裏世界遺産とは??
弊サイトの造語です。一言でいえば、「世界遺産に登録推薦されたのに登録されていない場所」。審議の結果、落選したものもあれば、審議前に推薦国自ら辞退したところもあります。 |
■裏世界遺産の定義 「裏世界遺産」は弊サイトの造語なので、一応この場で定義づけておきましょう。大きく、以下の6種類からなります。 ●世界遺産委員会での審議の結果、以下の各評価を下されたもの ●以下の各事情により、世界遺産委員会の審議を受けなかったもの いずれにせよ、一度世界遺産に推薦されていながら、何らかの理由で登録が見送られているものを「裏世界遺産」と呼ばせていただいています。日本では、2008年の世界遺産委員会で「登録延期」となった「平泉」と、09年に「情報照会」となった「国立西洋美術館本館」(フランスなど6か国共同推薦の「ル・コルビュジエの建築と都市」の構成資産)の2例があります。ちなみに、世界遺産になっていない場所の代表格「富士山」は、正式に登録推薦されたことがないので、裏世界遺産ということにはなりません。 |
■登録されないからといって…… 実はこの裏世界遺産の存在が、世界遺産のもつ問題の一つなのです。というのは、「世界遺産に登録されなかった自然や文化はどうでもいい、価値がない」ととらえられがちであるからです。世界遺産というのは、世界的に見て顕著で普遍的な重要性をもつものですから、これに登録されないということはすなわち、価値がないと思われてしまうのです。確かに両者を比べると、保存状態や管理体制などに差が見られるものもあるでしょう。しかし世界遺産はそのガイドラインにおいて、地球上の素晴らしいものをすべて登録するつもりではないと規定しています。 (世界遺産条約履行の作業指針第52項):The Convention is not intended to ensure the protection of all properties of great interest, importance or value, but only for a select list of the most outstanding of these from an international viewpoint. (意訳):世界遺産条約は興味深いもの、重要なもの、価値あるものすべての保護を約束するためにつくられたのではない。あくまで世界的に見て、最も傑出したものの選抜リストを作成することが目的である。 登録された場所をモデルに、自国の自然・文化保護の手がかりにすればいいのですし、また、世界遺産をとおして他国の文化や自然に興味をもつことも大切です。ですから登録されたとかされていないとか、そういうことを考えるのは、いってみればあまり意味がないのです。そう考えれば、裏世界遺産は決して世界遺産に劣るものではなく、一つひとつがとても重要なものだということに気づくことでしょう。 ※条約履行の作業指針は2005年2月に改訂されました。この箇所の記述はほとんど変更ありませんが、改訂前の表記は次のようでした:The Convention provides for the protection of those cultural and natural properties deemed to be of outstanding universal value. It is not intended to provide for the protection of all properties of great interest, importance or value, but only for a select list of the most outstanding of these from an international viewpoint.(旧作業指針第6項) |
■裏世界遺産は国の恥? そうはいっても裏世界遺産とは、何かしらの問題を抱えているもの。だから国の恥のように思えるかもしれませんが、私はそうとは思いません。落選しても問題点を改善して、次に備えればいいのではないでしょうか。もちろん、推薦書のつくり直しなど膨大な手間と費用がかかりますが、それが問題なら、はじめから世界遺産をねらわなければいいだけの話ですし。裏遺産は永久に裏遺産であるわけではなく、一度落選しても、後年に問題点を改善して登録された例はいくらでもあります。 日本は93年に「法隆寺地域の仏教建造物群」など4件を登録して以来、07年の「石見銀山の銀鉱とその文化的景観」まで、審議を受けた10委員会連続で「一発登録」を続けてきました。10委員会連続で落選なしは、現在のところ世界記録です。日本初の落選は、08年の「平泉−浄土思想を基調とする文化的景観」。落選は残念なことでありますが、推薦内容を見直して、再挑戦すればいいだけのこと。いや、むしろ、「われわれの推薦内容が受け入れられないのなら、世界遺産なんかいらない」というくらいの気概が欲しいものです。「浄土思想の景観に顕著な価値があるのか不明確? そんな勝手な条約、お断りだ」くらいの気概が。 世界遺産になってもならなくても、平泉の文化財は同じようにそこにあるのですし、それによって価値が変わるわけではありません。「登録されること」が唯一の目標となりつつある日本の世界遺産運動に一石を投じるという意味でも、平泉の落選は意味があったと思います。これを機に、「なぜ世界遺産を目指すのか」を本質的に見直していくべきではないでしょうか。 作成 2000.2.06 |