´99.12.21

                                           NO.96

       短文の授業〜短歌②

 

                         

1.はじめに

 教材を以下に示す。


街を行き 子どものそばを 通るとき みかんの香せり 冬がまた来る
                                     木下 利玄
 

 短い詩(短歌)での分析批評の授業である。

 短文であるだけに,一字一句が根拠となり,論争のキーに成り得る。

「あれども見えず」「読めども読めず」を問う発問群を用意し,討論を仕組んで行くことにした。

 対象は6年生。石岡房子氏(教育技術の法則化9「明示図書」P85)の修正追試である。

 

2.授業の流れ


 指示1 ノートに視写しなさい。(短歌を板書)
 

全員視写後,範読しルビをふらせる。(街「まち」香「か」木下利玄「きのしたりげん」)その後の指示。


 指示2 全員起立。3回音読したら座りなさい。
 

着席後,再度全員起立させ,問うてみる。


発問1 この1行詩は,何とよばれるものですか。分かった人は座りなさい。
 

ここでは短歌であるということを押さえる。


 発問2 話者は今,何をしていますか。ノートにズバリ一言で書きなさい。
 

机間巡視して意図的指名予告(頭を撫でて)をする。


 指示3 頭を撫でられた人,立って発表しなさい。
 

以下の意見が出された。


・歩いている ・街を歩いている ・散歩 ・冬が来るのを確かめに街に出てみた
 

最後の「冬が来るのを確かめに街に出てみた」というのは誤りである。 即時に正す必要がある。


 発問3 この意見は,○か×か。
 

列指名で聞く。突然の指名でまごついている。
きちんと聞いていなくては即答できないし,ボヤーとしていては分からない。

 「分かりません。」がほとんどである。


 説明 これは,×です。そんなことはどこにも書いていませんし,そんなこと 
分からないのです。「街を行き」と書いているからですね。
 

 


 発問4 ところで,話者は車で通っているのかな?
 

 「違う。」の声。


 発問5 どうして?
 

 「(香せり)と書いてあるから。」と子供たち。


 説明 その通り!「香せり」と書いているから,香がするということは歩いて
るスピードぐらいでないと,それは分からない
 そういう読み取りが大事!
 

 


 発問6 子どもは何をしていますか。ノートにズバリ書く。
 

同様に机間巡視し,頭を撫でて意図的指名をする。

次のような意見が出された。


・街を歩いている。
・立っている。
・みかんを持っている。
・みかんの皮をむいて歩いている。
・みかんを食べている。
・話者とすれ違っている。
 

「なるほど。子どもは,みかんを持っているのでしょうか。どうでしょうかね。」と謎かけるだけにとどめ,次の問いかけをした。


 発問7 話者には,みかんが見えていますか。見えている○,見えていな
×をノートに書きなさい。
 

作業後,人数を確認し,自由にその考えを言わせてみた。


   ○・・・・1人     ×・・・・31人

 ○みかんが見えているから,匂いがするのだ。
 ×目で匂いを嗅ぐわけではない。その子どもに匂いがついているのかもしれ
ないから。
 ○見えているとは全然書いていない。
 

意見が行き詰まってきたので,すぐ打ち切った。討論になり得ないと思われたときは,だらだらとやらない方がいい。ここは,教師の解を告げた。


 説明 ×を書きなさい。全員×。答えは「分からない」。
   どうとも書いていない。国語には「分からない」という答えもあるんです。
 

当然のことながら,子供らからブーイング。そこは,笑顔で返しながら最後の発問に移った。


 発問8 最初の解釈に,「子どもが立っている」というのと「歩いている」とい
のがありました。
 子どもは,動いてきているのだろうか。それとも,その場に止まって
いるのだろうか。どちらでしょう。
 

この問いは下の図のように,黒板に図示しながらAかBを問うた。


A 動いている         B 止まっている

         ○話者              ○話者

●子ども                 ●子ども
 

3分後,B派を皮きりに自由討論させた。


    A・・・・・2人   B・・・・・30人

B「通る」というのは「あるところを通り過ぎて行く」という意味。文の中にこういう言葉があるのだから「止まっている」。
Bもし歩いているとしたら,子どもと「すれちがう」と書いているはず。
B「子どものそばを通るとき」の「そば」というのは,「かたわら、脇,近所」という意味なので立っている。
Aすれ違うことも,そばを通ることだからその考えはおかしい。
B「すれ違う」ことと「通る」ことは違う。
B「すれ違う」というのは,お互いが触れ合うほど反対方向に行く
 ことです。これを表すようなことは短歌には書いていない。
A触れ合うほどの近くを通り過ぎるから,香がするのではないか。
B触れ合うほどの近くとはどれくらいか。
Aその時によって違うと思うが,10㎝から30㎝。
B「通る」は,あるところを過ぎて行くことだ。一方から他の方へ通過することと辞書にあるから,これだけではすれ違うとは言わない。
B通り過ぎるときは,2つの方向から来るから,一方から通過するというのは動いていないものを通過するのではないですか。
B子どもがそこにいて,話者はそこに向かって歩いているんですよね。通過するということは,向こう側へ行くということだから,子どもは立っているか止まっているということではないですか。
 

 残念ながら時間切れである。最後はA派の2名もすっかり考え込んでしまった。
教師の解を以下のように告げ,授業を終えた。


 説明 これはBですね。動かない銅像の前を通るとき,銅像とすれ違うとは 

言わない。すれ違うとは,動いている物に対して言う。どちらも動いているときを言う。「そばを通る」とは,あるものがあってそこを通過するとみるべきでしょう。
 

 

3.おわりに

 討論が成立する条件のひとつに,同一の問いに対してAorB(Aor非A)が半々に分かれるような発問かどうかということがよく問題となる。 この授業においては,少人数vs多人数といった分布状況であり,条件としてはふさわしくないと言えよう。良質の発問並びにその構成を再度吟味する必要がある。

 しかしながら,少人数の中にあった子供は,普段から発言力があり,討論学習でも影響力のある存在であったので,この状況でも論争が成立した。そして,その子もまた自分の浅はかな根拠や考えを思い知らされたという点では,その子にとってもクラスにとっても,幸いにしてまた一歩前進できた授業となった。

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