’98.10.15
NO.31
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詩の授業〜「風景」 |
1.はじめに
本教材詩「風景〜純銀もざいく」(山村暮鳥 作)について、その特色と魅力を簡単に述べる。
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この詩を使って、情景を想起させる音読を中心とした観賞指導を行う。
以下、3年生を対象とした授業記録を記す。
2.授業の流れ
教材詩を印刷したプリントを配布後、範読する。その後、問う。
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「いちめん」「ひばり」「麦ぶえ」「かすか」「やめるは」が出された。
「やめる」以外は辞書で調べさせた。
ところで「やめる」だが、これは2通り解釈できる。
つまり、「病める」と「止める」である。
「やめるはひるのつき」であるから、「病めるは昼の月」と「止めるは昼の月」のどちらも考えられる。
しかし、ここでは後者「止める」と捕らえたい。
詩の内容や情景からいって「病める」状況や必要性がおよそ感じられなかったからである。
「止める」なら、「つづいていたものがたえる、中止になる」と解釈される。
(しかし、これは大きな誤りであった。後日、原作を調べたら「病める」とあった。作品をきちんととらえずして、授業にかけてしまった自分が情けない。教材研究という基本中の基本を怠ってはならぬことを大いに反省した。)
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全員着席したのを確認してから問う。
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机間巡視して下位の子に個別指導をする。他の子に分からぬように、ひっそりとである。
そして、指名予告しておく。その子に発表させる。
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誉める。わけも言えたことを誉める。
文の中の言葉(キーワードである根拠)を出してきたことを誉めるのである。
こんな、ちょっとしたことで下位の子もぐんと意欲を増していくのである。
一部のできる子だけが、活発に授業を進めていく展開であってはならない。
全員「春」という一致をみる。
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こう問うと次のように答えた子がいた。
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先ほど辞書を引いて調べた際、子供たちは「ひばり」が春の鳥であることを知っている。
「春」だと言えるキーワードは「なのはな」と「ひばり」である。
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全員が「いつめんのなのはな」と答える。
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子供たちは声に出しながら数える。早い子は「24」と言う。
「その通りです。すごい数ですね。」と言ってから、
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数名に発言させる。
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作業後、発言させる。
(大・・2人、小・・26人、同じ・・5人)
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「なるほど。そうですね。先生も大きな声よりは、低くやさしい小さな声が、ここでは、ふさわしいと考えます。」と告げてから、指示。
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隣同士確かめさせるなどして、全員赤線を引いたのを確認してから、
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挙手で人数分布を調べる。
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お互いに意見や考えを自由に述べ合う。
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個々の持つイメージは様々である。
しかし、「なぜ、そう読むべきか。」考えさせず、一義的に、ここはこう読みなさいと解釈の強制をするのは観賞指導としてはいただけないだろう。
教師の解は、こうである。
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こう言って、範読して聞かせる。
「どう?広くて、黄色い菜の花畑が見えてきましたか?」
子供たちは実に純真で素直である。下手くそな教師の範読にも「うん。」とうなずく。
「静かに目を開けましょう。」
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各自、音読する。最初に読んだ読み方とは全く違う。格段に向上的変容が見られた。
最後に、一斉音読させた。
24個の「いちめんのなのはな」は単調な読み方ではなく、それぞれを意識しながらの読みであった。
ここまでで時間切れだった。最後に、もう一つ問いかけた。
今思えば、無駄な発問と言える。
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「27です。」「4つです。」「1つかな。」・・・。
思い思いに言わせて授業を終えた。
3.おわりに
最後の発問の解であるが、私自身は「1文」と考えた。
「。」がついているのは、最後の行の「いちめんのなのはな」のところだけだからである。
これを1文と解釈するのは、強引で浅薄な一方的解釈であろうか。
また、詩には、「文」ということの定義自体、規定できぬこともあろうから、この解釈は不適切かもしれない。
「文」を辞書(小学館)で調べると、「まとまった思想をあらわす、ひと続きのことば」とある。
はたして「1文」か?「27文」か?最後の「。」は何を表しているのか?何故ここだけ「。」なのか?
いずれにせよ、興味は尽きない。詩は面白い。
拙い実践にご指導いただきたい。