物部氏と蘇我氏といえば仏教伝来以来仲が悪くなったと言われがちだが、そうで
はない。この2つの氏族は手を組んで、もう一つの有力な大伴氏を倒した後に
お互いの勢力を牽制しようとしていた。
2氏族にとっての神と仏の存在
物部氏は神を祭る役目をももち、物部氏の姫を石上神宮の斎宮にしていた。それに対して
蘇我氏は対抗できる神がなく、仏教が伝わったのを良い事に、仏を楯にして物部氏に対抗
しようとした。
仏教伝来
欽明13年百済の聖明王が釈迦仏金銅像1体と経典を欽明天皇によこした。
物部尾興は日本古来の神々をまつるべきと言い、
蘇我稲目は仏教も崇拝すべきだとした。
そこで欽明天皇は蘇我氏に像を預け、仏教を奉ってみよと言った。
物部氏と蘇我氏の比較
専権期間
物部氏の専権期間→507〜587
蘇我氏の専権期間→536〜645
天皇との関係
物部氏→連 職能を持つ 天皇家に娘を嫁に出せない
蘇我氏→臣 在地豪族 天皇家に娘を嫁に出せる。よって、天皇家と外戚関係を持つ事が出来た。
| ★大臣と大連★
大臣 葛城・平群・蘇我 もともと天皇家と近親関係にある大和の豪族。 大連 物部・大伴 軍事を掌握して天皇家に使える豪族。 |