今迄集めて来た歴史的資料や有用な書籍のコピーを参考にし乍ら、戦前(大東亜戦争以前)の郵便貯金の制度や通帳印字等の状況を報告しようと思ひます。
まだまだ資料自体が乏しい為、内容が断片的であるかも知れませんが、以后内容を徐々に充実して行かうと思つてゐます。
郵便貯金通帳に預入れる事の出来る金額の一口の下限と総額の上限は豫め設定されてゐました。以下に簡単な一覧表を書き出しておきます。
時期 | 下限 | 上限 |
---|---|---|
明治41年頃 | 10銭 | 1,000円 |
昭和初期 | 10銭 | 2,000円 |
尚、一口10銭を超えれば10銭以下の端数の附いた預入れも受ける事は出来るが、推奨できない旨の注意書きもありました。
現金による預入れの外に、郵便切手・郵便為替証書・各種証券や証券の利札を預入金に当てる事が出来ました。
当時は当然乍らオフラインでしたので、払出しが出来る金額が保証されてゐなければならないと云ふ条件が附く事になります。
方法としては通常払と即時払とが有りました。
以上の3点の内の何れかを行ふ事で、後日受持管理所等の原簿所管庁から払戻証書が交付されるので、指定された郵便局で証書と引換へに現金を受ける事が出来ました。
預入れを行つた郵便局では、其の郵便局に預入れた金額以内であれば即時払が可能でした。然し、現在高証明(検閲)を行つた通帳については、何処の郵便局でも即時払が可能となりました。又、昭和初期に至つて、他の郵便局でも正当本人と確認できた場合に限り1日30円まで即時払が可能となりました。
明治41年頃の制度として、豫め郵便局で特別取扱の承認を受けて置く事で無制限の即時払が請求出来たさうです。
預入金の一部を払戻す場合の条件として、請求する金額に10銭未満の端数を附けず、又、50銭以上の貯金を残さなければならない決りとなつてゐました。
定められた金利(歩合)によつて計算された金額を、毎年3月末を以て元金に組入れる事になつてゐます。
毎年一度は必ず通帳を郵便局に預けて利子の記帳をお願ひする事になつてゐました。