大野先生への質問

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2002/11/15 公表

あらまし

『日本語と私』を読んで以来、今迄大野先生が書いた文庫や新書を絶版も含め読み漁つてゐました。今では国語学と云ふ学問はどう云ふものなのか、其の輪郭でも掴めてゐるのではないかと思ひます。

其処で、この度大野先生の聯絡先を知る事が出来たので、思ひ切つて書簡に依り質問を出してみました。質問は全部で7件ありますが、漢字や仮名遣についての質問は割愛しました。以下に其の内容を記録に留めておきますので、興味のある方は御一読下されば幸ひです。

尚、回答を下さつた先生其の他の方々で、公表に不都合がある場合は速やかに御聯絡下さい。公表を止める等の善処を致します。

質問と其の回答

お返事いたします。大野晋

御返事では、当方の書簡の質問の部分の写しを利用し、夫々の質問の脇に回答の走書きを括弧で括つて添書きされてゐました。極めて簡単な回答ではありますが、大野先生が此れ迄の著作で表現されて来た主張と併せて読まれると、其の真意がはつきりと見えて来るのだと思はれます。其れでは本文と参ります。

一、

今若し橋本進吉博士が御健在でしたら、何を報告したいでせうか。
(タミル語との関係の立証を報告したい。)

橋本進吉博士は、東京帝国大学で国語学の教鞭を揮つてゐた教授です。大野先生の師匠で、学問に厳格な人だつたさうです。其の師匠にタミル語の事を報告したいと云ふ事は、相当に自信を持つて報告できる論証であると大野先生はお考へなのだと思ひます。『日本語の形成』にはこのやうな一文が序の前の一頁に充てられてゐます。橋本進吉先生に捧ぐ 大野晋。橋本博士もちやんと御評価になられてゐる事でせう。

二、

時枝誠記博士の『言語過程説』について、現在の立場を踏まへてどのやうにお考へでせうか。
(やはり社会的制約についての考察が欠けている)

『言語過程説』は、ソシュールの言語学に対する反証として時枝博士が打立てた理論です。此処から国語学と言語学との対立が始つたと言つても過言ではないと思ひます。大野先生の言はれる「社会的制約」が何を意味してゐるのかはまだ謎ですが、時枝博士の著書の読解して行けば何れは其の真意が理解できるかも知れません。豫測では「当用漢字」や「現代かなづかい」が一枚噛んでゐるやうに感じます。

三、

先生は以前、福田恆存氏にお会ひしたと存じますが、氏に対してどのやうな印象を持たれたでせうか。
(言語に対して実に誠実な方でした)

此れは、福田さんがどう云ふ人だつたのか、実際にお会ひしたお方からお伺ひしたかつたのが私の真意です。福田さんは、戦後も引続き正字正かなを実践した人です。国語を大切に思つてゐた人の一人が、国語学者の人から見て「誠実」と評価されたのですから、素晴らしい事だと思ひます。

四、

先生の進めた『日本語タミル語同祖論』について、今后の見通しと論の展開の豫測についてお教へ下さい。
(いずれ理解されるでしょう)

この質問の本意は、大野先生が此れ迄進めて来られた論証を若い後輩達にどのやうな方向性を持つて進めて欲しいのかを御伝授して欲しいと云ふものです。然し乍ら、御返事を見ると今現在の状況として「私の持論は広く公に認められてゐないのぢやないか」と云ふ念が回答に篭つてゐるやうに思はれます。先づは「公に認められる事」が先決であると受止めておきます。

大野先生の日本語とタミル語の論証はまだ途中の段階だと思ひます。国語学やタミル語学や比較言語学や関聯のありさうな朝鮮語学など、語学の部分の堀を確り固めてから、諸学に対応させて行くべきと私は考へますが、如何でせう。

五、

記紀歌謡や万葉集とサンガムとの間で、当時の古典語に依る相互翻訳は可能なのでせうか。
(両言語に通じる人が出れば可能でしょう)

この質問は、『日本語の教室』でサンムガダス夫人が『万葉集』の巻十一をタミル古典語で翻訳したと云ふ記事を受けてのものです。大野先生の見通しでは、相互翻訳は可能との御判断ですので、何れはサンガムの七五調に依る日本古典語訳も叶ふのではないかと云ふ希望を持ちたいと思ひます。

六、

神と上について『日本語の形成』では同じ対応番号159番に説明されてゐますが、結局の処語源は同じと云ふ事なのでせうか。
(別と思っています)

大野先生の著作では度々「単語家族」と云ふ用語が出て来ます。神と上では語根"kam"部分で同じなので同一の対応番号で説明してあるのですが、此れは語根が同じ「単語家族」なのであつて、語源は矢張り別に在ると見てお出でなのでせう。どちらも"kam"を語根とする合成語と理解すべきなのですね。

七、

先生は、日本について日本語から探究しようと此れまで尽力なさつてゐたと思ひますが、其の解答は得られたのでせうか。
(「日本語の教室」に書きました)

この質問は、大野先生の根本の部分を突いた積りでしたが、上手く躱されてしまひました。『日本語の教室』は、16問の質問に大野先生が答へる形式の著書ですが、特に第二部の「日本語と日本の文明、その過去と将来」については、大野先生が長年追ひ続けて来た疑問の答が記述されてゐると同時に、今の日本人に対する願ひが篭つてゐるのだと理解し乍ら読んだはうがいいかも知れません。

大野先生への謝辞

体調の厳しい中、或はお忙しい処を、こんな質問にお答へ下さりありがたうございました。御返事は大切に致します。

関聯頁