平泉について
1 名前:収斂 投稿日:2001/8/29(水) 22:46:33
どうも収斂です
先日から夏休みを取っておりました。といっても26日から28日までのたった3日だけですが。
自分の今の現状は、数々の仕事が切迫しており、とても行ける状態ではなかったのですが、2ヶ月くらい前から予定していたことと、お盆休み返上で実験をしていたこと、さらに上からと下からの仕事が、ちょうどキリがよかったこともあって、東北地方をさまよってきました。(ずっと昔、岡山に行った時はどしゃ降りだったこともあるのですが、今回の天気は、はっきりしなかったものの、強く降られることはなくラッキーでした。)

今度の旅行の目的は、何といっても平泉の世界遺産関連の情報を得る事を第一目標とし、ほかに興味ある文化財を見て回ることも重要な目的でした。行き先は、平泉、山形の立石寺、松島(瑞厳寺、円通院、五大堂)で、滞在した仙台では、仙台城(青葉城)の艮櫓復元問題の現状も見てきました。
ここではこれらの物件の詳報・感想を述べていく予定ですが、まずは平泉から紹介します。松島、艮櫓の問題は近々書き込みます。

平泉について貴重な情報を得ましたのでお知らせします。なんと私は、地元で世界遺産を推進する町議会議員の方と逢い、いろいろなお話を聞くことが出来ました。
出逢いはほとんど偶然でした。武蔵坊弁慶が死んだとされる有名な松の前に、平凡な土産物屋がいくつかあります。ちょうど中尊寺の拝観を終わり、何かお土産でもないかとふらっと立ち寄ったその店で、たまたまそこの主人に平泉の世界遺産化の話を尋ねたところ、なんとその店の奥が、世界遺産推進本部の事務所だったのです。信じられないような本当の話です。
その方というのは国立博物館誘致・世界文化遺産登録調査特別委員長の佐藤孝悟さんです。少しお話をし、とても貴重な話をしてくださいました。ただ今ここで公表してはいけない点もあるような内容だったので、そこは割愛し、問題ない点、それもこのHPの皆さんが最も関心が有るのではないかと思われる点だけお知らせします。
ただし、ここでお知らせする話は、地元の方や、詳しい情報を知っている方にとっては、もう周知の事実かもしれません。その場合はご了承ください。

(1)平泉の世界遺産化については、一部反対論もあるが、地域住民の多くが賛成している。

(2)平泉の世界遺産該当物件は、中尊寺や毛越寺だけではなく、庭園文化を中心としたものが主体となり、無量光院や観自在王院、新たに発掘された柳の御所跡なんかも対象になる。また平泉一帯の田園風景もできるだけ保存する。

(3)問題点は、今は跡しか残っていない史跡の周辺環境整備である。史跡全体を保存するためには、場合によっては民家の移転、用地の買収を行う必要があり、そのための資金がネックになっている。

以上です。今後平泉の情報は何かと追加していく予定です。皆様も何かいい情報がありましたら、このBBSで教えてください。よろしくお願いします。


<最後に旅行の感想です>
九州が暑いだけのことかもしれませんが、東北地方は涼しいですね。福岡空港を降りたら、汗が滲み出る感じがして不快でした。慣れとはおそろしいです。
それと東北地方に田園風景が多かったのはうれしかったです。例えば川は護岸工事されているものは、むしろ稀で、ほとんどが「河」ではなく「川」でした。東北にこれほど自然が多く残っているとは知りませんでした。これは大事にしなくてはいけません。日本の穀倉地帯ですから。
また、ほとんど全ての家屋の屋根がトタンやブリキや合成樹脂で葺かれていました。これは地元の人の解説によると、冬期、雪が多く、‘しばれる‘日も多いので、瓦屋根だと、瓦の隙間に沁み込んだ水が凍結し、体積膨張して瓦を破壊するため、屋根はなるべく隙間の無いものが望ましく、その結果、どの家も屋根はトタンやなんかの材質の物に遷移したのだそうです。

2 名前:浦に〜と 投稿日:2001/9/3(月) 21:35:20
平泉地域の世界遺産登録について、大変興味深いご投稿ありがとうございました。
庭園文化を中心にするのですね。田園風景も保存して、世界遺産対象にするつもりなのでしょうか。また気になったのが、民家の移転です。移転対象がどれほどの面積・規模なのか分かりませんが、相当難しいと思います。そこに人が住んでいるのなら、その状態のまま景観を調整していくとか、そういうことは出来ないのでしょうか。移転はあまりに無謀の気がします。

