世界遺産を観光地にするべきか?
1 名前:えり 投稿日:2001/12/13(木) 15:22:04
世界遺産を観光地にするべきだと思いますか?そのことについて、
あなたの意見を聞かせてください。できれば、早くおしえてください。
お願いします。

2 名前:浦に〜と 投稿日:2001/12/13(木) 22:18:21
えりさん>
世界遺産と観光地化の問題を調べていらっしゃるのですね。
よろしければ、何のために調べているのか、お教え頂けないでしょうか。

3 名前:えり 投稿日:2001/12/14(金) 09:18:40
浦に〜とさん>
総合的学習で今、ディベート活動をしています。そのことで、
世界遺産を観光地化するべきか。それとも、するべきではないのか。
について調べています。よろしければ、あなたの意見を聞かせてください。
よろしくお願いします。

4 名前:雪風 投稿日:2001/12/14(金) 16:07:24
えりさん>
 行政の立場から(オフィシアルではありませんが)申しますと、議会なんかでよく質問がありますのは「世界遺産にすることに関してのメリットは何か?」
ということです。
 標準的には、「観光という切り口から活用して頂いても結構。しかし、人を呼ぶのが主たる目的ではなく、地元の貴重な文化遺産を将来のために守り伝えようとする心が重要なのです。そのためにも、極論すれば、目的のためお客さんの数を制限することもありえるでしょう。」
といったところになります。
 現実に、観光客が飛躍的に増加したところというのは、少なくとも国内にはないと思います。

5 名前:日光山伏 投稿日:2001/12/14(金) 19:54:52
えり様

えり様、初めまして。横レスで失礼します。たまたま先日私があるお寺の会報のために書いた文章の中に、まさにその問題を扱った部分があるので、ご参考までに引用します。

「世界遺産登録の現実と意義 〜日光と紀伊の場合〜」
2.世界遺産「日光の社寺」の現実
3.文化財か観光資源か?
冒頭で述べたように、観光業界主導の感がある昨今の世界遺産ブームによって、世界遺産に対する一般の興味関心が強まったことは事実であるが、一方で「世界遺産=観光地の世界最高級ブランド」のような誤解が増えていることもまた否定できない。こうした現象は、文化財か観光資源か?あるいは自然か観光資源か?という基本的な問題を我々に投げかけているのである。
よくよく考えてみると、確かに有名な文化財には観光名所として多くの観光客を引き付け、地元のドル箱になっているものも数多く存在する。地域経済の視点から見れば、これらの文化財は何より観光資源として重要な意味を持つ場合もあるだろう。しかしながら文化財と観光資源は本来の意味が全く異なるものである。そもそも文化財は、営利目的で作られたリゾート施設や遊園地などとは違い、銭金抜きで人々の心を豊かにするために作られたものである以上、観光資源である以前にまず何より文化財であるべきで、このことは文化財に関わる誰もが十分に認識しなければならないはずである。もちろんこうした「ドル箱」に依存する地元の人々にも彼らなりの生活があることは事実で、文化財の維持管理費用の捻出も含めて、観光収入が地元に不可欠であることは言うまでもない。ただ営利目的があまりに強くなり過ぎると、文化財として本来あるべき姿が損なわれて価値が貶められる結果となり、元も子もなくなってしまう。ましてや元来が人間の所産でなく、文化財以上に傷つき易い自然の場合はなおさらのことである。
世界遺産「日光の社寺」の現状は、残念ながら正直なところ、およそ文化財と観光資源が混同されているに等しい状態のようで、その中心部は聖地というよりもむしろ神社仏閣を伴った行楽地といった様相を呈している。行楽期には沿道や参道を初めとする主要道路が渋滞の車であふれかえり、団体客を中心とする多くの観光客は日光山内にある二社一寺の駐車場に直接自家用車や団体バスでどっと乗りつけ、あたかもテーマパークのアトラクションを楽しむように有名な建物だけを見物しながら通り過ぎてゆく。厳かな聖地の雰囲気を期待してきた人々は、エンドレステープの呼び込みや立ち並ぶ幟の数々、要所で案内と共になされる頒布品の説明などに幻滅しつつ帰ってゆくのが常である。一方で日光山内では最も山岳信仰に関係が深く、中世には幾多の僧坊が立ち並んでいた滝尾古道と呼ばれる部分は、前者とは対照的に案内する人も訪れる人もまばらで、いつもひっそりと静まり返っている。この行路は日光山内で最も古い部分であるにもかかわらず、観光協会が定めた「もう一つの日光」という史跡探勝路に入れられて混乱を招いているのだ。
かつては関東最大の山岳信仰の聖地だった日光がこのような姿になった背景には、日光が山の中の田舎町には不釣り合いな程に抜群の知名度を持ち、観光への依存度が極度に高いという地域性が挙げられよう。江戸時代は東照宮造営と度重なる将軍や諸大名による参詣、大正年間は避暑の外国人や皇族、高官たちによる長期滞在、そして戦後は多くの団体客や修学旅行の学生による定番ツアーというように、外から大量にお金が入って落ちてゆくという長年にわたる構図が、日光が聖地であるという人々の感覚を麻痺させ、神仏が宿るはずの自然や環境に対する配慮や関心を希薄なものにする結果を招いたのではなかろうか。
肝心の世界遺産登録に際しては、幸か不幸かこうした日光山内の現状が問題にされることはなかったようである。ユネスコの委託を受けた国際記念物遺産会議(ICOMOS)による現地調査が行われたのは、運よく観光客もまばらな1998年12月の雨混じりの日であった。2人の調査官は前述のような光景を目の当たりにすることもなく、土産物屋が立ち並ぶ西参道側の開発に対する注意を促しただけで調査は無事に終了したと聞く。ユネスコ世界遺産センターのホームページにある第23回世界遺産委員会の公式記録を見る限りでも、「日光の社寺」の登録はさしたる議論もなくすんなりと決まったらしい。

