文語では飽く迄例外的に音便を使用しますが、歴史的仮名遣ひでは標準的に音便と云ふ概念を使用してをります。
此処では、歴史的仮名遣ひにおける音便の使用状況を文語との比較により解明かして行きたいと思ひます。
音便とは、時間の経過と共に本来あるべき語の姿から其の一部の音韻が変化したと云ふ事実を結果として表記に反映させる為の方法の一つです。極めて「表音的」な表記方法です。
代表的な音便として、母音の脱落に依る撥音便と促音便、又、子音の脱落によるイ音便とウ音便の4種類があります。
此処では、各種音便の実際を本来あるべき語の姿からの比較で表現して行かうと思ひます。
撥ねる音を云ひます。撥音便は原則として「ん」の仮名を使用します。括弧内は元の語です。
「ナ行四段」「バ行四段」「マ行四段」の活用動詞に続けて完了の助動詞「つ」が続く時、撥音便の「ん」で繋ぎます。
詰る音を云ひます。促音便は原則として「つ」の仮名を使用します。括弧内は元の語です。
「タ行四段」「ハ行四段」「ラ行四段」の活用動詞に続けて完了の助動詞「つ」が続く時、促音便の「つ」で繋ぎます。
又、字音仮名遣でも促音便は多用されてゐます。一例を示しておきます。仮名遣で言へば、「十銭」は「じつせん」であり、「じゆつせん」とは決して読む事は出来ません。「十本」も「十干」も「十手」も「五十歩百歩」も皆さうです。
主に大阪を中心とする関西地方では、「借りて」と云ふ語が「借つて」と表現されます。此れも促音便として解釈する事が可能な表現なので、必ずしも間違ひではありません。
次は、子音脱落系統の音便です。イ音便は原則として「い」の仮名を使用します。括弧内は元の語です。
「カ行四段」「ガ行四段」の動詞に続けて完了の助動詞「つ」が続く時、イ音便の「い」で繋ぎます。
「なさい」の場合は、「なされ」のイ音便と解釈するよりは、「なさりませ」がイ音便で「なさいませ」と変化した上で「ませ」が脱落したと解釈するべきでせう。
この場合は、母音が脱落してヤ行の子音が残つた結果イ音便となつたと考へられます。命令形で用ゐられる「よ」は屡々「い」に変化します。
形容詞の語尾では、連体形、終止形などで「い」が多用されます。此れは元々文語の連体形の「き」が音便変化して「い」となつたものです。更に連体形が終止形に侵蝕して終止形でも「い」を使ふやうになりました。
此れも子音脱落系統の音便です。ウ音便は原則として「う」の仮名を使用します。括弧内は元の語です。
意志・推量の助動詞は今日「う」で表現されますが、以前は「む」と書記されました。「しませう」は「しませむ」、「だらう」は「にてあらむ」だつたと思はれます。
「表音的仮名遣ひ」では、意志・推量の「う」が長音符号「ー」となつてしまひ、書き言葉における助動詞の在り様を示す事が困難となつてしまひます。「ー」を助動詞とか言ふんでせうかねえ。
主に大阪を中心とする関西地方では、「ハ行四段」の活用動詞に完了の助動詞「つ」が続く時、ウ音便の「う」で繋ぎます。
歴史的仮名遣ひでは、語中・語尾のハ行音は「ワ、イ、ウ、エ、オ」と読みます。然し、「わ、い、う、え、お」とは書換へず、書き方は飽く迄「は、ひ、ふ、へ、ほ」の侭で記します。
因みに「現代仮名遣い」では、助詞の「は」と「へ」だけ残し、其の他のハ行転呼音は全て「わ、い、う、え、お」に書換へを行つてをります。
歴史的仮名遣ひでは、「じ、ぢ、ず、づ」の所謂四つ仮名は旧に倣つて記述します。
因みに「現代仮名遣い」では、内閣告示で例示された語以外の語の書分けの方法が不明瞭な為、書分けが非常に困難であります。
時と共に語の形自体が変つたものもあります。代表的なものとして「蹴る」「酔ふ」があります。
大野先生の説ですと、奈良時代の蹴ると云ふ語は、下二段に活用してゐたと言ひます。唯、使用例が極めて少い為、断定は出来ないさうです。
酔ふの語幹は元々「ゑ」でした。然し、時の流れと共に音韻変化が生じ、「ゑふ」が「エウ」となり現在では「ヨー」となつてしまひました。現在の仮名表記としては「よふ」とするのが良いと思ひます。
此方はイ音便の項目でも取上げた語幹が変化した語の一つです。
私自身としては賛同致し兼ねますが、「酔ふ」と同じやうな語幹変化が起りさうな語が一つあります。下段はまだ過渡期にあります。
字音仮名遣などに、「連声」と呼ばれる現象があります。「天皇」「観音」「三位」などの熟語の読みを云ひますが、詳細は省きます。
参考になりますかね。