このようになってしまうと、世界遺産の精神に歌われた理想と現実のギャップは深まるばかりです。私も市民レベルで自分たちに出来ることをいろいろと模索していますが、元から逆流が強いだけに長い時間がかかりそうです。これから登録に向けて動き出す地元民の方々も多いと思いますが、前回も書いたように、運動を本格化させる前に何のどの部分を何のために世界遺産登録するのかという議論を時間をかけて十分に行って、最善の形での登録に皆が迷わず進んでゆけるようにすべきなのです。そして何よりも大事なのは、その文化財本来の姿が歪められることなくあるがままの姿で登録され、それを全ての人々が正しく認識するということです。およそ文化財というものは、観光資源と人々の目に映った時点ですでに見られ方が歪み始めます。
最後に日光杉並木の問題ですが、枯れつつある根本原因は国道に敷かれたアスファルトが水分や栄養分の浸透を邪魔しているということです。この道路にしても、実際には玉砂利が敷かれた神社の参道と同じ意味を持つものであり、本来ならダンプカーやトレーラーまでもが通る国道にする方が間違っているのですが、現実はそう行かないようです。現在は行政からも部分的にバイパス化の話も出ているようですが、諸般の事情でなかなか難しいようです。啓蒙活動をしようにも、地元民の中にさえ杉並木は邪魔くさいとか花粉症の根源だからとかで伐っちまえという人もたくさんいて、意見をそろえるのも非常に難しく、とにかく何らかの処置が終わるまでに木が皆枯れないことを祈るしかありません。
- 12 名前: じょび
投稿日: 2001/7/28(土) 00:44:45
- 日光杉並木に関連して。
群馬県安中市にある国の天然記念物の杉並木は、いまや残った木は数本です。悲しいことです。
国内の杉並木は数カ所にしかありません。その中でも日光は一番大規模なものでしょう。大切に守っていきたいですね。
- 13 名前: 第三者
投稿日: 2001/7/29(日) 18:16:24
- すごく、うがった見方かもしれませんが、世界遺産への登録はあまり関心できません。
というのも、日本では今、世界遺産ブーム。世界遺産になろうものなら、観光客がドッと押し寄せて、今でも壊れつつある吉野の環境が悪化することは目に見えてます。
世界遺産なんて何十年前からあるのに、バブルの崩壊とともに出来上がったもののようにどの観光ツアーを見ても「世界遺産」の文字が躍っている現状を見ると、登録するにしても少し時間をおいて、ブームが去った後まで待ってはどうでしょうか?
幸いにも、日本人は熱しやすく冷めやすい人種なので世界遺産ブームもあと数年でバブル景気前のようにほとぼりが冷めると思います。そうすればミーハーな観光客に汚されることなく晴れて登録が可能かと思うのですが・・・。
当事者の皆さんの熱意はよく伝わるので登録を急ぐ気持ちは分かりますが、世界遺産のポリシーをよく考えれば今の登録は正しい選択でしょうか?
