’97.8.10

                                                     NO.36

     詩の授業〜「いるか」

                        

1.はじめに

 

 授業で扱った詩教材「いるか」を下に記す。


   いるか

いるかいるか
いないかいるか
いないいないいるか
いつならいるか
よるならいるか
またきてみるか

いるかいないか
いないかいるか
いるいるいるか
いっぱいいるか
ねているいるか
ゆめみているか

 

 この詩は、谷川俊太郎氏の作品「ことばあそびうた」(福音館書店)に収められているものの一つである。

 全てひらがなで書かれている。

 ひらがなで詩を書くということについて、谷川氏は、自作の朗読ライブで次の様におっしゃっている。


自分で意識して、ひらがなで書くことを初めて試みたのが、この「ことばあそびうた」です。10代の終わりから、現代詩というものを書いてきたんだけれども、何か、現代詩というものが、だんだん観念って言うか体を持たない言葉の方に片寄ってきていて、そのおかげで、あんまり読んでいて面白くないんですよね。
 そうして、だんだんと現代詩は読者を失ってきた。そういう現代詩に、もっと、読み手を増やしたいということを常に考えてきたんですね。その一つの側面として、韻文、調子のいい言葉で詩を書くことができないか。本来、詩っていうのは、文字に印刷されたものじゃなくて、声に出して、みんなで楽しんだものじゃないかと思うんですよね。
  そういう思いで書いてみました。                                           

(A)
 

 また、続けて、この作品については次の様な話をされている。


この詩も、教科書に載ったのかなぁ、先生方の指導書っていうものを読んでいたら、この詩の教え方というので、この詩の中にイルカは何匹いるでしょうというのがあったんですよね。(笑)
 作者としては、僕は、責任を取らなくてはいけないと思ってね。
一生懸命数えたんですよ。すると、これは、どこか途中
恐らく言語学の問題だと思うんだけど、意味論的に何匹か分からなくなっちゃったわけね。そういうふうに、できてるんですね。
 だから数えても分からないんだから、数えてもしょうがないと思うんだけど・・・。                                        

(B)
 

※(A)(B)とも「谷川俊太郎〜自作を読む第1巻(草思社カセットブック)」に収録されている、東京クレヨンハウス(’88.3/5)でのライブからの引用である。(テープ起こしは、三村)

 

 さて、このお話はとても興味深い。

 詩というのは、作者でも、常に論理的な意味を持たせて文字化しているわけではないということ、そして、楽しい言葉遊びをしながら、高田敏子氏の言われる「良い思いっこのゲーム」であるということを示されたものとして注目に値する。

 しかしながら、作者の意図に反するようだが、この詩を教材化し「言葉にこだわる」という授業で、上記の発問を是非子供たちに投げかけ検討してみたくなったのである。

 

 以下、授業の記録を簡単に述べることにする。

 

2.授業の流れ

 

 プリント(教材詩)を配布する。


指示1
全員立ちましょう。この詩を、なるべく、つっかえずにすらすらと3回音読しなさい。読んだら座ります。
 

 着席後、「どう?この詩。」と尋ねると、

・「何か、わかんない。」

・「『 、』『 。』もないから読みにくい。」

・「いるかってあのイルカのこと?」     等の声があがる。


発問1
ではね。この詩に「いるか」と言う言葉は、題名を抜かしていくつ出てくる?○で囲みながら数えて、ノートにその数字を書きなさい。
 

 どの子も真剣に数を数えている。全員調べ終わったのを見計らって、列指名で答えさせる。

 全員「12」という一致を見る。


発問2
すごい数ですね。では、その中に、動物の「いるか」は何匹いるでしょう。何匹登場しているんだろうね。
 

 「イルカ」が登場しているという前提で、検討させる。

 そうでないと、全て「居るか」と考えても不自然ではなく、単なる言葉の音韻遊びだと考えれば、それまでだからである。

  

 教師の解をまず先に述べることにしよう。


  いるか

 
いるかいるか
 いないかいるか
 いないいないいるか
 いつならいるか
 よるならいるか
 またきてみるか

 
いるかいないか
 いないかいるか
 いるいるいるか
 いっぱいいるか
 ねているいるか
 ゆめみているか
 

 結論から言う。

 上記の3つの「いるか」以外が「イルカ」である可能性がある。
 別の言い方をすれば、この3つは、「イルカ」ではなく「居るか」と考えたほうが自然だということである。

 「イルカ」である可能性があるということは、どういうことなのか、子供たちにすれば、はっきりして欲しいということになる。

 当然であろう。子供にすれば、発問しておいてそれはないだろと言うことになる。

 発問するということは、教師の解が明確でないと、それは無責任になるからである。

 つまり、この解は、「。」「、」「!」「?」など一切ないため、証拠となるものもなく、この3つ以外は全て「イルカ」と考えても構わないということである。

 1行目など「イルカ イルカ」でもいいし、「居るか イルカ」「イルカ 居るか」「居るか 居るか」でも意味は通じる。

 したがって。12−3=9で、「0〜9匹いそうですよ。」という解にしか成り得ない。

 

 それでも、授業の実際場面においては、次の様な分析・検討が意見交換として出された。


① 1行目(1連)と7行目(2連)が対比していると考えれば、1行目・・・「イルカ居るか」、7行目・・・「イルカ居ないか」とみる事ができ、ここで2匹
② 2行目(1連)と8行目(2連)は、「居ないかイルカ」「居ないか居るか」どちらも考えられるから、よって不明。
③ 3行目(1連)を「居ない居ない居るか」と捉えるのは、9行目(2連)「いるいるいるか」との対比からおかしいという意見があり、ここは「居ない居ないイルカ」、9行目(2連)を「居る居るイルカ」と考え、この2行で2匹
④ 4行目(1連)は、「いつならイルカ」より「いつなら居るか」と考えるのがいいという意見が出て、ここには無いとした。
⑤ 5行目(1連)も「夜ならイルカ」より「夜なら居るか」の方が自然だということで無し。
⑥ 10行目(2連)「いっぱいいるか」は「いっぱい居るか」と「いっぱいイルカ」どちらとも取れるということで不明。
⑦ 11行目(2連)「ねているいるか」は、「ねている」という言葉が、様子を表す修飾語と捉えるのが自然であるという考えから「ねているイルカ」と子供たちは解釈。したがって、ここで1匹
⑧ 12行目は「ゆめみて居るか」という解釈が大体を締め、無し。

以上、計5匹ではないかという結論にたどり着いた。
 

 教師の解を示した後は、「えーーー。なんでーーー。」「いっしょうけんめい考えたのにーー。」「先生のうそつき。」という声さえとび出た。

 にっこり笑いながら次の様に話して、授業を終えた。


みんなの考えを聞いていて、先生も分からなくなってきちゃったよ。
すごいですねぇ。みなさんの頭は。まいりました。でも、本当はどうなんだろうね。日本語って面白いね。
 それにしても、この詩は不思議でとっても楽しかったですね。
 みなさんのおかげで、この詩の面白さが、また膨らみました。ありがとう。これで終わります。

 

 授業後も、教室のあちこちで「これはイルカだよ。」「ちがうよ。」という声が、しばし続いていた。

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