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                                                                                       NO.82

短文の授業 〜俳句③

                           

1.はじめに

 教材は、松尾芭蕉の俳句「海くれて鴨の声ほのかに白し」である。

 この俳句は、特異である。

 5・7・5ではなく、5・5・7になっているからである。
 何故こういう形式なのか?ここに作者の強い思いが隠されている。

 発問群は、伴一孝氏の追試となるが、特に、どこで区切って読むかという向山氏の発問は、秀逸である。

 

2.授業の流れ


指示1 先生がこれから黒板に書く文を、そのままきれいに視写して下さい。
 

 (板書)  「海くれて鴨の声ほのかに白し」


指示2 全員立ちましょう。つっかからないように、朗々と読みましょう。3回読んだ人から座りなさい。
 

 全員着席後、ゆっくりと静かに話す。


指示3 目を閉じなさい。心にスケッチしなさい。(間)目の前の海が暮れました。その時、鴨の声が聞こえました。その情景の中にいた話し手は、何やらほのかに白く感じました。・・・・・目を開けなさい。こういう俳句なんです。
 

 


発問1 さて、これは俳句です。そうすると、これは5・7・5になっているはずです。なっていますか。(子供たち「なっていない。」と言う。)

では、これを言葉を入れ替えてふつうの5・7・5に直して下さい。ノートにしっかり書くんだよ。書いた人は先生にノートをもっていらっしゃい。
 

 一人一人ノートチェックをする。1〜2名を除いて、ほとんど正解であった。
 着席後、全員で声を合わせてもう一度読ませた。


    海くれて ほのかに白し 鴨の声
 

 


指示4 松尾芭蕉さん、わざと5・7・5を5・5・7にしちゃった。こういう技法もあるんだね。ノートに①と書きなさい。
 

 


発問2 この俳句の中で、一番大事な言葉は何でしょう。

その言葉をノートに書きなさい。
 

 1分くらいですばやく書かせる。列指名で座ったままテンポよく全員に答えさせていった。
 ここでは、ズバリ一言で短く言わせることが肝腎である。

 「鴨」「白し」「海」「ほのか」「くれて」が出された。


指示5 見事に全員分かれちゃったねぇ。バラバラだね。つまり、この俳句を支えている命の言葉とは何かということなんだ。この言葉が無ければ、この俳句は成り立たないという言葉を選ばなければならない。

正解は、この中にある。もう一度考えなさい。
 

 出された意見を消去法で検討し合い、見つけていくという方法ももちろん取れるが、ここでは再度、自分に返っての作業を命じている。

 こういう指示や作業も、時にじっくり考えさせるうえでは必要であると考えている。
 じっくり自分の頭で練り直すことは、討論を目指す布石としては大事なことなのである。

 もう一度書き直したのを見計らって、再度全員に尋ねてみた。


「白し」26人、「ほのか」5人、「くれて」2人
 

 それはなぜなのか指名して問うたが、明確な考えが得られなかった。

 そこで、ここはあまり時間をかけないことにし、教師の方で解を告げた。


説明1 よーし。さっきより正解率が高くなったぞ。

これは、「白し」(板書)という言葉と考えられる。この言葉がなければ、この俳句の魅力は半減してしまうんだ。

「海」、これは舞台だ。

「鴨の声」、聞こえて来るもの、言わば小道具だ。

「くれて」、これは情景だ。

「ほのかに白し」この中のずばり一言をあげるならば「白し」というのが妙なんだ。「白く感じている」ということが、この俳句の話し手の独特な感じ方なのです。
 

 子供たち「なるほど。」と言った顔で聞いている。


発問3 ノートに②と書きなさい。

それでは、話し手に見えている色、見えている色は何色なんでしょうね。見えている色すべてノートに書きなさい。
 

 机間巡視しながら、意図的に、黒板に書くように赤丸チェックして数名に指示する。
 2分後、作業を止めさせ黒板に書かれた色に注目させた。
 同じ色を書いた子供には、挙手をさせ人数分布を記した。
 以下の通りである。


    オレンジ・・・・・ 6人
    黒   ・・・・・ 4人
    青   ・・・・・18人
    白   ・・・・・26人
    赤   ・・・・・10人
    茶   ・・・・・ 1人
    紅   ・・・・・ 1人

 

 検討を促す前に、次のことをまず尋ねてみた。


質問 「くれる」という言葉を調べた人いますか。
 

 子供「『日が沈んで暗くなる』と辞書に書いてありました。」


発問4 なるほど。では、この「くれて」という言葉を根拠とするならば、太陽は、もう沈んでいるのですか。それともまだ沈んでいないのですか。○か×かを手で表してみましょう。
 

 ×が一人。あとは全員○であった。解を告げる。


説明2 これは、やはり太陽は、波間に消えたと考えるのが自然のようですね。
 

 