もちろん、この運動が観光客の誘致目的という側面があるのであれば別ですが、それでもブームが去ればまた客足が遠のくだけでなく、一時期の観光客増による遺産への損害が大きくなることは、白川郷の例を見れば明らかです。(尤も白川は高速道路の開通による効果もありますが・・・)
- 14 名前: 浦に〜と
投稿日: 2001/7/31(火) 23:01:26
- 日光山伏さん>
日光杉並木、それから「日光の社寺」登録に関する詳しい情報をお書きくださり、ありがとうございました。とても興味深いものでした。杉並木の登録に日光市があまり関心を持っていないとは・・・。杉並木だけでは、顕著で普遍的な重要性の観点から世界遺産登録は出来なくても、「日光の社寺」への追加登録はするべきだと思います。
しかし時代が杉並木を必要としていないとは、悲しいことです。大半が枯れているというのも残念ですが、復旧するのなら杉だけでなく道路も昔のように戻してほしいですね。
道路は日常に係わるものですから、時と共に変化していくのは仕方ないことで、古さを保ち続けることこそ無意味と思われるかもしれません。そして多くの人が並木に関心を示さないという現状も、ごく普通のことなのかもしれません。日光山伏さんも仰る通り、維持など現実的にはうまくいかず、これは文化財保護の極めて難しい一面ですね。
第三者さん>
世界遺産には、現状ではよく保存されている物件も多く登録されているわけですし、私は保存と並んで「文化・自然を知る」という意義も非常に大きいと考えております。登録によって熊野関連の文化財について再認識されれば、それは良いことです。単なる観光地化に流されないようにするのは当然ですが、その辺については世界遺産熊野地域協議会さんもよくご存知のことと思います。
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」だけでなく、「白神山地」や「屋久島」も、交通の便もあまり良くなく地味な場所だったのに、世界遺産になって嘘のように人が来るようになったところですからね。熊野関連の文化財も、登録されれば当然観光客が押し寄せるでしょう。ただし、知られるという事も重要なので、それにどう対応するか、又どのようにアピールしていくかという事が重要ですね。
- 15 名前: 日光山伏
投稿日: 2001/8/3(金) 19:40:00
- 第三者様
昨今の世界遺産ブームにうんざりなさるお気持ちは実によくわかります。このブームの中では、折角の世界遺産登録が環境破壊につながりかねないというご懸念はおっしゃる通りです。このブームがいつまで続くかはわかりませんが、ブームが来ようが来まいが関係なく、地元でじっくり腰を据えて議論を重ねながら続けられている世界遺産登録運動こそが本物なのだと思います。
ただ世界遺産登録と地元の観光産業が直結している今の日本の状況を考えると、世界遺産の本来の精神と地元の観光産業の利害とをどのように折り合わせるかという問題は、非常に難しいものがあるでしょう。私の地元の場合には、幸か不幸か10年前に地元の我々の知らない間に文化庁によって「日光の社寺」が最初の暫定リストに入れられていたので、登録運動を起こす必要はありませんでした。ただ前述のように、当初はずっとバラバラだった登録に向けた地元の足並みが後に短時間で一気にまとまった背景には、当時高まりつつあった世界遺産ブームの中で世界遺産登録により観光客が呼び戻せるだろうという思惑があったことは言うまでもありません。当初はいきなりの暫定リスト入りで戸惑っていた行政の日光市にしても、後に登録への事務手続が進むにつれて自ら打ち出した登録記念事業においては、その目的として文化財保護の意識高揚と一緒に地域の活性化をしっかりと掲げていたくらいです。結局のところ我々地元民の期待は現実のものとなり、バブル期の平成2年の年間800万人を頂点に一昨年は560万人まで下降した日光の観光客数は、登録直後の昨年には650万人にまで回復しました。特に観光収入に多くを負っている東照宮と輪王寺を初め、世界遺産を取り巻く多くの業者が世界遺産登録で多大な恩恵を受けたことも事実です。もし昨今の世界遺産ブームがなければ、「日光の社寺」の登録は絶対にあり得なかったことでしょう。
