だれもが知る言葉となったが…

世界遺産とは一体なんなのだ?

 

 「世界遺産」。この言葉は突如として現れ、またたく間に浸透していきました。いまではテレビや新聞・雑誌などで、だれもが知っている一般常識のごとく扱われています。しかし、そもそも世界遺産とは一体なんなのでしょうか。


■なぜ世界遺産が生まれた?

 国や民族の枠にとらわれず、世界各地の自然や文化財を、人類共有の財産として守る。それが世界遺産条約の目的です。条約の正式名は「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」。1972年11月、第17回UNESCO総会で採択されました。この条約のもと作成される「世界遺産リスト」に名を連ねた場所、それが「世界遺産」というわけです。
 世界遺産条約を生んだきっかけはいくつもありますが、一番大きかったのが、1960年代からUNESCOが展開した「ヌビア遺跡救済キャンペーン」でした。ナイル川のダム建設で、エジプト南部からスーダン北部にある古代遺跡が水没することになり、両国からの要請でUNESCOがキャンペーンを行ったのです。賛同した国は50以上にのぼり、各国が資金、資材、技術を提供。遺跡は高台に移築され、水没をまぬがれました。このキャンペーンの成功により、「貴重な文化財を守るためには、国や民族を超えた協力が欠かせない」という考えが浸透し、世界遺産条約の誕生へと結びついたのです。
 ちなみにこの条約、本来なら1972年6月の国連人間環境会議(スウェーデン・ストックホルム)で採択される予定でした。会議の重要テーマのひとつだった「世界の天然遺産および文化遺産の保護」を多くの国が評価し、そのまま条約採択かと思われたのですが……。この会議ではベトナム反戦論に多くの時間が割かれ、12日間の会期中で必要な議論を消化しきれず、半年後のUNESCO総会で採択されたというわけです。



■世界遺産条約が「画期的」といわれる理由は?

 自然環境や文化財は、利用するのも保護するのも、所有国の自由です。世界遺産条約が画期的といわれるのは、これらを国際協力のもと守ろうとしているからです。
 とはいえ、原則は自助であり、所有国が責任をもって保護しなくてはなりません。そこに支援の手を差し伸べるのが「世界遺産基金」です。条約締結国は、要請すればこの基金から支援を受けることができます。原資は締約国の分担金や個人からの募金。集められたお金は、緊急の保護・修復が必要な遺産への財的支援や、登録予定物件の調査費、登録後のモニタリング費、遺産保護を行う専門家の育成費などに使われています。
 保護という観点でいえば、「危機リスト」の作成も世界遺産の画期的なところ。これは世界遺産のうち特に危機的状況にあるもののリストで、国際社会に注意をうながすものです。

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 それから、自然遺産と文化遺産をともに保護していることも、世界遺産が画期的といわれる理由でしょう。それまでヨーロッパでは、自然と文化は相容れない存在というのが一般的な考え方でしたから。
 この流れを受け、信仰の対象である山や、農耕・牧畜が営まれてきた風景を「文化的景観」とし、保護していることも大きな特徴です。日本でも05年に文化財保護法が改正され、新たに「重要文化的景観」という概念が盛り込まれました。これはまぎれもなく世界遺産から輸入されたものですが、文化財や自然環境の保護のお手本になっていることも、世界遺産の大きな役割といえます。



■現在936件。これって多すぎる?

 世界遺産には「1カ国あたりの登録数にも、全体の登録数にも、上限は設けない」という規定があります。ところが2000年代になってから「上限を定めるべき」という声が聞かれるようになりました。最近では「1000件が限度」などと、具体的な数字まで出るようになっています。元UNESCO事務局長の松浦晃一郎氏が、著書『世界遺産 ユネスコ事務局長は訴える』(講談社、2008)で「私自身は、2000は確実に多過ぎるし、1500でも多過ぎるのではないかと感じている」と述べたことが、一つの示唆になっているらしいです。
 もっとも、90年代末ごろから、「最終的には2000件までいくのではないか」との憶測も飛び交っていましたし、条約発効年の独立国(1972年、145カ国)が10件ずつ登録しても1450件にはなるので、私個人としては「いまさら感」が非常に強いのですけど。しかし、上限が語られるようになってきた背景には、「数が増えると1件1件へのフォローが手薄になってしまう」という切実な理由もあります。
 ですが私は、数を制限すると本来の目的から外れていくように思います。世界遺産とは、保全する価値のある自然や文化財を登録するリストですよね。そのリストづくりに上限があるというのも、おかしな話ではないでしょうか。
 あるいは、世界遺産を、緊急的に保護するべき場所のリストと見るのであれば、それこそ「危機リスト」だけを残して、あとは解散してもいいのでは? 「増えすぎて管理が追いつかない」という現実的な問題がある以上、ここらで世界遺産そのものを見直してもいいのではないでしょうか。

