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マリア・テレジアの時代
ここではマリア・テレジアとその時代についてまとめてみました。
マリア・テレジア 1717〜1780
神聖ローマ皇帝カール6世の長女として生まれる。ロートリンゲン公
フランツ・シュテファンと結婚。16人の子供をもうける。1740年、
父の死後プラグマティシュ・ザンクチオンによってハプスブルグ領を
相続。それに異議を唱えるプロイセンのフリードリヒがシュレジェン
を奪い、オーストリア継承戦争となるが、1745年ドレスデンにて和約
を結ぶ。1749年にオーストリアとボヘミアの政庁を統合して国内改革
をすすめ、長年の敵であったフランスとの同盟を実現する。フランツ
1世の死後は長男ヨーゼフ2世と共同統治を行い近代化を薦めた。私生
活の彼女は穏やかな市民的家庭を作り、国母として国民に愛された。

年表
1717 マリアテレジア誕生
1736 フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲンと結婚
1737  長女マリア・エリザベート誕生
1740 皇帝カール6世逝去。マリア・テレジア即位。プロシア軍がシュレジエンに侵攻。オーストリア継承戦争の始まり〜1748 
1741 長男ヨーゼフ誕生。モルヴィッツの戦い。ハンガリー女王となる。プロシアがプラハを陥落させる。
1742 ブレスラウの和約でプロシア、シュレジェンの大部分を獲得。プラハを奪還。 
1743 ボヘミア女王となる。
1744 プロシアが再びプラハを占領。
1745 フランツ・シュテファンが神聖ローマ皇帝フランツ1世となる。ドレスデンの和約で第二次シュレジェン戦争の終結。
1749 ハウクヴィッツがオーストリアの内政改革をはじめる。
1748 アヘンの和約でオーストリア継承戦争の終結。
1743 シェーンブルン宮殿の増築〜1749 
1753 カウニッツが外務大臣になる。
1756 オーストリア=フランス同盟の成立。プロシアがザクセンに侵攻、7年戦争の始まり。ローポジッツの会戦。16人目の子供、マクシミリアン・フランツが誕生。 
1757 オーストリアがプラハで敗退。ロイテンの会戦でプロシアに敗退。
1758 ホッホキルヒでプロシアを破る。
1759 クーネスドルフの戦いでプロシアが敗走。 
1760 オーストリア=ロシア軍がベルリンを一次占拠。
1763 フベルトゥブルクの和約で7年戦争が終結。 
1765 フランツ・シュテファンが逝去。長男ヨーゼフが神聖ローマ皇帝になる。 
1767 マリアテレジアが重病になる。
1770 マリア・アントニア(マリー・アントワネット)がフランス王太子と結婚。
1772  長男ヨーゼフが第一次ポーランド分割。マリアテレジアが怒り、この頃から確執が起こる。 
1778 バイエルン継承戦争〜79 
1779 テッシェンの和約。 
1780 マリア・テレジア逝去。
 

マリア・テレジアの子供達
全部で16人産んだが、その中で成年に達したのは10人ほどであった。
 
1 マリア・エリザベート 1737〜1740 幼少時に死亡
2 マリア・アンナ  1736〜1789 病弱なために独身で過ごし、母の死後に修道院に入る。 
3 マリア・カロリーネ 1739〜1741 幼少時に死亡
4 ヨーゼフ 1741〜1790 1765年に神聖ローマ皇帝になり、多くの改革を行う。
マリア・クリスティーネ 1742〜1797 母に愛され、幸福な一生を送ったと言われる 。
6 マリア・エリザベート 1743〜1808 美人で縁談も数多くあったが、病気のためにまとまらず母の死後に修道院に入った。
7 カール・ヨーゼフ 1745〜1761 幼少時に死亡
8 マリア・アマーリエ 1746〜1804 恋人との仲を裂かれ、政略結婚によりパルマ公と結婚
9 レオポルト 1747〜1793 トスカナ大公。兄の死後に皇帝となるが、在位二年で逝去。 
10 マリア・カロリーネ 1748  生まれて数時間後に死亡。
11 マリア・ヨハンナ 1750〜1762 幼少時に死亡。
12 マリア・ヨーゼファ 1751〜1767 ナポリ王国に嫁ぐ直前に死亡。
13 マリア・カロリーネ 1752〜1814 マリア・ヨーゼファに代わりナポリ王に嫁ぐ。粗暴で無教養な夫であったが16人の子供をもうけた。 
14 フェルディナント 1754〜1806 モデナ公女と結婚し、モデナ公となる。
15 マリア・アントニア 1755〜1793  フランス王妃となる。
16 マクシミリアン・フランツ 1756〜1801 ケルン大司教になる。
 
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