日本のあちこちで盛り上がっている世界遺産登録に向けた運動には、それぞれにさまざまな経緯があると思いますが、世界遺産=観光地の世界第一級ブランド、という誤解はどこにでも付き物です。残念ながら私の地元の日光でも、いまだにそのような見方をしている人がたくさんいます。私は地元でユネスコの活動に関わりながら「世界遺産に登録されたら何が変わるの?」といろんな人から聞かれましたが、世界遺産登録によってひとりでに変わるものは何もありません。むしろ我々地元民が、地元の環境を世界遺産にふさわしいように変えてゆかねばならないのです。世界遺産登録は終着点ではなく、出発点であります。我々が世界遺産登録によって与えられるのはブランドなどではなく、人類の宝を自助努力により最善の状態でしっかり保存管理して後世に引き継ぐという重大な役目と責任なのです。こうした基本事項をどれだけの人が理解しているでしょうか。
もちろんこうした重大な役目を果たす上では、一定の範囲内で観光収入を得て生計を立てることは結構だと思います。おそらく世界遺産の大半はそれなくしては維持し得ないものでしょう。ただ今の一般的な現実は、あまりに観光産業の利害の方に大きく比重が偏るあまり、世界遺産の本来の精神が忘れ去られているような気がします。観光客増を期待したり喜んだりするのは結構ですが、その一方で上記のような役目をきちんと認識しながら対応を取らなければ、世界遺産を取り巻く環境が悪化して、先人にも子孫にも申し訳が立たなくなってしまいます。私の地元日光では、世界遺産効果も今年は徐々に薄れ始めて観光客の数は元通りに減りつつある気配です。一方で環境に絡むさまざまな問題は放置されたままになっています。かつてはあれだけ大喜びしたけど、結局何も変わらなかったことに気づいて初めて、本来の真面目な話に少しずつ耳を傾け始めるのかもしれません。それからが本番なのです。
- 16 名前: 収斂
投稿日: 2001/8/4(土) 22:26:15
- 日光山伏さん>
世界遺産ブームという問題は、突き詰めると、我々日本人の精神の問題ではないかという気がします。または教養の水準というか文化レベルの低さが問題の根底にあるような気がします。私は、日本人は第三者さんが考えているような「日本人は熱しやすく冷めやすい人種」とは思いません。この発言は差別的な暴言と感じますが、少なくとも最低限のルールやマナーをわきまえていない輩が多く、そういう連中にどう言っても全然通じないのが腹立たしいです。
私は「日本人は好奇心が旺盛な国民」だと感じています。それは良くも悪くもそうです。流行でブームに火がつくと猫も杓子もという感じですが、それが不便ならすぐ廃れます。しかしいいものは売れ続け、更なる改良が施されていきます。だから、おそらく世界遺産ブームはまだまだ続くと見ています。それは世界遺産は文化財としての価値が超一級なものばかりです。本物は決して廃れません。どんなテーマパークもかないません。白川郷の住民の生活を守るために、インターの近くに、そっくり同じ合掌造り民家を復元しようという話もありますが、多分失敗するでしょう。観光客は、ニセモノや複製を見るために来ているのではありませんから。世界遺産による観光公害は、いろいろ言われていますが、私はそのツアーを主催する旅行会社に責任があると思います。世界遺産をブランド品のように見せかけるイメージ操作が確かにあります。
少し脱線しますが、私はブランド品に群がる人達があまりに多くいる中で、どうしてそれを凌ぐ物品を創造してやろうという意欲的で野心的な人が生まれないのだろうか不思議に思う時があります。同様に世界遺産のような素晴らしい文化財を見たら、どうして今の都市を、将来、もっと機能的で省エネ・リサイクル都市にし、なお且つ美しい都市にしようという発想が育たないのだろうかと思います。特にヨーロッパの都市はどの街も統一がうまくなされていて、そういう街を日本人は多く観光しているのになぜか活かせない。これが日本人の教養の水準なのでしょうか?
それと日光の観光客数の問題ですが、似たような話は京都、鎌倉でも良く聞きます。しかし、私の気持ちでは、日光単体に毎年560万人以上の人が来れば、それで十分ではないでしょうか。多すぎるくらいではないかと思います。京都も(どういう統計の取り方か知りませんが)千数百万人の人が来ますが、それを、一時期より少なくなったと考えるのではなく、そんなに観光客が来てくれている、というふうにプラス思考で考えて善処して欲しいです。
- 17 名前: 収斂
投稿日: 2001/8/8(水) 01:07:08
