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生没年 ?〜699(文武3) 年
弓削皇子は天武天皇の皇子で皇位継承権を4番目に持つ皇子。1番目は草壁皇子、
2番目は大津皇子、3番目は弓削皇子の兄・長皇子であった。
高松塚古墳の被葬者と言われている。
持統天皇の時代、当時太政大臣だった高市皇子が亡くなった際に皇太子を決定する
閣議を開いた。持統天皇は既に孫の珂瑠皇子を皇太子に据える事を念頭においてい
たが群臣は皆自分の主張をしたので閣議は乱れ、なかなか決まらなかった。そこで葛
野王(大友皇子と十市皇女の長男)が持統天皇の孫・珂瑠皇子が一番適当であると発
言。そこで弓削皇子が反論しようとするが、葛野王の一喝に押されてしまった。と「懐風
藻」には弓削皇子が持統天皇の思惑に逆らった事を記している。
弓削皇子は兄の長皇子を正当な後継者として推したかったが、この閣議で持統天皇に
にらまれる事になったと思われる。
吉野宮行幸時に額田王に贈った歌
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡りゆく
額田王の和した歌
古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし吾が思へるごと
紀皇女(弓削皇子の異母姉妹)をしのんだ歌
吉野川行く瀬の速みしましくも淀むことなく有りこせぬかも
吾妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花ならましを
夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻苅りてな
大船の泊つる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ人の子故に
吉野での歌
滝の上の三船の山にゐる雲の常にあらむと我が思はなくに
春日王の和した歌
王は千歳に座さむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや
一首
霍公鳥無かる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも
秋萩の上に置きたる白露の消かもしなまし恋ひつつあらずは