以上です。もし私の文章の全文をお読みになりたければ、「役行者ファンクラブ」というHP(http://www.ayus.net/enno/home.htm)の掲示板に「今月の超早出し…世界遺産」の題名で掲載されています。このHPは「紀伊山地の霊場と参詣道」が昨年暫定リストに入った際に、奈良県側の運動の中心となったお寺のお坊さんが、個人的に運営しているものです。

6 名前:浦に〜と 投稿日:2001/12/15(土) 18:49:53
一口に観光地化と言っても、さまざまな形があります。大きく分けても、ただ人が増えるというのと、ちゃんと整備された中で観光客が増大するのとでは訳が違います。それに人が飛躍的に増えたという観光地もあれば、地元が観光地化を目指しても人が殆ど集まらないというケースもあります。

例えば国内の世界遺産の「屋久島」は、世界遺産登録前から徐々に注目を集め出し、そして登録を気に観光客が増えたといわれています。倍増とまではいきませんが、結構増えたようで、ゴミ問題や巨木を痛めることなど、いろいろと問題が起きました。もっとも代表的な対策の一つが、有名な縄文杉に近づけぬように設けた柵です。それまで知る人ぞ知る、というくらいのものだったのが、突然全国区になってしうまうというのは、やはり問題かもしれません。優れた場所ならそれをきっかけに、多くの人が殺到する恐れも出てきます。本来なら何かが起こる前に対策を立てるべきなのでしょうが、それも難しいものと思われ、「白神山地」「屋久島」「白川郷・五箇山」などの世界遺産では、事後に少しずつ対応を考えてきました。

世界遺産が観光化されるのは、ある程度の部分までは私も賛成です。ある程度の部分とは、遺産の価値を損ねたり、雰囲気を乱さない程度のことです。観光客が増えれば基本的に地元は潤いますし、何より多くの人に知ってもらうことが出来ます。この、知ってもらうというのは大変重要なことです。その地方の貴重な文化財や自然から、歴史や人と自然のかかわりまで知ることが出来ますし、それを自分の地元と比べたりする事も出来ます。単に優れた文化財や自然を見て感動するというのも良いことです。これは以前、別のところでも書いたことですが、人は地元の歴史や文化、自然を知ると、心が豊かになると思うのです。だから、より多くの人に知られ、注目されるというのは良いことです。