3 名前:高橋 投稿日:2001/9/4(火) 00:21:36
鎌倉の高橋です。
平泉。いいですねぇ。私も大好きな地域です。
収斂さんのおっしゃる通り建造物の遺構が少ないのは残念で、庭園文化が中心となるのは止むを得ないのでしょう。
もちろん、中尊寺にはその名も高き国宝金色堂が立派に復元されていますが、保護のためとは言え現在の保存館というのか、コンクリートの建物の中に鎮座まします姿はちょっと味気ないものがあります。
しかし、そこに残されていた御遺体というのか、ミイラといいうのか、を含め平安時代後期から鎌倉時代にかけての文化を知る数々の宝物には目を見張らされるものがあります。
また、私が特に好きなのは中世以後、この金色堂を保護していた覆屋(シェルター)です。一部伽藍総建当初の様子を伝える経蔵とともに重要文化財に指定されていますが、金色堂を価値あるものとして守ろうとした文化財保護の精神であり、伝統を守る神道の式年遷宮とはまた違った文化の継承のスタイルだと思います。

庭園遺構としては無量光院が一番状態が悪く、民家の問題もこの遺構のことでしょう。しかし、このままでも季節によっては稲穂が実った黄金色の池と青草の島(建物跡)とが明瞭に見分けられることもあり、これはこれで身近な遺構と言う感じがします。
観自在王院は整備が行き届きすぎ市民公園みたいですね。
毛越寺の庭園遺構は形式だけで言えば、他にも円城寺や浄瑠璃寺、横浜の称名寺等中島に反橋、平橋を掛けたものがあります。また規模から言えば修学院や桂離宮には及びません。しかし、毛越寺庭園の特徴はそのディテールが見事に維持されていることで、州浜や池中立石などは現代人の感性にもうったえるものがあります。また貴重な鑓水の遺構も、平城京左京三条二坊の遺構(よく曲水宴とか再現してるとこ)に勝るとも劣らぬもので、作庭記と呼ばれる古文書に記述された細かい部分まで一致しているのには驚きます。
そう言えば、毛越寺の残された基壇(建物のあった部分の土を固めた土台)には伊達藩が保護のために木を植えたと聞いたことがあります。

世界遺産登録の推薦理由としては、C3、C4あたりですか。藤原氏が中央(京都)の向こうを張りすぎて、地方性が出ていないのが残念ですが、その中央にだって残っていないものが奥州平泉に残っていること自体重要なんですけどね。

こうやって書き込んでいるうちに、また平泉に行きたくなりました。

4 名前:高橋 投稿日:2001/9/4(火) 00:26:26
誤字訂正
伽藍総建→伽藍創建 でした

5 名前:収斂 投稿日:2001/9/5(水) 22:32:43
高橋さん>
お久しぶりです。平泉はいいところでした。ただ行った時は天気が悪く、私は達谷窟までいけなかったのです。晴れていたらもっと活動できたのに残念でした。達谷窟の世界遺産化はあるのか例の佐藤さんに尋ねましたが、明言はされず、平泉一帯を世界遺産にするという返事しかもらえませんでした。まだ未定なのでしょう。

庭園文化を主体にするのは理解できますが、もともと京都の寺院と重複しないためには、平泉の庭園が、日本で唯一の平安時代の浄土庭園であることを明確にする必要があり、外国人にその違いを説明しなくてはいけません。鎌倉の世界遺産化で仮に瑞泉寺を含めるとすれば、ここでも同様のことをせねばならず、そういった仕事は結構難しいと感じます。佐藤さんは平泉の世界遺産化は早くても10年くらいかかると言ってました。

私は平泉の世界遺産基準は、庭園文化の重要性を加味して(2)を追加して考えました。ですから(1)、(2)、(3)、(4)くらいではないでしょうか。

6 名前:収斂 投稿日:2001/9/6(木) 22:32:37
補足
よく考えたら、京都の文化遺産基準が(2)と(4)なので、平泉が同じ基準を含むとは考えられず、(4)を外して、おそらく(1)、(2)、(3)くらいじゃないでしょうか。結構いいかげんな解釈ですが。