´00.1.28

                                          NO.97

  詩の授業〜小景異情(その二)

                           

1.はじめに

 室生犀星 作「小景異情(その二)」を分析批評で授業する。


    しょうけいいじょう
    小景異情(その二)       むろうさいせい
                       室生犀星

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや      かた
  うらぶれて異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや
 

 この作品は,犀星の「抒情小曲集」に収められている。

 およそ,授業にかける指導者としては,これら作品の背景や犀星の生い立ちに少なからず触れておくことが肝要である。

 さて室生犀星は,いまさら語るまでも無いと思われるほど,いかに不運な星のもとに生まれ育ったか,よく知られているところである。

 本名を照道と言い,私生児として生まれ,言わば貰いっ子として幼少を過ごした。実父に捨てられた悲しみや劣等感を小さな胸に抱き締めつつ,反抗的なわんぱく少年として成長していった。

 生みの母の記憶は,まことに希薄であり,再会することも無かった。

 その生みの母への慟哭は,他のいかなる詩人にも容易に見られない独特な躍動性を持った命の爆発,そして,寂しさの極みや人懐かしさのとめどもない湧出として,「抒情小曲集」や「愛の詩集」に色濃く描き出されている。

 また,自分を一向に受け入れてくれようとしない「みやこ」を野良犬のごとく彷徨していく孤独感や万感こめた切なる呟きが胸を打ってやまない。

 この「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で始まる有名な詩「小景異情(その二)」からは,そこはかとなく「みやこ」に帰りたい孤独な強い思いが伝わってくる。

 したがって,授業においては,最後の二行「遠きみやこにかえらばや」というのが,この作品を鑑賞する上で非常に大事な部分になってくるだろう。

 主発問はただ一つ,これである。


  話者はふるさとにいるのか,都にいるのか 。
 

 これを考えさせることで,この詩の裏側にある話者(犀星)の切なる「みやこ」への思いに触れることができたらと思う。

 対象は6年生である。

 

2.授業の流れ

 65分扱いの授業として扱った。

 前半20分を作品視写と音読,意味調べ,そして自分の考えをまとめる時間とした。

 ここで紹介する記録は,後半45分の討論である。


発問 話者は,今どこにいるのでしょう。
    「ふるさと」ですか。それとも「都」ですか。
 

 前時に挙手にて,人数分布を確かめてある。


   ふるさと・・・・5人,都・・・・25人
 

 


指示 討論します。少ない方の「ふるさと派」から意見を述べ,その後「都派」 

から意見を述べてもらいます。全員から意見が出されたら,質問並び

に討論へと入っていきます。
     では,始めてください。
 

 指示はこれだけで,あとは終わりまで一切口を挟まなかった。

 以下,子供の発言の記録を記す。


(ふ)・ふるさとはこういうものだと思い,やっぱりふるさとはいいものだと感じ
    て
いると思うから。
    ・「かえらばや」は「かえらねば」という意味だと思う。ふるさとではない     都
に帰りたくないけれど,都に帰らなくてはと思っている。
    ・ふるさとにいて,都に帰らなくてはいけないという決心をしたのだと思

う。
    ・今ふるさとにいるから,「ふるさとは遠くにあるから思うものだ。」と言っ

ている。そういう気持ちを持って,都に帰ろうとしている。
(都)・6行目「都のゆふぐれ」と書いているから,都にいる。
    ・7行目「ふるさと思ひ涙ぐむ」と書いているから,都にいるのでふるさと
    を
思っている。
    ・1行目から,都にいなければ,ふるさとのことを思うわけがない。
    ・ひとりで都の夕暮れを見て,ふるさとを思い涙が出てきたのだ。
    ・6〜9行目は,ふるさとに早く帰りたいと言っている文に思える。
    ・ふるさとでふるさとを思うのはおかしい。
    ・「都」「みやこ」漢字とひらがなで書いている。
    「みやこ」は,ふるさとのことではないか。
    ・1行目,遠くにあるから思うのなら,ふるさとは都から遠くにあることだ

から,都にいると考えるのが自然。
    ・話者は,ふるさとに帰りたくても帰れないのではないか。
     「あるまじや」を「帰ることはないだろう」と考えたので都。
    ・「かえらばや」は帰りたい帰りたいということ。ふるさとにいて,このよう

に思うのは変だ。
    ・(ふ)に反論。「帰らなければ」と言ったけれど,「ばやというのは,実行

したいことや希望を表す。現代語では、「帰りたい」と言うこと。
(ふ)・ぼくは,「ばや」は決心だと思う。これは希望と同じことではないのです

か。
(都)・無理して帰らなければということではない。
(都)・控えめな意思で「〜しようかな」という意味も「ばや」にはある。そういう

ことだと思う。
    ・つまり,ふるさとは近いところにあるんだけれども,心ではなかなか帰

れないところにあると話者は感じていると思う。
(ふ)・「みやこ」は漢字ではなく,ひらがなで書くことで,「ばや」というのは、 

弱々しいあんまり強い希望ではなくて,そうあったらいいなぁという思    いだと考える。
(都)・では,なぜ2回もリフレインされているのか。
(ふ)・それは,それだけ強い控え目だと思う。
(都)・この「みやこ」は「ふるさと」だと思う。「ばや」は,帰りたいということだ     か
ら,とても遠いふるさとへ早く帰りたいということだと考えている。
(ふ)・「ばや」は実現したいことなんですよね。控え目な意思ということから,    2
回リフレインしているのは,それだけ強く帰るのを押さえているので     はないかと思います。
(都)・控え目というなら,ふるさとを捨てた人だとしたら,本当は帰りたいけれ

ど帰れない。
    ・本当はふるさとにすごく帰りたいんだけど,「帰らばや」と控え目に表し
    て,そして,それを2回リフレインすることで,その気持ちの強さを増し    ているんではないかなと思います。(ここで大きな拍手)
(ふ)・なんで「みやこ」がふるさとになるんですか。その根拠は?
(都)・この詩では,「みやこ」の使い分けがされている。これは意味がある。

「みやこ」をふるさとと考えれば納得いく。
   ・控え目というのは,遠慮がちなことであるから,ものすごく帰りたくても 

ちょっと遠慮しているということ。帰りたくないと言うことではない。
(ここで
チャイム)
 

 

3.おわりに

 終了のチャイムと同時に授業を終えた。

 あえて教師側から解を示さず終えた。

 子供らは,「かへらばや」の「ばや」,「都」と「みやこ」の違いに着目し,活発な討論を繰り広げた。言葉にこだわり,言葉を根拠に論争した。

 事前の予想では,難しい詩ではないかという感じもしていたが子供たちは,「やまなし」での分析批評の授業で培った力をフルに出してくれた。

 どの子も知的に集中して思考し,討論する姿はいつ見ても分析批評のすばらしさを感じさせてくれる。

 最後に私自身の解を述べる。

 話者は,「都」にいるのだと考える。

 人並みの生活を送れず,まさに心は異土の乞食となりて,東京と故郷 (金沢)を行き来する犀星。

 いよいよ食い詰めると,金沢に戻り母と争い,人々からは白い眼で見られる。故郷から見放されている孤独を痛切に味わう往復の十年間。

 この時に,「小景異情(その二)」は書かれていったのである。

もどる          トップへ