’99.2.18
NO.117
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分析批評の手法を取り入れながら、この詩の持つ独特な浮揺感や情感を感じ取らせる鑑賞指導に重きを置いた授業である。
対象学年は3年生である。
実践にあたっては、大竹慶明氏の実践(第2期教育技術の法則化24P68)を修正追試した。
題名を空欄にした教材詩を印刷したものを、子供たちに配付したところから授業は始まる。
次の詩である。
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以下、授業の記録を記す。
教師が1回範読する。その後の指示。
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全員着席後、「上手でしたよ。」と褒めてから次の指示を出した。
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5分後、作業を中断させ、書いた量の少ない子供から自由発言させた。
全員が以下のようなことを述べた。
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たくさん出された発言を大いに褒めた。
そして問うた。
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列指名で数名に答えさせた。「春」が圧倒的に多い。「冬」も1名。
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自由に発言させた。
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全員「同じです。」の声。
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「この詩の題名は『はる』なんです。」と確認した。
その後、イメージを問う発問。
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この問いに対して、大人ならば何と答えるであろう。
イメージの世界であるからして、絶対にこれだというものはないであろう。
私は、「さくら」「くも」「そら」から、淡いピンク・白・青、そして透明色の四色をこの詩から感じる。
さて、2分後、子供たちに自由に発言させたら以下のものが出された。
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・金色 ・赤 ・黒 |
「黒」と発言した子が、その訳を問われた。その子は「黒というのは、宇宙まで行ってしまった感じがするから。」と答えた。
「赤」にも同様に質問あり。「いろんな花の色が頭に浮かんだから。」と子供。
「紺色」に関しては、「『ふかいそら』とあるから、青よりもやや濃いと思った。」と答えた。
やはり、それぞれが持つイメージが違っている。
しかし、明らかにその詩にそぐわぬイメージならば、相応しいイメージへと正してやらねばならないこともまた、時に必要である。
「みんなちがってみんないい」わけではないと考えるのである。
ここでは、肯定ではないが、すべてを受容した。
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子供たちは、幾度か話者(話し手)について学習してきているので、ここは容易に見つけることができた。
話者は「わたし」である。
ここはテンポよく進める。
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これは難しい。限定できる言葉、根拠となるものが、この詩にはない。
ここでは、この詩に対するイメージの広がりを期待して、あえて、このような問いかけをしてみた。
全員が書けたのを見計らって、自由に発言させた。
以下のものが出された。
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以上の意見が出されたところで、教師の解を示した。
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子供たち「ふーん。」といった表情で聞いている。
そこで尋ねた。
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たことをノートに書いて先生に見せにきなさい。 |
時間も残り2分程度。ノートを提出した子供から休み時間にした。
子供が書いたものをいくつか紹介して終わる。
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