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 件数に関する話では、「世界遺産が多すぎて価値が薄れている」という意見も稀に聞きます。思うんですが、これって、まったく中身のない指摘ですよね。たとえば2011年7月現在、日本の世界遺産は16カ所ですが、ラムサール条約の登録湿地は倍以上の37カ所。しかも環境省は、14年までに10カ所を追加する予定です。増えるにつれて、ラムサール湿地の価値は低下していくのでしょうか?(ちなみに環境省内では「増えると価値が下がる」という認識があるらしいですが。なお、ラムサール湿地は世界全体で約1900あります)。
 あるいは、国宝。文化庁が指定する国宝は1100件以上あります。建造物に限っても220件以上。多すぎて価値が薄いでしょうか?
 数というのは、価値がある場所を登録していった結果として現れるにすぎません。「増えると価値が下がる」というのは、そこに稀少性を求めるからこそ成り立つ思考。世界遺産条約を読んでも、稀少価値や「箔」を与えるためのものであるということは書かれていません。



■登録抹消基準の適用の衝撃

 話をもとに戻しまして、いま、世界遺産を取り巻く特に熱い話題といえば、登録抹消でしょう。もともと抹消手順の規定はありましたが、条約発効から35年目の2007年、ついに抹消第1号が生まれてしまいました。それがオマーンの自然遺産「アラビアオリックスの保護区」です。
 ここは、絶滅が危惧されるアラビアオリックス(IUCNレッドリスト「絶滅危機種」指定)の野生の生息地。また、フサエリショウノガン(同リスト「危急種」指定)など、オリックス以外にも絶滅危惧種が生息することから、1994年に世界遺産に登録されました。ところがオマーン政府は06年、保護区内で化石燃料の調査を行おうと、面積の9割削減を決定。07年の世界遺産委員会で、「世界遺産登録の根拠となった価値を損なう」と判断され、登録を抹消されてしまいました。

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 2年後の09年には、ドイツの文化遺産「ドレスデンのエルベ河岸」(06年登録)も抹消されました。理由は橋の建設。05年、渋滞解消のためエルベ川を渡る橋を架ける計画が出されると、景観が破壊されるのではないかと反対論が起きました。その後、計画をトンネル化することが求められましたが、ドレスデン市は橋のデザインを変更するに留めました。しかもその内容が世界遺産委員会の要求を満たすものではなかったため、登録抹消となってしまったのです。なお、ドレスデンでは建設決定前、「橋をとるか、世界遺産をとるか」市民アンケートを行いました。結果、6割の住民が「橋」を選択したとのことです。
 とはいえ、橋が建設されても、ドレスデンの歴史的・建築的価値は変わりません。そのため、範囲を市街地に絞り込んで再登録できる道は残されているとのことです。



■世界遺産はどこへ行く?

 上限問題に、相次ぐ登録抹消。世界遺産はこの先、どこへ行こうとしているのでしょうか?
 「画期的な国際条約」として生まれた世界遺産条約は、2012年で40年を迎えました。最初のころは、文化遺産なら古代遺跡、記念建築(教会や宮殿)、歴史都市、自然遺産なら美的な景勝地や、生物相の豊かな熱帯圏からの登録が目立ちました。その後、先述した「文化的景観」をはじめ、産業革命後の機械・工場建築など、登録分野を拡大。ここ数年は毎年のように、20世紀建築や土木構造物などが登録されるまでになりました。
 また、3カ国以上による共同登録もここ数年のはやり。北欧・東欧の10カ国による「シュトルーヴェの測地弧」(19世紀の測量点群)、西欧の6カ国による「アルプス周辺の杭上住居群」、ドイツ、ウクライナ、スロバキアの「原始ブナ林」などが実現しました。
 これらに次ぐものとして、フランス、スイス、ドイツ、ベルギー、日本、アルゼンチンによる「ル・コルビュジエの建築作品」が注目されています。ただしコルビュジエ建築に関しては、「1人の建築家の主要作品をすべて登録することは、世界遺産の本来の目的から外れているのでは」という指摘もなされています。果たして登録されるのか、微妙なところですが、これがきっかけで書店ではコルビュジエの特設コーナーができたのも事実ですし、コルビュジエ作品が再発見・再評価されるきっかけになればいいのではないでしょうか。

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 アジアでは6カ国による「シルクロード」の登録計画も進行中です。(中国、インド、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン)。中国は海上ルートとして泉州(福建省)と寧波(浙江省)も登録候補に入れているので、日本も参戦しない手はないでしょう。
 同じく「道」の遺産では、コロンビア、エクアドル、ボリビア、ペルー、チリ、アルゼンチンの「古代インカ道:カパック・ニャン」も準備中です。(※エクアドルは共同計画の協議に参加しているが、暫定リストには記載していない)
 さらに、隣り合わない国どうしによる野心的な試みとして、大航海時代の鉱山と貨幣鋳造所を一括化したメキシコ、スペイン、スロベニアの「銀と水銀の史跡」というものもあります。
 これら複数国での登録には、お互いの協力体制が必要なことはいうまでもありません。推薦書の作成から、登録後の保護・管理協定にいたるまで、1カ国での登録とはまた違った難しさがあると思います。けれども、そういった連帯を必要とする登録運動が各大陸で起きているのを見るに、「世界遺産」もまだまだ捨てたものではないな、と思ってしまうのです。(単体登録が苦しくなったゆえの「苦肉の策」では、断じてないと思います!)。これこそ、世界中に「平和のとりで」を築く作業にほかならないではありませんか!!
 世界遺産条約は、これからも画期的であり続けてもらいたいものです。

 

作成 2010.03.06
修正 2010.08.15
加筆 2010.11.29
修正 2011.06.29
修正 2012.06.03
浦に〜と


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