- 読売新聞によると、昨年の京都市の観光客の数は4051万人で前年より152万人増え、10年ぶりに4000万人を突破したそうです。また府内全体でも6286万人だったそうです。前回のスレッドで千数百万人と書きましたが、どうも私の思い違いでした。お詫びして訂正します。すいませんでした。
- 18 名前: 日光山伏
投稿日: 2001/8/9(木) 08:13:17
- 収斂様
1.ブランドの話
概して日本人は肩書や外観や体面に大きな価値を見出し、実際の中味の質や満足度とそれらをほとんど同一視する傾向が多分にあると思います。また西洋偏重が目立った明治期の文明開化の時代に、舶来品を有難がる価値観が主流となったことも手伝って、昨今の日本人が抱く根強いブランド信仰の下地が出来たのではないでしょうか。という条件がそろえば、自然の風光や文化財を一種の商品と考えている観光産業が、世界遺産を「国連の専門機関であるユネスコの認定になる観光地の世界最高級ブランド」として宣伝するということは、残念ながら自然な成り行きなのかもしれません。
もちろんブランドは各商品の高品質と信頼性の証であることは言うまでもありませんが、そのブランドだけを目当てにして多くの人々が専門店に群がり、大枚をはたいて身につけるものを買い漁るという構図はどこか歪んでいるように思います。今日もてはやされている舶来高級ブランド品の数々は、たまたま欧米の一地域で作られ地元の人々に愛されていた優良商品が、時流と世界的な商品戦略に乗って世界中で名が売れるようになったに過ぎません。一方で我々の住む日本にしても、世界的なブランドとは無縁だけれども無名の優れた職人たちが作り上げた素晴らしい品々は数多く存在し、古い家では親から子へと代々受け継がれ、使われ続けたりしています(一般には民芸品と呼ばれたりもしていますが)。我々日本人は舶来高級ブランドに群がる前に、まずこうした自分の身近なところを見渡すことが必要なのではないでしょうか。
文化財や自然の扱われ方にしても状況はよく似ています。世界遺産は、世界各地どこにでも存在し、それぞれ地元民により大事にされているご当地の宝物のうち、たまたま世界遺産条約に規定された条件に合致して「全人類とって普遍的な価値を持つ宝物」(実際に何がどう普遍的なのかはよくわかりませんが)と公に見なされたものがそのリストに入れられたに過ぎません。たとえ世界遺産にも国宝にも重文にも自治体の文化財にも指定されていないものでも、そこで生活を営む人々にとってかけがえのない意味を持つ宝物はどこの地域でも必ずあるはずです。盛んに宣伝される「世界遺産ブランド」に群がるのも結構ですが、それ以前に自分の生活圏を見回すことが大事だと思います(観光業者はあまり喜ばないでしょうが)。世界遺産とはあくまでその延長線上にあるべきものなのです。
私の場合には、自分の地元の氏神を含む「日光の社寺」がたまたま世界遺産になってしまいましたが、この登録地域の中にある数多くの神社仏閣の中で、私個人にとって最も大事な建物は世界遺産ではありません。私は勤め人の一方で在家の山伏なので、毎週末に本来山岳信仰の聖地であるこの山の中で行をして回っていますが、我々修験者の開祖役行者を祭った行者堂は、実は世界遺産に指定された103の建物から漏れています。建造物としての評価が低くて重文にもなっていないため、世界遺産から外れたものでしょうが、私にとってそれはどうでもよいことです。ここは「日光の社寺」の登録地域の中で最も奥まった山の中にあって一般の観光ルートからも外れており、通の観光客がたまに散策に来る程度です。修験道が盛んだった鎌倉・室町時代はこのあたりが中心地で多くの僧坊がありました。
2.観光客数の話
観光客数は京都や鎌倉のような大きな町なら増えようが減ろうがさほど問題にならないのでしょうが、日光のように知名度はあっても人口が少なく(現在1万7千人)、観光産業への依存度が極度に高い零細都市では、観光客の増減に地域全体が一喜一憂しています。かつては山のように押し寄せる団体観光客を右から左にさばいていた古き良き時代の夢から覚めていない地元の多くの観光業者が、観光客回復のきっかけを世界遺産登録に期待したのはこうした状況あってのことなのです。幸か不幸か世界遺産「日光の社寺」に多くの地元民の生活がかかっていることが、地元の諸問題を非常に複雑にしています。
