漢字解題

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2002/01/05 修正 (2000/04/09 公表)

漢字を取巻く環境の頁で説明した事を踏まへて、現在日本で用ゐられてゐる漢字が何故このやうになつて仕舞つたのかを私なりに考へてみました。

漢字の歴史的な流れと[正字]について

漢字には二つの大きな流れがあるとされてゐます。一つは、一般的に隷楷行草の四書体に代表される毛書の系統、又もう一つは、[康煕字典]を中心とする数多くある漢和辞典の系統の夫々の事です。

毛書の系統では、隋唐の時代より明朝に至る迄の間、王羲之・欧陽詢・顔真卿等の支那における蒼々たる書家や、日本においても、空海・小野道風と云つた名立たる書家が美しい書を残されてをります。以前は此れ等の書を手本として文字を覚えたのです。現在、其れ等の字体を伝統的楷書と呼んでをります。此処で残念な事が一点有ります。長い間に培はれて来た伝統的楷書では有りますが、現在迄代表的な字体と云ふものが定められた事が無かつたのです。此れは漢字界の最大の悲劇でせう。

康煕字典は、清朝の四代目の皇帝康煕帝玄燁[火偏に華]が側近の学者に命じて康煕49年(西暦1710年)より編纂が開始され、康煕55年に其の序文が出来ました。康煕字典は、其れ迄作成された説文解字などの字典や唐韻・集韻・正韻・広韻などの韻書を集めて纏め上げた漢字世界では最高峰の字典です。

編輯の基本方針が明かでは有りませんが、時の皇帝の勅命により作成された為、古今東西の漢字と云ふ漢字を全て集める事が必要だつたのだと考へます。清朝の皇帝の元々の出身は満洲族でしたので、皇帝は漢字を纏める事によつて漢民族支配を絶対的なものにしようとの目論見もあつたのではなからうかと思ふ処です。この字典に掲載されてゐる題字は全て明朝体の書体となつてをります。又、伝統的楷書とは掛離れた書体も少からずあります。此れも篆書の書体を半ば強引に明朝体に押込めて仕舞つた為だらうと考へます。

康煕字典には、正字と云ふ概念が出て来ます。此れは、この字典ではどの字体を正規の字体としてゐるかと云ふ事を明示する事で、世間一般で用ゐられてゐる漢字の乱れを統一する目的があつたのだらうと考へてをります。然し、前述のやうな工程を踏んだ為に其れ迄楷書として書かれてゐなかつたやうな字体迄出て来て仕舞ひ、実質的には新しい字体を増やして仕舞つたと云ふ結果になりました。

康煕帝の勅命により作成された字典ですので、此処で正字とされた漢字は、時の政府が認めた正しい字体と云ふ事になります。

現在の日本の漢和辞典も殆どが康煕字典を基としてゐる為、「所謂」康煕字典体が記載されてゐない辞典は無いと言はれます。又、俗字とされてゐる字体の其の殆どが伝統的楷書であるとも言へます。

近代日本の漢字革命と「当用漢字」

翻つて日本の話になりますが、日本が文明開化の明治時代に入つた後、支那より康煕字典が齎(もたら)され印刷物等で盛んに正字が用ゐられるやうになりました。其れ以前は、一般的には伝統的楷書が用ゐられてゐた為、この時点で大きな漢字革命が行はれたと云ふ事が言へるでせう。この点は歴史的仮名遣ひとは事情が違つてをります。

然し、手書きの文字の場合は従来通りの伝統的楷書も広く用ゐられてゐた為、「所謂」康煕字典体と混同され、中間的な書体等も出て来て仕舞つたりもしました。

日本が終戦となり、其の時勢に乗じて国語国字改革論者が提唱して「当用漢字」が定められました。此れは「漢字廃止」の第一歩として先づ「漢字の使用を制限」する事が目的だつたやうです。然し、其の中の所謂「新字体」の中には、其れ迄使用されてゐた伝統的楷書等も少々乍ら復活してゐるので其の点だけは評価してゐます。でも新たな字体も幾つか増えた事も又事実です。この時点で、日本では「当用漢字」が時の政府が認める「正字」となつた訳です。

