皆さん、おはようございます!
霧隠@姫路城の大ファン♪ です。
Kさんに添削していただけるとのことで、(間違っても大丈夫ということで)
俄然やる気がわいてきましたので、まだ入り口でしかないですが、引き続き
姫路城の楽しみ方(ほとんどKさんの案内を書いてるだけ・・・)を
書いてみたいと思います。
さて、菱の門を楽しんだあとは、通常の左からの西の丸、渡櫓、化粧櫓を
楽しむコースに行くのですが、その前に、目の前の看板に注目!
まず、歴代の城主の住まいですが、池田輝政公から3代までは、天守閣のすぐ下
の備前丸に住んでいたようですが、池田家が移封になって入部した本多家は
(確か)三の丸に住み、嫡男忠刻と千姫が西の丸に住んでいたようですが、
城主(親)よりも高いところに住むのは、不敬だということで、後に二人も
三の丸に住むようになったそうです。
さて、左の坂を登ると西の丸につきます。桜の時期には美しき桃色の姿が
見られます。ここから見る姫路城もなかなか見事な雄姿を見せてくれます。
ここでの楽しみ方は、まずは、鉄砲狭間を除いてみましょう!
ちゃんと板を外側に押してその鉄砲の視界を楽しむことができます。
また、入り口でもらえる縄張り図の(カ)の隅櫓(登った坂道をまっすぐいった所)
の鬼瓦に注目♪
桃の瓦を楽しめます。河本さんが発見したそうで、裏の鬼門ではないかということです。
(表の鬼門は(ト)の隅櫓でいいのでしょうか? ←確か桃の瓦がありますものね)
渡櫓へすぐに入らずに、入り口で立ち止まりすぐにある塀の上の方にご注目。
なにやらクギがニョキっとでてますよね。
国宝&世界文化遺産にどうしてこんな景観を損ねるクギがあるのだろうと思うと、
実は、戦時中に軍が姫路城をアメリカ軍の攻撃から隠すために、お城全体に
シートといいますか、カバーをかけたそうで、その際にカバーが落ちないように
クギをさしていたようで、ここだけなぜか残っているのだそうです。
戦争中に空襲の被害にあったお城は名古屋城、岡山城などありますが、
どうして姫路城が空襲の被害から免れたのか?
・・・それは、全くの偶然だったようです。
戦争終了後、姫路市も空襲の被害を受けましたが、姫路城だけ無傷ですんだので、
これはアメリカ軍が京都や奈良のように好意で空襲を避けたのだと思って、
市で当時の米軍のパイロットを呼んだところ、そのパイロットの話では、
そんなことはまったく考えていなかった、ただ、夜間の爆撃でまったく
わからず、もしかしたら堀がレーダーに海か川のように思えて爆撃を避けたの
ではないかという話だったそうで、市の関係者もビックリしたそうです。
(ちょっと違いますでしょうか?)
さて、渡櫓ですが、ここの見所は、格子窓の八角形の格子です。
これは内からは攻撃がしやすいが、外からは攻撃しにくい(なぜだか忘れました)
構造で、中に鉄が入り、のこぎりで切ろうとしても難しい強固な作りになっていま
す。
また、この格子窓に鉄砲や弓を放っても無駄なんです。
というのは、窓の向こうは壁だからです。
振り返るとよく分かるのですが、各部屋の入り口は微妙に窓からずれているのです。
こうした小さな防衛上の工夫がいたるところにあります。
また、窓から見える姫山原始林ですが、ここの木に葉「多羅葉(たらよう)」は
肉厚で昔は手紙をかく用紙として使われていたそうで、現在葉書といわれているのは
この葉のことをいうそうです。
さらに、ここの原始林は火災に強い木で、今でこそ生い茂っていますが、当時は
もっとまばらで、火矢が打ちこまれても大丈夫な役割を担っていたようです。
渡櫓を進んでいくと、長局(百間廊下)になりますが、ここも見所満載です。
まずは、この部屋の天井に注目。天井がきれいな板張りなのです。
試しに渡櫓の天井を見ると・・・板張りではなく、むきだしになっています。
これは、板張りになっているということは、この部屋が人が住んでいたという
ことの印になるそうです。なので、天守閣も最上階だけは天井が板張りで、
人が住めるようになっているそうです。
この女中部屋も化粧櫓(千姫のお部屋)に近づくにつれ、当然位の高い局に
なり、部屋も広くなります。
ささいなことですが、部屋から部屋へ行くときに段差があるのにも注目です。
これも地位の高さを示し、身分の低い女中はこの高さから先は行ってはいけない
ルールがあったようです。
ちなみに女中部屋には畳はありませんが、これは攻められたときに畳に火が
燃え移らないためのものですが、夏はいいですが、冬はとっても寒いので、
全部に敷き詰めてなくても2枚くらいはあったのではとのことです。
また、部屋通しに引き扉がありますが、これは非常口向かうルートになっています。
渡櫓のちょうど真中くらいの窓から千姫天満宮が見えます。
これは幼くしてなくなった嫡男を供養して千姫が建てたもので、毎日この
場所に千姫が来て、手を合わせて拝んだという逸話が残っております。
そして、渡櫓の一番奥に千姫が忠刻に嫁いだときに、2代将軍秀忠が化粧料と
して?万石を千姫に与え、そのお金で建てた櫓なので、化粧櫓と呼ばれている
そうです。
ここの入り口の上にも注目。なにやら出っ張った柱がありますが、これは千姫の
駕籠がかけられていたのではということです。
同じ作りが実際に駕籠をかけていた神社にもあるそうです。
千姫の居室には貝合わせをしている千姫人形が出迎えてくれます。
特別公開時にはこのお部屋に上がれます。
現在の畳職人の最高位の方が編んだ最高級畳だそうです。
ここで、千姫の簡単なご紹介を。
徳川秀忠の長女にして、豊臣秀頼の許婚になり、結婚。
大阪夏の陣にて、秀頼親子が滅ぼされると、救助され、江戸に呼び戻される。
その後、言い伝えによると、大阪から桑名を通って江戸に向かう途中、
当時桑名の城主の息子、本多忠刻に一目ぼれし、千姫の方から望んで再婚
したと言われています。
千姫が姫路に入るときにもちょっとした悲劇が。
名前を忘れましたが、大阪城炎上の際に、千姫を救った人物に千姫を嫁に
するという話があり、助けた某氏はその際に顔が焼けただれそれを醜いと
思った千姫が再婚するのをいやがり、本多に嫁いだ際に、その某氏は行列に
切りこんだという話しと、もう一つは同じ人物ですが、秀頼のことが忘れ
られない千姫のための再婚話しを託された某氏は話しを進めていた最中、
もう話しが決まりそうだったときに、千姫が本多忠刻に一目ぼれし、顔がつ
ぶされたことに腹をたてた某氏が千姫の行列に同じく切りこみをかけた・・・
という話しがあるそうです。真相はよくわかりませんが。
と、長くなってしまいましたので、続きはまたの機会に。