’97.4.15
NO.81
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詩の授業〜「くまさん」 |
1.はじめに
本教材は、2年国語上(光村図書)にある詩教材である。
作者は、「まどみちお」で言わずと知れた児童詩の第一人者である。
単純明快にしてコミカル、そして、まどみちお流のやさしさ漂う素敵な詩である。
この詩を使って分析批評の授業を試みる。
これは、2年生教材であるが、全学年にまたがって授業化できる。
分析批評の授業は、言葉を根拠に論争を起こす授業であるが、ここでは分析のものさしである「対比」「類比」を押さえる授業をする。
また、この詩のあいまいさを問うことで、この詩の持つ何とも言えぬ味わいある魅力に近づかせたいと考える。
言わば、分析批評の入口、分析批評の扉をノックする初歩の授業である。
対象学年は3年生、実施時期は4月であった。
子供たちにとっては、初めての分析批評による詩の授業となる。
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2.授業の流れ
印刷したプリントを配布し、一回範読。その後の指示。
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一斉音読後、次は一人読み。
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全員着席後、この詩の分析にはいる。
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尋ねる。すぐさま「二連。」と子供たち。「花丸しなさい。」と教師。
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尋ねる。すぐさま「春。」と子供たち。「花丸しなさい。」と教師。
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1分後、全員で確かめる。全員できるのを待たない。
・「はるがきて」・「めがさめて」・「くまさん」・「ぼんやり」・「ぼくは」の5つである。
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ノートにしっかり赤ペンで書かせる。
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これも発表させて、全員で確かめる。
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以上である。単に違うということではなく、文章表現があい対している表現の違いということに気付かせていく。また対比の言葉の書き方もここでしっかり教える。(«の記号を使う。)
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「類比」「対比」などの言葉は、分析のものさしとして是非とも教えておきたいことである。
ここまで、スモールステップで易から難へとテンポよく進める。
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一人比較的よくできる子を指名し発言させた。「自分はだれだったかということ。」と答えた。
ほぼ全員「同じです。」と答えた。「どうしてですか。その証拠がありますか。」と突っ込む。
「一連に、ええと、ぼくはだれだっけ。と書いているからです。」とその子は答えた。
ここで、こういう文から引っ張って答えを見つけてきたことを大いに誉めた。
しかし、またここで突っ込む。「その文のどこが『考えている』証拠なのですか。」
子供たちは、きょとんとしている。当然、当てられた子もひるむ。
何を聞かれているのかまるで半数は見当がつかないと言った表情である。
再度聞く。「その文の、どこの言葉が『考えている』証拠になるのですか。」「こういうことに答えられなければ、本当の正解とはいえません。」
ちょっとした沈黙の後、いつもおとなしい子が「・・・。」とつぶやいた。
こういうつぶやきを見逃してはいけない。
「( )さん。今なんと言いましたか。」その子は、「ええと・・・。」とつぶやいた。
「大正解!天才だ!そうです。その言葉こそ証拠なのです。良く分かったね。国語というのは、そのようにひとつの言葉にこだわって、こう書いているからこうなのだと言える考え方をする学習なのです。」
1つの逆転現象をここで意図的に作ったわけである。
いつもできる子だけが活躍するような授業展開であってはならないのである。
子供たちの態度も真剣になってきた。
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3分後作業をやめさせ、人数分布を挙手で調べた。
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自由に意見を述べさせた。
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・次の文に「水にうつったいいかおみて」と書いているから。 ・「ぼくは、だれだっけ」と書いていたから自分のことを川に写せば分かると思ったから。 ・「ぼんやり」と書いているから、たまたま川にきたのだと思う。 |
核心に触れる考えは出されなかった。
ポイントは、「水にうつった」の「うつった」である。
写すためならば「うつした」と書いてあるはずである。
また「川にきた」とも書いている。「川にいった」とも書いてあっていいはずである。
したがって、ここでは○が正解とは言えないのである。
あえてここでは解を示さず次へ進んだ。
さて、中心発問である。
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本来ならば、意見を発言させ、それらを検討し討論という形に持っていくところである。
しかし、ここでは、机間巡視して子供の考えを5つに整理して提示した。
以下のA〜Eの5つである。その他ないか尋ねた後、挙手で分布を調べた。
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自由に発言させてみた。まだ、学級開きして間もない3年生である。
指名なし発言がようやく、ちらほら出てきたところか。それでも以下のような意見が出された。
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CとEに絞られていったが、敢えて、結論は告げず、発言できたことを誉めて、オープンエンドの形で授業を終えた。