皆さん、こんばんは。
霧隠です。
GWに越後に行ってまいりましたので、ご報告したいと思います。
今回は、なんとIさんがお車でご案内してくださいまして、
大変楽しい旅になることができました。
この場をお借りして御礼申し上げます♪
さて、朝、Iさんのお車で長岡を出発し、まずは、謙信公が少年時代を
過ごされた栃尾城へ!
神社の石段を勢い良く駆けあがると、そこは馬場。
あぁ、ここで若き日の謙信公がドウドウとお馬のケイコをしていたのかと
思うと、思わず当時の情景を空想し、しばしうっとり。
さらに登りやすい登城道をてくてく楽しく登ると、左手に見事な大堀切が!
説明板を読むと、深さ7m、幅15m、長さ150m(@@)/の
大堀切とのこと、さらに当時の兵が連絡用で使ったという・・・
むむ、そげなこと書かれていたら、忍者の名にかけても体験せねば!
と、勢い込んで登り始めました。
・・・ふーふー、はーはー
ほんまに兵がここを使ったのぉ〜
というくらい急な勾配の坂が2箇所あり、これなら通常ルートの方が
楽だよぉというコースです。
けど、大堀切を登る経験もなかなかできないでしょうから、栃尾城を
お越しの際にはチャレンジしてもおもしろいかも♪
さて、栃尾城を十二分に堪能した後は、本日のメイン、謙信公の居城
「春日山城」へ!
以前から行ってみたいお城のひとつだった春日山城。
念願かなった感想は・・・やっぱりええお城でした(ToT)/
まずは、大手道から登るのですが、ちょっぴり変わったところは、ふつー
山城は登り口からまっすぐ本丸をめざすのですが、このお城はぐるりと
大きく迂回するのです。
まずは、てくてくなだらかな道を大きく迂回し、途中田舎道というか
田んぼ道を歩いて、少し行くと、何度かこのMLでも話題に登っている
本丸へ土を持っていくきんちゃく袋があり、さっそく任務開始♪
2キロくらいありそうななかなかな重さです。
柿崎和泉守の屋敷跡を彼がどうして何度も家臣の謀反を許してきた謙信公
に自害を命じたのかを考えながら歩き、謙信公の後を御館の乱で獲得した
景勝公の屋敷をやっぱり大手道にどーんとあるからには正式の後継者だった
のだろうなーと思いながらみて、よくすべるということで、油流しと
いわれた坂をこれまたへっぽこ忍者の名にかけて登りきり、いざ本丸へ♪
ええ、景色です。
このすばらき景色が見れるだけでも山城を登った甲斐があるというものです。
城下がみごとに一望できます。
謙信公がどんな思いで眺めていたのか、そんなことを想像するのもまた一興。
となりには(中世山城なのに)なんと天守閣跡が!
そんなことあるかいっ! ととりあえず、つっこんどいて、謙信公が
出陣前に軍略を練ったという毘沙門堂へ!
う〜ん、ええですなぁ〜
謙信公の英気がビンビンに伝わってきそうです。
その後は直江屋敷へ。
さらに、本丸の下にある三郎景虎公の屋敷跡へ。
大手道に景勝公の屋敷があり、こちらは搦め手となると、やっぱり
北条からの人質でしかなかったのか・・・という思いをもってあたりを
散策。
・・・上杉三郎景虎・・・
北条氏康公の七男にして、相越同盟の際の人質として越後に来、その際に
謙信公の覚えめでたく、養子として景勝公に劣らぬ寵愛を受けます。
そして、謙信公の若いときの名である景虎を与えます。
しかし、謙信公が49才という若さでなくなった後、景勝公との御館の乱
で敗れ、鮫ヶ尾城にて無念の自害をされます。
美男だったそうです。
案内板をみると、ここだけ今まで無味乾燥なコメントがうそのような
思いのこもったコメントがなされ、「炎の蜃気楼」という小説で
有名ですと書かれていました。
悲劇のヒーローに日本人は弱いのか、多くの方が来られるとのことです。
この後、最後を迎える鮫ヶ尾城に行きましたが、登りやすいなかなかええ
山城でした。
さて、最後に小さいながらも、「昆」と「龍」の御旗とさらに
「紺の生地に赤の日の丸」の上杉家3大御旗を堪能し、楽しかった
春日山城攻略も終わりを迎えます。
その余韻にひたりながら、謙信公のお墓にまいり、さらには謙信公直筆の
手紙を読みましたが・・・さっぱり読めませんでした(TT)
それにつけてもあこがれの春日山城はやっぱり楽しいお城でした♪
一日いろいろご案内くださったIさんに感謝しながらご報告を終えたいと
思います。
長文になりましたが、最後まで読んでくださいましてありがとうございました。
m(_)m