発問5 だとすれば、この情景にふさわしくない色はどれですか。
 

 口々に言わせた。

 「オレンジ」「赤」「紅」「茶」が上げられた。  

 「なるほどねぇ。」という程度で、ここは個々のイメージの世界と考え、あえて深入りしないことにした。

 私自身は、「白」と「黒」をイメージする。


発問6 ③鴨は見えているのですか。見えている○、見えていない×としてノートに書きなさい。
 

 作業後、例によって人数分布を調べるために挙手させた。


   ○・・・・・1人、×・・・・・・32人
 

 ○は1人であった。発問の善し悪しによって、こういうことは少なからずあるものである。
 また、子供の浅い読み取りや作品の曖昧さにおいてもこういうことによく出くわすことがある。

 大事なことは、この少数派の意見のわけである。根拠である。

 いかなる場合においても、学習は多数決で決められるべきものではないし、根拠こそ、その考えの裏付けになるのだということを、常日頃から教えて行く必要がある。

 以下が子供の発言である。


(○)「ほのかに白し」と書いている。暗い中にも少し白い情景であるから、鴨の姿もほのかに見えていると思う。
(×)これは、作者のイメージで白いと感じているのであって、鴨が見えていることとは何ら関係ない。
(×)鴨が白く見えているのではなくて、鴨の声を白く感じていると考える。
(×)「鴨の声」と書いている。聞こえているだけだ。

 

 以上で後が続かなかった。

 国語の学習においては、こういう曖昧さを問うことも時として大事である。
 こういう場合は、だらだら続けないで、教師の方で瞬時に束ねるのがよい。


説明3 赤鉛筆持ちなさい。さて、×と書いた人。大きな×を付けなさい。○と書いた人。お待たせしました。大きく・・・×を付けなさい。

はい。これは、「分からない」というのが正解です。
 

 「ええっー。」と子供たち。尋ねておいて、それは無いだろうという訳である。

 国語の学習においては、時に「分からない」という解もあるのだということにもふれておく必要がある。

 「絶対こうだ。」ということは、根拠となる言葉が無い限り、そうは言えないということも知ることが大事である。


説明4 一生懸命考えて「分からない」としたならば、それは、価値ある「分からない」です。

(  )くん、一人でよく頑張りましたね。自分の意見をしっかり言えました。
 

 さて、いよいよ本時のクライマックス。中心発問に至る。


発問7 一番初めに視写した俳句に、線を引いてもらいます。どこかで区切って読むとしたら、もしくは、この俳句をどこか一カ所で区切るとしたら、どこで区切れるのでしょう。線を引きなさい。
 

 子供にとっては、非常に難問であろう。作業後、どこに線を入れたのか尋ねた。
 以下の3つに分かれた。


海くれて/鴨の声/ほのかに/白し
      A     B      C
    (17人) (11人)  (5人)

 

 まず、それぞれの場所に線を入れた。
 そして、それぞれの同じ考えの者同士順に起立させて、そこで区切った読み方をさせた。

 その後、少ないC派から自由に考えの訳を発表させた。


(C)
「白し」が一番大事な言葉だから、その前までは背景というか舞台だから、Cで切る。

・「白し」は、この俳句のクライマックスだと思うので、別にした方がよい。

・「白し」が大切な言葉だから、これを強調するためにここで切る。

(B)

・「ほのかに」と「白し」を分けるのには無理がある。ここはつなげて、ひとまとまりにするべきだ。

・どうして、松尾芭蕉が5・5・7にしたかということを考えると、大事なことを最後にもってきたからではないか。だから、「ほのかに白し」を強調するためにBで区切る。

(A)

・「白し」は確かに大事な言葉だけれども、Cだと「海くれて」から「ほのかに」までのつながりが不自然である。

・「海くれて」は、舞台として書かれている言葉で、そこで区切ってこの俳句の言いたいことにつながって行くのでA。

・「海くれて」は、海の様子である。「鴨の声がほのかに白し」というのがその舞台から感じたものだから、ここは一気につなげて読むべきだ。
 

 時間切れである。結論を出せずに終えた。

 

3.おわりに

 この俳句には、実に「曖昧さ」が存在している。
 話し手(おそらく作者)が感じたことであるから鑑賞もまた自由であってよいという考えは間違っていない。
 しかし、授業においては、時にその「曖昧さ」に着目し、「曖昧である」ということを意識させ、作品に正対させることも大事なのではないかと思う。

 本授業の発問3〜7は、まさに「曖昧さ」を明らかにしようとするものであった。

 ほかにも、このような発問も考えられよう。


「くれて」は、今くれたのか。もう、くれたのか。
 

 


「白」は見えているか。見えていないのか。
 

 


何が白いのか。
 


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