※三王朝交替説と言ってもまた様々な説があるのですが、私は学者でなく趣味で楽しんでいるので、
そこの所よろしくお願いします。(^^ゞ
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| 今は事実上の初めてのオオキミは崇神天皇であるという説が多いようだ。
神武記には東征の様子はくわしく書かれているが内政が詳しく書かれていない。崇神記には 内政の様子が詳しく書かれている事によって、もともとひとつであった崇神天皇の記録が神武と崇神と2人分に別れたのではないか(?_?) |
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| 応神天皇は4世紀末頃に九州からやってきたと言う説(河内王朝)
仲哀天皇の子だと言うが、本当は狗奴国の首長で、九州に遠征してきた仲哀天皇を殺し、大和国家を統合したと言う説がある。応神天皇の母・神功皇后の伝説は、その史実を隠す為に作られたと思われる。 |
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| 継体天皇は応神天皇の5世孫で、その他に王家の血筋をもつ皇子がいなかったために入り婿のような形で天皇に迎えられたというのが定説だが、もともと北陸〜滋賀に勢力を持つ豪族で、オオキミ家の姫を娶ってオオキミになり、その影には物部氏と大伴氏が軍事的役割をになってみたと思われる。 |
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| 神武の次の綏靖(スイゼイ)から・安寧(アンネイ)・懿徳(イトク)・孝昭(コウショウ)・孝安・孝霊・
孝元・開化・までは欠史八代と言われ、実在していなかった言われる。綏靖・開化は実績が 記されていないし、すべての血縁関係が親子であるという事からみて、「帝記」のできた継体 天皇〜欽明天皇の時に創作されたという可能性が多い。または、実在していたが崇神王朝 に滅ぼされ、後世になって帝記に収録された、という説。宮がすべて葛城地方にあった事か ら「葛城王朝」とも言われている。 |