’99.2.17

                                                                                         NO.127

詩の授業〜母をおもう

                          

 3年生を対象に、以下の詩を使って討論の授業を仕組んだ。


   母をおもう
                   八木 重吉
 けしきが
 あかるくなってきた
 母をつれて
 てくてくあるきたくなった
 母はきっと
 重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

 

 教室ツーウェイに(明治図書)に載っていた千葉幹雄氏の追試である。

 教材詩は、事前に印刷したものを配付した。

 その後、教師が一回ゆっくりと範読してから指示する。


指示1 全員起立。3回音読したら座りなさい。
    座った人は唇読みしていなさい。

 

 全員が着席した後、わからない言葉を聞いた。

 子供からあげられたのは、「いくどでも」「てくてく」の2つであった。


発問1 「てくてく」というのは、歩く様子を表した言葉です。
     スピードは速いですか。ゆっくりですか。

 

 子供たち「ゆっくり」と答える。


発問2 では、「いくどでも」とは、どんな意味ですか。
 

 子供たちは一斉に手元にある辞書で調べ始める。

 辞書で「なんべんでも」「何回でも」という意味であることを確認する。

 ここは時間をかけずに次に進む。


指示2 わからない言葉がなくなりました。
     ノートに①と書きなさい。
 

 


発問3 この詩には、誰が出てきていますか。ノートの①に書きなさい。
 

 列指名で尋ねる。

 全員が「母」「重吉」と答えた。

 ちなみに「八木重吉」であれば、はっきり×と告げねばならない。


発問4 ノートに②と書きます。さて、「母」は若いですか。それ とも年老いていますか。どちらか書きなさい。できたら、その訳も書きなさい。
 

 「まだ書いていない人?」と3分後尋ねる。

 その作業ができたかどうか教師が確認する際、「まだ書いていない人?」「まだできていない人?」という問いかける。

 授業は、全員参加が鉄則である。

 全員参加が保障されてこそ授業といえるのである。

 「できた人?」という尋ね方は、できる子だけが、いつも日の目を見て、できない子がいつの間にか傍観者になってしまう図式を作ってしまう。

 また、「まだできていない人?」と尋ねられて、素直に真っ直ぐに挙手できるクラスに育てておくことが肝要である。

 これらは、野口芳宏先生から学ばせていただいたことである。

 常に、立場の弱い子、できない子に目が注がれる教室でありたい。

 

 さて、理由を全員書けなくても、どちらか立場を決めたところで、挙手にて、人数分布を確かめた。


 
若い・・・・5人、年老いている・・・・26人
 

 少ない方から、指名なし発言で、理由を尋ねていった。


(若)なんとなくです。
(若)重吉が子供だと思ったからです。
(若)母が若い頃のお話で、重吉は小さい頃のことを思い出して書いたと思うからです。
(年)「てくてく」と書いているから、若い人ならもっと速く歩け
るはずだから、年とっていると思います。
(年)「てくてく」という言葉から、何か歩くのもやっとという感
じがするから、おばあちゃんだと思います。
(年)「母をつれて」とあるから、つれられるということは、年と
っているからだと思う。
(年)若い人なら「重吉」とよぶかもしれないけれど、この詩には「重吉よ」「重吉よ」と「よ」がついているから年よりっぽい。
(年)「つれて」と書いているから、若かったら「母につれられて」と書いていると思ったからです。
(年)若ければ、母でなくて「お母さん」とよぶと思ったから。
(年)最後に「重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう」とありますが、これは、母が年寄りでもう死んでしまいそうで、もう重吉と会えないと思ったと考えたからです。
(年)「母をつれて」とあります。母は、年をとって少しずつしか
歩けなくなったということだと思います。
 

 


説明1 「ここにこう書いているから、こう考えた」という発言は大変すばらしいことです。国語というのは、そういうふうに書いてあることをもとにして考える学習ですから、みなさんの発表はどれもすばらしいものです。
  さて、若いのか、年老いているのか・・・・。ひとまず、この問題はおいておくことにしよう。
 

 