たとえばそうした問題が最も顕著に出た例として挙げられるのが、「日光の社寺」の案内説明の問題でしょう。この世界遺産の価値を訪れた人々にきちんと理解してもらうためには、この文化財を正しく案内説明できる体勢が不可欠であり、私が事務局長を務める地元のユネスコ協会でもそのためマニュアル作りや人材養成の下準備を現在進めています。ただその一方で日光には、主に団体客にこれらの神社仏閣を案内(一般の観光コース)することを仕事にしている人々の組合(江戸期からの伝統を持つらしい)が存在するので、たとえボランティアとはいえ案内役の看板を公に掲げれば商売の妨害と受け取られてしまうのです。無論観光名所としての案内と、世界遺産としての案内は趣旨も内容も全く違うはずなのですが、そのような説明が地元で通じるわけもなく、やはり無益な摩擦を避けるためには組合の縄張りを尊重しなければならないというジレンマがあるのです。
観光資源としての認識が強ければ強いほど、また地元の観光産業への依存度が高ければ高いほど、世界遺産を保護する最善の方法をそれに関わる人々全てが納得する形で見出す作業はより難しくなってきます。結局はそれぞれの地域の実状を考慮しながら真剣な議論を重ねた上で、ぎりぎり一杯の線をどこかに引くしか方法はないのです。
- 19 名前: 収斂
投稿日: 2001/8/10(金) 21:36:33
- 日光山伏様>
いつも長文ありがとうございます。おっしゃることは全くもって正論です。地元の観光にかける期待というものをあまり理解していなかったかもしれません。ただ私は、日光よりももっと小さくて、観光となるようなものがほとんどないような街が、なんとかして観光客を呼び込もうとしている状況を少し知っているので、それから比べたら日光ははるかに恵まれています。私は、日光や京都、鎌倉等の歴史都市に住んでいる人達は、気がついていない人が多いだけで、実はとても幸運な人達であると認識しています。身近にそういう文化財が多くあるということはとても素晴らしいことなのです。たとえ文化財を観光資源としてしか見ていないような人達でも、そういう地域に住んでいること自体が幸運を持っていると思うのです。
私の地元にも太宰府天満宮という有名な神社がありますが、本来なら観世音寺や都府楼(太宰府政庁跡)、水城、大野城跡の方が歴史的には重要なのに、なぜか太宰府天満宮ほど観光客に人気が無いのは不思議です。だから行政もこれらの地域の整備は後手に回っていて、最近の話ですが、水城のすぐ近くに巨大マンションを建設するという計画を阻止できませんでした。やはり知名度というものは、文化財を守る上でどうしても必要なのだと痛感しました。それと身近なものの中にある大切なもの、例えば小さな神社やお地蔵様なんかを大事にする精神文化をどうすれば両方とも実現できるかということはとても難しい問題だと思います。最近、政教分離の原則から、名も無い小さな神社が荒れ果てています。行政が資金を出して保護することは憲法に抵触する問題であり、援助出来ないのはわかりますが、しかし放っておくのは胸が痛みます。
世界の歴史都市はたいてい観光都市として成功していますが、観光客の動員数では日本の観光地は外国よりはるかに多くの旅行者(たいていは国内旅行者ですが)が来ています。しかし日本では、文化財と景観を最終的にどういう方向で維持していくのかといった、戦略があまり感じられません。最終目標がないのです。私は日本人の国内旅行はもう飽和状態だと感じています。だからこれ以上観光客が伸びることを期待しても劇的な変化はないと思われます。
私は世界遺産が廃れないと確信しているのは、それが偽りの無い本物の文化財だからです。九州に黒川温泉という最近知名度が上昇している温泉町があります。そこは徹底的に近代的なものを排し、自然景観を重視した町作りを進めてきました。私が中学生の頃くらいはそうでもなかったのですが、最近すごく人気が出てリピ−タ−が多い温泉町になりました。かたや伊豆、熱海の温泉町は自然景観を配慮した町作りを全然しませんでした。ですから温泉は有名でも温泉町はどこにでもあるような、変わり映えしないものになってしまいました。
もう一つ、伊勢神宮の近くに、「赤福」という有名な和菓子を作っている業者がありますが、最近、その会社が中心になって出資して、狭い一角ですが、江戸時代のお伊勢参りを彷彿させる古い家並みを再現し、それが意外に人気があるそうです。伊勢神宮があるだけではなく、その周辺も一緒に整備すると歴史の風格がぐっと出てきます。歴史地区や伝建地区の今後の発展の成否はこういったところにあるような気がします。