其の后、暫くして或問題が起りました。生まれた子供に名前を附ける時、名附けた漢字が表外字である為に戸籍の登録を拒否されると云ふ事が屡々(しばしば)問題となつたのです。其れ等の要望に応へるべく定められたものが「人名漢字」なのです。此処から「漢字廃止」の目論見が崩れて行く訳です。

現在「当用漢字」に替り「常用漢字」となつて、「制限漢字」が目安に替つた為、心置きなく表外字が使へると云ふ事が嬉しいものです。そして、現在の「常用漢字」が日本の正字と云ふ事になるのですね。

此処に「朝日略字」と云ふ漢字群が有ります。朝日新聞社が提唱する表外字に対する字体の改変の主張で、「常用漢字」における字体の省略方法に則つて表外字を省略し、其の活字を新聞等で使用すると云ふものです。このやうな態度に対し識者からの反撥も幾らかあるやうです。実際の字体としては「桧・鴎・涛」等色々あります。

国字は、支那では使用されてゐない漢字で、日本でしか使用されてゐない漢字の事を云ひます。有名な処では[枠・粂・麿・腺・糎]等、数へ上げればきりが無いのですが、其の中でもと云ふ漢字は支那に逆輸入されたとして有名ですね。

此処で最終的に言へる事は、現在の日本では「常用漢字」が正字であり、表外字は「所謂」康煕字典体が正字であると云ふ事です。恐らく「旧字体」も使用の制限が無い筈です。

漢字の書体と印刷書体

漢字は、甲骨文〜金文〜篆書〜隷書〜楷書〜行書〜草書と云ふやうに発展して行きました。飽く迄も概論ですが、

甲骨文は、支那の有史最古の王朝殷(商)の時代に用ゐられてゐた文字で亀の甲羅に書附けてられてゐました。少し以前に漢方薬としてこの甲羅の一部を売つてゐたさうですが、誰かが其の甲羅に絵のやうなものが書かれてゐる事を発見した事からこの文字に日の目が当りました。

金文は、殷の後の時代に作られた青銅器や鉄器等に彫られた書体で、古墳等から出土するさうです。

篆書は、秦の時代前後の書体で、大篆・小篆・印篆等色々な種類が有ります。小篆は、説文解字等の字典に書かれた文字で、比較的に整然とした字体です。印篆は、現在でも篆刻等で活用されてをり、四角形の雅印等はこの書体が用ゐられてゐますね。其の外、旗に縫附ける為の書体もあると聞きますが詳細が判りません。

隷書は、毛筆で書かれる書体では古い時期のものです。比較的に縦より横のはうが長くなる力強い感じのする書体です。八分書と呼ばれる種類の書体も有ります。

楷書は、毛書で書かれる書体の中で最も基本となるものです。王羲之等の支那人が洗練された書を書残してゐます。今でも書道の手本として利用されてゐます。

行書は、楷書を少し崩した書体です。当然楷書が基本となるので、元の楷書を知つてゐないと奇麗な行書は書けないものと思はれます。

草書は、隷楷行の各書体を元にかなりの度合ひで崩した書体です。読む為と云ふよりは、速記の要素が強いやうに感じます。

以上は、筆書の歴史的な概要ですが、現在使用されてゐる漢字の最も基本となる書体は楷書であると云ふ事は誰もが認める事でせう。

処が、漢字にはもう一つ、印刷用の書体と云ふものがあります。此れは支那の宋朝の頃から始つた印刷の為に使用される書体の事を云ひます。最初の内は当然楷書が用ゐられてゐたやうですが、軈て印刷に適した明朝体が発明されました。

