しかし「書いて公表する」ことは、自分の考えを読んでもらい、理解してもらうためである。現在はもはや国民の大多数が、新しい表記による日本語の教育をうけているのだから、私はやむなく現代かなづかいを使って書くことにした。だが、国語の表記をいい加減にしておくことは、実は国民全体が自分自身をないがしろにすることなのだと私は考えている。
大野晋『日本語と私』1999年、朝日新聞社より
国語学の泰斗大野博士の著書から引用してみました。国語に対する正しい見識を持つ学者は、歴史的仮名遣ひが本来あるべき日本語の表記なのだと認識してゐるのです。