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豪族について
大伴氏

大伴氏の専権期間は 456〜540年。物部氏と共に大連となっていた。

筑紫国造磐井の乱の時に、物部麁鹿比とともに出陣。河内渋川を本拠地とし、
物部氏とともに継体天皇を支える。金村が仲哀天皇の5世孫倭彦王を皇位に
付けようとしたが失敗した。
壬申の乱の時には一族がすべて大海人皇子の側についた。

金村  任那問題で欽明元年に失脚。
狭手彦・咋と続き、長徳の家系が安麻呂・旅人・家持と続く
家持  有名な歌人。安積親王の立太子を支持していたと言われる。



物部氏
水・陸軍を擁して武器製造などを行った。
用明天皇の時崇仏令がでたので立場が悪くなり、蘇我馬子に破れて本家は滅亡
したが、麁鹿比の血筋は石上朝臣となって8世紀に栄える。
 

宿禰     覆中と安康の時に朝廷の重臣になる
麁鹿比 継体天皇の都入りに軍事的役割をする。
尾輿    欽明朝で大伴氏失脚後に大連になり、政治の中枢の地位にいた。
           蘇我稲目と対立
守屋    崇仏闘争で蘇我馬子に破れる
麁鹿比の血筋は石上朝臣麻呂の代まで続く
物部麻呂  壬申の乱の時大友皇子にしたがったが許され、天武朝で優遇されて
石上朝臣となる。

神武以前から大和に住んでいた。石上神宮を氏神としていた。
5.6世紀ごろ大和朝廷の最強軍団として各地を平定。
 



蘇我氏

稲目以前は実態が良く分からない。分家として蘇我倉山田家がある。 奈良時代に
男系は石川朝臣となる。女系は桓武朝まで天皇が蘇我系として続いた。
 
稲目  欽明天皇に大臣として登用される。娘をオオキミに嫁がせて、権力を握る。
         崇仏論争で尾輿と対立
馬子  守屋を打ち、592年崇峻天皇を暗殺する
蝦夷  山背皇子と対立し、田村皇子を天皇にする
入鹿  上宮王家を滅ぼす。乙巳の変で殺される
石川麻呂の弟、連子は石川朝臣として存続。

本拠地は、百済の木満致が渡来して大和の曽我に定着したと言う説や大和国
高市郡の蘇我、河内国石川地方など諸説あり。
   


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