然し、清朝の康煕帝の時代に正字が定められ、印刷物は其れ以降この正字を使用する事が必要になつたと思はれます。と言ふか、印刷物が正字を使用しないと云ふ事は考へ辛いと云ふ事です。日本にも鎖国の江戸時代に康煕字典は齎されてゐたのかも知れませんが、本当の意味で輸入されたのは、矢張り明治時代に入つてからの事でせう。

偖、印刷用の書体は全て「所謂」康煕字典体にしないといけないのかと云ふと、さうではないと考へてをります。

明朝体やゴシック体等の元々印刷用に開発された書体は「所謂」康煕字典体が基本であるべきと考へます。然し、手紙ソフトにあるやうな隷楷行草の筆書体等は伝統的楷書を基本とした印刷書体であるべきと考へます。伝統的楷書の書体にすべき印刷書体は他にも例へばペン書体や勘亭流や教科書体等色々ありさうです。

漢字の音訓と漢字熟語

漢字にはがある事はご存じだと思ひます。音は、漢字を支那での読み方で読む方法です。訓は、漢字を日本語の読み方に直して読む方法です。

音には、日本に輸入された時期や用途や輸入元の使用地域等の違ひによつて呉音漢音唐音の区別が有ります。

呉音は、漢字が先づ最初に渡つて来た当時(約三世紀から七世紀頃)の音で、長江下流地方の漢字音が伝つたものです。仏教の経典等では殆ど呉音で読まれてゐます。

漢音は、平安時代の頃に黄河流域の漢字音が伝つたものです。儒学の書物を読む時は全て漢音で読まれたさうです。

唐音は、唐宋音とも云ひ、鎌倉・室町時代、支那の宋朝の時代に伝へられた音です。行脚・行燈・提灯・明朝・風鈴など特別な語にしか用ゐられてをりません。

漢字は、其の形と同時に音と意味と使はれ方も伝へられました。使はれ方としては、例へば漢字熟語と云ふ用法が有ります。漢字熟語は、二文字以上の聯合で使用される事が一般的に行はれてゐます。其の場合、呉音で読まれる語、漢音で読まれる語、唐音で読まれる語等は夫々区別される事が原則でした。

然し、時代が下る毎に其の原則が崩れて、呉音と漢音が混合して用ゐられる熟語も出て来ました。例へば、面目と云ふ熟語が有りますが、呉音では[メンモク]、漢音では[ベンボク]と読む処を[メンボク]と読ませる事もあると云ふやうな場合等です。

漢字にはと呼ばれる読み方も有ります。此れは漢字を日本語の意味に充てて、其れを端的に示した日本語としての読み方を云ひますが、現在の漢字かな混じり文では一般的な用法として定着してをります。

訓は、漢字が伝へられた当初、漢詩や漢文等を読む際、白文に訓読を施すやうな場合に用ゐられた事が始まりであらうと思ひます。漢字に訓を振つた場合、其の漢字の元の意味も含まれる事が普通ですので、同じ訓でも使用する漢字によつて意味が微妙に変つて来ます。[変る・替る・換る・代る]等は其の典型的な例と言へませう。

訓読みが一般的に行はれるやうになつて後、漢字熟語にも変化が訪れます。重箱読み湯桶読みと呼ばれる音訓が混合して読まれる漢字熟語が現れました。此処へ来て漢字が本来の意味で日本語を表現する為の文字となつたと言へませう。

国訓と云ふ読みも有ります。此れは支那における漢字の意味と日本での漢字の意味に違ひがある場合を云ひます。[芒]には、[のぎ・すすき]と云ふ二つの訓が有りますが、光芒とか芒洋などの熟語には其のやうな訓を振る事は出来ないでせう。このやうな場合の訓を特に[国訓]と呼んでゐます。

