2002/01/06 修正 (1999/07/21 公表)
某氏より、「現在、南樺太は帰属未定です。」とのメールを頂きましたので、此処でもう少し突つ込んで考察したいと思ひます。
此れは、或る固定された論を支持する爲に報告した物では無く、各種の論を對等に列擧する事で此れらを讀む各人が内容を判斷して頂く爲に報告しました。内容はできる限り現實に忠實であるやうに心掛けて書いた積りです。
尚、内容の現實味を上げる爲に敢へて歴史的假名遣ひで書いてをります。
領土を巡る經緯
江戸幕府とロシア帝國との間で擇捉島と得撫島との間に國境線を確定する。
樺太(サハリン)は江戸幕府とロシア帝國の共同統治とする。
大日本は樺太を手放し、千島列島全島を領土とする。
大日本、日露戰爭でロシアに勝利。戰利品として北緯50度線以南の樺太を領土に追加。
一部の聯合軍の首腦が集つて、對獨戰後處理とソ聯の對日參戰等を決定。ソ聯は、南サハリンの返還と共にクリル諸島の引渡しを要求。
聯合國(米國・英國・ソ聯・中國)に通告され、此れにより大日本の降伏が確定した。
大日本は大東亞戰爭で敗戰。然し、ソ聯軍尚も戰闘續行。
南樺太と千島列島全域がソ聯に渡つてしまふ。
52箇國が參加、ソ聯・ポーランド・チェコスロバキアの3箇國を除く49箇國が平和條約に調印した。
日本は、南樺太・クリル諸島に對する權利を放棄させられたが、ソ聯の領有は規定されず。
日本全權は、齒舞・色丹は北海道の一部として放棄しない事を明かにした。
其の后、擇捉・國後を含む四島返還論が確定、日本國政府は擇捉島以南は第二次世界大戰終結迄ロシアの主權は存在しなかつたとし、現在まで北方領土返還を交渉し續けてゐる。
項目10に書かれた通り、千島列島及び南樺太の地は尚もロシア共和國の實行支配が續く。
表題の括弧内の記載は、此れを表したものと理解して下さい。
項目1及び2の状況に立ち返り、日露和親條約と千島樺太交換條約の内容は今尚有效とし、擇捉島以南の所謂北方領土は日本固有の領土の一部であると主張する。
擇捉島以南の地域は、第二次世界大戰以前にロシア(ソ聯)領と成つた事實は無い。詰り、北方領土はクリル諸島とは云へない。
得撫島以北と南樺太の地域は、項目11のサンフランシスコ講和会議の平和條約で領有權を放棄したが、此れはロシア(ソ聯)に引渡した譯では無い。當時のソ聯は、この條約に調印してゐない。歸属未定論の根據
項目5のヤルタ協定は、飽く迄密約であり、此れに依る拘束力は無いものと判斷する。
領土問題は解決濟み。
項目5のヤルタ協定の内容は、ソ聯が對日參戰した結果有效と成つた。
項目7のポツダム宣言を日本は受諾したので、日本はロシア(ソ聯)に降伏してゐる。
ロシア(ソ聯)の主張するクリル諸島には、日本の主張する北方領土も包含されてゐる。
千島全島及び南樺太は、日本の領土だつたから、ロシア(ソ聯)から奪ひ還すべきである。
ソ聯は何故日ソ中立條約を破つて迄、大日本に參戰して來たのか。其れは、ヤルタ協定の内容を現實の物とする爲である。
第二次世界大戰終結以降、日本國とロシア共和國(ソ聯)との間で平和條約が締結されてゐない。平和條約に領土の内容を盛り込んで始めて解決する。
項目8に書かれてゐる通り、大日本は降伏したが、其の后のソ聯との戰闘は新たな戰爭と見る事もできる。詰り、大東亞戰爭(第二次世界大戰・太平洋戰爭)とは別の戰爭である。
領土不擴大の精神に則れば、千島列島全島は日本國の領土であるべき。(然し、サンフランシスコ講和會議で日本國は得撫島以北の千島列島を放棄してゐる爲、この論は成立たない。)