どこでもやっているようなことは、所詮うまくいかない場合が多く、仮にうまく行っても他から真似されます。京都、奈良、鎌倉、日光は折角いい文化財があるのに、それは温泉町でいえば泉質のみで競っている状況に似ていて、観光地として成熟するには、同じ人に何回も来てもらえるような状態に整備する必要があると思うのです。もしどうしても観光客を集め、かつ自然景観も保護したいと考えるなら、民間のコンサルタント会社、もしくはイタリアやフランス、ドイツの歴史都市の条例等を参考にしてみたらどうでしょうか。ロマンチック街道ももともとは経済的に遅れた南ドイツの産業振興が目的で始まりました。私は、数十年のノウハウがある欧州の景観保護行政を参考にしたら何か得るものがある気がします。
最後に、日光で駐車場が不足しているようですが、例えば首里城の近くには地下に大型バスが停車する駐車場を建設しています。それを参考にして地下駐車場を建設することは有効と思えます。どうでしょうか。
- 20 名前: 日光山伏
投稿日: 2001/8/20(月) 18:26:07
- 収斂様
長文での読み応えあるお返事を有難うございました。
ご指摘の点は、まさに斜陽観光地日光で近年ずっと議論の焦点になっていることです。市長以下ありとあらゆる末端の観光業者に至るまで、観光客回復に向けたリピーター獲得をお題目のように口にしていますし、いろんなコンサルタント会社や大学の研究室が「国際観光都市」日光のあるべき将来の青写真についていろいろ提言を行っています。3年程前には週刊「ダイヤモンド」だったかで、観光依存度の都市ランキングでダントツの一位となった殿様商売の日光を、湯布院と徹底比較したりもしていました。
物事のわかる人にはすでに処方箋は見えていますし、これまでなされたいくつかの提言がすでにそうした意味合いでかなり踏み込んだ意見も出しています。それはつまり日光が本来有している文化財や自然の風光の魅力を最大限に引き出し、来られた方にそれらを十二分に堪能してもらうための態勢作りの努力を積み重ねることが観光客回復の最大の近道であるという、いわば当たり前のことに他なりません。本来は自然と宗教文化が一体となった山岳信仰の聖地である日光に、大都会東京で生活に疲れた人々が癒しや巡礼で訪れれば、彼らは即リピーターになるでしょう。ご丁寧に世界遺産リストも、「日光の社寺」の登録根拠をそうした文化的景観の観点からも示してくれています。
ただ残念ながらかつて山のように押し寄せた観光客を右から左にさばくことに慣れている地元の人々は、そのような面倒くさいことは今もってしたがらないのが実状なのです。まだ日銭に欠くわけでもないし、客が減っても誰かが何とかしてくれるという安直な発想が(一昨年もユネスコ世界遺産委員会が助けてくれました)、じり貧になった今でも続いています。登録地域内外を含めて、ここが聖地であるとは到底信じられないような劣悪な環境が当然のように放置されているのです。こうした超保守的で閉鎖的な地域で正論をぶったところで、暖簾に腕押しになることは自明なので、結局我々のように危機意識を持つ人間に出来ることは、今のままではおかしい、ヤバイという感覚を少しずつ与えられるような既成事実を積み上げてゆくより他に方法はないのです。
駐車場については、日光にも大谷川の河川敷という広大な土地があります。ここに車を停めさせて、「日光の社寺」や日光国立公園地域内に入る観光客は皆公共交通機関を使わせるようにすれば、渋滞は一気に解消されも環境対策も大きく前進することは請け合いです。ただ国道を管理する国土交通省と、うちわで観光客の自家用車においでおいでをしている土産物屋に代表されるような観光業者の面々をどのように納得させるかという大問題が、結局はネックになることは間違いありません。文化財と観光産業の両立は、本当に一筋縄ではゆかない難しい問題なのです。
そういえば20年ほど前の子供の頃に、私も都府楼に行ったことがあります。天満宮からとことこ歩いてゆきましたが、周りに店も何もないところに遺跡がぽつんとあるだけで、天満宮との余りの落差にびっくりしました(もちろん観光客も我々だけでした)。でもそれだけに、静けさの中に佇む礎石の数々が古代のロマンを漂わせていたのを覚えています。あそこは今どうなったのでしょう。
- 21 名前: 収斂
投稿日: 2001/8/22(水) 04:39:22
- いつもありがとうございます。