扨、此処に地方訓と云ふものも有ります。日本国内でも色々な地方で漢字が使用されてゐる為、其の地方独特の訓が用ゐられてゐる場合も有ります。例へば、福島県・栃木県・茨木県の[塙(はなは)]、山口県の[浴(えき)]、沖縄県の[城(ぐすく)]、北海道の[沼(とう)]等、主に地名に使用されてゐる場合が殆どとなつてをります。

国訓でも或る程度熟したものは仕方ないとしても、矢張り漢字の本来のに則つた形での訓を用ゐるべきであると考へてをります。

電脳と漢字コード

電脳とは、世間一般に使用されてゐるマイクロコンピュータを云ひます。因みに、インターネットは国際電網、Eメールは電子書簡と云つた処でせうか。そして、漢字コードは、電脳で漢字を表示させる為の約束事を云ふのですが、電脳の中では0と1の符号の繰返しでしか有りません。この符号の繰返しの塊に文字概念を附与したものが漢字コードです。

其の昔、かな文字派・ローマ字派の国語国字改革論者は、「タイプライタでは漢字を打つ事が出来ない。日本語はローマ字かかな文字を使ふ事が好ましい。」と言つてゐた。当時は確かにさうだつたのだらう。其の后、和文タイプライタが開発され、漢字もタイプライタで打つ事が出来るやうになりましたね。

電脳も当初は基本的なローマ字しか表示する事が出来ませんでした。当時の文字コードをアスキーコードと云ひます。然し、東アジアの漢字圏でも電脳を使用する人間が出て来出した辺りから、電脳で漢字も表記出来ないものかと考へる人も出て来たのだと思ひます。

この問題に真つ先に着手したのが日本人でした。日本国内の規格としてJISが有ります。この規格に対し新たに漢字コードの件を追加した事が始りとされます。此れをJIS基本漢字と呼びます。

JIS基本漢字には、第1水準と第2水準とが有りますが、第1水準は比較的使用頻度が高いとされてゐます。JIS基本漢字の典拠は日下部重太郎氏の「実用漢字等級表」に由来するさうで、原典は昭和六年に作られたさうです。第1水準では漢字はアイウエオ順、第2水準では部首劃数順で並んでゐます。

日本の漢字コードには、幾つか種類が有ります。其の一つ、シフトJISは米国マイクロソフト社よつて電脳の内部処理用の漢字コードとして開発されましたが、其れを通信等の信号の遣取りに迄用途を広げて仕舞つた為に半角カナ等の国際電網上の問題点が出て来て仕舞ひました。もう一つは、EUCです。主にUNIX系のワークステーションで用ゐられてゐる漢字コードですが、国際電網上でも積極的に活用されてゐます。そして、区点と云ふコードも有ります。何区何点と読む漢字コードですが、詳細が判りません。

さうして、1983年に漢字コード界のクーデターが発生しました。電脳で表示させる漢字の字体を特定の字体についてのみ入替へて仕舞つたのです。「鴎・掴・涜」等の269字の字体変更と「壺壷と壷・檜と桧・籠と篭」等の22組の字体入替を行つた事に原因が有ります。此れを83JISと呼んでゐます。書換への基本的な方針は「朝日略字」の其れとほぼ一致してをり、此れ等の文字を特に「拡張新字体」とも呼んでゐます。然しこの為、83JIS以前に登録した氏名等の文字データが勝手に書換つて仕舞ひ、一時問題となつてゐました。(ああ、今でも問題か)

問題はまだあります。先にも説明したシフトJISにおける半角カナや特殊記号に加へ、「拡張文字」の問題も有ります。IBMやNECで選定した拡張された文字コードを云ひます。「﨑・神・靑・燁」のやうな異体字や旧字体や表外字等が登録されてゐます。唯、此れも一部の基本ソフトでしか表示出来ない為、国際電網上では極力使用を避けるべきであると思ひます。