発問5 さて、お話や詩には、話し手(話者)というのがいます。この詩の話し手は誰なんでしょう。ノートに③と書いてその下に書きなさい。
 

 列指名で書いたものを読ませた。

 「重吉」(27人)、「母」(3人)、「お父さん」(1人)が出された。


指示3 誰なのかを検討します。「お父さん」だと言う人から、その考えや訳を言ってもらいます。それに対しておかしいと思う人は、 自由に立って反対意見を述べてください。
 

 以下の発言が続いた。


(お父さん)なんとなく。
(母)題名が「母をおもう」で「母」と書いているから。
(反対意見)・「母」はおかしい。母が話し手なら、自分が自分のことを「母」と言うわけない。
・「母をおもう」という題名だからと言いましたが、反対です。母をおもっているのは誰かで、その誰かが話し手だからです。
・5行目に「母はきっと」と書いているし、自分のことを母とは言わないから私も反対です。
・「母」に反対です。自分のことを「母をつれて」という母はいません。
・でもこの人が、若い母で、自分の年老いた母に言ったのなら、そういうこともありだと思う。
・そしたら、「母が母をおもう」ということですか?

 

時間も押し迫っていたので、ここで教師の解を告げた。


説明2 先生の考えを言います。これは「重吉」だと考えられます。「重吉」が「母をおもう」、「重吉」が「母をつれて」いるんです。「重吉」と考える方が自然です。
 

 討論で意見が途切れたときや、浅はかな意見交換になっているときは、だらだら続けさせず、教師の方ですぱっと束ねる方がよい。

 テンポよく次の問いを出す。


発問6 さて、重吉は、どこにいるのでしょうね。
 

 座ったまま、列指名で口々に言わせてみた。

 「公園」「散歩道」「外」「自宅」など出された。

 ここで話者はどこにいるのか、検討させることも考えたが、発問をかえ、次のように問いかけることにした。


発問7 重吉と母は、今、近くにいますか?それとも遠くにいますか?近い、遠いどちらかを書きなさい。わけも言えるように、しっかり考えなさい。
 

 3分後、作業を中断させ、どちらか挙手にて尋ねた。

 ところで、こういう主発問では思考作業時間は最低5分は与えたい。

 時間不足のため、子供らに考えをせかしてしまったきらいがある。


近い・・・・・7人、遠い・・・・・24人
 


指示4 「近い」と考えた人は、どうしてですか。また、「遠い」と考えた人は、どんなわけでそのようにしたのですか。誰からでもいいので、ちょっと訳を聞かせてください。
 

 


(近)「歩きたくなった」の「なった」で、近くにいるからそう思 ったのだと考える。
(遠)題名が「母をおもう」だから、遠くにいて会いたくて思っているのだと思います。
(遠)「はなしかけるであろう」と予想しているような書き方だか
ら近くにいなくて、離れていてそう思った言葉だと思う。
(近)「けしきがあかるくなってきた」というのは、何か夜が明け
たという気がして、母のそばに、何か病気とかで寝たきりになっていて、ずっと看病していたという感じがしたからです。
 

 残念ながら、ここで時間切れである。

 意見交換しただけで、討論らしい討論はできなかった。

 

 「どうなのだろうね。あとで、またじっくり読んでみて分かったことがあったら、ノートに書いて先生に見せてくださいね。」

 このように言って、授業を終えた。

 

○ おわりに

 実は、この教材詩を使って、以前6年生を対象に授業したことがある。

 その時は、同様の発問に対し、次のような意見もあり、盛り上がったことを記憶している。


・母と重吉は離れている。というか、母は重吉から遠いところ天国にいる。つまり、母はもう亡くなっていると思う。そんな母の生きていた頃を思い出して書かれた詩だと思う。
・母は今病院に入院している。重吉はベッドの横で付きっきりで見守っている。母はもう動けないのかもしれない。病室から差し込む朝日を見て、今日一緒に手を引いて、歩いてあげたいなと思ったのだと考える。

 

 良質の二者択一になる発問と十分な思考作業時間の保障は、まさに子供の知的思考を呼び起こすのである。   

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