| 懐かしの映画館 近松座館主の部屋 | ||||||
近松座へようこそいらっしゃいました。 幼少の頃からの映画好きが昂じてサイトを作ることになり、日々、懐かしい映画を頭に浮かべながら作業しています。 大げさな言い方ですが、『自分の生きた証』 『自分のいなくなった後に残るもの』を作れれば本望です。 現在、私は63歳、妻1人、子供2人、孫3人!!!。少し、私の映画歴を記します。 幼少の頃:私は叔母に連れられて良く映画を観ました。おそらくそれが私の映画への興味の始まりでした。大映の化け猫映画の印象は強烈で、私はいまだに鯉を食べることに抵抗があります。入江たか子扮する化け猫の怖いの何の。その、入江たか子が耳まで裂けた口に鯉をくわえて登場したのであります。それ以来、鯉を見ると、生きていても、料理でも、入江たか子が目にちらつきます。 小学生の頃:相変わらず叔母は映画館へ連れて行きました。東映の「紅孔雀」「笛吹童子」に血湧き肉踊ったのは私だけではないでしょう。小学校(松本市立清水小学校)の体育館で時々、映画を見せてくれました。ディズニーの「ダンボ」「ピーターパン」などが記憶にあります。友達と映画館の裏口から忍び込んだことがあります。その時見た一場面は後で、「ローマの休日」と知りました。6年生の時に観た「ぼくの伯父さん」はオシャレなフランス映画でした。 中学生の頃:黒澤明の「用心棒」は、中学校(松本市立清水中学校)こぞって観に行きました。映画好きな井口先生のおかげです。「ポンペイ最後の日」で歴史劇の面白さを満喫。「十戒」も学校全員で観ましたが、映画館を出ると、牧師が布教のパンフレットを配っていて、映画が広告塔に使われたようで嫌な気分になったのを覚えています。 高校生の頃:中学2年生から新聞配達のアルバイトをしていたので、比較的リッチで、毎週映画館通い。高校(長野県立松本工業高校)では、バスケットボール部で肉体を酷使。朝はバイトで早いし、放課後はバスケ、授業中はたいてい寝ていました。しかし、この3年間にかなりの映画に恵まれました。「シャレード」と「地下室のメロディー」の2本立てなんて幸せな時もありました。「ベン・ハー」「ウエストサイド物語」「スパルタカス」・・・・・など、今に残る名作もこの頃多かった気がします。 社会人になって:20代の前半は、毎週映画館通いでした。池袋の文芸座、銀座の並木座、渋谷の全線座などの名画座で見落としていた映画をかなり拾いました。「宮本武蔵・5部作」「昭和残侠伝」などをオールナイトで観ました。ATG映画も盛んでした。「修羅」「飛べない沈黙」・・・など。最大の収穫は京橋のテアトル東京の大画面で観た「七人の侍」と「2001年宇宙の旅」でした。 21歳の時、赤坂のシナリオ研究所夜間部へ半年通いました。新藤兼人監督や、脚本家橋本忍の講義を受け、シナリオも数本執筆しました。ここの修了生にデビューしたてのジェームス・三木がいました。 結婚して映画館へ行く機会は少なくなりましたが、そのうちにビデオという便利なものが出現して、私の映画狂いが復活。古今東西の名作、約800本(駄作も含め)の近松コレクションが揃っています。ちなみに、私の娘も息子も映画好きに育ちました。 懐かしの映画館 近松座館主 近松 孝二
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千と千尋の神隠し![]() 5歳の孫とデイトをしました。 久しぶりに、アニメ映画鑑賞でした。 「千と千尋の神隠し」 トンネルのむこうは 不思議の町だった。 ありえない場所があった。 ありえないことが起こった。 2001年9月22日 祝ベルリン映画祭グランプリ! 宮崎監督おめでとう! |
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| ハリー・ポッター と賢者の石 ![]() 孫とのデイト第二弾。 クリス・コロンバス監督は イマジネーションをフルに発揮。 魔法使いの世界を楽しく描き大ヒット。 幼稚園児の孫のため、 日本語吹き替え版を見ました。 2002年2月10日 |
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ハウルの動く城![]() 孫とのデイト第四弾。 魔法で90歳のおばあさんに 姿を変えられた ソフィーの大冒険。 宮崎アニメはやっぱり凄い! 2004年12月30日 |