- 高敞、和順、江華の支石墓について
- 1 名前:収斂
投稿日:2001/8/4(土) 21:40:19
- 朝鮮の古代の歴史は詳しくないので、もし誤りがあれば指摘してください。
朝鮮半島で支石墓が多く建設されたのは、紀元前1000年から紀元前100年くらいまで続いた無文土器時代という時代に当たります。この頃の文化は青銅器文化がようやく流入し、後期無文土器時代には鉄器も少し使用されます。日本でいえばちょうど弥生時代みたいな感じと思っていいです。
支石墓は、単独ではなく、数基から数百基が群をなして一つの墓域を形成し、それが朝鮮半島全体で2000個所くらいが発見されております。特にその半数が朝鮮半島南部の全羅南道、慶尚南道に集中しており、ほかにソウル周辺にも少しはありますが、密度の地域差が大きいです。
支石墓は3通りに分類されます。つまり1.石棺式支石墓、2.卓子式支石墓、3.碁盤式支石墓です。石棺式支石墓は石棺を地中に埋葬し、石棺の周りは積石で満たし、石棺の蓋の代わりに大きな上石をかぶせるもので、朝鮮半島全域から中国東北部に多くあります。卓子式支石墓は平安南北道、黄海南北道に多く集中するタイプで、二枚の板石の大きな平たい石を置いてテーブルのようにする支石墓です。江華の支石墓はこのタイプです。この支石墓の特徴は、朝鮮の古代の墓に多く見られる積石がほとんど無い、もしくは全く無いことです。碁盤式支石墓は別名南方式支石墓ともいい、高敞に代表されるような全羅南道、慶尚南道のものはほとんどこのタイプです。碁盤のような厚い上石を数個の支石で支え、上石の下に積石を設け、そこに埋葬します。
支石墓は鉄器の流入によって衰退し、それはやがて囲石木棺墓に変遷していきます。鉄器の使用が本格化するのは、その後の原三国時代になってからです。
- 2 名前:池彼方
投稿日:2001/11/4(日) 23:13:01
- 会社が三連休だったもんで韓国の全羅北道を旅行してきました。
全羅北道の世界遺産といえば高敞の支石墓群ですが、行ってきました。
碁盤式支石墓というのですね。私は江華島の支石墓は写真で見たことがあるので、同じようなものが高敞にもあるのだと予想していたのですが、私がイメージしていたものとは全く違いました。
支石墓とわかるものもありましたが、多くはただの自然石が山肌に転がっているといった感じです。
考古学的には貴重な遺跡なのでしょうが、一般の観光客にはちょっとつらいものがあるかもしれません。
地元でも案内板もほとんどなく、まして観光地としては考えていないようです。
それだけに世界遺産を一人占めできたようなものですが。
- 3 名前:浦に〜と
投稿日:2001/11/13(火) 20:08:41
- 「なんでコレが世界遺産に?」と思ってしまう遺産の一つなのでしょうか。
でも考古遺跡というのは、地中海文明のように壮麗さを感じるものより、案外「何も無い」というようなのが普通なんですよね。日本の古代遺跡も、古墳以外ではあまり目に見えるものが無いですし。(これは木の文化であることが影響してるかも知れませんね)。あまり保存状態が良い遺跡ばかり見せられると、古代遺跡というものに対する認識や捉え方がまひするかもしれません。
世界遺産でも、写真で見ただけでは石が断片的にあるくらいで、学術的な説明をしてもらわないと何で世界遺産になったのか分かりにくいものが多いです。しかし今後こういった類の登録は増えるかもしれませね。
- 4 名前:池彼方
投稿日:2001/11/14(水) 08:25:06
- 古代遺跡というとエジプトやローマやインカなど派手な遺跡に目を奪われて、人類史上意義のある遺跡を見過ごしている可能性は大きいかもしれませんね。
支石墓は九州にもあるようで、写真で見たところ韓国で私が見たものとそっくりでした。
かつては朝鮮半島南部から九州にかけては一つの文化圏だったのかもしれません。
それにしても九州の支石墓は世界遺産に登録しようという動きはないのでしょうか。
- 5 名前:浦に〜と
投稿日:2001/12/2(日) 10:55:30
- 九州の支石墓の登録運動は、私は聞いていません。
九州は「屋久島」が登録されているだけですし、各所で世界遺産運動の話が聞かれますので、いずれ支石墓も話も出るかもしれませんね。あるいは、もしかしたら既に運動が起こっているかもしれません。