《閑話休題》…漢字コードには幽霊が住着いてゐると聞きます。其れは何かと言はれれば、透さず右の文字列を示します。椦妛彁、何故JIS基本漢字に含まれたのか判りませんが、残念な事に事実は既に出来上つて仕舞つてゐます。

色々な経緯と問題点のある日本の漢字コードですが、此処へ来て又新たな問題が出て来ました。其れがユニコードです。世界の文字を一つの文字コードで表現しようと云ふ事が基本理念ださうです。当然、東アジアの漢字圏でも漢字を搭載しようと云ふ動きが出て来る訳です。

漢字は日本と支那だけで使用されてゐる文字では有りません。台湾や朝鮮半島や其の昔の安南(現在の越南)でも使用されてゐるのですが、夫々の国の漢字を其の国毎に搭載する訳にも行かない為、夫々で重複する部分を同じ漢字コードで表現しようと云ふ事になります。幸ひにも漢字圏には[康煕字典]と云ふ共通の概念がある為、此れを元に日本の「常用漢字」や支那の「簡体字」をも統一したコードで表現出来るやうにするさうです。

選定の手法として、字体包摂と云ふ方法が考へられてゐます。同じ概念の漢字には同じ漢字コードを振ると云ふ事なのでせうけれども、何処迄を同じと見做し、何処からを違ふとするかが今一つ判然としません。然し乍ら、応用範囲の広い漢字コードとなる事を望んで止みません。

漢字コードは、其の成立の時から色々と波瀾が含んでゐました。基本的には一つの文字概念には一つの文字コードで対応する事が望ましいのでせうけれども、「当用漢字・常用漢字」等と相俟つて同じ概念の漢字を複数の漢字コード番号に振つて仕舞つてゐるのが現状でせう。さう云ふ事が必要なのかどうか、もう一度考へる時なのかも知れません。そして、83JISのやうな愚を又繰返さないと云ふ事も重要であると言へませう。

全く同じ文字概念の漢字でも、複数の字体が有るものもあります。其のやうな場合は、ウェブで屡々用ゐられる実態参照と云ふ技術を用ゐる事で意図する文字を表現させる事が可能であると考へます。

最後に

此れ迄説明の通り、漢字は時代と地域と思惑によつて色々と変貌して来ました。さうして、漢字は自然な変化を経て伝統的楷書と云ふ字体が生まれました。然し、結果的にこの流れから外れる形で編輯されて仕舞つた[康煕字典]には少々残念に思ふ処です。今一度伝統的楷書で書かれた書籍を比較検討し、其の代表的な書体を定めるべきなのかも知れません。

国民が使用する漢字の代表的な字体を定めると云ふ事は、大変重要な事だと思ひます。唯、「朝日略字」や「拡張新字体」のやうに不必要に漢字を増やす事については否定したいと思ひます。飽く迄も、其れ迄使用されて来た字体の実績を尊重しつつ、もう一度「当用漢字」や康煕字典以前に立返り、代表的な字体を選ぶべきでせう。

漢字は書体や字体が重要なのでは無く、飽く迄も其の文字に含まれるが重要なのであります。漢字コードには数多くの「旧字体」も有りますが、結果的に全ての「旧字体」が表示出来る訳では有りません。文字概念を示すと云ふ漢字コードなので、私の使ふ漢字表記は代表的と思しきコード番号で表記させて頂いてをります。字体を読むのでは無く、其の文字概念を読取つて頂きたいと思ひます。

電脳で漢字が表示出来るこの現代、「かな文字論者・ローマ字論者」の言ふタイプライタ説と云ふのは全くの出鱈目であつたと云ふ現実を素直に受入れるべきでせう。唯、此れ等の論で生残る手立てとしては、仮名漢字変換での仮名打ちやローマ字打ちに依る中間的且つ一時的な表示にしか無いと考へます。正書法として残される表現には含まれるべきではありません。

最後迄お読み頂いたお方には、大変感謝致します。誠にありがたうございました。

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