皆さん、こんにちは。
霧隠です。
さて、今回は、九州を代表する知将にして勇将の鍋島直茂公の陣屋跡と、豊臣秀保
公の陣屋についてご報告いたします。
鍋島直茂公・・・実はその生涯全体を調べたことはないのですが、いろいろな書物
に出てくるエピソードは興味深いものばかり。
1.竜造寺家との関係
直茂公が有望な若者であると見ぬいた竜造寺隆信公の母君は直茂公の父と再婚
し、直茂公を息子隆信の義理の弟にし、忠実な部下にしたそうです。
2.大胆な夜襲
九州の雄、大友氏が竜造寺氏の居城、佐賀城を囲んだ際に、直茂公は大胆な夜
襲をして、見事撃退。その際に大友氏の家紋「杏葉紋」を自家の家紋として奪
った。
3.竜造寺氏へのお恨みごと
沖田畷の合戦で主君、竜造寺隆信が敢え無い最期をとげると勢いを失う竜造寺
家の命運を一手に引きうけ、豊臣秀吉公の覚えもよろしく、竜造寺家の家名を
守ります。そんな鍋島家の忠義を、鍋島家による竜造寺家ののっとりと考えた
竜造寺家の当主は直茂公へのあてつけとして自害してしまいます。
すでに竜造寺家の実権が鍋島家にあることに対する・・・
それに対する直茂公の、主君竜造寺家へ対する「お恨み状」というのが現存し
ております。
普通泣き言など言わない武将の赤裸々な心情を垣間見る事ができ、好感をもち
ました。
4.恋愛結婚
戦国時代の結婚は、主に家と家との結びつきを重視する、政略結婚が多かった
中で、直茂公は、家の家格など一切無視して、純粋に「一目ぼれ」した女性と
再婚したとのこと。
その他にも数々の魅力あふれるエピソードを今に伝える武将です。
ぜひとも鍋島直茂公の武勲にあやかりたいと思い、はやる気持ちを抑えつつ、一路
鍋島公の陣屋に向かいます。
おぉ、案内板発見!
どれどれ・・・
案内板に書かれた地形と実際に目の前に広がる光景を比べると・・・
鍋島直茂公陣屋 豊臣秀保公陣屋
↓ ↓
___ ___
/ヤブ丘\ ヤブ /ヤブ丘\
ヤブヤブヤブ ヤブ ヤブヤブヤブ
こんなんばっかり(TOT)
直茂こぉ〜
はぁ、またか。
こんだけ前振りかいといて、肝心の陣屋が見れないよ〜
と思いましたが、よ〜く目をこらすとヤブにつつまれた小高い丘には細い道が続い
ている!
こりゃぁ、参らねばなるまいて。
勢い込んで鍋島公の陣屋の近くまで自転車で近づく。
も、丘というより森への道はうっそうと生い茂る、生い茂る。
普段、山城でもよく整備されたハイキングコースに慣れ親しんでいるへっぽこ忍者
には厳しすぎる未開の道。
わずか3秒にて降参宣言。
鍋島公の陣屋は冬までお預けすることに。
目の前に陣屋があるといふのに中に踏めこめない自分のふがいなさに憤りながらも
あきらめつかずに鍋島公の陣屋の周りを自転車でぐるぐるとまわると・・・
アスファルトで固められた農道を進むと、
「→豊臣秀保陣屋跡 もう400m!」
という看板が。
ようするに、上の絵に描いたように、鍋島公の陣屋の隣に豊臣秀保公の陣屋があり、
某は鍋島公の陣屋の左側にある小道をまっすぐ進んで左側から上を抜けて、右側の
秀保公陣屋に向かっていたようです。
えぇ、鍋島公の陣屋しか眼中にありませんでした。
・・・すみません。
豊臣秀保公ファンの皆さんm(_)m
今日、この陣屋に来るまで(といふよりこの看板を見るまでは)、豊臣秀保公とい
うお方を全然存じ上げておりませんでした。
豊臣秀保公・・・かの関白秀次公の弟にして、秀吉公の腹違いの弟、大和大納言秀
長公の養子として、大和中納言と呼ばれたお方。
この陣屋はすごいです。
本当にすごかったです。
なにがどうすごいって、まずはその規模。
肥前名護屋に120の陣屋あれといえでも、この秀保公陣屋は20haと最大の規模を誇
ります。
豊臣一族ということで、当時1万5千の兵を誇り、陣屋も第一陣、第ニ陣とふたつ
に分けられるほどの広大さ。
さらに、さらに、ここの石垣は絶品です。
鍋島陣屋を大きく迂回して山道を自転車でヒーコラいいながら、進むといきなり、
見事な石垣が出迎えてくれます。
そのりりしい姿は旅の疲れを一遍に癒してくれます。
あぁ、ほんに美しい〜
五段は積み上げられている石垣は延々と続きます。
その石垣に導かれるままに秀保公の陣屋入り口にたどり着きます。
「当然」入り口にはこの陣屋の説明板がございます!
入ってすぐの門が石垣で囲まれた「枡形虎口」。
その美しさにおもわずうっとり。
整然と積み上げられた石垣の美しさ。
言葉につくせません。
枡形虎口を入るとそこは本丸です。
建物の礎石がそのまま残されており、奥には二重櫓があったであろう風格が漂って
います。
そう、この秀保公陣屋には、陣屋にもかかわらず、二重の櫓があったのです!
その姿は「肥前名護屋城図屏風」にもしっかり描かれております。
それほど秀保公はおじである秀吉公の信任も厚かったのでしょう。
秀保公陣屋はそれだけではありません。
曲輪の回りは石垣で囲まれているだけでなく、その石垣が二重に積み上げれており、
その間には空堀もあります。
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__|←石垣
|
|←石垣
裏門にもふんだんに石垣があり、本当に見飽きません。
・・・Fさん、この陣屋にお立ちよりしなかったのは勿体なかったですね。
(ボソボソ)
その広さといい、石垣の保存状態といい、まさに肥前名護屋陣屋でNo1の陣屋と
いっても過言ではないかもしれません。
もちろん、★★★★★です。
・・・ただ、ちょっと場所が分かりにくいですが。
某も偶然来れたようなものですから(−−)
たのんますから、もうちょびっとだけ分かりやす・・・もごもご。
さて、第一陣だけでもこの興奮だとすれば、第ニ陣もさぞかし・・・と期待に胸を
膨らませて、第ニ陣に向かいました。
・・・・・
・・・
・
こっちはヤブでした(TOT)
あとで、肥前名護屋城博物館のHPを見たら、この秀保公陣屋の整備は第一陣しか
されてないとのこと。
「佐賀県立名護屋城博物館」
ちょっとミカン畑を越えた場所にある、この第ニ陣。
こちらも12月の宿題になってしまいました。
さぞかし素敵な遺構が見られることでしょう〜
鍋島公陣屋ともども楽しみです(^^)
次回は、織部焼きで有名な古田織部公の陣屋と肥前名護屋城についてご報告したい
と思います。
それでは〜