皆さん、こんにちは。
霧隠です。

福山城の縄張りですが、上から見るとこんな感じ。

内堀のところに新幹線が走っております。
北側の防御が弱いですが、天然の川をうまく利用しています。

現在この二重のお堀は見る影もありません。
しかし、本丸、二の丸の石垣は立派に現存しています。

福山城を横から見ると・・・
 

福山城の特徴は・・・
1.総石垣のお城である。
2.三段の石垣作りになっている。
3.裏側から見たほうがしびれる。
です。

総石垣とは、お城が丸々石垣でコーティングされているお城です。
ふつーに駅から本丸に行って、天守閣を登って、帰ってしまうと・・・

・・・全然、この素晴らしき石垣に気づかずに帰ってしまいます。
駅から見える石垣だけで満足するのはもったいないです。

そう、福山城には石垣がぎょーさんあるんです!
まずは、駅から左手に行って、伏見櫓のメインルートに行くのではなく、上記の
絵の「●」印の登り坂に参りましょう!

駅から降りて、まっすぐの小道を歩くことすぐに「←登り口」という看板があり
ます。
こここそは、城郭だなぁと思わせる見事な石垣と雰囲気をかもしだしています。

登ってすぐにいきなり5mほどの高石垣が。
枡形虎口もあります。
当然、まわりはすべて石垣。

一番最初の石垣を見た瞬間に、一言。
ええなぁ。

この5mほどの高さの石垣がずーっと20mばかり続きます。
第一段の石垣を登ると、広大な曲輪があります。
丁度天守閣を東から見る格好になりますが、ここからの天守閣が一番格好よかっ
た気がします。
ここは水野勝成公の立派な銅像が立っている場所です。

この位置からみる天守閣は横顔になるわけですが、正面より横顔の方がりりしい
かも。
そのまま、天守閣の裏面に向かいます。

ここの天守閣を支えている石垣には天守閣があるために日があたらないのか、味
わい深いコケがびっしりと生えております。
駅から見える石垣や他の石垣には山城などで見るようなコケなど全然なく、きれ
いな石垣ですが、この天守閣の裏側の石垣にはコケが一面に生えております。

また、それが石垣に歴史の重みを与えています。
ひっそり裏側に生えているコケたち。
これを見てから福山城への愛着がぐーんと増してしまったのは某だけでしょうか。
いぶし銀の石垣です。

さらに、福山城の魅力は、3段の石垣。
ふもとの石垣はすぐに気づきますが、本丸の下の帯曲輪(?)から見上げる石垣
こそ隠れた見所ではないでしょうか?

伊予松山城でも思ったのですが、こんだけすんばらしい石垣がひっそりと存在し
ているのに、訪ねる人がほとんどいないのには驚きます。
なぜなんだろう〜

ここの帯のような曲輪から見上げるものとしては、御湯殿があります。
この御湯殿、戦災の際に焼失するまで「国宝」の栄誉を受けておりました。
建物の一部が石垣上に張り出しているさまは圧巻です。

それにしても、30m以上ある長さの石垣にはうっとりいたします。
しかも、全然人気がないので、じっくり堪能することができます。
まさに石垣の穴場といえるでしょう。

さて、この帯曲輪は伏見櫓の下までつながっています。
そのまま伏見櫓を見上げながら、その下をぐるりとまわります。
真下から見上げる伏見櫓もぶらぼーです。
遠くから見る櫓もええですが、間近から見上げる櫓もええものです。

ここには阿部正弘公の銅像があります。

阿部正弘公・・・25才にして幕府老中に就任し、水野忠邦公失脚後、老中主席
        になり、今までの鎖国の政策を転換し、開国を決意。
        日米和親条約を締結しました。将軍後継問題では、一橋慶喜公
        擁立派の中心としても動いていましたが、度重なる国難を前に
        39才の若さで急死してしまいます。

ほぇ〜、こんな偉い人が福山城主だったとは。

さらに、福山城にはもう一人、銅像があります。
それは、水野勝成公。

水野勝成公・・・福山初代城主。
        神君、徳川家康公の母親の実家にして、元刈谷城城主。
        安芸の福島正則公が改易になった際に、福山に10万石の城主
        として、入府。
        福山を城下町として開発し、現在の福山市を整備した功績があ
        げられます。
        譜代大名として毛利氏にそなえたと言われております。

この2人が福山を代表する人物としてクローズアップされています。

そのほかの見所としては、阿部神社があります。
ちょっとはじっこの方になりますが、北側にあるこの阿部神社。
水野氏の後に、福山入りした阿部氏を祭ってある神社です。
阿部氏の家紋の「鷹の羽紋」がいたるところにあります。

なんだかちょっとひかれて、神社にお参りすることに。
すると・・・

「宮本武蔵腰掛け石」

なる看板が!

おぉ、こんなところにも武蔵の面影が。
なになに、

「大阪夏の陣のときに、宮本武蔵は水野勝成軍に参加し、そのときの交友から、
 夏の陣以降のあるとき、福山に立ち寄った武蔵を水野家の家臣、何某が武蔵を
 接待した。その際に、その家臣の家の庭で武蔵が腰掛けたと伝えられたのがこ
 の石である。水野氏の後、阿部氏が入部し、その家臣の庭の石を阿部神社に寄
 進し、今にいたると」

こうした旅のエピソードは楽しいものですね(^^)

その後、もう一度三段の石垣を順に見ながら次の目的地、鞆の浦に向かいました。

次回は、美しき鞆の浦についてご報告いたします。
それでは〜

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