日光で観光業を営む人達も、古い家並みを嫌っているのではなく、むしろお金を出すことに拒否反応を示しているように感じます。もっともこれは全国どこでもそうですが。ですからこういった場合、行政は緩やかな規制を設けたらいいのではないでしょうか。つまり今の現状は目をつぶって、改築する時に瓦の色とか、外装を規制するのです。現在日本の住宅の多くが、たった20〜30年で立替わります。ですから、現時点の観光業の人達を相手にするのではなく、将来の町作りのための戦略としての規制を設けるのです。これなら決して難しいことだとは思いません。どうでしょうか。
それと最近の都府楼近辺ですが、20年前とは随分変っています。宅地化が凄いのです。30年くらい前は一面の田園風景だったそうです。しかしここ10年ちょっとの間に福岡市の人口が急増し、結局そのベッドタウンとなってしまいました。
現在、天満宮周辺は整備され、いつも観光客でにぎわっています。また都府楼も、今は無人ということはなく、そこそこ人がいます。
春日市、大野城市、太宰府市は、掘ればどこからでも弥生時代の遺物が出てきますが、宅地化でほとんどが記録保存で破壊されています。それどころか役所に届けると工事が遅れるからというので、どんないい甕棺が出ても、市に報告せず工事続行をする業者もいるそうです。
<ついでに>
春日市と福岡市博多区の境近くに岡本遺跡という全国的に有名な弥生時代の遺跡があります。出土品の質・数ともに吉野ヶ里と並びます。ここは小高い岡の上に奴國の工房・大王級の大型甕棺がいくつも密集しています。
この一帯は少し前までは山芋が自生する平凡な山でした。ほんの30〜40年くらい前まで、そこを80センチ掘るだけで剣や鋳型や勾玉・管玉が数えきれないくらい出たそうですが、昭和40年代に整備されるまで、この一帯は宅地化が進み、その過程で遺跡の重要性が分かったのですが、指定は遅れ、その結果、貴重な工房跡、遺跡の上のほとんどに家が建ってます。当時は、だれもその価値に気付かず、遺物を平気で捨てたり、古美術店に売っていたそうです。また山芋掘りでは必ず土器の破片が出てきたそうですが、その正体は大型の甕棺で、今なら一個発見されてだけでも大ニュースになるものが、辺り一面密集していたそうです。
現在、市の職員が一軒づつ周辺の家を訪問し、完全な鋳型を探しているそうですが、かっては珍しくないくらいたくさんあった鋳型も、包丁研ぎにちょうどいいというので割りまくって、現在では両面そろった完全な鋳型は、ここからはまだ一つも収集されていません。
現在そこには市営の歴史博物館があり、当時町内会長だった方が館長をされてます。この話は、その人に直接聞いた話です。
- 22 名前: 日光山伏
投稿日: 2001/8/22(水) 07:04:03
- 収斂様
日光市には昭和60年に制定された街並景観条例というのがあり、指定地域内の建築の規制や助成・融資制度が設けられていますが、実際問題としてこの条例はあまり機能していないようで、この10年間になされた助成の件数は年間0〜3件に過ぎません。主な指定地域は日光駅から「日光の社寺」とその周辺へ至る市街地の国道沿い部分が大半ですが、その中でさえ近年の街並の乱れは社会問題になっており、世界遺産への玄関口としてお恥ずかしい状況です(私もその裏通りに住んでいます)。数年前からこの地域の街並整備事業に栃木県がお金を出すということで、住民の希望が取りまとめられることになりましたが、各自が思惑や利害を主張するだけで、今もって収拾がついていません。収斂様が書いておられた掃いて捨てられている出土品の話と同様に、住民の文化意識が低いと宝を持ち腐れにして最後は自分の首を絞めてしまうのでしょう。
実はもっと情けないことに、日光には地域内の文化財やその背景にある歴史についてきちんと説明する博物館がありません。従って地元民の知識も観光ルートにある主要な建物の常識程度に止まり、それ以外でも山のようにある史跡の数々については、通の観光客に聞かれても場所すら教えられない有り様です。こうした状況を考えると、結局は前回書いたように正論をぶつけるよりもむしろ長期戦の構えで啓蒙活動をしてゆく他に手はないのでしょう。
私が育った千葉には、たまたま家の近所に縄文時代の貝塚としては日本で指折りとされる加曾利貝塚がありました。子供の頃によくぶらりと遊びに行きましたし、50円かそこらで博物館に入って土器やらお墓の人骨やらを見た覚えがあります。歴史の教科書で加曾利貝塚の名前を見つけるととても嬉しかったし、こうした何気ない感覚が実は大人になった後で物を言ってくるのかも知れません。